13.因縁の決着
あれから俺様は、何かに取り憑かれたように一心不乱に体育館の壁を塗り潰していた。
シスターとの話の後、呆然としていた俺を残して、
『ではそういう事で宜しいですね?修繕作業をお手伝いして頂く方は、奉仕作業のお当番の方々にお願いするのが一番良い気が致しますので、その方向で私の方で調整致します』
シスター・マーガレットはそう宣告してさっさと行ってしまった。
俺はどれ位ぼうっとしていたのか分からねぇが、気が付いたら、ペンキやらニスやら刷毛やら、修繕に必要な諸々を夢中で用意して、無我夢中で作業を開始していた。
神が降りてきたとかそんな表現する奴がよくいるが、確かにそんな感じなのかもしれねぇな。芸術家って奴は、個人差はそりゃああるんだろうけど、作品に向かう時は、大抵みんなこんな感じじゃねぇの。
とにかく俺様は必死に描き続けていた。まるでそれが香椎さんの謎を突き止める手掛かりに繋がるかのように……。
◇◇◇◇
(ふぅ~、出来たぜ!)
一心不乱に作業に没頭していた俺様が最後の色入れを終えた時、明かり取り用の天窓から見える空がうっすらと白み始めていた。作業に没頭していた時には全然気にならなかったのに、急に肌寒さを感じて身震いする。もうそろそろ夜明けだ。
あれから一晩中絵を描き続けて、誰かに手伝って貰わなきゃいつ終わるか分からねぇと本気で思っていた壁の修繕を、何と独りで、しかも一晩で終わらせちまった。
(これって褒められるところか?)
(俺って凄いのか?)
いや、そもそも俺様は天才なんだから当然って言やぁ当然か。ちょっとその気になりさえすりゃあ、まあざっとこんなもんだぜ!
だから、そんな事ぁ、正直どうでもいい!
それより俺様はこの絵に集中しながらも、描きながらずっと思っていたのは、香椎さんの事ばかり。
取り敢えず惣太郎を呼んで確認しなければ。どうせアイツの事だ。とっくに調べ上げているに違いねぇ。
◇◇◇◇
「これは又……、綾麿様が兎オタクのみならず、少女趣味のロリ系オタクだったとは!長年共に過ごして参りましたのに、この私とした事が全く気付きませんでした。迂闊だったとしかお詫びの申し上げようがございません」
どうぞご容赦の程を!
いけしゃあしゃあとそんなつまんねぇ口上を述べる惣太郎の髪も塗装してやりたくなった。
俺が惣太郎に電話すると、コイツはこんな夜明け前の尋常でねぇ時間にも拘らず、いつもと何ら変わらねぇ落ち着きはらった声で、
『どちらにおいでなのですか?』
と一言。
それから20分。一分の隙もねぇあの英国紳士風のスタイルで、悠然と歩いてここ迄やって来た。ご丁寧にステッキ迄持ってだ!
「そんな話をしているんじゃねぇ!香椎さんの事だ!調べはついているんだろう?さっさと話せ!」
「……」
せっつく俺様をシカトして、惣太郎はある一枚の壁画の前に足を止めて見入っている。
「全く……、これだけの絵の才があれば、その道で十分食べていけますよ。一度どこかのコンクールに作品を出品なされたら如何ですか?」
食い入るように俺様の絵を観ながら、珍しく茶化すわけでもなくそう感想を述べた惣太郎に、褒められたと一瞬喜んでしまいそうになったが、そんな甘言に丸め込まれる程、俺様はお前との付き合いが短くねぇ!
何年一緒に居ると思っていやがるんだ。お前の考えなんてお見通しなんだよ!
