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梔子のなみだ  作者: 水無月
王女時代

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始まりへの第一歩





「ヴェルナー、見つかりましたか」


イルミナは、手元の書類に視線を落したまま問うた。


「いいえ・・・。

 今一つのところで確証ある証拠が掴めておりません」


自分の不甲斐なさに、唇を噛みながら答えるヴェルナーに、イルミナは微笑みを浮かべた。


「構いません。

 むしろ見つかっていたら驚きです。

 早い方が助かるのは勿論ですが、だからとって蜥蜴の尻尾切りをされる方がよほど面倒です。

 時間はかけてもいいので必ず一気に引ける証拠を探してください」


イルミナの優しい言葉に、ヴェルナーが打ち震えていると部屋の扉が叩かれる音がし、アーサーベルトが入室した。


「失礼します、殿下」


「アーサー。

 何かありましたか?」


「はっ!

 あの・・・」


彼にしては珍しく、口ごもる。

そんなアーサーベルトを見たヴェルナーは、はっきりしなさいと活を彼に入れた。


「っは!

 ラグゼン大公がこちらに向かっているとの情報を入手いたしました!!」


「・・・ラグゼン公が?」


アウベールで別れてから、彼は国に戻ったと記憶していたが、違ったのだろうか。

まさか帰国して、また来たとでもいうのだろうか。

どちらにせよ、正直にいって、今のイルミナには面倒でしかない。


「こちらに来ると正式な通達は?」


「それが、王の元に行っていたらしく、それに気づいたのが先程です」


アーサーベルトの言葉に、イルミナはため息を深くついた。

どうして厄介事はこうも次々とやってくるのだろうか。







********************







「お久しぶりですね、イルミナ姫」


ハザに連れられてやってきたハーヴェイは、以前と何も変わらない笑みを浮かべてイルミナの前に立った。


「えぇ、ラグゼン公。

 今回はどうされたのですか?」


イルミナの問いに、ハーヴェイは口角を上げる。

その笑みに、イルミナは言いようのない不安にかられそうになった。


「それで、貴女は女王になることを決められたのですか?」


「!!」


どうしてそれを、と口にしなかったのは、イルミナの精神力の賜物だろうか。

しかし、不思議でならない。

どうして彼は、逐一こちらの情報を得ているのだろうか。

間者がいるとしか考えられない。

だが、それを彼が知ってどうしたいのだろうか。

そもそも、それをこの場で言う意味が理解できない。


「・・・、それは、どういった意味でしょうか。

 リリアナが女王になる予定ですが」


まだ、こちらの手の内を確定されるわけにはいかない。

予定では、王の体調が悪くなってからそのような対応をした、ということにしたいのだ。

そうでないと、一部の人はイルミナが女王になるためにそのように仕組んだと声を上げてくるだろう。


いや、上げられるのは想定内だ。

しかし、それに簡単に確証を与えてやるほど、こちらも簡単にいかせるわけにはいかない。

そんなイルミナの考えに気づいたのか、ハーヴェイは薄く微笑むとそうかと頷いた。

あまりにあっさりと引くハーヴェイに、今度はイルミナは不審げな視線を送る。


「それで、今回はどのようなご用件で我が国に?」


正直、イルミナは彼に構っている余裕などないが、相手は大国の貴族、ましてや王弟だ。

下手なことはできない。

そんなイルミナを余所に、ハーヴェイは軽く答えた。


「いや、ただ君に逢いたかっただけだが」


「・・・!?」


予想外の答えに、イルミナは固まる。


「私は君に求婚した。

 その気持ちに変わりはないのだよ」


「・・・その件に関してはまだお答えできないとお伝えしたかと思いますが?」


ハーヴェイは、その言葉を聞くと意味深に笑った。

彫りの深いその顔で笑みを浮かべられると、肉食獣が思い浮かぶのはイルミナだけだろうか。


「宰相は捕まったのだろう?

