5話:幽霊の町
時は流れて時刻は16時40分。日が沈む前の大学前の駅のホーム。玲一は頭を抱えて電車を待っていた。
「いやー、偶然だなあ」
「あー……、おう」
玲一の隣に立ち、東はにこやかに話しかける。それに対して彼は歯切れの悪い返事をした。
東とともに帰るのは初めてのことだった。いつも授業の関係で時間が合わなかった。玲一にとってはむしろそれが好都合だった。オカ研に連れ込まれては面倒だからだ。
今日は帰ろうと思い大学を出た瞬間、東に捕まってしまったのだった。それだけなら良かったのだが……。
「まさか最上くんも浦美地区に住んでいたとはなあ。あの辺は静かでいいよね」
「いや、まあ、うん、そうだな」
玲一の下宿のある地区は浦美という。少し離れたところに海があり、景色が綺麗なことから名付けられたらしい。
「レイイチ」
「なんだ?」
「ドンマイだよ♪」
「うるさい!」
「ええっ、ごめん。僕、うるさかったかな」
「いや、岡路のことじゃないんだ。あの、ちょっと……なんだ、虫がな?」
「ひっどーい。誰が虫だって〜?」
えいえいと玲一を殴ろうとするバケ子。もちろん幽霊の彼女は玲一の肉体をすり抜けるので痛くもなんともない。
玲一はしゃがみ、靴紐を結び直すフリをして小声で言った。
「なあバケ子、頼むから岡路と一緒にいる時は大人しくしておいてくれないか。俺が一人で騒いでおかしいやつみたいな――」
「家の近くにコンビニあったね。わたし、スイーツ食べたいな」
「なっ。お前、昼にラーメンやっただろ?」
「うるさくしちゃおっかな〜。あ、今ここであの人の前でいたずらしたらまたオカルトなんとか会に誘われるかも?」
「お前それ脅迫だろ」
そうこうしている間に、電車到着のメロディーが鳴る。バケ子に返事をするのを誤魔化して、玲一は東とともに電車に乗り込んだ。
車内には人が数人。まだ住んで間もないとはいえ、浦美方面には何もないはずだというのを、玲一は知っていた。それだけに、数が多いとは言えないが、まばらにいる乗客を見て不思議に思った。
東が人を押しのけるようにシートに座る。思わず顔がひきつる。「どうしたの」と聞かれ、必死に笑顔を作った。そして玲一は東の隣、いつも通りの扉の前に立った。
「あ、そうだ。最上くん、ご飯行こうよ」
しばらく電車に揺られていると、ふと東が玲一を見上げて言った。
「いや、いい。まだ早いし」
「いいじゃないか、たまにはさ。浦美ってわりと美味しい店多いんだよ」
それを聞いたバケ子は、玲一の横をちょろちょろと動き、外食に行きたいことをふんふんとアピールし出した。昼食にラーメンを食べてから食事に夢中になってしまったのだ。玲一はバケ子を視界から外すように上を向いて東に返事する。
「金、あんまり使いたくねーんだよ。例えばホラ、この鞄だって中学あたりから使ってるんだぜ。ついでに言うと、俺が住んでるとこは家賃すごく安くて、それが理由で入ったようなもんだからな」
「家賃が安い……か」
東が急に静かになった。笑っていた口元は次第に感情を押し殺したように閉じ、くいっと眼鏡をあげる。
「もしかして事故物件かい?」
「よく分かったな」
「分かるよ。浦美には多いんだ、ワケあり物件」
玲一は入居先を決める際、どれにするか迷った覚えがある。一つの地区に迷うほど格安物件があるというのは確かにおかしいことだった。
「で、どう? 住んでみて。大変じゃないの」
「あー、大変だ。はじめの方は何もなかったけど、最近はずっと被害を受けてるよ。それこそ、四六時中」
「なーるほど! だから最上くんはあの時驚くこともなく、冷静に、座っていられたんだね! そういうのに慣れてたんだ!」
東が指をパチンとならし、玲一を指差す。
「ねえ、もし今後家で何かあったら僕に報告してくれないかな!? 超常現象総合研究会の活動に役立てたいんだ」
「嫌だ。俺をオカ研に巻き込むな」
「別に入れって言ってるんじゃないよ。ちょっと話を聞かせてもらうだけさ。例えば突然カーテンが揺れたとか、物が飛んだとか、あとは正体不明の人影が見えたりとか!」
(全部体験してるんだよなぁ……)
好きなことの話になって、だんだんと声が大きくなっていく東。玲一はうんざりしてため息をつき、うなだれる。そこにはバケ子がにこにこした顔で立っていた。
「ご飯食べに行くんだったらわたしも連れてってね!」
「……」
玲一は二人が見えないように、電車の反対側の窓の方を見ることにした。
ふと、正面の男と目が合った。流石に見つめ合っているのは気まずい。少し横に視線を逸らす。するとまた別の客と目が合った。
気づけば玲一たちの周りの乗客は皆こちらを見ていた。玲一は慌てて腰を落とし、夢中で語る東に小声で注意する。
「お、おい岡路、ちょっとうるさいぞ。人がいるところででかい声で話すのはやめろ」
「えっ? 何言ってんのさ」
「何言ってんのはこっちのセリフだ。俺たち周りから見られてるぞ」
東は眼鏡を拭き、もう一度車内を見回す。
「……今この車両には僕と最上くんしかいないけど?」
「え? おい、やめろよ。おかしなことを……」
「あの〜」
「!?」
