299 悩みのタネはお返し
バレンタインデーを過ぎれば、今度は月末の学年末考査が待ち構えている。浮ついた空気も数日過ぎれば重苦しい雰囲気に様変わりしており、生徒達もそれぞれ一年の集大成に向けた準備に勤しむようになっていた。
「藤宮、ちょっといいか?」
「うん?」
考査前という事でバイト休みの今日は本屋に寄って参考書と予備のノートを買う予定で放課後は真昼と別行動を取っていたのだが、教室で帰る準備をしていたら急にクラスメイトに話しかけられた。
あまり話さない相手なので何か用事があるだろうのかと内心で困惑していたのだが、彼は何故だか縋るような眼差しをこちらに向けてくる。
「太刀川、何か用か?」
「あのだな。先週の授業のノートコピーさせてくれないか」
何のお願いが飛び出すのかと思えば、別に何て事のないものだ。
ノート自体は一応綺麗に板書してあるし他人に見られても問題はない。ノートを貸す事自体は別に構わないが、周の中で太刀川はどちらかといえば真面目な気質だと思っていたので、ノートを取っていない事が意外に思えた。
そんな周の疑問を感じ取ったのか、太刀川の眉がへにょりと下がる。
「この間の分だけでいいんだ。俺インフルで休んでたからさ。他のやつに頼もうと思ったんだけどあいつらちゃんと取ってないって言うしさあ」
「ああ、太刀川休んでたもんな。いいけど何で俺?」
「今ここに居る面子で気軽に話しかけられてちゃんと真面目にノート取ってそうってのとほら、藤宮って頭いいじゃん」
確かに、今教室に残っているのは周と樹、それから数人の女子達と太刀川の友人といった所で、真昼は千歳とマンツーマンの勉強会をするという事で周とは別行動になっている。
同性と異性なら同性に頼み事をする、積極的に女子に話しかけに行くタイプではない太刀川が選ぶなら、必然的に周と樹に絞られる訳で。本人の発言的にも成績で選ばれたのだろう。
「褒めてくれるのは有り難いけど俺でいいのか?」
「藤宮がいいの。白河の面倒とかよく見てるっぽいし、試験に出そうな所もちゃんとメモしてそうだからさ。今ここに椎名さんが居たとしても椎名さんには流石に頼めないというか藤宮にも何か悪いし……」
別に真昼と接触する事に妬んだりするつもりはないし真昼がいいならそれでもいいのでは? と思うタイプではあるが、今ここに居ない人間の事を挙げても意味はないので、太刀川が周のノートがいいというなら否やとは言わない。
「お礼はするから頼む!」
「別にお礼とかはいいんだけど……はいどうぞ」
あまりにも必死に頼むのは考査が迫ってきて時間がないからなのだろう。
焦らすつもりはないので鞄からバインダーを取り出してバインダーごと手渡すと、太刀川の表情がみるみる内に明るくなる。
「恩に着る! すぐコピーしてくる!」
こちらを待たせるのは悪いと思ったのか、バインダーを抱えて教室から飛び出していった太刀川の背中を見送りながら勢いいいなと笑う周に、帰る準備が出来たらしい樹がひょいひょいと近寄ってくる。
「どした?」
「太刀川がノートコピらせてって頼んできたから渡しただけ。一階のコピー機の所に行ってるだろうからそのうち帰ってくるだろ」
「なるほどな。周を選んだ理由は分かる。お前何だかんだそういう所は几帳面だからなあ」
「他の所が杜撰みたいな言い方」
「椎名さんと仲良くなるまで部屋の状態ズタボロだっただろ」
「……それはそれ、これはこれ」
「はいはい」
今では考えられないし考えたくもない事ではあるが、真昼と出会った当初の周の部屋は混沌と言ってよかった。
(……今はちゃんと片付けてるし)
真昼が掃除と片付けの指導をしてからは、周の家は整理整頓された清潔な空間を保っている。
自発的な片付けや掃除を心がけているので真昼から指摘が頻繁に行われるような事態には至っていない。
「まあ周は割とノート綺麗だし要約して無駄なく書いてるから見やすいって知られてるからな」
「そういう評価してもらえるのは嬉しいけど何で知られてんの」
「ちぃにノート見せてるのまあまあ見られてるからなあ。椎名さんも褒めてるだろ、だからそうなんだなって認識されてると思う」
「まあいいけどさ。そういえば千歳は勉強大丈夫なのか、もう学年末考査迫ってるけど。あれ範囲一年間丸ごとで広いだろ」
「悲鳴を上げてるなあ」
「だろうなあ」
