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12.かぐや姫は砂漠に帰る?

 俺様の描いたシンデレラの絵の噂は瞬く間に学院中に広まって、大変な騒ぎになっちまっていた。


テニスコートには、学生ばかりか職員迄もが見学に行っているらしい。


あの夜結婚した嫁に向けての、【迎えに来たよ】という俺様からのメッセージ。


だが、関係のねぇ人間にとっちゃ、ただのシンデレラをパロった絵にしか見えねぇ秘密のメッセージ。


香椎さんがあの日のイナバちゃんなら、必ずその真意が伝わった筈だ。


何もかも、あの夜の独り会議で俺様が思い描いた筋書き通りに進んでいた。たった一つの誤算を除いて……。



◇◇◇◇


 「もし、用務員さん、お忙しいところ失礼致します、宜しければお願いさせて頂きたい仕事があるのですが」


用務員の仕事はひっきりなしだ。三階の大教室の電気が切れそうだと支給されているスマホにメールが入り、休み時間中に取り替えておいて欲しいというので急ぎ向かう途中で後ろから声を掛けられた。


振り向くとそこには、俺様を追い出そうとしていたシスター・マーガレットが、にっこり微笑んで立っていた。


「中等部の体育館の壁が以前からかなり傷んでしまっておりまして、修復すべきかどうか検討致しておりましたの。そう致しましたら貴方の噂を伺いまして、早速今テニスコートの絵を拝見して参りましたわ」


「貴方!素晴らしいですわ!あのようなところにあのように見事な絵を!私、感激致しましたの。貴方があのように素晴らしい才能をお持ちでいらしたとは!何故もっと早く仰ってくださらなかったのですか!是非とも中等部の体育館の壁を塗ってほころびを隠して、そこにも何か描いて頂きたいですわ!」


用務員は、幼稚園・初等部に合わせて三名、中等部、高等部、大学部にそれぞれ二名ずつ配置になっている。


因みに俺様は言わずもがな大学部の用務員だ。通常各担当枠以外の用務はしない事になっている。それぞれの担当内だけでもこの人数では手が足りねぇのだ。それに越境行為は各担当者のプライドを傷つけかねねぇ。


「ですがシスター・マーガレット、私には中等部の体育館は……、」


俺が湾曲にそういったニュアンスの返事をすると、


「ああ、その事でしたらお気になさらなくても大丈夫ですわ。学院長先生の特別許可を戴きましたので。中等部の庶務の責任者にも既に話はつけてございますの」


(もう話がついているんかい!!!)


俺様は心の中で突っ込みを入れながらも、そこ迄言われては断われる筈もなく、


「畏まりました。では本日依頼を受けております用務が終わり次第、体育館の下見に伺っても問題ございませんか?」


「はい、勿論ですわ。そう致しましたら、その際には私もご一緒させて頂きます」


俺は、仕事が片付いたタイミングでシスターに連絡を入れる旨を約束して、大急ぎで大教室に向かった。


(何で俺様が、こんなにこき使われているんだ?)


そう、俺様の唯一の誤算、それは……、あれ以来、あちらこちらから絵の依頼が殺到しちまった事だった!!!


(天才も楽じゃねぇ……)



◇◇◇◇


 漸く頼まれていた本日分の用務が終了して時計を見ると、既に午後の2時を回っていた。


忙しくて昼メシも食いそこなっちまった。今は特に試験期間中の為、昼休みの内に片付けておかなければいけない仕事が多い。


仕方ねぇ、メシは諦めて、体育館の方を見に行くか。


俺はシスター・マーガレットに電話する事にした。するとシスターからの返事は、体育館の鍵を持ってすぐに向かうとの事だったので、俺もその足で、中等部の体育館に向かった。


中等部は聖フロイス女学院の正門からみると一番敷地の奥にあたる。一番手前から大学部、次が高等部、最奥が中等部で体育館はそれぞれの校舎の隣に建設されていた。因みに初等部と幼稚園は、上級学校から護られるように、それらの校舎を背にしてその南側に垂直方向に建設されている。


俺様が体育館に到着すると、シスター・マーガレットが先に着いて入り口で待っていた。


(早っ!いったいどこに居たんだ?)


俺様の心の中を読んだかのように、


「貴方にお引き受け頂けましたので、ちょうど中等部で体育館の壁画について打ち合わせをしておりましたのよ。タイミングぴったりでしたわ」


「打ち合わせを?」


「はい、中等部の先生方にどのような絵をご所望か、ご意見を伺っておりましたの」


(ああ、なるほど)


「中等部の先生方のご意見は如何でしたか?」


確かにあのテニスコートの金網と体育館の壁じゃあ全く違う。さすがに俺様の好きにするってわけにはいかねぇよなぁ。


「はい、全て用務員さんにお任せするそうです」


(って、いいんかい!!!)


