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梔子のなみだ  作者: 水無月
王女時代

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始まる為へのその準備



「ヴェルナー、これはジョンに回してください。

 アーサー、軍事費の件で勘定方と話をしたいです。

 時間調整をお願い出来ますか?」


発表があったあの日から、イルミナは輪にかけて忙しくなった。

宰相も不在の今もなお、色々な業務が滞っているのだ。

問題こそあったが、ティンバーは宰相としての能力は間違いなく高かった。


それに学び舎の事も中途半端な状態になってしまっている。

助かったのは、ジョン達がイルミナの意をくんで自発的に色々と進めていてくれたことだろうか。


「かしこまりました、殿下。

 他には?」


ヴェルナーは書類を受け取りながら問う。

そんな彼に、イルミナは一度だけ笑みを浮かべてすぐに視線を書類に落とした。


「いいえ、いまのところは。

 あとは私の戴冠式後、貴方を正式に宰相に任命したいと思いますので、そのように手配してもらえますか?」


「!!

 か、かしこまりました・・・!」


さらりとイルミナは言うが、本来であれば正式な場で話すべきことだ。

しかし、今の彼らにその余裕はない。

政務は溜まっており、出来る限り早いうちに宰相が欲しいのだ。


「殿下・・・。

 そのように焦らなくてもよろしいのでは・・・」


つい、アーサーベルトが口を出す。

それくらい、彼らの目にはイルミナが急いているような気がしてならなかった。

まるで明日は来ないと言わんばかりのその姿は、不安だけを覚えさせる。


「そうしたいのは山々ですが・・・ただ、現状のままですと後がもっと大変そうですから。

 今は少し大変でも、後のことを考えれば頑張れます。

 それにブランたちはあくまでも貴族であり、私達と共に政務を行う人ではありません。

 ですから、早急に体制を整えたいのです」


イルミナは言いながら、書類を次々とめくる。

治水問題、学び舎、税、軍事費。

それに行われる戴冠式に向けての準備だって早急に行わなければならない。

他にも色々と確認しなければならないことが山のようにある。


「ヴェルナー」


「はい?」


「・・・私は、貴方に感謝すべきですね。

 貴方が、私を鍛えてくれたおかげで、私はこうして書類を見ても戸惑わないでいられます。

 ありがとう」


「!!」


ヴェルナーは、イルミナの言葉に感極まりそうになった。

正直、自分がやってきたことが正解なのかは、未だにわからない。

それでも、そう言ってもらえたのであれば。


「・・・こちらこそ、殿下には感謝をしておりますよ」


熱くなりそうな目頭を、必死にこらえながらヴェルナーはそれだけ言う。

そしてそのまま執務室を後にした。


「ですが殿下・・・、少しお休みになられた方が・・・」


アーサーベルトは、ヴェルナーが誉められて素直に嬉しいと思う。

彼が、そのことについて悩んでいたのを知っているから。

しかし、それ以上に今のイルミナの状態は、不安しかなかった。


「・・・、そう、ですね。

 少し、お茶にでもしましょうか」


そう言いつつも、手元から視線を離さないイルミナの顔は、疲れ果てているように感じた。

表情は変わらない。

いつものように、話しかければ薄い笑みを浮かべているし、疲れているとは微塵も感じさせない。

イルミナを良く知らないものが見たら、なんて強い人なんだろうと思うだろう。

しかし、アーサーベルトは違った。

一番付き合いが長いアーサーベルトには、イルミナが生き急いですべてを終わらせようとしているようにしか見えなかった。


「・・・殿下、最近よく眠れてないのでしょう?」


「・・・そんなことはないですよ」


そういうイルミナの目の下には、隠しきれていない隈がある。

それに、頬辺りの肉が削げ、痩せこけてしまっている。

袖から見える手首は、今にも折れそうなほどに細い。

いくら化粧で隠そうとも、その纏う空気は非常に重かった。


アーサーベルトは、イルミナがそのような状態になっている理由に、一つだけ心当たりがあった。


「・・・グラン殿は、どうされたのでしょうかね」


「・・・仕事が溜まっているのでしょう」


イルミナの息が、一瞬だけ詰まる。

それが、全ての答えだった。


グラン・ライゼルトは、急に城へとこなくなった。

定期的に文を送っては来ているが、何ともない、待っていてほしいとしか書かれていないそれは、要領を得ない。

捕まえようにも、彼は城下に来ている自身の領地の貴族のところを持ち前の体力で駆け回っており、アリバルですら正確な場所を把握していない。


「・・・あと、十日」


あと十日もすれば、イルミナの戴冠式が行われる。

この書類をさばいた後、次は採寸をしなければならない。

戴冠式に古びたドレスはいくら何でもないだろう。


「・・・殿下、採寸が終わりましたら少しお休みください。

 勘定方との話し合いは明日に回しますので」


アーサーベルトはそういうと、執務室を出て行った。

イルミナの返答を待たないそれは、きっと断らせない為だろう。


「・・・ありがとう」


アーサーベルトほど、自分の状態をすぐに気づいてくれる人はいない。

そのことにイルミナは感謝していても、直そうとはしなかった。

分かっているのだ、自分の体調が悪いことくらい。


食欲もなく、睡眠も満足に取れていない。

疲れ果てて眠れるかと思っても、不思議と目が冴えて眠りは訪れないのだ。

昼になればたまに朦朧とする頭で政務をこなすが、やはり効率は悪い。

そんな状態では、もちろん政務は溜まっていく。


「はぁ・・・」


ぺらり、と一枚の書類を見る。

公費に関係するものだ。

それも、大幅に変えなければならない。