 今の君は、何もないと認識しているが?」


ハーヴェイの言葉に、唇を噛みそうになる。

あの時、彼はウォーカーが捕まった後に来たはずだというのに、どうしてここまで情報を握っているのだろうか。

だが、イルミナのあの状態を不審に考えるのは至極真っ当なこと。

きっと調べられたのだろう。

しかし、他国の貴族には知られたくない情報には変わりない。


「あぁ、ただ君のことが気になって調べただけだ。

 そこまで深く考えなくて構わない」


ハーヴェイは軽く言うが、それがどれほどのことなのかをイルミナは理解している。

だからこそ、彼が食えない人だというのは十分に理解していたはずだった。


「・・・そう、ですか。

 ご存知でしたか。

 でしたら、このような時期に訪れられるのは・・・」


イルミナは目を伏せながら言う。

これで少しでも考えてくれたらいいと、正直考えてしまう。

空気が読めないのか、それともあえて読んでいないのか。

イルミナには判断がつかなかった。


「すまない。

 迷惑なのは理解しているのだが、君のことがどうしても心配で・・」


言っている顔が、どうしても申し訳なさそうに感じない。

イルミナはハーヴェイに対して苦手意識をはっきり感じた。


「それにラグゼンファードはよろしいのですか?

 王弟で貴族であれば、きっとお忙しいでしょう?

 こんなに頻繁に国を空けられて大丈夫なのですか?」


その心は、さっさと自分の国に帰ってください、だ。


ハーヴェイは、イルミナの言いたいことを正確に読み取ったのか、苦笑を浮かべている。

その表情に、イルミナは少しの罪悪感も持たない。


「王弟といっても兄が優秀すぎてね。

 私の仕事なんてあってないようなものだ。

 それに、兄夫婦がさっさと身を固めろと煩くてね」


イルミナは彼がそれ以上なにかを言うのを阻止する。

その後に続く言葉を予想できたからだ。


「問題ないのであればいいのです。

 あまりお構いはできませんが、どうぞゆっくりとなさってください」


にこり、といつも浮かべる笑顔を少しだけ深める。

ハーヴェイは、これ以上は無理だと判断したのか、小さく溜息を吐いて席を立った。


イルミナも、見送ろうと席を立つ。

しかし、それをハーヴェイが制止した。

そしてイルミナの耳元に口を寄せる。


それを確認したハザが、止めようと体を動かすと、ハーヴェイは小さな声で。




「麻薬をやっている貴族のリスト、こちらにもあるだろう。

 実はね、私のところにもあるんだ」




「!!」


イルミナは言葉を失った。

どうして、そのことを知っているのだ。

知っているのは、少数のはずなのに。


驚きで目を見開くイルミナに、ハーヴェイは至近距離で微笑んだ。

そして頰に唇を寄せる。



―――ちゅ



それと同時に、イルミナの手に紙片を握らせた。

呆然としているイルミナを余所に、ハーヴェイはそのまま笑みを浮かべて部屋を出て行く。

そんな彼を、ハザは睨むように見ていた。


「睨まなくても、

 何もしないぞ、今は(・・)、な」


くすくすと笑いながら出るハーヴェイに、ハザは苛つきを覚えながら扉を開いて見送った。



「殿下、

 あの男は何を?」


ハザは聞くべきではないのかもしれないと思ったが、耐えられずに聞いた。


「・・・。

 いえ、何でもありません」


イルミナは、紙片をちらりと見ると、そう答えた。








「お呼びでしょうか、殿下」


ヴェルナーは、ハザにイルミナから呼ばれていると聞いて直ぐに仕事を切り上げた。

宰相がいなくなってから、彼の仕事は膨大だ。

いくらヴェルナーの処理能力が高いとしても、一朝一夕で終えられるものではない。

だからといって、仕事は待ってはくれない。

同じ部屋にいる文官たちは屍のように呻きながらも必死になって手を動かしている。

それを横目に少しだけ申し訳ない気持ちになりながらも、ヴェルナーはイルミナのもとへと急いだ。


「ヴェルナー、これを」


イルミナは、言葉少なに一枚の紙片を渡した。

それを見たヴェルナーは怪訝な表情をする。


「・・・これは?