「楽しみですわ~、今度はどんなモチーフをお考えなんですの?」


シスター・マーガレットが好奇心丸出しで訊いてくる。


シスターと言えども(当たり前ぇなんだが)人間なんだなぁと、初めて交流した聖職者の実体に、逆に俺様の方が興味津々だったのだが。


「まだ何とも……、何分先程お話を伺ったばかりですし、体育館を見てみない事には……、」


然しもの俺様にも、そうそう簡単に絵のモチーフなんて浮かばねぇ。テニスコートの絵は、あれはイナバちゃん宛のメッセージなんだから特別だ。


とにもかくにもシスターに鍵を開けて貰い、誰も居ないガランとした体育館に二人して入ってみた。


俺は真っ直ぐに壁に向かった。コンクリートの地に茶色の板が張り巡らされた壁は、確かに経年劣化が著しく、ボールや何やらの傷や、色が剥げてしまっている箇所も多く、傷みが激しかった。


(しかし広い!)


(これ一人でやるって、どんだけ時間掛かるんだよ!)


見た限りでは、確かに上塗りして補修すれば、見た目は生まれ変わりそうではあるが……。


すると、その思いが顔に出てしまっていたのか、シスターが救いの手を差し伸べてきた。


「下地を塗る人手がもし必要でございましたら、仰って頂ければ、学生に声を掛けてみますが。勿論、試験が終わってからになってしまいますが」


(ありがてぇ!)


俺はすぐさま、お願いしますと言いそうになって、すんでのところで思いとどまった。


(そうだぜ!!!)


「お気遣いありがとうございます、シスター・マーガレット。ですが、大丈夫です。シスターのお手をお煩わせさせたりなど致しません。出来ればどなたかにお手伝い頂けますと非常に助かりますので、ボランティアをしてくださる方を自分で捜してみます」


俺がそう答えると、シスターの顔から、先程迄のにこやかな笑みが消えて今度は訝しげな顔で俺を見ている。


そして……、


「まさかとは思いますけど、香椎さんにお声をお掛けになられるおつもりでは、ございませんでしょうね?」


ギクッ!


(な、何でそれを!どんだけ鋭いんだ!)


「い、いえ、そのような事は……、あの、その、考えてなどいな―」


正に、射ぬかんばかりのシスターの鋭い視線に、この俺様とした事が、しどろもどろになってしまった。


これじゃあ自白したようなもんじゃねぇか!


「どうやら、図星だったようですわねぇ」


(こ、怖ぇ~!)


口角を上げ、まるで獲物を前にした肉食獣だぜ。舌なめずりしてるようにさえ見える!


(そ、そうだ!3メートル!俺様は3メートルの刑に処されていたんだった!)


ここのところ色々目まぐるしくて、すっかり油断していたぜ!


「シ、シスター、あの、」


俺様が何とか申し開きをしようと口を開くと、


「はぁ~」


何故かシスターの方が脱力して顔を伏せた。


(ん?どうしたんだ?)


今度は面食らってシスターの様子を窺っていると、


「お気の毒に……」


不意に顔を上げたシスターが、今度は哀れみの籠もったような涙目で俺様を見つめてくる。


(はぁ?一体どうしちまったんだ?)


わけが分からず俺様が、


「何故、私がお気の毒なのですか?」


とその理由を問い掛けると、


何とも言えない複雑怪奇な顔をしていたシスターが、もう一度大きく一つため息を吐いた。


「はぁ~」


「私、貴方のファンになりましたの」


(はぁ?)


何を突然言い出すんだと、俺様が唖然としていると、


「も、勿論、貴方の絵の、でございますわよ!」


俺様の顔を見て、言い方を間違えたと気付いたのか、真っ赤になって慌ててそう付け加えた。


「でも、そのアイドル顔負けの可愛らしいお顔も、結構気に入っておりますけど……、」


などと小声でゴニョゴニョ言っていたのは、聞こえなかった事にする事にした。


(小声でけぇよ!全部聞こえてるし)


「だから、あの素敵な絵と、これから描いて頂く予定のこの壁の絵に免じて、貴方には特別に教えて差し上げます」


「何のお話ですか?」


俺は何故だか急に嫌な予感に包まれて、気が急いてシスターに先を促すと、


「香椎さんはどんなに想っても無駄です。悪い事は申しません。ですから、傷の浅い今のうちに諦めた方が貴方の為です」


(ああっ?どういう事だ?)


真っ直ぐに見つめ返して、視線で問い返す俺様に、


「やはり……、貴方本気で彼女の事お考えなのですね?」


更に又1つ、はぁと大きなため息を漏らしてから、


「詳しい事は申し上げられませんが、一つだけ……、」


「香椎さんはかぐや姫なのですわ、いずれ砂漠に帰る。ですから、彼女の事はお忘れなさい」


(はぁ?)


俺様はシスターの残した謎の言葉に、その場に呆然と固まって、動けなくなっちまったのだった。


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