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6話:消える霊


 浦美駅前に現れた謎の幽霊は、その場を離れようとする玲一のリュックを掴んだ。彼は一歩も動くことはできない。その細く歪な腕からは想像できない力だった。


(どうする……? どうすればいい?)


 頭が真っ白になる。なぜ自分が捕まえられたのか分からないし、そもそも全身真っ黒のこいつが何者なのかすら分からない。玲一やバケ子に見えて東が見えていないところからすると、幽霊であることは間違いなさそうだが、それ以上の情報はない。


「最上くん! どうしたのさ。早く行くよ!」

「なんだかよく分からないけど、前に進もうとしても進まないんだよ」


 『よく分からない』をあえて強調して発声した。姿が見えているわけではないことを示したつもりだ。言葉が通じるのかすら不明だが、念には念を入れておく。

 東は立ち止まって戻り、玲一の手を強く引く。リュックが固定されているため、当然動かない。

 「あれ?」という表情を浮かべ、もう一度引く。彼は本当に何も見えていないのだから、これは演技でもなんでもない。ビクともしない玲一を、東は何度も何度も引っ張る。


「痛っ……。腕が抜ける……」

「じゃあ後ろから押すよ!」


 彼は玲一の後ろに回り込んだ。


「あっ……」


 そっちには奴がいる。わざわざ近づくのは危険だ。だが東を止める理由がない。見えていることが奴には気づかれては厄介なことになるに違いない。


「せーのっ!」

「おっ!?」


 突然の衝撃に、考え事をしていた玲一はよろめいた。急いで後ろを振り返る。

 目線は東の方に向けているが、その後ろのどす黒い巨体も視界に捉えている。大丈夫かいと声をかける東の背後、バケモノは手を離した。


「あ、ありがとう、岡路……」


 東は頷き、離れた方がいいんだろと駅の反対側を指差した。

 玲一たちとは逆に、謎のバケモノは踵を返して駅の方へと向かっていく。助かったかと思ったのは束の間。奴は駅前に積んでいた工事用具の中から、細長いパイプを持ち上げた。


(お、おい嘘だろ?)


 まだ駅からは十数メートルしか離れていない。

 奴の頭部がぐるんと回る。玲一は、何もない顔と目が合ったような気がした。


「ヴぁああァああアウ!」


 異形の霊は謎の叫び声とともに鉄パイプをやりのように投げた。玲一たちの方に猛スピードで向かってくる。


「おい岡路しゃがめ!!」

「うわああ!?」


 玲一は東のもとに駆け寄り、彼の頭を押さえて地面ギリギリに押し付ける。頭上を通過した瞬間に空気を切る音とかすかな風圧を感じる。その直後、ガインと鈍く大きな音が響いた。

 パイプが少し掠ったのか、玲一のリュックの外側の口が破れた。部屋の鍵、ポケットティッシュ二つ、お守りの束、モバイルバッテリーなんかがバラバラと落ちる。


「危ないって。眼鏡割れるかと思ったよ」


 やれやれと立ち上がる東。玲一は荷物を拾って、リュックの大きな口の方に放り込む。


「それは謝る。でも、俺がやらないと死んでたぞ! ほらあれ見てみろ!」

「え? ええっ!?」


 駅前掲示板に突き刺さる鉄パイプ。下にはガラスが散乱している。刺さった衝撃で足が壊れて、掲示板はバタンと音を立てて倒れた。

 その様子を見て東は震え上がり、玲一の両肩を掴んで前後に揺さぶる。


「うええええええ!? なになに!? 何が起こってんの!?」

「やめろ、落ち着け。やばい幽霊だ。俺たちに触れられないから武器を使ったのかもしれないな」

「なんで幽霊に殺されないといけないんだ!? 最上くん、なんとか説得して穏便に済ませてくれ!」

「無理だ! なんか知らないけど人の姿してないんだ! 言葉も通じる感じじゃないし! ここは逃げるのがいいと思う。バケ子、行くぞ!」


 頷くがバケ子は恐怖で動けない。

 その時、玲一は謎の寒気を感じた。ふと幽霊を見ると、その顔らしき部分が角度を変えているのに気づいた。

 謎の幽霊の腕の部分が伸びる。手が肥大化し、指が鋭利になった。


「オぉオオィぃァああアアアアア!!!」


 また謎の奇声を発した幽霊は、こちらに向かって走ってきた。だが、玲一のところに向かっているわけではない。奴の向かう直線上にいるのは、バケ子だった。幽霊だから幽霊が見える。当然だ。謎の幽霊は、玲一と東ではなくバケ子に標的を変えたのだ。


