女王陛下とその事件
「ッ!!イルミナ!!」
「!?」
イルミナは横からいきなり来た衝撃に耐えきれず、そのまま倒れ込んだ。
何が起こったのかわからない、しかし何か異常事態があったことだけは理解できた。
「いっ・・・な、なにが・・・」
「ハーヴェイ様!!」
ハーヴェイの従者の悲痛な声が辺りに響いた。
「っく・・・」
その後に聞こえるハーヴェイの低い呻きに、イルミナの血がざっと下がる。
―――一体、何が、起こっている?
イルミナは打ち付けて痛む体を慌てて起こす。
そして眼前に広がった光景に息を止めた。
「ハーヴェイ様!ハーヴェイ様!!」
「っ、落ち着け、大した怪我ではない」
「衛兵!!そいつを牢に連れていけ!」
「離せ、離せ!!イルミナ、ヴェルムンドォ!!死ねっ、死ねぇぇええ!!」
そこには混乱した場が広がっていた。
「!!は、ハーヴェイ殿、け、怪我を!?」
「っく・・・あぁ、大したことはないから、大丈夫だ」
「直ぐに医療室へ!!」
ハーヴェイは腕を抑えていて、そこから流れる真っ赤な血がイルミナを恐怖に陥らせる。
どうして、こんなことに。
しかし今そんなことを言っている場合ではない。
「っ、ハーヴェイ殿を医務室へ!!
そこの男は牢へ連れて行って!!」
近くにいた衛兵に激を飛ばす。
イルミナは混乱する頭で状況を整理しようとする。
理性的に動かねばと理解しているのに、手は小刻みに震えるばかりだ。
どうして、こうなった。
********
あの後―――。
イルミナは、ハーヴェイを連れて応接室から出た。
庭には秋に咲く花々が咲き誇っているだろう。
それを見て少しは落ち着いてくれればいいのにとイルミナは内心で思った。
ハーヴェイの言いたいことは、分からなくもない。
だが、それを強要されるのは違うとイルミナは考えている。
確かに、女王になると決めたあの日、ヴェルナーにも似たようなことを言われている。
氷上を、裸足で歩くようなものだと。
それほどまでにその道は険しく、簡単なものではないと。
覚悟も、決意もある。
だからこそ、ハーヴェイの言いたいことが理解できた。
そもそもその覚悟が無ければ、先代たちをエルムストに閉じ込めたりなどしない。
自分の意志で、イルミナはその道を進むことを決めたのだ。
だが、一人で歩かなくてもいいと、教えてくれた人たちがいる。
アーサーは、イルミナに愛する人と添い遂げることこそが国の為になると言った。
そう思ってくれる人がいることを、イルミナは知ってしまったのだ。
グランが、タジールが。
自分に関わる人たちが、そうしていいのだと言ってくれる。
そう思ってくれる人がいるというのに、それを自分の独りよがりな考えで却下するなんてことをするつもりはない。
だからといっては何だが、ハーヴェイを哀れに思えてしまったのだ。
彼には、そう言ってくれる人が身近にいないのだろうと思って。
「ラグゼン公、あちらを見て下さい、今が丁度色を変える時期なので赤と黄色のコントラストが良いとは思いませんか。
こういった植物は、ラグゼンファードにもあるのですか?」
「・・・あぁ、とても素晴らしい色合いだ。
木自体はあるが、ラグゼンファードの冬は短く、あのようになる時期はとても短い」
気を使われていること理解できたのだろうハーヴェイは、ぎこちないながらも笑みを浮かべる。
イルミナは、ハーヴェイがそこまで子供でなくて安心した。
正直、年下であるイルミナに気を遣われている時点でそれも微妙なところだが。
ハーヴェイの護衛と、イルミナの護衛達が数人、背後からついてきているその時。
「っ!!」
一人の男が草木の陰から飛び出してきた。
「!?」
その男の目は血走っており、焦点が合っていない。
口元からは白い泡が噴き出ており、涎が顎を伝っている。
一目で見て、正常ではないとわかった。
服装からして、城に努める文官だろうか、とイルミナが考えていると。
「ッ!!イルミナ!!」
***********
「・・・ラグゼン公は・・・」
「はい、腕に裂傷を。
しかし傷は深くなく、神経にも傷はついていない様です。
ただ、長く切りつけられているので当分の間は安静になされた方がよろしいでしょう」
フェルベールは淡々と事実を話した。
「・・・男のことは、分かりましたか」
「はい、男は城で勤める下位の文官でした。