年末年始の樹出奔事件を経て二人共心境の変化があったのだろう、最近はとても真面目に取り組んでるものの、それ以前の授業の身に付き方はよくない。
当たり前と言えば当たり前だが、おざなりに済ませていたものを改めて学び直している最中で、範囲も膨大。
心機一転して勤勉になったからと簡単に覚えられるなら苦労しないだろう。
こういう時に樹は何だかんだそれなりのラインを見極めてやってきていたので、千歳程苦心している様子は見られない。
「まあ今日は椎名さんと二人でみっちり勉強するらしいので」
「言ってたなあ、だから今日は帰りも別だし。……真昼は二人きりの方がスパルタだから是非とも頑張ってもらいたい」
「うーんメッセージに泣き言が入ってきそう」
「逃げる訳じゃないから大丈夫だろ。さておき、周は今日バイトないんだな?」
「じゃなきゃクラスに残ってないよ。帰りに本屋に寄ろうと思って」
「んじゃ俺もついてこ。三年の範囲のやつそろそろ買っておきたいし」
「まあ来るのはいいけど、真面目になったよなあお前も」
「そりゃな。いつまで経っても逃げている訳にはいかないし、決めたからな」
「そりゃよかった」
あれから樹の吹っ切れ具合は目を瞠るものがあり、真剣に勉強に取り組む姿はクラスメイト達も感化される程。
そのお陰もあってか周のクラスは元々真面目寄りなクラスと評価されていたが前より教師達からの評判が上がっているので、何がどう転ぶか分からないものだとしみじみしてしまった。
「おーい藤宮、助かった!」
そうこうしている間に太刀川が豪速球でコピーを終わらせて駆け込んできたので、周は明るい笑顔の太刀川からバインダーを受け取る。
「それからごめん!」
「なんで謝られたんだ俺」
「え、いや言った範囲より多くコピーしたから……ごめん」
「あーそういう事。いいよそれくらい」
別にコピー代は太刀川持ちなので周が損をするという訳でもないし中身にさっと目を通しても破損や汚損は見当たらないので、周個人から何か言う事もないだろう。
寧ろ正直に打ち明けてくれた事に微笑ましさを感じている。言わなければ分からなかっただろうにわざわざ周に伝えて謝ってくるのだから、彼の人の良さがよく分かる。
「ほんとありがとな。この恩は必ず……!」
「いやいいから気にすんな。俺が何か負担した訳じゃないし」
「そうは言ってもなあ」
「いいよいいよ。あ、端のメモ欄に赤字で書いている所は教師がテストに出すって言ってた所だから、復習する時そのあたり重点的に覚えておいた方がいいかも。去年と一昨年も出したとかなんとか」
「助かります!」
「えっオレも見せて見せて」
「お前授業真面目にやってんだろうが」
「オレの取ったノートの違い見たいしー」
「仕方ねえな、はいはい」
「何で太刀川には優しいのにオレだけ厳しいの! ひどい!」
「不可抗力で休んだ且つ丁寧に頼んできた人間を邪険にする訳ないだろ」
どうしようもない理由で休んでノートが取れなかった人間と好奇心からねだってくる人間の扱いに、差が出るのは当然だろう。
わざとらしく泣き真似をする樹に太刀川がげらげら笑っているのを見て、周も二人に乗って頬を緩めた。
「……世間って変わり身早いよな、バレンタインデー終わったかと思ったらホワイトデー特集しだしたぞ」
太刀川と分かれて樹と本屋が入るショッピングモールに足を運んだ周だったが、中は先日行った時とは飾りが様変わりしていた。
といっても、このショッピングモールは飾り付けの系統は同じで、ただ煽り文句の所がホワイトデーに関するものになっているだけ。催事場もショーケースは出しっぱなしで中身がチョコレートメインから他のお菓子や雑貨が混ざりだしたなといったものだ。
本屋で目的のものを吟味して購入した周達がついでにとうろついているが、食品系のテナントはホワイトデーの文言が入っているのをよく見かけた。
「ひな祭りを忘れないでやってくれ」
「現代においては伝統行事より企業のマーケティング戦略の方が優先なんだろうなあ」
「まあ企業としては大きな金が動いた方がありがたいからな。美味しいものが食べられるという点では俺らもありがたがるべきなんだろうけど」
「それもらえるやつの台詞〜」
「いや別に普通に自分で買うやつも居るだろ……」
そこで茶化されてても周には困る。最近はチョコの祭典と銘打って催事場に有名店が商品を卸しているし、それを楽しみにしている客も年々増えているらしい。