やることはまだ、たくさんあるのだ。

こんなことで、駄目になるなどあってはならない。

イルミナはそう自分に言い聞かせると、アーサーベルトが淹れてくれた紅茶を一気に飲み干した。








***********************







「ジェフ」


「リチャードか」


城のある一室で、アリバルとブランは待ち合わせをしていた。

その表情は、いつもと変わらないように見える。


「殿下のことだが、どう考える?」


「・・・どう見ても、飛ばしすぎだろう」


二人から見ても、イルミナは異常なまでに働いていた。

まるで、何かを振り切ろうとしているかのように。


「グランと何かあったのか?」


「そうとしか考えられないでしょう。

 全く、やるならしっかりと後まで面倒を見て欲しいですよ。

 本当、何をしているのだか・・・」


アリバルはそう愚痴を零す。

それくらい、今のイルミナは見ていられない。

人形のような笑みを顔に張り付けて。

淡々と政務をこなすその姿は、人間味を感じさせない。

一見疲れた様子を見せないので、なんと精力的なのだと思うが、よくよく考えればその状態が長く続くはずもない。

しかし、頑張っている彼女を見て、触発されて頑張っている政務官は多いと聞く。

そんなの、一時のものでしかないということになぜ気付かないのだろうか。


「・・・このまま、ラグゼンと婚姻を交わしたら大変なことになりますね」


「前に言っていた?」


「えぇ。

 このまま、殿下が女王だけの顔を見せる様になったら・・・、正直、私でもこの国がどうなるのか想像できません」


「?どういうことだ」


アリバルはふうと息を吐く。

ブランは、感は鋭く頭もいいのになぜかこういった面では疎い。


「ジェフ、私はアリバル侯爵ですが、貴方の前ではたまにただのリチャードになるでしょう?

 そして、私は愛する妻や子供の前では、夫であり、父です。

 では、殿下は?

 殿下は女王になられる。

 そして、ラグゼンとの婚姻はヴェルムンドの女王として、成り立つものです。

 ただの、第一王女ではなく、そして、イルミナという娘でもない。

 女王という立場があって初めて、成り立つもの。

 ・・・では、イルミナ殿下は?

 ただの十六でしかない、精神も心も未熟の殿下は、いったいどこでそれを出せばいいのでしょうかね。

 女王としてあるべきと考える彼女であれば、きっとすべてを心の内に溜め込むでしょう。

 そして、理想の女王として在ろうとする」


ブランは、アリバルの言いたい事が少しだけわかったような気がした。


「つまり・・・、

 殿下は、殿下であれる場所を失くすということか?」


ブランの言葉に、アリバルは一瞬目を見開いて驚いたように頷いた。


「言いえて妙ですね。

 イルミナ殿下は、殿下ではなく女王としてしか、存在できなくなる。

 女王として存在しなければ、認められない。

 今の殿下を見ていれば、何となくですが読めます。

 そう考えた殿下が、何をするかなんて想像つきませんでしょう?」


そうしてようやく、ブランはアリバルが何に懸念しているのかを理解した。

ラグゼンと婚姻を交わすことによって、国同士のつながりは出来るだろう。

しかし、そうすることで一人の女の子が消え、女王としてしか存在できなくなる哀れな存在が生まれてしまうのだ。


そうした彼女が、国の為といって平和のみで国を支えようとするのか。

国の為、たったその為だけに生きる彼女が平和的な統治をずっと望む保証などない。

場合によっては、国の為に他国と戦をして資源や国土を得ようと言い出してもおかしくないということだ。


「・・・ジェフ。

 私は、殿下に愛を知ってほしいのですよ。

 恋人や、子に向けるような愛を。

 それを知った人は、守ることの大切さを学びますから」


アリバル自身、結婚するまでそう考えたことはなかった。

自身の領地を守るため、そしてさらに発展させるために危ない橋だって何度も渡った。

いつ後ろから刺されてもおかしくないと、本人でさえそう思った。


しかし、妻や子が出来たことによって、考えは一変した。

妻子を守るために、危ない橋を渡るのを止め、問題が起こりそうであればその前に鎮火させることに専念した。

そうして、アリバルの領地は平和を保っているのだ。


「・・・そうか・・・、殿下は、知らないのだったな」


ブランは、アリバルの変わりようを一番近くで見ていた。

ブランはまだ結婚をしていないが、愛する人と生涯を共にしたいと考えるほどの、変わりようであった。


「ですから、グランが良いと思ったのですがね」


アリバルは知っていた。

グランが、イルミナに心を奪われていることを。

そして同様に、イルミナもグランに心を許していることも。


グランは、統治者としても統率者としても有能だ。

イルミナは女王になったと言っても十六歳。

そんな彼女を支えるのには、一番適した存在ですらある。


ただ。


「問題はグランがライゼルトを捨てられるか、ですからね」


アリバルは、そればかりは有り得ない、とばかりにため息をついた。


ライゼルトは、辺境伯として力を持つ貴族。

そして、血の繋がりに重きを置く一族だ。

それゆえに、ウィリアムがあのようなことをしても、グランはあれだけで済ませたのだろう。


しかし、それにしては今のグランの行動は不可解だ。

この忙しい時期に、どうして彼は城に上がらない?

それどころか、王都郊外の様々な貴族の屋敷を単騎で走り回ってきているときた。


正直、アリバルは彼の考えが読めない。

元からあまり理解のできる行動をする人ではなかったが、ここ最近は特にだ。


「・・・みな、好き勝手にしてくれますよね・・・」


アリバルは遠い目でぼんやりとつぶやいた。



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