第126話 日常はお好きですか? 1
トントントントントントン。
朝。階段を駆け上がる音が豪奢な家の中で、響いていた。
「今日は暑い~」
女が額を拭いながら走り、
「おにいいぃぃーーーーーー!」
「ぐぇっ!」
兄の布団の上に豪快に身を投げた。
「おにぃ! おにぃ! おにぃ! おにぃ!」
「ちょ、ちょっと止めろって菜摘!」
櫻井菜摘は兄にのしかかり、上体を上下にゆさゆさと揺らす。
「おにぃ起きろーーーーーーー!」
「起きてるだろぉ!」
櫻井は妹を押しのけた。
「っておい菜摘……!」
妹の姿を見た櫻井は手で顔を覆った。
「何でお前パンツなんだよ! 服着ろよ!」
菜摘は頭をかきながら、半眼で口を尖らせる。
「えぇ~いいじゃん~、家の中なんだからちょっとくらい」
「よくねぇよ!」
櫻井は、はぁ、とため息をつき、近くの机に手を置いた。
「って……!」
そしてそこには、菜摘の下着があった。
「何でお前俺の部屋にこんなもん置いてんだよぉ! 持って帰れぇ!」
「いいじゃん兄妹なんだから~」
「よくねぇよ! お前ここで服脱いだのかよ!」
「へっへぇ~、当ったりぃ~」
「この馬鹿ぁ!」
えへへ、と菜摘は櫻井の腕にしがみつく。
「おにぃ、私今日はハンバーグが食べたいなぁ」
「お前はまた……」
上目づかいで櫻井を見上げ。菜摘はそう呟いた。
「無理無理、朝からそんな大変な物作れるかよ」
「うぅ~! なんでよ、食べたい食べたい食べたい食べたい! おにぃの馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿あぁ!」
「い、いててて、止めろよ!」
ぽかぽかと菜摘は櫻井を叩く。
「分かった! 分かったから! ったく、本当お前はわがままだなぁ」
「えっへっへっへ、言ってみるもんだねぇ~」
菜摘は櫻井の腕にしがみついたまま、階下へと降りた。
「う~~~ん、おいっしー!」
「へぇへぇ、そりゃ重畳で」
ハンバーグを口いっぱいに頬張りながら菜摘は嬉しそうな顔で、そう言った。櫻井も菜摘を見ると、ふっ、と薄く笑った。
「まぁ、妹に喜んでもらえたようで俺は何よりだよ」
「何そのニヒルな感じぃ~!」
「何言ってんだよ、お前は」
あははは、と櫻井は笑う。呼応して、菜摘もまた笑う。
楽し気な笑い声が櫻井家で、溢れていた。
「聡助、おはよっ!」
「おう、おはよう由紀」
通学中、櫻井は新井に話しかけられた。片手で軽く挨拶を交わす。
「櫻井君、おは、おはよぅ……!」
「お、冬華! おせぇぞお前!」
遅れて、背後から葉月が櫻井の横にぴた、と着いた。
「あぁ~、とーか聡助の隣なんかにくっついてえっちぃんだぁ~!」
「え、そ、そんなことないよ!」
手をぶんぶんと振り、更に葉月は櫻井との距離を詰める。
「おいおいお前ら、喧嘩するなよ」
「聡助とーかにいっつも甘いし~!」
「別にそんなことねぇよ!」
櫻井は苦笑いで新井に返答する。葉月はふふ、と昏く笑った。
「さ、櫻井君、おはよう!」
「お、おぉ、み、水城! おはよう!」
櫻井はてこてこと歩いてきた水城に挨拶をする。
「志緒っちおっはよー!」
「あ、おはよう由紀ちゃん。櫻井君朝から両手に花で凄いね」
にこ、と水城は櫻井に笑いかける。
「そ、そんなことねぇよ。それにほら、こいつなんて全然花って感じの華ねぇし」
櫻井は新井の肩を抱く。
「ちょ、聡助ヒドいしー! 志緒っちもちょっとなんとか言ってよ!」
「う、うん……ひ、ひどいね」
あ、あはは、と水城は引きつった笑みを浮かべる。
「皆、私だけのけものにしてひろいもん!」
「わ、わりぃわりぃ冬華」
ぶんぶんと手を振り、頬を膨らませた葉月の頭を、櫻井は優しく撫でる。
「あぁ~。聡助ずるいんだぁー! 私の頭も撫でるし!」
「ったく……わかったわかった」
櫻井は新井の頭も撫でる。
「…………」
水城もまた、無言で櫻井に頭を出した。
「お、おう……」
櫻井は水城の頭を撫でる。
「それにしても水城の髪ってなんていうか……こう、綺麗だよな!」
「え、えぇ、そ、そうかなぁ……え、えへへ」
水城は自分の髪を触りながら、満面の笑みを咲かせた。
「聡助あんた朝から楽しそうね……」
「お、恭子!」
八谷が不機嫌そうな表情で櫻井の後ろに立った。
「なんだよ恭子、いつからいたんだよ、ったく」
「う、うるさいわね! あんたらが聡助に話しかけてるから私が話しかけられなかっただけよ!」
八谷は櫻井の背中をげしげしと蹴る。
「い、いってぇ! 止めろよこの暴力女!」
「な、何よあんた! さいってい!」
ふん、と八谷はそっぽを向く。そして、ちら、と櫻井を瞥見する。
あははは、とそこにいる五人が互いに笑い合いながら、登校していた。
キーンコーンカーンコーン。
昼休憩を合図するベルの音が校内に響いた。
高梨は、欠席だった。
「ほれ、由紀」
櫻井が新井の頭に、後ろから弁当を乗せた。
「……聡助。なに、これ?」
新井は不思議そうな顔で、櫻井から弁当を受け取った。
「ほら、お前ちょっと前ハンバーグ食いたいっつってたろ? だから今日たまたまハンバーグだったし……」
「覚えてたの!? 最高! 愛してる聡助!」
新井は櫻井に抱きついた。
「ちょ、ちょっとだから止めなさいよ新井さん!」
「そ、そうだよ! らめらよ!」
櫻井に抱きつく新井を八谷と葉月が引きはがす。
「あ、あはははは……」
水城はただただ苦笑いを浮かべるだけだった。
「はぁ……」
一人教室を出た水城は木陰にある自動販売機の近くで座り込んでいた。水城は思案顔で、買ったジュースを飲む。
「櫻井君……」
小さく呟き、
「きゃああぁっ!」
突如、背中に冷たい物を感じた水城は叫んだ。ばっ、と振り向く。
「お、おぉ、悪い水城。ちょっと驚かせたくて……」
「さ、櫻井君……! もう!」
水城の首筋に缶ジュースを当てた櫻井が少し申し訳なさそうな顔をして、水城の隣に座った。
水城は少し、涙目で櫻井を見上げる。そして、もぞもぞと上体を動かし、櫻井をちらちらと見た。
「ところで櫻井君、さっきの私の言葉って……」
「え、何か言ってたのか?」
「え、い、いやいやいやいやいや、聞こえなかったらいいの、聞こえなかったら!」
ぶんぶんと高速で手を振り、水城は顔を逸らす。
「本当は聞こえてた方が良かったんだけどな……」
そしてぼそ、と地面に向かって呟いた。
「何か言ったか、水城?」
「う、うんう、なんでもないよ!」
にこ、と櫻井に笑いかける。
「ところで櫻井君、こんなところで会うなんて奇遇だね。どうしたの?」
「ああ、なんだか水城が元気なさそうだからな……。ちょっと追いかけて来たんだよ」
「ん……」
水城は息をのんだ。




