婚約披露パーティのあとで
一夜の毒婦、上下巻連続発売記念で番外編を投稿しましま!
上巻は12月5日発売です!
婚約披露パーティーが終わり、来客を見送ったマリアドールは盛大に息を吐いた。
隣にいたジェルフは思わず苦笑いを零す。
「随分と疲れたようだな」
「はい。夜会はいつも途中で帰りますから、最後までいたのは初めてです」
終わりの時間は決まっているが、途中で帰る人もいる。主催者に挨拶をして一時間ぐらいで帰ってもギリギリ無礼にはならないと判断して、いつもそうしていた。でも、今回は主役なのでそうもいかなかった。
おまけに人の視線が気になり、食事どころか殆ど飲み物も口にしていない。
ジェルフも側でフォローしてくれたが、疲労が全身にのしかかる。ジェルフと契約婚約したのをちょっとだけ、ほんのちょっとだけ後悔したものだ。
「そこのソファで待っていてくれ。食事とワインを用意させよう。それとも先に着替えるか?」
会場を片付けている使用人をジェルフが呼び止めようとしたところで、マリアドールのお腹がぐぅ、と返事をした。
ジェルフがマリアドールに視線を戻す。
「食事が先だな」
「……お願いいたします」
二人の会話を聞いていた使用人が手早く皿に料理を盛る。夜会で出されるものなので、サンドイッチや果物、ケーキなど軽食に近い。
テラスのソファで待っていると、使用人が二皿持って来てくれた。ジェルフの分もあるようだ。
「足りなければ料理人に何か作らせよう」
「これで充分です。ありがとうございます」
マリアドールが皿を受け取ると、ジェルフはサンドイッチを頬張る。つられるようにマリアドールもスコーンを食べた。
冷めているが美味しい。
「ワインもどうぞ」
甲斐甲斐しくジェルフがワインを注いでくれる。スコーンにはチーズが入っていて、ワインとよく合った。
空腹なのもあり黙々と口を動かしていると、今度は冷えた果実水も勧められた。至れり尽くせりだ。
「もしかして、ジェルフ様は本当に悪女に尽くすタイプですか?」
「……多分違う、と思う」
「多分とは?」
「少なくとも今までこんなことはしていない」
なるほど、とマリアドールは頷く。
そうして果実水で喉を潤すと神妙な顔をした。
「つまり、私に『二度と夜会にでない!!』と言われないよう頑張ってくださっているのですね」
真面目なジェルフらしい考えだとマリアドールは納得する。ジェルフは微妙な顔で頷くが、どこか納得していないようでもある。
「契約婚約者を辞めるなんて言わないので、安心してください。数をこなせば悪女らしい振る舞いも板に付いてくるはずです」
「頑張る方向が少し違うが、これからも頼む。今度からは夜会が終わるタイミングで温かな食事を用意させよう。飲みたいワインがあれば銘柄を教えてくれ」
「……もしかして私、餌付けされてますか?」
「ははは、まずは胃袋を掴めと言うしな」
なんだか着々と外堀を埋められているように思うが、ご褒美があると思えば嫌いな夜会も頑張れる気がする。
それにスタンレー公爵家は商会もしているから、いろんな銘柄のワインが手に入だろう。実に魅力的な言葉だ。
「では、リストアップしてお渡しします」
「マリアドールの好みも知れるし一石二鳥だな」
ちょっと調子に乗って答えたところ、ジェルフはそれを余裕で包み込んだ。本当になんでも用意してくれそうに思う。
だからさらに「では、流行りの洋菓子や、期間限定品のケーキも……」と続けると、ジェルフは鼻先で笑い方を竦めた。
「なんだ、悪女の割に難易度が低いな。もっと俺が困るようなことを言うと期待しているんだが?」
「うー。それなら! いつも行列の人気店のプディング」
「魔性の毒婦だろう? もっと何かないのか?」
カラカラと笑いながら煽るジェルフをマリアドールは恨めしそうに睨むと、それならと指を突き出した。
「異国原産の樹液!! はちみつのようにビスケットにつけて食べると美味しいそうです」
滅多に他国に輸出されないその樹液の名前を口にすれば、ふむ、とジェルフは腕を組んだ。
その様子にマリアドールは勝ち誇ったように胸を張る。もはや何の勝負をしているか分からなくなってきた。
「あの国の商人に知り合いはいない。それに保存が難しいと聞いたことが……」
「では無理ですね!」
「いや、最近になっていい保存薬ができたそうだ。伝手を辿れば手に入るはず。明日にでも依頼しよう」
飄々と言われ焦ったのはマリアドールだ。食べたいと思ったのは本当だけれど、そこまでしてもらうのは申し訳ない。
「いえいえ、そこまでしていただかなくても……そうだ! スタンレー公爵領で取れたハチミツがいいです」
毒婦になりきれないマリアドールの言葉に、ジェルフはクツクツと喉を鳴らして笑う。
そうして皿の上のパウンドケーキを指差した。
「それなら邸の台所にあるし、このパウンドケーキにも使っている。毒婦としてはまだまだ未熟だな」
マリアドールはうぐっと口を尖らせジェルフを睨むと、パウンドケーキを口にした。「美味しいです」とどこか悔しそうに言う。
「だろう。紅茶に落としてもいい。持って帰れるよう準備させておこう」
毒婦といえば、男を振り回す蠱惑的な女性のはず。それなのにこうも簡単に手のひらで転がされていいのだろうかとマリアドールは項垂れる。
ジェルフのために毒婦でいたいのに。
「何を落ち込んでいるんだ?」
「ジェルフ様の大人の余裕と包容力に、圧倒されています」
「それは、ありがとう?」
褒め言葉を口にする割に不貞腐れているマリアドールを怪訝に思いつつ、ジェルフは空になったふたつのグラスにワインを注ぐ。
「ところでマリアドールはどれぐらい飲めるんだ?」
「さぁ? ワインは高級ですから沢山飲んだことはありません。一本……二本空けたことはありますが……」
大変美味しかったとそのときの味を思い出す。
まだいけたが、借馬車の時間がきてしまい泣く泣く諦めたのだ。
「ちなみに酔っぱらったら、どうなる?」
「酔っぱらったことがないので分かりませんが、あまり変わらないのではないでしょうか」
言いながら、マリアドールはグラスを口に運ぶ。それからふと、手を止めた。
「お酒の強い女性は可愛げがありませんか?」
「いや。一緒に飲めるのでむしろ好ましい」
ジェルフの言葉にマリアドールの頬がじんわりと赤くなる。
(好ましい)
深い意味はないのだろう。
だけれど今夜ずっと婚約者として扱われ、手や腰、髪に触れられた。慣れない愛情表現に鼓動が速くなり緊張した。
その緊張が緩んだタイミングで「好ましい」は、無防備な心にズキュンとくる。きてしまう。
「どうしたんだ、マリアドール?」
「思うのですが、ジェルフ様こそ魔性ではないでしょうか?」
恨めしそうにそう言うマリアドールに、ジェルフは首を傾げる。
それを横目に、マリアドールは照れくささを隠すように手にしていたグラスを飲み干したのだった。




