図書館.1
五日後。
夕食を終えたマリアドールが、王室専用の図書部屋にあった美術の本を手袋をつけた手で慎重に捲っていると、扉がノックされジェルフが現れた。
手には小さな包を持っている。
「デルミスのブレスレットが届いたから持ってきた」
「本当に五日でしあげたのですね。見せていただいてもいいですか?」
ジェルフはもう一脚の椅子に座ると、包みを開けブレスレットを取り出す。
そこにはマリアドールが描いたのと同じ柄が彫られていた。
「見事な腕前だな。とても綺麗だ」
「はい。それに、鍵にまで。精巧な作りで見惚れてしまいます」
その細工の細かさは、もはや芸術レベルだ。
鍵を部屋の灯にかざすようにして左右から眺めるマリアドールを見ながら、ジェルフはブレスレットを箱にしまった。
「これはマリアドールが持っていてくれないか?」
「私がですか。かまいませんがどうしてですか」
「……ダンブルガス国に戻ったら、改めてマリアドールから受け取りたいからだ」
言いながら、ジェルフの耳が少し赤くなる。デルミスのブレスレットは本来女性から男性に贈るもの。そんなこと気にもしていないように見えたけれど、どうやら違ったらしい。
マリアドールはジェルフの照れた顔を可愛いと思いつつ、含み笑いでうなずくとそれを大事に鞄にしまった。
「もう荷物を片付け始めているのか?」
「少しずつですが。明日からメルフィー王女殿下の荷造りをしますから、自分の分は早めにしておこうかと」
あと五日で帰国だからか、マリアドールの周りもなんだかそわそわし始めている。
メルフィーとレオニダスとの婚約が正式に結ばれるのは三日後。
そのあとは一度帰国し、数ヶ月後、今度はレオニダスがダンブルガス国にきて国王陛下達に挨拶をすることになっている。
わずか一ヶ月の滞在だったけれど、レオニダスから沢山のドレスや靴、アクセサリーが贈られ、メルフィーの荷物は増えている。
「そうか。俺もぎりぎりまで宿主と話を詰めたいから、忙しい。無理はしないように」
「はい、ジェルフ様も」
ではお休み、と言ってジェルフはマリアドールの額にキスをすると部屋を出ていった。
次の日、朝からメルフィーの荷物の整理をしていたマリアドールは、一区切りついたところで部屋に戻ってきた。
もう絵も描くことはないだろうと、絵筆をしまい、イーゼルも小さく折りたたむ。
「こうやって見ると、案外この部屋って広かったのね」
すると部屋が随分ガランと広く感じた。絵の道具は思ったより場所を取っていたようだ。
海辺の街を散策するときに買ったお土産を鞄に詰めていると扉がノックされ、メイドがマリアドール宛の手紙を持ってきてくれた。
来てすぐのときに一緒に裏庭を掃除したこともあるそのメイドは、手紙を渡すと「寂しくなるわ」と小さく笑いながら立ち去っていく。
初夏の陽気の中で荷造りをして汗を掻いたマリアドールは、部屋に風を通そうと扉を半開きにしたまま手紙を見て首を傾げた。
「私に手紙?」
誰からだろうと裏側を見て、そこにある名前にライトブルーの瞳を見開いた。
「ベンからだわ。どうしたのかしら」
ナタリアの絵はすでに渡し喜んでもらっている。それ以外にどんな要件かしらと訝しみながら、まだ片付けていなかったペーパーナイフで切ると、便箋と一緒に鍵が一本入っていた。
大きさは、デルミスのブレスレットの鍵と同じぐらいだけれど、彫り物がいっさいされていないシンプルなものだ。何の鍵だろうと思いつつ今度は、便箋に視線を落とす。
『ナタリアのアクセサリー箱を整理していたら、これが見つかりました。生前、カルナ妃殿下から預かったと言っていたのを思い出し、私が持っているべきではないと考えました。どうか、デニス殿下にお返しいただけますでしょうか』
(カルナ妃殿下から預かった鍵? 思い当たるのはデルミスのブレスレットの鍵ぐらいだけれど、それなら王家の紋章が入っているはずだわ)
他に鍵をかけるものとして思いつくのは、宝石箱や金庫といった貨幣価値のあるものか、もしくは。
(もしかして想い人と交わした手紙や思い出の品を入れた箱、とか?)