それが経営戦略というものなのは理解した上で乗っかっている人達も多いので、周から特に突っ込む事はない。そもそも恩恵に与っている側の人間がとやかく言えるものでもなかった。
今並んでいるホワイトデー特集に去年の周もお世話になったのだから、尚更。
「そっか、ホワイトデーが近付いてるんだよなあ」
バレンタインデーでもらった側が、気持ちとお礼を返す日。
「優太が毎年大いに困ってるイベントだ」
「出費やばそう」
「やばいだろうな。それでも律儀に返してるあたりすごいわあいつ」
結構な同級生達が優太の事を羨ましいと言っていたが、周には到底羨ましいとは思えなかった。
あそこまでバレンタインデーのチョコレートをもらっているとなると、消費はおろか持ち帰るのですら一苦労だ。というより実際に苦労していたのを周は見ていたし何なら樹は手伝っていた。
その上で消費しなければならない。優太の性格上捨てるなんてまずありえないので、全部食べるともなればカロリー面栄養面での管理は必須になる。
更にその上、渡してきた相手の名前を覚えてお返しまで用意するという事なので、その労力を考えれば優太の立場になりたいなんて間違っても言わないし言えない。
「ほんとにこういう所マメなんだなって分かる。立派だよほんと」
「中学生の時からその辺りきっちりしてたからなあ」
「よくよく考えたら校則はいずこ」
「バレンタインデーとホワイトデーだけ黙認してたと思うぞ。生徒の圧がすごかったからなあ。過去取り締まろうとしてたら大ブーイング起こったらしいし」
「そういう時の結束力よ」
「女の子のパワー恐るべし、だな。ちなみに周はホワイトデーどうすんの」
「それなんだよな。ホワイトデーのお返しが一番選ぶの困るんだよなあ。センスと日頃の観察眼を問われる」
そしてお返しに困るのは周もだ。
優太と違って基本的に義理チョコレートなのでお返しである分マシだが、問題は真昼へのお返しだ。
去年はショップ店員と話した結果ブレスレットと何でも言う事を聞く券三枚綴りだったが、今年は何にしようか迷っている。
去年は付き合った状態ではなかったし明確に異性として好きだという事を自覚していなかったが、今年は違う。
今年は前提条件として、彼女に渡す、という事。
一応あたりはつけているが、それでも悩むものは悩む。
「椎名さんのもそうだけど今年は贅沢にお返しの量が増えてるからなあお前」
「真昼以外は基本義理だぞ」
「基本、ねえ」
「ノーコメント」
「まあプライベートは詮索しませんとも。あんまりしつこくすると怒られるし」
「分かってるなら普段から徹底してくれほんとに」
「にゃはは」
「それ誤魔化す時の笑い方」
「それはさておき」
「おいこら」
例の告白については小西の心情も考えて周から樹に言う事はなかったが、何となく察していそうでもあるのが樹の怖い所である。
「まあ適度にちょっといいお菓子をラッピングして渡す、ぐらいが無難じゃないかな。向こうも義理チョコだろうし消え物が無難だろ。オレもクラスの女子達にもらってるけどお返しは残らないものにするつもり」
「まあ消えもので多少日持ちするものが無難かなあ、食べ物なら最悪処分出来るし。……ちなみに千歳は何か欲しがってるものとかあるのか? 良くも悪くも手が込んでたから相応のお返しはしたい」
「色んな意味で手間がかかってたっぽいからなあれ」
「あいつ何で俺をおちょくるために本気になるんだ……」
要らない所で手が込んでると正直言いたかったが千歳なりに考えた結果なのだろう。去年の事を考えると千歳にとっての『アタリ』以外はきっちり美味しい味になっている筈だし、真昼の保証もついている。
下手に手作りしたチョコレートより余程気持ちと手間がかかっているので、その熱量はお返しに加味しておこうとは思っている。
「あー、周の反応が面白いのと勉強のストレス発散と趣味が混ざってると思う。ちぃ本人はあれ美味しく食べてるし」
「いや基本的には美味しいんだろうよ、基本的には。やべーやつが何個か混ざって俺の味蕾に打撃与えてようとしてくるだけで。まあちゃんと美味しく食べるので」
「椎名さんの口直しがあるだろうしなあ」
「うるさい。んで千歳の欲しいものとかないの?」
「勉強の意欲かな」
「それは自分で見出してもらって」
