第527話 弱者はお好きですか?
一年も終わる頃、赤石は同級生の男と二人、電車に乗って揺られていた。
「なんかあつくね?」
「冬にしては暑いかもな」
「お前の面の皮」
「誰が厚顔無恥だ」
赤石は同級生と二人、電車に揺られる。
「妖怪変化滅殺剣、妖怪変化滅殺剣!!」
「……」
「……」
突如として発せられた声に、赤石と同級生が視線を向ける。
そして視線を外す。
「冬休み近いな」
「そうだな」
年のほどは十五、六。赤石とほぼ同年代の男。
電車に座り、外の景色を楽しみながら携帯型のゲーム機で遊ぶ男が一人、赤石の斜向かいに座っていた。
「クソ、クソ、クッソ!!」
ゲームの試合に負けたのか、熱くなった男は電車の椅子を叩きながら、感情を露わにする。
ゲーム機の電源を切った男はおもむろにスッと立ち上がり、運転士が見える操縦席に近寄った。
「……」
ジッと、運転士を見つめる。
田舎を走る二両編成の車両のため、運転士と乗客との距離が近い。
男は何も言わぬまま、じっと運転士を見続ける。
「なんか、夜よく眠れる飲み物って流行ったじゃん? あれ、今はどうなったんだっけ?」
「もう皆寝付きやすい身体になったから買ってないんだろ」
「恒久的な効果!?」
赤石は益体もない会話を続ける。
電車に乗っている時間にだけ話す同級生とのこの時間が、赤石は案外嫌いではなかった。
運転士を見続けていた男は再び席に戻り、ゲーム機の電源を付けた。
「クッソ、クソ、クソが!!」
ゲームに夢中になり、白熱する。
同級生は男をちら、と瞥見し、すぐに視線を外した。
「なんか怒ってんな」
同級生が赤石に耳打ちした。
本人には聞こえないであろう声量で、耳打ちする。
「ゲームってやってたら楽しいことよりイライラすることの方が多い気がするな」
赤石も小さな声量で返した。
「もうゲーム辞めちまえよ」
「それでもやってしまうのが、人間の性なんだろうな」
「自分のこと客観視できてるアピールですか」
「嫌な言い方するなよ」
同級生はため息を吐く。
「注意してきてくれない?」
「何を注意するんだよ」
「うるさいから黙ってくれ、って」
「目くじら立てて怒るほどのことでもない」
特に自分に危害が及ぶことでもないため、赤石は気が進まなかった。
「そんなに嫌ならお前が言いに行けよ」
「嫌だよ、別にそんな目くじら立てて怒ることでもないし」
「じゃあ同じじゃねぇか」
「でもなぁ」
乗客たちは、少しずつ男に注目するようになっていた。
決して都会とは言えないのどかな自然あふれる地域の電車。
普段その電車に乗り慣れている住民たちは、お互いがうっすらお互いを認識しあっている。村社会に生きる人間たちに問って、外部の人間とは異質であり、怪異である。
男が外部から来た人間であることは、明らかだった。
「外の人間じゃない?」
「見知らぬ人間に閉鎖的な村とか、俺はちょっと苦手だな」
「外部の人間はやっぱり怖いだろ」
車内でも、男への関心がゆっくりと高まっていく空気が、情勢されつつあった。
「まぁ、俺もゲームしてたら我を忘れて怒ることもあるから人のことは言えないな」
「そう言われると俺もそうだけど」
「世界にはゲームしてパソコン壊す奴もいるんだし」
「極端だろ」
赤石は外の景色を見ながら、呟くように話す。
「てか、お前そんなに怒るんだ」
「怒るよ、烈火のごとく」
「こわ」
「怒りすぎて警察来た」
「そうなったらもう、別の問題だろ」
「一人暮らしだったら隣の部屋から確実に苦情が来てただろうな」
「一人暮らしだったら割と誰でも苦情来そうな感じはあるけどな。他人に対して、皆心が狭いんだよな」
「だから公園のアスレチックも撤去されて、子供が公園で騒げないような世の中になったんだろうな」
「おかしな世界だな」
「本当だよ」
「自分たちは公園で他人に迷惑かけてたくせに、大人になったら子供の声に文句言い出すもんな。頭おかしいだろ、本当」