ただ、ベナンからの推薦で入ったもので、薬物を使用していた可能性があります。
ハザが取り調べておりますが、まともに話が出来ないようで難航しております」
アーサーベルトが悔し気に眉根を寄せながら報告書を読み上げる。
結果として、ベナンの子飼いに襲われそうになったイルミナをハーヴェイが救った、という事実が手元に残った。
しかし、当然ながら疑問は残る。
何故、あの時間に男はそこにいたのか。
どうしてイルミナがそこを通ると思ったのか。
イルミナの生活は基本的に不規則だ。
食事だって同じ時間に摂ることはほぼない。
ましてや、一日中執務室に籠っていることの方が多いのだ。
もし男がそれを理解したうえでずっと隠れていたのであれば、という言葉には正直ありえないと返すほかない。
ベナンが更迭されたのは大分前のことだ。
その間に、イルミナを狙う機会などいくらでもあった。
むしろ、女王になってからの方がその機会は少ない。
だというのに何故、男は今を狙ったのか。
「・・・引き続き、ハザは調査を。
フェルベール、暫くラグゼン公の傍に控えてもらえますか」
「かしこまりました、陛下」
「かしこまりました」
二人は一礼するとそのままイルミナの執務室を後にした。
「・・・」
ハーヴェイが医務室に連れていかれてから、イルミナはまだ一度も彼を見舞っていない。
狙われたのがイルミナである以上、下手に彼と接触するのは危ないのではないかという他からの意見からだ。
イルミナも同じように考えている。
しかし、なんて時期が悪いのだろうとイルミナは舌打ちしたくなった。
食事会まで一か月半ほど。
既に何人かの他国の大使はヴェルムンドに入国しているという報告すら上がっているというのに。
「それにしても、なんで、今・・・」
それこそがイルミナの中で腑に落ちないことだった。
もし、本当に彼がベナンの復讐を果たそうとしたのであれば、それはイルミナが戴冠する前に行うはずだ。
今頃行うなどあまりにも危険性が高すぎる。
女王になってからのイルミナは、常に騎士や衛兵が傍にいる状態なのだ。
そんな状態で復讐を果たそうとするのだろうか。
それに、アーサーベルトからの報告では彼は薬物に依存した状態で、今は禁断症状によってまともに話も出来ない状態だという。
いったい、その薬とやらはどこから湧いて出たのか。
ベナンのところにあったものは、すべて回収したと思っていたのだが、本当は違った?
「・・・そんなはず、ない」
イルミナは、一瞬よぎった考えを頭を振って追い出そうとする。
まさか。
――――まさか、誰かが意図的に今の時期にしたかのような。
「そんなはず、ない」
今自分は疑心暗鬼になっているだけだ、と言い聞かせる。
こんなことをしていったい誰が得をするというのだろうか。
そんな人、いるはずない。
イルミナは自分の考えを抑え込むようにその身体を小さく縮込めた。
*********
「なんだと・・・?
悪いが、もう一度言ってくれ」
グランは今しがた聞いたばかりの話を信じられなかった。
しかし話を持ってきたのは全幅の信頼を寄せる騎士、ヘンリーだ。
陰ながらイルミナの護衛を任せる男が、嘘など吐くはずもない。
「はい、
本日午後、陛下とラグゼン大公閣下が庭に出た際、ベナンの子飼いと思しき男が襲撃。
陛下は無傷でしたが、陛下を庇われたラグゼン大公閣下が負傷いたしました」
「傷のほどは?」
「フェルベール医師によりますと、浅いが広範囲にわたる裂傷とのことです。
後遺症などは出ませんが、当分の間は安静にせねばならないだろうとも」
「・・・なぜ、こんな時期に」
「表向きとしましては、ベナンの復讐を男が行ったと公的にはされています」
「・・・お前もそう思うのか?」
「いいえ、あまりにも整いすぎた理由ですから、裏があると騎士団も考えて行動しています」
「アーサーベルトか?」
「はい。
今、ハザが取り調べておりますが、薬物に依存している可能性が非常に高いです。
まともに話せなくなっている状態で、陛下への襲撃など、はっきり申し上げて不可能です。
投獄されたベナンにも確認をとろうとしておりますが、気がふれてしまったのか会話が成り立たない状態でこちらも難航しております。
しかし陛下の行動から考えると、あまりにもタイミングが良すぎだと」
「・・・そもそもその薬物はどこから出てきた?
