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いつか魔法が解けるまで  作者: イノリ
第二章 「世界との距離」
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ヨモツヘグイ事件 問題編⑦

 先輩に連れられた先は、部室棟と本校舎を繋ぐ渡り廊下だった。

 狭い一本通路は相変わらず不気味に音を反響させ、言葉の背後にあるものを曖昧にしていく。


「それで、どうしたんですか?」

「…………」


 問いかけても、空先輩はなかなか口を開かない。


「最後の質問なんて前置きをしたってことは、もう謎は解けたんでしょう?」

「……ああ、そうだよ」


 反響音から感情は掴めないけれど、表情には不機嫌さが滲み出ていた。


「はぁ。恨むぞ茅野め」


 他人に暴言だけは吐かない先輩が、珍しくそんなことをぼやく。

 その態度を見て、流石に僕も気になった。


「前に茅野さんと、何かあったんですか? オカ研のUMA発見をコテンパンに論破したっていうのは聞きましたけど」

「ああ、うん……別にそれで仲が拗れたとかじゃないんだ。ただね、僕は茅野がしていることがどうしようもなく嫌いなんだ」

「嫌い……?」


 先輩がそこまで言うのも本当に珍しい。


「茅野さん、何か悪いことでもしてるんですか?」

「少なくとも、重犯罪には手を染めていないと思っているよ。信号無視程度はどうか知らないけれど」

「じゃあどうして?」

「……茅野はね、私が言うところの悪い魔法使いなんだ」

「悪い魔法使い?」


 どういう意味だろうか。

 空先輩が魔法使いという呼称にこだわっているのは知っている。自らを解呪の魔法使いと標榜し、魔法を解くことを己の使命として生きているのも知っている。

 先輩の口ぶりからして、おそらくそれが正義の魔法使いとしての生き方なのだろう。だとしたら、悪い魔法使いとは――


「誰かに魔法をかけて回っている、ってことですか?」

「キュラ君は、こういうときばっかり鋭いね……。そうだよ。茅野はね、この世界にオカルトの実在を認めさせようとする悪い魔法使いなんだ」

「それ、悪いことなんですか?」


 自分の好きなものを他の誰かにも認めてもらいたいと思うのは、ごく一般的なことだ。僕だって、読書なんて下らないから運動して汗を流せなどと言われたら、怒りもする。

 認めてほしいと願うのは当たり前のことで、それを指して悪いなどと言うのは、いったいどのような了見なのか。


「好きなものくらい、好きに楽しむのが当たり前でしょう。周りに勧めるのだって、あんまり押し付けがましくなければいいんじゃないですか?」

「そうだけど、そうじゃないんだ。君みたいな読書趣味と、私たちのような魔法趣味はまったくもって事情が違う」


 反響して二重、三重にブレた音からは先輩の感情が窺えない。話なら部室に戻ってすればいいのに、どうしてこんな場所に連れてこられたのか疑問だったが、もしかしたらこれが理由なのかもしれない。

 先輩は普段、本音を語りたがらない。それでも何かを聞いてほしくて、僕をこんなところまで連れてきたのではないだろうか。


「私はそれを理解しているから、魔法をいたずらに広めようとはしないし、魔法に絡め取られた人がいれば解呪を行うようにしている。でもね、茅野は何も理解していない。だから茅野は不可思議の実在を信じ込むし、信じ込んだ実在を他人に広めようとするんだ」

「…………」


 空先輩は、魔法は存在すると言う。しかし実在するとは決して言わない。

 むしろ、本当は存在しないと断言し、必要とあらば実在否定の証明すら行おうとする。

 空先輩にとって、魔法の実在というのは敵なのだろうか。空先輩にとって、魔法が実在すると何か都合の悪いことでもあるのだろうか。


「……私はね、キュラ君」


 先輩が心なしか声を潜めて言う。


「今、茅野を見捨てるかどうか悩んでいるんだ」

「えっ? 見捨てる……って?」


 空先輩らしくない言葉に、僕は耳を疑った。


「言葉通りだよ。この事件を解決すれば、おそらく茅野は悪い魔法使いとしての活動をやめるだろう。でもね、それではおそらく、茅野にかけられた魔法は永遠に解けなくなるんだ」