「クレームにすぐに屈する社会にも問題がある」
「本当だよ」
赤石たちは社会の現状に文句を言う。
「次は、気仙浦賀、気仙浦賀」
電車が止まり、次の駅に着いた。
プシュ―、と音を立てながら、電車の扉が開く。
短縮授業だったからか、車内には学生が多く、いつもより人が多い。二両編成もあってか、人口密度が上がって来る。
数人の男女が電車内に入り、席に座った。
「……」
男が黙ってゲームをする。
「クソ、クッソ! クッソ!」
男は再び怒りの声を上げた。
「……」
新たに車内に入って来た者たちから、視線が寄せられる。
そして何も見ていなかったかのように、何もなかったかのように、視線が外された。
そこには、何も、なかった。
「クッソ! クッソ!」
男は座席の上で跳ねながら、ゲーム機に向かって声を荒らげた。
「誰か、誰か~~~~~~!」
車内の静寂を破ったのは、一人の女だった。
年は四十代半ば、紫外線への対策を熱心にしている風体の女が、声を上げた。
何が起こったのか。男は訳も分からず、きょろきょろと辺りを見渡す。
「おかしいんです、この人! 分かりますよね!?」
女はゲームに熱中する男から距離を取り、指をさした。
「すみません、誰か、誰かなんとかしてください!」
女は周囲の人間に助けを求めながら、男に向かって罵詈雑言を吐き捨てた。
「え、あ、え……」
状況が飲み込めていないのか。
男はぽかんとした顔で、自分に視線を寄せる乗客たちの顔を眺めまわした。
「おい」
膠着した状況を打破しようと声を上げた、一人のヒーローがいた。
「お前、何してんだよ!」
立ち上がった一人の男、櫻井聡助は、男に詰め寄った。
「え、いや、え、ちが……」
男はおろおろとしながら、壁の隅に追い詰められる。
「何したか、って聞いてんだよ!」
櫻井は男の腕を掴み、壁に体をぶつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
櫻井に体をぶつけられた男はゲーム機を落とし、両手で顔を庇いながら、必死に謝罪した。
「お前がやったんだろ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
櫻井が男を怒鳴りつけ、と男は訳も分からずふさぎ込み、両手で顔を隠し、ただただ必死に謝罪した。
「ほら来いよ、お前!!」
櫻井は男の腕を掴み、車内の端まで連れて行った。
「すみません、皆さん、お騒がせしてしまって。迷惑をかけてしまってすみません。男を代表して謝ります」
櫻井は乗客たちにペコリ、と頭を下げ、男を別の車両まで連れて行った。
「早く来いよ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
男は顔を隠して、ただ謝り続けることしか、出来なかった。
端から見て、犯人以外の何者でもなかった。
「……」
「……」
男が消え、車内に静寂が戻った。
『早くしないと、次の夜がやってきちまうぜぇ?』
ゲーム機から、案内役と思しき兎の声が、聞こえてくる。
『サポートが必要かぁ?』
赤石が小学生高学年の頃に流行ったゲームが、そのゲーム機に写し出されていた。
まだ序盤のステージを、プレイしていた。
「……」
男が消え、液晶が割れたゲーム機だけがその場に残った。
男の怨念か、誰もゲーム機に近寄ろうとしない。
「ふん」
満足した様子で、女は再び座席に座った。
「……かわいそうに」
赤石は連れていかれた男を思い、ボソ、と呟いた。
「かわいそうだと思うならお前が何とかしてやれよ」
同級生が赤石に毒づく。
「生憎、被害者を見たら見殺しにしなさい、と徳のある御仁からありがたい説法を受けたところでな。徳の高い大先生を敬って、被害者は全員見殺しにするように努力してるんだよ」
「徳の低い人間の間違いだろ」
「汝、被害者を見ればすなわち、ことごとく見殺しにするべし」
