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いつか魔法が解けるまで  作者: イノリ
第二章 「世界との距離」
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ヨモツヘグイ事件 問題編④

「さてキュラ君。ミステリー好きとして、何か意見は? こういうのは王道の謎なんだろう?」

「…………」


 何も閃いていません、などと言ったら怒られるだろうか。


「よくあるパターンの話でいいなら、いくつか」

「それでいいよ。聞かせてくれ」


 空先輩にお許しをいただく。そういえば、空先輩に僕から何かを教えるのは初めてではないだろうか。もしかしたら雑談の一環でそういうことはあったかもしれないが、こうしてちゃんとした形で教えるようなことはなかった。

 これは俄然気合が入ると思いながら、僕は今まで読んだ数々の物語を脳内でなぞる。


「まず予告状ですけど、これに隠されたメッセージがあるっていうのはたまに見ますね」

「へぇ。それから?」

「密室の話だと、消えた何かは最初から中になかったとか、逆に後から何かが持ち込まれたっていうのはあるあるです。あとは、実は密室になっていなかったとか、特殊な抜け穴があっただとか。――まあ、パッと思いつく限りではこんなもんですね」

「なるほど。世の推理作家は色々なことを思いつくものだね」


 空先輩が感心したように呟く。それは僕も同意するところだ。

 推理小説というものが生まれておおよそ二百年。最近はもう一通りのトリックは出尽くしたなどと言われているが、未だにネタ切れすることなくジャンルとして維持されているのは、それだけ推理作家たちが自由な発想で創作を行ってきた証だ。


「それじゃあその王道に敬意を払って、順番に検証していこうか」


 そう言って、先輩は予告状を手に取る。


―――――――――――――――



これより私の饅頭を食べに行く

         黄泉比良坂



―――――――――――――――


「このヨミヒラサカっていうの、名前ですか?」

「……キュラ君、これはヨモツヒラサカと読むんだよ」

「ヨモツヒラサカ」

「ああ。古事記に書かれている、この世とあの世の狭間の場所だよ。有名なエピソードに、イザナギが死したイザナミを連れ帰るために黄泉の国へと渡るというものがあって……」


 そこまで解説して、不意に空先輩の言葉が掠れていく。


「そう、そうか……」


 先輩が小さく呟く。その瞳は大きな発見に満ちている。言葉にほんの少しの興奮を混ぜ込んで、先輩は口を開く。


「キュラ君、この事件、もしかしたらヨモツヘグイがモチーフかもしれないね」

「ヨモツヘグイ?」

「ああ。黄泉の国の竈で作った物を食べることだよ。黄泉の国の『黄泉』に『竈』、食事の『食』と書いたり、あるいは『黄泉』に戸棚の『戸』、喫茶店の『喫』と書いたりする」


 黄泉竈食。あるいは黄泉戸喫。――ヨモツヘグイ。


「さっきの古事記の話の続きだけれど、イザナミは連れ帰りに来たイザナギの誘いを断ってしまう。その理由が、まさに黄泉竈食なんだ」

「どういうことですか?」

「黄泉の国の食べ物を食べたなら、それで死者の仲間入りをするんだ。仮に、生きていたとしてもね。二度と現世には戻れなくなる。だからイザナミは、イザナギと共に帰ることはできないと断らなければならなかった」

「なるほど……」


 面白い話だ。死者のための食べ物を食べたなら、それで死者の仲間入り。生きていたとしても、もうこの世には戻って来られない。

 昔の人が生死の境をそこに置いたというのも興味深い。……が、それはそれとして。


「その話、今回の事件と何の関係が?」

「んー、まあ少し説明を省くけれど、イザナギは醜い黄泉の住人に変貌してしまったイザナミを見て逃げ出すんだ。それに怒ったイザナミはイザナギを追い立てる。その際、イザナギが現世に帰るために通ったのが黄泉比良坂」

「この予告状の署名ですか?」

「ああ。このエピソードは、黄泉比良坂にまつわる物語を考えたとき、真っ先に挙げられるものだ。つまり何が言いたいかというと、わざと黄泉竈食を連想させる名前を名乗ったという説は考慮に値するんじゃないかとね。この事件もその黄泉竈食に似ているだろう?」

「えっ? どの辺りが?」


 誰も黄泉の国などには行っていないはずなのだが。行っていたなら、今頃警察が殺人の疑いで現場検証を進めている頃だ。


「この事件が人の手によって起こされたのだとしたら、というか私はそれしかないと考えているけれど、その場合饅頭はどうなったと思う?」

「まあ、食べたんじゃないですか? 普通に考えて」

「そう。死者を降ろすための、つまり死者のために用意された饅頭をただの人間が食べたんだ。饅頭はあくまでも人間界のものだから厳密な定義からは外れるけれど、これも黄泉竈食の一種と言っていいんじゃないかな」

「確かに、言われてみれば」


 そういう構図になっている。

 では、仮に犯人がその構図の暗示を目論んでいたとして、狙いはなんだろうか。ミステリーでの隠されたメッセージといえば、普通は犯人を特定するためのヒントだったりするのだが。


「まあこの予告状から読み取れるのはそのくらいか。わざと震えた字を書いて筆跡も誤魔化しているようだしね」

「ですね」


 少なくともこの予告状は、素人鑑定で筆跡を確かめられるような状態にはなかった。

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