「このっ……!」


 もう気づかれても構わない。玲一は石を拾って投げる。一直線に飛んでいく。だが、幽霊が腕を一振りすると、石は砂のように粉々になった。


「最上くん!? 何して……!?」


 東の言葉に耳を貸さず、玲一は走り出す。

 再び腕を振りかぶる幽霊。もう距離はない。


「やめろォォオオ!」


 玲一はバケ子を抱きしめるように手を回した。彼女に触れられないことを忘れた、反射的な行動だった。



「除霊ッ!」



 突如現れたセーラー服。玲一と怪物の間に立ち、右手を向ける。

 バチバチと火花が散るような音。女子高生の右手を中心に風が強く吹く。玲一とバケ子は壁に向かって吹き飛ばされた。

 目の前の異形の怪物は苦しみだす。急激に膨らみ、絶叫と共にふつと消えた。

 その間、玲一はあっけにとられていた。事の運びが早すぎて、思わず脱力してへたり込む。

 バケ子は溢れた涙を袖で拭いて尋ねる。


「ねえ、わたしたち、助かった?」

「そうみたい……だな。助けてくれたみたいだ……」


 立ち上がり、その場に立って静かに手を合わせる女子高生のもとへと歩いていく玲一。バケ子はそれについてくる。


「ありがとう。すごいな、あんなヤバイ奴を倒すなんてさ」


 すると女子高生は閉じていた目を開き、玲一の顔をキッと睨みつける。


「あなた、もしかして全部見えていたの?」

「え? あ、まあ……」

「だったらなぜ逃げなかったの。危険なことは分かっていたはずよ。それに……」


 彼女の視線はバケ子に向く。バケ子はビクッとして玲一の後ろに隠れた。


「その幽霊を庇おうとしていなかった?」

「と、当然だろ。あのままじゃこいつ、怪我じゃ済まないと思って。あいつが向かってきたんだから、その、咄嗟に?」

「あの時の悪霊の霊力はかなり高まってた。あなたも感じていたはずよ」

「え……?」


 彼女は、意味が分からないという表情を浮かべる二人を見て、こほんと咳払いをして言い直す。


「早い話が、生きた人間にも干渉できるようになっていたということよ。つまり、あのままだとあなたも死んで、その隠してる幽霊も一緒に消えていたの」

「死ん――」

「見えてしまっているから、無視するのは心が痛むかもしれない。それでもあなたは生きた人間なの。幽霊なんかのために命をはるのはよくないわ」

「なんだよ、さっきから偉そうに。君は一体何者なんだ」


 幽霊なんか、という言葉にイラッと来た。玲一は思わず声を荒げる。

 彼女はどこからともなくお札を取り出す。なにやら文字が書かれているが達筆過ぎて読めない。そしてそれを見せびらかすように持ち、彼女は言った。


「私はね、除霊師なの」

「除霊……師」


 それを聞いて玲一は半歩後ずさり、腕でバケ子を隠す。女子高生の視線は相変わらずバケ子に向いている。


「……こいつも除霊するつもりか」

「ええ。幽霊だもの。そのまま消えることも考えられるけれど、いつ悪霊に襲われてこの子も悪霊になってしまうか分からないわ。普通なら神社に連れていってあげるんだけど、こんなに透けた幽霊見たことないわ。即除霊するべきだと思うけど。……分かって。これはあなたを守るため。悪霊以外の幽霊に使うのは初めてだけど、安心して。すぐに終わらせてあげる」


 じりじりと近づいてくる女子高生。玲一は彼女の持つお札をくしゃっと握りつぶす。


「一人で勝手に納得するなよ。まずは話を聞かせろ……っつ!? ぐっ……!!」


 焼けるような痛みが右の掌を刺す。玲一は体を丸め、その場にうずくまる。


「なにしてるの! 危ないから触らないで! これは除霊用のお札なの!」

「レイイチッ! 大丈夫!?」

「心配するな……。ほらみろ……こんなに痛いじゃんか。こんなのバケ子(こいつ)に向けさせるわけにはいかねえな」

「無茶苦茶ね……」


 女子高生はお札を納める。そして痛みがひかない手を血が止まるほどきつく握った玲一に、別のお札を渡した。


「除霊符と返戻符、余計に一枚ずつ。無限じゃないんだから、無駄に使わせないでよね」

「……なんか、ごめん」


 玲一と女子高生は黙ってしまい、それ以上の会話は生まれなかった。


「おーい、最上くーん!」


 遠くから東の声がする。除霊の際の衝撃波で、かなり遠くまで吹き飛ばされてしまったようだ。

 彼は玲一の隣にやって来る。だが彼は目の前の女子高生を見るやいなや、キョトンとした顔をする。


「ああ、これは、違うぞ。そう、手当て。手当てしてもらってんだ。転んだから。お前は、なんならもう帰ってくれてもいいぞ。家、こっちじゃないだろ? 今ちょっと――」

「三枝内さん?」


 東はずり落ちた眼鏡を直し、彼女の名前を呼ぶ。


「あ……岡路さん? こんにちは」


 彼女は東に気づくと、玲一の手を握ったまま軽く会釈をした。


「岡路、知り合いか?」

「ああ、彼女は三枝内さん。地元の高校生で、超常現象総合研究会に協力してもらってる。で、こっちが最上くん。僕の大学の友達」


 東は出しゃばって、二人にそれぞれの紹介をした。それに対して女子高生は「別に協力してるわけじゃないけど」と訂正した。


「はじめまして。神嶺ヶ丘(かみねがおか)高校二年。三枝内優(みえないゆう)よ」

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