「そんな格言があってたまるか」
同級生はため息を吐いた。
「仕方ないな、この世界じゃ。弱者は奪われ、淘汰される。慈悲はない」
「そういうの、選民思想って言うんだよ」
「だったらこの世界に生きる誰しもが、選民思想だよ。誰も弱者を助けない。声を上げなければ、誰も味方になんてなってくれない。弁も立たない、力もない、そんな弱者は淘汰されるしかないんだよ」
「力がないのがそんなに悪いのかよ。舌が回らないのがそんなに悪いのかよ。おかしいだろ、力がないからってそんな風に扱われて」
「そんなの俺に言われても困る。世界がそうなってるんだから、俺たちは従うしかないんだよ。置かれた場所で咲くしかない。持ってるカードで戦うしかない。人は自分の持っているもの、環境の中で最大限自分に出来ることをするしかないんだよ。そうあるべき、だとかそれは倫理的におかしい、だとか人道にもとる、とかこうあるべきだ、だとかそんな綺麗事の理想論には何の価値もないんだよ。事実どうなっていて、俺たちはどうするべきか。それしかない。こんなのはおかしい、だなんて声高に叫んでも世界は変わらない。自分が変わるしかない」
赤石は立ちあがり、ゲーム機を拾った。
「選民思想だろ、そんなの」
「少なくともこの車内にいる人間は、全員選民思想だったようだな」
赤石はゆっくりと、車内の人間を見回す。
「弱者は消え、淘汰される。力のない人間を誰も愛さない。金もない、魅力もない、舌も回らない、力もない、人としての魅力が何もない。弱者は常に劣勢に立たされ、試される。そこで生き残った人間だけが、次の機会をもらえる。俺たちはずっと、試され続けている」
赤石はゲームを終了させ、電源を切った。
「善きサマリア人の法、ってやつだよ。他人がどうなろうが関係ない。他人を助けたせいで自分に被害が及ぶくらいなら、他人なんて全員見殺しで良い。そういう人間ばかりで構成されてるのが、この世界なんだよ。弱者を愛せる人間だけが、弱者を救う綺麗事を述べなさい」
「……」
「……」
車内が再び、静かになる。
「駄目だろ、そんなこと言うの。弱者だから、力がないから、魅力がないから、って……」
「弱者を愛しなさい、人に優しくしなさい、差別をしないようにしなさい、そんな綺麗事をあたかも自分の意志かのようにまくしたてながら、率先して弱者を食い物にして見下げて淘汰してるような金儲けの連中の方が、俺はよっぽど嫌いだね」
ガン、と赤石の顔の隣に、大きな物音がした。
「……」
剣呑な目をした女子生徒が赤石の顔の隣に、蹴りをお見舞いしていた。
「……」
八谷恭子、その人だった。
「こういう風にして、弱者は淘汰され続ける。見境のない暴力に、嫌悪に、厭悪に、暴言に、差別に、理不尽に、責任転嫁に、立ち向かっていかないといけない。立ち向かわなければ、搾取されるだけだ」
赤石は手で八谷の脚をどけてみせた。
「自分と思想信条が違うから。分かり合えないから。自分にとって都合が悪いから。そうして上に立つ人間は下に立つ人間を搾取して、暴力で支配して、焼き、犯し、自分に反対する人間を次々と消していく。弱者を焼いたその口で、お前たちは弱者を差別している、見殺しにしている、とあたかも自分が正義かのような口ぶりで俺たちを非難する。弱者を見殺しにしているのは俺じゃない。お前らだよ」
赤石は自身の目を二本指でさした後、八谷たちに向けて指をさした。
「抵抗しないと、俺たちは永久に搾取される。弱者のままでいれば、弱者の立ち位置から逃れられない。声を上げるしかない。理不尽な暴力と戦うために。お前を愛する人間は、ただお前一人だけだ」
電車の扉が開き、次の駅に着いた。
赤石は電車を降りる。櫻井が外に出た後、件の男も外に放り出される。
櫻井が駅員に男を突き出し、赤石は男にゲーム機を返した。
「……」
電車は再び走り出す。
ガタンゴトンと無機質な機械音を鳴らしながら、再び走り出す。
世界は、廻る。