年明けから真面目に勉強に励んでいるとはいえ気持ちがやりたくない側に傾くのは仕方のない事である。それでもやっている辺り素晴らしいのだが。
「欲しい物とか好きなタイプのものがないなら千歳が好きなパティスリーの焼き菓子セットでいいかな。勉強にも糖分が必要だろうし」
「それをちぃに聞かせたら咽び泣くだろうなあ」
「勉強の事を考えたくない的な意味だろ」
「ははは。いやちゃんと頑張ってるからな」
「それは知ってる。……少なくとも意欲的に取り組んでいるのは分かってるよ。お前もな」
「ま、この時期になれば誰でもかもしれないけどな」
「それでもちゃんと努力してるから偉いと思うよ」
一度決めたらやり抜くのが、樹という男だ。
父親に思う事はあれど見返すためにも、交渉するための立場に行くためにも、真摯に取り組んでいる様は見ていて、周も気が引き締まる。
「何、急なデレ期やめてくれよ照れる。……んで、肝心の椎名さんには何をお返しにするんだ?」
「あー、それなんだけどさあ。今までの誕生日とかクリスマスとかで分かると思うんだけど、真昼って物そのものが欲しいとか言わないんだよな」
「物欲なさそうだもんなあ」
樹の言う通り、真昼には分かりやすい物欲がない。
決してない訳ではないが、執着する事がないと言ったらいいのか。
真昼にとって欲しいものと必要なものはイコールではないようで、必要なものなら躊躇わずに買うが、欲しいものとなると真昼本人が欲しいものが何なのかと悩む程度には物欲がない。
彼氏にとって、贈り物を選ぶのが他人よりも難題になるタイプなのだ。
「物そのものより俺が真昼が喜ぶかなって考えてくれた事に喜びを見出してるタイプなんだよな。いや物自体も喜んでくれるんだけど、第一に選ぶのにかけた時間や気持ちの方が強い感じ?」
「言わんとする事は分かるぞ。というかお前も大体椎名さんからもらう時そうだろ。そもそもお前もあんまり物欲ないし」
「うるさい」
「似た者同士ですなあ」
別に周が物欲がない訳ではないが、周は形のあるものというよりは美味しいご飯に清潔な部屋、穏やかな時間といった今の日常の継続の方に目が行く人間なので、物自体は然程欲しがらない。
恐らく真昼も似た気質なので似た者同士と言われたら否定はしないが、からかうような声音は聞いていてイラっとするので一睨み。
分かってはいたが一切効いていない様子の樹に深々とため息をこれみよがしについて、軽く樹に肘をぶつけておいた。
「んで何か案はあるの?」
「案っていうか、こうしたら喜ぶだろうなってのは一つある」
「ほむほむ」
「俺のバイト先にやってくる、のが喜ぶとは思う」
真昼の喜びそうな事で思い当たるのは、周のバイト姿を見せる事だ。
周がまだ駄目だと言っているので素直に退いてくれているが、本人はとても行きたくてうずうずしているらしく、耐えきれず周のバイト制服姿を要求する程だ。
そんなに見たいものなのかと本人としては疑問だが、仮に真昼が同じように働いていたら見に行きたくなるだろうなと思ったので彼女の欲求自体は否定はしていない。
(それにしてもそわそわしすぎなんだけど)
あそこまで分かりやすく期待と愛情を示されると、それに応えられるような仕事ぶりが出来るのか不安になってくる。
そんな訳で慣れるまで待ってもらっていたが、そろそろ待ちくたびれて真昼もしょげそうなので、この機会にお誘いするのがいいのではないか、と思ったのだ。
「寧ろまだ呼んでなかったのって気持ちなんだけど、オレ」
「い、忙しかったしまだ慣れてなかったんだよ。……あと、普通に恥ずかしいというか。バイト先の制服着てる姿とか接客する姿って、何か変顔とか寝起き見られるより恥ずかしくないか?」
「寝起き見られる事がしょっちゅうあると」
「おだまり」
「否定はしないんだな」
「……別に泊まりくらいはあるだろ。お前の想像してる事はないけどな」
樹のにやつきがひどくなってきたのでもう一度肘を押し付けつつ低い声を出す。
お泊りも頻度は少ないが定期的にある。
樹が邪推しているような事は真昼との約束、というか周側からの誓いでないのだが、それを樹が信じるかはまた別問題だ。
(こいつの目には俺がへたれだし好きすぎて手を出さない男だと写ってそうだけどな)
へたれではない、断じて。
「はいはい分かった分かった照れ屋さんだな。んで、そろそろ見せてもいいくらいには慣れてきたって事?」