イルミナが一斉摘発した際に、保管されていたものはすべて処分したはずではなかったか?」
「我々もそこが気になっております。
しかし当事者がまともではないので入手先が分かるかどうか・・・」
「・・・それに対してラグゼンは何と?
薬物はラグゼンのものだろう?」
「分かりません。
ラグゼンファードに確認しようにも、大公閣下は傷を負った身ですので聴取する事は非常に難しいです。
ただでさえ陛下を守って負傷されたと言う事で話を聞こうにも侍従たちがそれを許可しません。
クライス宰相はそこに疑問点を」
「それは当たり前だろうな。
ベナン達に流していたのはそもそもラグゼンファードだろう。
潔白を証明したいのであればすぐにでも話すべきだろう。
・・・何かしら裏がありそうな事件だな。
それで陛下は?」
「陛下は執務室に。
食事会の延期すらも視野に入れながら執務を行われておいでです」
「出来るのか?」
「難しいというのが内務の言葉です。
もっと早ければ出来たかもしれませんが、ここまで来てしまうとヴェルムンドの威信に関わります」
グランは深いため息をついた。
ハーヴェイに会おうとした矢先に、どうしてこのようなことが起こるのか。
時期も悪いし、何か呪われているとしか思いようがない。
グランは部屋の隅にひっそりと控えていたダニエルに一つ視線をやる。
「・・・登城する」
「かしこまりました。
鷹を飛ばしておきます」
ダニエルは初めからそう考えていたのか、すぐさま外套を準備し始めた。
何より心配なのは、イルミナだ。
いくら色々な経験を経ていようとも、彼女は他人の血を見たことが無いだろう。
それに、男は悪意を全面的に押し出してきたとも聞いている。
それをあの痩躯で受けて、傷つかないはずがない。
グランは泣くことも出来ずにいるだろうイルミナを想って、心を痛めた。
「・・・どういうことだ」
男は自身の影が持ってきたその情報に、不愉快になりながらも問うた。
「・・・ハーヴェイ様が、ヴェルムンドで負傷を」
「アレが、か?
それこそ有り得ない。
理由は?」
「ヴェルムンド女王が襲われたところを、庇ったようです」
「・・・ふん。
馬鹿め」
褐色の肌を持つその男は、さらに不愉快そうに鼻を鳴らした。
サイモン・ラグゼンファード。
三十二歳になる彼は、ラグゼンファードという大国の国王としてその場に鎮座していた。
「あなた、それは言い過ぎよ」
「アナ、どう考えても馬鹿だろう。
俺がそのようなことを望んでいると、アイツは本気で思っているのか。
そもそもいつもそうだ。
あれは頭が良い癖に妙なところで馬鹿で・・・」
「あなた」
アナと呼ばれた女性は、婀娜っぽい雰囲気を持つ垂れ目気味の美女だった。
アナスタシア・ラグゼンファード。
ラグゼンファードの有数貴族の娘として生まれた彼女は、そのまま政略結婚としてサイモンに嫁いだ。
友好的な関係が築けるか不安だったが、結果的にサイモンたちはお互いがお互いに惚れ、今ではおしどり夫婦として有名だ。
「アナスタシア、分かっているだろう?
アレは馬鹿だ。
俺が何も知らないと本気で思っている」
「それがハーヴェイの良いところでは無くて?
まぁ、今回の事は少し気にはなるわねぇ」
「そうだろう。
・・・なぁ、アナ」
「なぁに、あたくしの陛下」
「俺たちが結婚して、もう五年だな」
「そうねぇ」
「そろそろ旅行でもどうだ?」
「いい考えだわ、陛下」
「!!
へ、陛下、恐れながら、それは・・・!!」
「宰相、俺もそろそろ一度くらい休みを取らねば仕事が出来なくなってしまう」
にやにやと言うサイモンに、宰相は内心で毒づいた。
出来なくなる、ではなくやらなくなるの間違いだろうと。
「・・・無理です、陛下。
ここからヴェルムンドまで最低でも一ヶ月半はかかります。
その間の公務は如何されるのですか。
国内の観光地で二~三日程度ならまだしも」
「ダメかしら、宰相?」
「っぐ、む、無理です。
お二人が揃って国内からいなくなるなんて以ての外です!!」
宰相はうるうると瞳を潤ませるアナスタシアから何とか視線を外すと、逃げるように出て行った。
「聞いたか、我が王妃」
「聞きましたわぁ、あたくしの陛下」
二人はにんまりと微笑み合うと、そのまま寝室へと姿を消した。