 たしか、ラグゼンファードの貴族だと記憶しておりますが」


イルミナは、ヴェルナーの言葉にひとつ頷いた。

そしてその紙片を暖炉の中に放り込む。


「・・・殿下?」


その不思議な行動に、ヴェルナーが戸惑いながらイルミナを呼ぶ。

イルミナは一瞬で燃えたそれを、感情の浮かばない目で見つめる。


「・・・貴方に頼んだこと、前と変わりはないですか?」


「申し訳ありません・・・。

 まだ、入手元が・・・。

 何人かを使って行っているのですがやはり・・・」


「・・・ラグゼンファードの先ほどの貴族。

 多分彼らでしょう」


「!?

 どういうことでしょうか?」


イルミナの言葉はヴェルナーにとって衝撃的だった。

どうしたら他国の貴族だとあたりを付けられたのだろうか。

しかし、よくよく考えてみればそちらにも視野を向けるべきであったとヴェルナーは内心で反省する。


ヴェルナーがイルミナから頼まれていたのは、一部の貴族が使用している麻薬のことだった。

以前、イルミナがウォーカーに監禁された際、使用された薬の出処がどうしても気になっていたのだ。

基本的な毒等には耐性のあるイルミナが、すぐに効いた薬。


確かに、ヴェルムンドでも鎮痛目的などで使用される中毒性の高い薬はあるが、彼が使用したのはヴェルムンドでは聞いたことも見たこともないものだった。

しかも即効性が高く、依存性も高い。

そんな麻薬を、彼らはいったいどこから仕入れたのだろうか?

落ち着いたイルミナは、それの出処を考えた。


そしてヴェルナーにそれを本人に聞くように指示したところ、一部の貴族の名前が挙がったのだ。

しかし、彼らも巧妙に隠していて、どこから入手したのかまではまだわかっていなかった。


ただ、ヴェルナーは不思議に思っていたのだ。

名の上がっている貴族たちは、お世辞にも物凄く頭がいいというわけではない。

そんな彼らが、ここまで巧妙に隠し通せるものだろうか。


だが、もし。

もし、ラグゼンファードが絡んでいるのだとすれば。


「・・・恐れ入りますが殿下、それを一体どこで・・・?」


思い当たるのは一人しかいないが、それでも念のため確認を取る。


「・・・あなたの思い浮かんでいる人物で間違いありません。

 正直、なぜこのようなことをしたのかは、わかっていません。

 あれが本当かどうかも、わかりません。

 しかし、念のためお願い出来ますか」


「かしこまりました。

 ではハザを借りてもよろしいでしょうか?

 代わりのものはこちらで手配いたしますので」


「構いません。

 ・・・ヴェルナー」


振りむいたイルミナは、切羽詰まったかのような表情でヴェルナーを呼ぶ。

しかし、何かを言おうとするイルミナを、ヴェルナーは制した。

彼女が、何を言いたいのか分かっていたから。


「殿下。

 気にされなくてもよろしいのです。

 私たちは、貴女の元でこうしていられることが嬉しい。

 だから、そのように思われる必要はないのですよ」


ヴェルナーの言葉に、イルミナはぐ、と呻いた。


「・・・頼みます。

 何かあれば、すぐに連絡を」


ヴェルナーは笑みを浮かべて頷き、その場を去った。





―――彼は、あのように微笑む人だっただろうか。

残ったイルミナは、ヴェルナーの笑みを思い返してそう思う。

冷たく見えがちな目がゆるりと下がり、嘲笑を込めていない笑み。

彼が、そのように笑う日がくるなんて、思いもしなかった。

そして、同様に彼がそのように微笑むことが出来るようになって、喜ばしくも思う。


―――自分も、彼も。

  きっと成長をしているのだ。


イルミナはきっと表情を引き締めた。

自分の我儘だなんて、思ってはならない。

これは、必要なことなのだ。

いくら危険だろうと、その危険を知って、それでいて人を送り込むことも。


いっそのこと、自分が行ってしまいたい気持ちもある。

誰が、自分の大切な人を危険な場所に送り込みたいと思うだろうか。


しかし、自分が目指す立場とはそういうことをしなくてはならないのだ。

それが出来なければ、駄目なのだ。







「必ず、戻って来て・・・」




伝えたかった言葉は、誰にも聞かれることのないまま空気に溶けて消えていった。





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