「そんな歯の浮くようなお世辞言って俺様の気を逸らそうたってそうはいかねぇからな。さあ、掴んでる情報をあらいざらい話せ。香椎さんがかぐや姫で砂漠に帰るっていうのは、一体どういう事だ?」
俺様が惣太郎にシスターの言葉の謎を詰め寄ると、漸く惣太郎は壁画から視線を俺様の方に移した。
「この絵はかぐや姫への求婚の場面ですか。しかし又随分と奇妙な求婚者達ですねぇ。一人目は手にペンキ缶らしき物と刷毛迄持って、まるで今の綾麿様のようですね。二人目は山高帽にツィードのスーツという洋装で、まるで英国紳士です。そして残りの三人、この三人の男達がこれ又更に珍妙です……。どう見ても日本人には見えません、まるでアラビアンナイト千夜一夜の世界ですね。ご丁寧に絨毯に乗って浮いているとは!」
いやはや綾麿様の陳腐な空想力には、かぐや姫様もさぞかし嘆かれておられる事でしょうね。
などとニヤニヤ笑っていやがる。
そう、俺様は体育館の壁一面に、かぐや姫の物語の世界を描いた。
竹の中から可愛らしい女の赤子が現れ、そしてその娘が、やがて美しい少女へと成長して、五人の高貴な男達から求婚されるも、それを袖にして、そして……、
「しかし何と申しましても圧巻なのはラストのこの絵でしょうか。かぐや姫が籠に乗って月に帰って行くのではなく、ラクダに跨って月に照らされた夜の砂漠を帰って行くとは、何ともファンタスティックな!」
正に現代の斬新な解釈に基づく、かぐや姫の真骨頂!
「うるせぇ!はぐらかすのもいい加減にしろ!俺様は香椎さんの真実が知りたいんだ!彼女はどんな秘密を抱えている?何故、彼女はダメなんだ!」
俺様の鬼気迫る問い掛けにも、相変わらず全く動じねぇ惣太郎に心底腹が立つが、今はそんな事を言っている場合じゃねぇ。
「では綾麿様にお伺い致しますが、綾麿様こそ、何故香椎さんにそんなに拘られるのですか。そもそも綾麿様は貴方様のご結婚のお相手であられるイナバちゃんとやらをお捜しになられる為に、この聖フロイス女学院に潜入なされた筈ではありませんでしたか?私が見る限り綾麿様は、まるでそれをお忘れになられたかの如く、イナバちゃん捜しをなされておられるご様子がございません」
「……」
俺様の予想通りに、惣太郎は当然の疑問をぶつけてきた。俺様の出方を探るような目をこちらに向けて、
「お答え戴けないのでしたら、私も何もご報告申し上げる事はございませんので、これにて失礼致します」
そう言って回れ右して躊躇いもなく歩きだす。
「お前はどうなんだよ」
「……」
「イナバちゃん捜しの進捗報告。最近お前の方こそ、一切してきてねぇじゃねぇか。ちゃんと捜しているんだろうな?」
出て行こうとする背中に俺様がそう声を掛けると、惣太郎はその場で立ち止まってこちらを振り向いた。
「無論です。ですが私の調査では、綾麿様が仰る条件の該当者は見つかりませんでした。現在イナバちゃんが条件を少しずつフェイクさせているという前提で、範囲を広げて再調査致しております」
「そうか、ならもういい」
俺様の即答に、さすがに惣太郎も目を瞠って、
「はっ?もういいとは一体どういう事でしょうか?諦められたのですか?」
俺様をまじまじと見つめて、俺様の真意を探り出そうとしている。
「いいや、その逆だ」
「はっ?逆とは一体……、」
「まさか!見つけられたのですか?!」
俺様が是とも否とも言わず黙っていると、それを肯定と受け取ったのか、