「そりゃ四ヶ月もすれば立派な一人前とは言い切れなくてもそれなりに慣れて見れるようにはなってきたよ。……真昼も待ちくたびれただろうし」
「そりゃ椎名さん周の事なら何でも食い付くから。愛されてますなあ」
「知ってる。ありがたい事だよ」
真昼から全身全霊の愛を向けられている事なんて、当事者である周が一番身に沁みている。好きだと言葉だけでなく眼差しや態度、仕草の一つから感じ取れる程に。
好きだからこそこちらの意見や気持ちを尊重してくれる真昼には頭が上がらないし、周も真昼の遠慮してくれた思いやりに報いたい。
「そうやって素直に受け入れられるようになったのが周の一番の変化だよな」
「卑屈卑屈と叱ってくる人が居るからな」
昔の周は散々卑屈だと言われてきた。
実の親にも言われた事はあるが、一番は目の前の、一番の友人と最愛の人だろう。彼らは散々後ろ向きな周の尻を蹴り背中を押してくれた。
今でも完全に自分を卑下する癖は直っているとは思わないが、努力した事で自分に自信はついたし、ちゃんと前を向いて自分の立ち位置を測る事が出来る。
思えば昔の周はとんだ根暗卑屈陰キャ野郎だったなと感慨深くなってしまう、そのくらいには、変われた。
「少なくとも三人は叱ってるもんな」
「……その節はどうも」
「いえいえお気になさらず」
かなり強引な後押しもあったが、そのお陰で周は今の自分になれたのだから、感謝しかない。
それはそれとして本当に尻を蹴られた事があるので、いつか樹がうじうじしたら蹴ってやる、と心に誓っている。あの年末年始の時に一回蹴っておけばよかったかな、と思いつつも、もうその機会は訪れないような気がしていた。
「とにかく、まあ、今俺が考えうる中で一番喜ぶお返しが、これな訳だ。お返しになってるかはわかんないけどさ」
「いいんじゃないか? 周がそうしたいならそうするのが一番だと椎名さんも思うと思うけどな」
「……そうだといいけどな」
「そこで自信がないのはなんでなんだよ、さっきまであっただろ」
「いやバイトの身のこなしとか仕事的には全然大丈夫なんだけどな。真昼が俺に期待しすぎてるんだよなあ、バイト姿。普通だぞ普通」
ちゃんと働いている姿を見せるつもりではあるが、そこまで期待されてもという気持ちはほんの少しある。
バイト先で周が身に着けているのは白シャツと黒のカマーベスト、同色のギャルソンスタイルのエプロンにスラックスと、分かりやすくウェイター用の制服であり別に珍しいものでも何ともない。
果たして、彼女はこれで満足するのか。
「椎名さんの事だから大興奮な気がするけどなあ」
「大興奮って」
「椎名さん、学校だと落ち着いてるけどこう、見知った仲だと割と素の部分が出るだろ。周関係だとかなり無邪気に喜んでるからバイト姿も椎名さん的には刺激的でわくわくするものなんじゃないか。あと椎名さんが制服フェチの可能性がある」
「ただでさえ色んな疑惑がある真昼に新しいものを生やさないでくれ」
「疑惑……?」
「真昼の名誉のために伏せておきます」
最近どこの誰とは言わないが筋肉大好き少女のせいというべきかお陰というべきか、真昼は周の肉体に興味を示す事が多くなった。
疚しい気持ちは一切ない眼差しで周の筋肉を触ったり眺めたりしてご満悦そうにしているので、周は咎める事も出来ずに好きにさせているのだが……ここに制服フェチとかいう要素が付け足されると大変な事になりそうなので杞憂であって欲しい。
ただただ周が好きだから見るし気になる、という事にしておきたい。
「気になる事言うなよお前……つーか多分それ周フェチで大体片付くやつだろ。そんなに気になるの?」
「も、もうこの話はいいから」
本人が居ない所で、その上憶測で決め付けられるのはよろしくないので樹にはこれ以上の追及はさせまいと手を振って話を打ち切る。
「とにかく、まあ、お返しはこれでいこうと思うけど、真昼にはまだ言わないように。俺からちゃんと伝えるので」
「誰が確実に周に一生恨まれるような事をするか。フリでもないのにやるなって言われた事をやる程馬鹿じゃないぞ」
「フリならするのかよ……」
「だってそういうフリなんだからそりゃあなあ。あ、ちなみに俺はいつ呼んでくれるの?」
「来なくていいです」
「ひどっ!」
敢えて素っ気なく言えばおかしそうに笑う樹に、周も冷ややかな眼差しを和らげて小さく笑った。