「魔法は、永遠に解けなくなる……」


 その言葉で、僕は一か月ほど前に空先輩から聞いたことを思い出す。

 魔法の祝福もいつかは呪いに変じるから、その前に魔法は解かなければならない。空先輩はそう語っていた。

 詳しい意味は今でもわからない。だが、これを今の先輩の言葉と合わせて考えるなら、茅野さんは今後一生呪いを背負って生きていくことになるのではないか。

 呪いに蝕まれた心で生きて、呪われたまま死ぬ。それはどれだけ恐ろしいことだろうか。

 僕らの去り際に見た、茅野さんの寂しそうな顔を思い出す。永遠に呪われるというのは、あれよりもっと苦しい顔になるんじゃないのか。

 そんなの、そんなのは……。


「なんとかできないんですか?」

「さぁ。できるかもしれないし、できないかもしれない。魔法を解くのは、悪い魔法使いをただ退治するよりずっと難しくてね。今回ばかりは、私にもどうしようもないかもしれないんだ」


 空先輩は顔を俯かせたまま言う。とんがり帽子の鍔が邪魔で、僕からはその表情すら窺うことができない。


「…………」

「…………」


 しばし無言の時間が続く。空先輩は語るべき言葉を終えたということだろうか。

 空先輩の言葉はあまりに抽象的で、具体性を欠いている。音が歪むこの空間では、声音から本心を読み取ることもできない。八方ふさがりだ。解釈のしようもない。

 解釈もできない言葉に、僕は何を返せばいいのか。

 空先輩は何を求めて、僕をここに連れ出したのか。ただ語りたいだけでなかったのは、この無言の時間が証明している。

 空先輩は、何かを僕に期待して、ここに来たはずだ。


 ――だったら僕は、空先輩の期待に応えなきゃいけないんじゃないのか。

 なぜだろうか。漠然と、ただそう思った。

 魔法めいて、奇跡めいて、幻想めいた声が、僕の背を押す。

 その瞬間、僕は理解できた気がした。

 声から感情が読み取れなくても。表情すら見えないとしても。

 今の空先輩がどのようなことを思い、どのような言葉を欲しがっているのか。


「空先輩」

「何かな」

「空先輩なら、絶対にできますよ」


 僕は、この歪な空間で僕の本心など届かないだろうことを承知で、そう断言した。

 空先輩が俯けていた顔を上げ、僕の瞳を覗き込む。何かを探るような目で。

 対抗して僕も先輩の瞳を覗き込みながら、先輩が欲しているであろう言葉を紡ぐ。


「空先輩は魔法使いなんでしょう? なら、奇跡の一つや二つ、起こしてみればいいじゃないですか」

「いや、でも、魔法なんて……」


 空先輩が自信なさげに言葉を濁す。本当に珍しい。どれだけ弱っているのだろう。

 それを元気づけられるようにと、僕は言葉を必死に探す。


「本当は存在しない、でしょう。でも、今回は心の問題のはずです。なら、先輩お得意の魔法の舞台じゃないですか。いつもの調子を見せてくださいよ、空先輩」

「――――」


 空先輩は言葉を返さない。しかし、揺れていると思った。

 だから、これが最後の一押しだと、僕は口にする。


「僕にこんなこと言わせてるんです。それだけでも、十分奇跡でしょう」


 はっ、と空先輩が目を見開く。

 不安を抱えていた瞳が、決意を秘めた瞳に変わったのを僕は見逃さなかった。

 先輩は再び顔を伏せる。しかしそこに悲嘆や苦悩は見られない。

 グッと帽子を回して整えると、空先輩は勢いよく顔を上げた。


「言うようになったじゃないか、キュラ君」


 そう言いながら、不意打ち気味に空先輩は僕の手を引き、渡り廊下の外へと連れ出す。


「仕方ない。あの面倒な茅野の魔法も、まとめて解いてあげるとしようじゃないか」


 空先輩は小さく笑って、温かな声で言った。

 ああ、いつもの空先輩だ。そんな安心感がこみ上げてくる。

 先輩が何を思って、何をしようとしているか、僕は何一つ知らない。僕が吐いた言葉は中身のない無責任な励ましで、もしかしたら空先輩は先ほど以上に苦悩する結末となってしまうのかもしれない。

 しかしなぜだろうか。魔法で暗示でもかけられたかのように、先輩が失敗した未来など頭の中ですらうまく描けない。


「……ありがとう、キュラ君」


 先輩の囁きが鼓膜をくすぐる。

 そんな言葉は聞こえなかったフリをして、僕は先輩と歩みを揃え、オカ研の部室を目指したのだった。

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