「でしたら何故です?何故私に黙っておられたのですか!こちらこそ、ふざけるのもいい加減にして頂きたいですね。私達にのんびり遊んでいる時間など無いのですよ。私達が会社を離れている間、仕事が滞らないよう社長がお取り計らいくだされておられますが、それも偏に、綾麿様の嫁捜しという目的があってこそ。目的が達成出来たのであれば、直ちに社に戻らねば、社長に申し訳がありません。何故イナバちゃんに迎えに来たとお伝えにならないのですか!どちらにいらっしゃるのですか?イナバちゃんは!」
「……」
「何故黙っておられる―」
そこで惣太郎はハッとした。
「まさか……、」
「遊んでいる暇がねぇとか言っているが、お前の方こそ随分楽しんでいるみてぇじゃねぇか。俺の方こそ言わせて貰いてぇよ。ガキの頃から嫌になる程お前と過ごしてきたが、お前のあんな顔、初めて拝んだぜ」
俺様が一気にまくしたてると、
「アハハハハハ!」
突然、惣太郎が大笑いしだした。
「これはこれは。いつかこんな日が来るのではとずっと危ぶんでおりましたが、それでもまさか本当に来るとは正直思っておりませんでした。アハハハハハ!」
「綾麿様、覚えておいでですか?貴方様が懐いて後をついて回っていた幼稚園の先生。あの先生が最初ですよ。実は私もあの先生が初恋の相手なんですよ。貴方様が何かとイタズラを仕掛けて虐めていらした小6の時の担任の先生、あの方が貴方様の二人目のお相手でしたね。あの先生には私も随分と意地悪を仕掛けたものでした。そうそう、貴方様が初めてお付き合いなされた中1の時の1学年上の先輩。黙っておりましたが、あの娘は私がファーストキスの相手ですよ。それと、貴方様が高校で付き合っていらしたクラスメート。私が誘ったら、ホイホイ私の部屋に付いて来ましたよ。その意味解りますよね?」
俺様は、持っているペンキを惣太郎の頭からぶちまけてやりたくて、体が手がプルプルと震えるのを止められ無かった。
そんな俺様の怒りに震える姿を楽しそうにニヤニヤ見ながら、
「成る程、そういう事ですか。でしたら私に黙っていらしたのも頷けます。いえ、寧ろ褒めて差し上げたいくらいでございますよ。それが賢明な措置だと私も思います。何も知らない迄も、恐らく貴方様が持って生まれた自己防衛本能が、私の事を要注意危険人物と認定されていらしたのでしょうね、それでこそ私がお育てした綾麿様です」
「いつお前に育てられた?そんな覚えはねぇ、ふざけるな!お前が付き合ってた過去の女達がお前に近づいたのは、実は俺様に近づくのが最終目的だったってぇ陳腐な昼メロみてぇな話を、お前が未だに恨んでいるってぇ事だけはよぉく解ったが、そんな詰まんねぇ事を、いつまでもグチグチグチグチと、小せぇ男だな。そんな女達はこっちから願い下げなんだよ!俺様は指一本たりとも手ぇ出したりなんかしてねぇからな!」
俺様が怒りで興奮して酸欠になりそうになりながら叫んで、ハァハァと肩で息をしながらも睨み付けてやると、
「ええ、存じております。貴方様は私がお育てした最高傑作ですから」
と薄笑いして、
「ですが綾麿様、それら過去20年に渡る数々の因縁と、幾度にも渡り対戦させて頂きながら未だに勝負がつかないテニスの因縁。これらの決着をつける時がとうとう来たようですね。大変お気の毒ではありますが、今回は引いて差し上げられませんので、お含みおきください」
そう言って頭を下げた。
「それはこっちのセリフなんだよ。嫁は誰にも渡さねぇ!つべこべ言ってねぇでさっさと彼女の事話せ!」
惣太郎は顔を上げると、
「畏まりました綾麿様、それでしたらお話しせねばフェアな勝負になりませんね。ではお話しさせて戴きましょう」
そう嬉しそうに笑って、漸く話しだした。
(ああ、全くもう~、コイツと話してると、どうしてこうも疲れるんだ?)
(ああ、もう面倒くせぇ!!!)