そうだとすると、この鍵を安易にデニスに渡して良いのか悩むところだ。
(でも、デニス殿下はカルナ妃殿下に想い人がいたことを知っておられたわ。だとすると渡してもいい気もするし……)
なんとも微妙なところなので、マリアドールはジェルフに相談しようとその鍵をポケットに入れた。
「マリアドールさん、少しいいかしら」
開け放っていた扉からアーリアが少し顔を出し、マリアドールを伺いつつ声をかけてきた。
「もちろん、荷造りの続きを始めるのですか?」
「いいえ、残りは明日にするそうです。メルフィー王女殿下はレオニダス王太子殿下と一緒に、お土産を買いに行かれましたから」
とすると、また荷物が増える。それでまとめて明日にしようということになったようだ。
このタイミングで、と少し苦笑いするマリアドールに、アーリアはちょっと硬い顔で「本を持っていないですか?」と聞いてきた。
「本、ですか」
「はい、図書館の王族専用部屋で借りた美術の本です。今朝、メルフィー王女殿下の手元にあったものはすべて図書館に返却したのですが、一冊足りないと言われてしまって。それでメルフィー王女殿下がマリアドールさんに貸すと仰っていたのを思い出したのです」
「ええ、その本ならあります。これですよね」
汚れないように布に包んで机に置いていたそれを見せると、アーリアはそうだと頷いた。
「申し訳ないのですが、それを返却しに図書館に行ってくださいませんか? こちら、王族専用の部屋に入れる通行許可証になりますので、司書官に本の破損がないか確認してもらったあと、棚に戻してください」
手にした通行許可書に押された紋印はいつもと違う。おそらくレオニダスのものだろうと思いつつ丁寧に折り畳んだ。
「私がその部屋に入ってもいいのですか?」
「許可証があれば短時間なら大丈夫です。お城の侍女も掃除のために出入りする場所ですし」
「分かりました。では行ってきます」
離宮から城までは歩いて二十分程度。
デニスとの対談で一度、城へは行っているので道は分かる。そこから図書館へどうやって行くかは見張りの門番に聞けば問題ない。
念のため汚さないようにと、もう一度本を布で包むとマリアドールは図書館へ向かうことにした。
門番に教えてもらい辿り着いた図書館は、お城から渡り廊下でつながる二階だての建物だった。
ドーム型の赤い屋根に少しくすんだベージュの壁がなんだか可愛らしくも見える。
茶色い扉を開け中に入ると、独特の紙の匂いとシンとした空気が流れていた。
(図書館って造りは違ってもどこも良く似た雰囲気をしているのね)
入り口にいる司書官に聞けば、一階の一番奥の部屋へ行くように言われる。
図書館には十数人の文官が調べ物をしていた。異国のお仕着せを着ているマリアドールを不思議に見つつも声をかけるものは誰もいない。
そのまま一階をつっきるようにして奥まで進むと重厚な扉の前に机がひとつあり、そこにも司書官がいた。
「メルフィー王女殿下の侍女です。本を返却しにきました」
「あぁ。一冊、足りなかった件だな。汚れや傷を確認するから布から出して机に置いてくれ」
マリアドールをそれを慎重に机に置けば、ふむ、といいながら司書官はパラパラとページを捲っていく。
長期間借りていたとはいえ、畏れ多すぎて見たのは数度。今になって、もっとゆっくり見ておけば良かったと後悔が沸き上がる。
「うん、問題ない」
「あの、通行許可証を持っているのですが、私がこの中に入っていいのでしょうか?」
「どれどれ、見せてくれ。……レオニダス王太子殿の名前があるからかまわない。この本のあった場所は、左奥、神話が置いてある棚の近くだ」
司書官が本のタイトルと棚番が書いてある冊子を見せながら教えてくれた。
マリアドールは本を受け取ると、やや緊張しつつ分厚い扉を開け、室内に入っていった。
料理をしていたら短編の案が浮かんだのですが、手持ちの改稿作業もあるしどうしようかと悩み中。
そのうち投稿するかもしれません。
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