東でもバケ子でもない声が玲一の耳に届く。全身の毛が逆立ち、そちらを恐る恐る振り向く。
人の良さそうな中年の男だった。「はじめまして」と会釈する彼に釣られて玲一と、ついでにバケ子も頭を下げる。二人を見て、男は満足そうに笑った。
「やはり。君は私たちのことが見えるんだね」
玲一はドキッとした。
「……! というとつまり……!?」
「私たちは、いわゆる幽霊です」
「やっぱりぃぃいい!!」
「最上くん!? どうしたの。何がやっぱり!? えっ、何この手!?」
幽霊が見えない東は状況についてこれていない。玲一は東の肩に手を置いて気持ちを落ち着かせた。
「おやおや、お隣にそんなかわいいお嬢さんを連れておいて何を今更驚くことが? 自分がそういう体質であることはお気づきになっているでしょう?」
「いやまあ、そうなんですけど。数が数なんで……。あと、こいつ以外に幽霊に会うのは初めてで、心の準備ができてなかったというか」
男は周りの幽霊たちと一緒に笑う。車両内の幽霊は老若男女様々。光源を背にすると体から光が漏れるが、バケ子ほど透けていないし、足もある。故に正体が幽霊であると知った今もそれが信じられない。
「レイイチは初めてわたしと出会った時もこんな感じだったんですよ」
「余計なこと言わなくていいんだよ」
「はっはっは。随分仲がよろしいようだ」
「幽霊……皆さんはどうしてこんなとこに?」
「私たちは地縛霊なんですよ。だから基本的にここから出ることはできない」
「それって……退屈じゃないですか」
バケ子が尋ねる。境遇が同じだけに、思うことがあるのだろう。
「電車の中にはいろいろなお客さんがいますからね。この電車は安全ですし、かなりの距離を移動しますしね。飽きたらあの世に行くだけですよ。今までも何人か成仏しましてね」
彼らに未練という未練はないようだ。幽霊としての時間を列車で適当に過ごす。そんな現状に満足しているようだった。
浦美の駅に着くと、そこで玲一たちは下車した。玲一は電車に向かって頭を下げ、バケ子は手を振る。そして東はそんな玲一たちを見つめていた。
「最上くん、さっきのは?」
「ああ……実は俺、幽霊見えるんだ。だからあの騒ぎの時も見えてた。てか、俺の事故物件の幽霊が犯人。お前には見えてないとおもうけど、ここにいる」
玲一はバケ子のいるあたりを手で撫でて輪郭を表現した。今回も彼女は頭付近に手をやられるのを嫌がったが、最初の時ほど取り乱さなかった。
「いや、そんな急にこんなこと言われても信じないよな!」
「そうだったのか……。へえ……」
見えていないのに、玲一がバケ子を示した辺りをじろじろ見ている。近くに顔を寄せてみたり、眼鏡を外してみたり、様々な方法でそこにいるはずの彼女を視認しようとした。バケ子は謎に緊張したのか、気をつけをしたまま固まった。
「……どうだ? 何か見えたか?」
「いや、全然だね。僕には何も見えやしない」
「じゃあ――」
「でも信じるよ、最上くんは霊視ができるって」
東は立ち上がり、玲一の方を向いた。バケ子は緊張がとけ、ふにゃふにゃとその場に手をついた。
「へ? どうして――」
「実際に会ったことあるんだよ、そういう人と。だから別に疑わないし、心のどこかでもしかしたらって思ってたからそんなに驚かなかったのかも」
「へえ……。ほんとに俺の他にそんな人がいるのか?」
「あ、信じてないね!? 自分もそうなんじゃないのかい」
「いや、まあ、言われてみればそうなんだけどな」
玲一たちは規模の小さな改札を抜け、駅を出ようとした。住んでいるアパートは別だったが、玲一と東の住んでいるところは近所だった。
「ミ……えぁあア」
「何か言っ――え!?」
駅の前の道に出た瞬間、声が聞こえた。
そちらを見ると、二メートルほどの巨大ななにかが目の前をゆっくり移動していた。
こちらの存在が気づかれたらまずい。本能的にそう思った。玲一は思わず目線を下に向け、口を手で押さえ、小さな駅舎の中に隠れる。バケ子は目を両手で覆い、玲一のさらに後ろに隠れた。謎の物体に怯え、震えている。
「……? どうした最上くん? 外になんかあった?」
とりあえず玲一に倣って隠れ、彼の背後から東が尋ねる。
目の前の生物は、二本の足と腕を持っている。人型といえばそのとおりだが、体は歪んでいて黒いオーラのようなものが見えている。
「なんか、やばい奴がいる。しばらく隠れるのがいいかもしれない」
「また幽霊かい?」
「知らない。でもあれは見たことないバケモノだ。少なくとも今まで見えてたのは人の姿してたからな」
二人の小声の会話に、ぐちゃっという生々しい音が混ざる。玲一と岡路は辺りを見回す。
「も、最上くん、今のは何だい?」
「知らない。けどあんまりいい予感はしな……」
「しな?」
玲一は自分の頭の上に、謎の手があるのを見た。それは玲一の手の三倍くらいの大きさがあり、ピクピクと脈打っていた。
そして駅舎の入り口からぬっと謎の頭部が現れる。
「ず……ガぁああルるるルル……」
バケモノの口が裂けたようにぐわっと開く。歯はない。そのまま駅舎の中に入ってくる。
「お、岡路、行くぞ……」
玲一は取り乱さないように、自分の震えを必死に抑えて歩き出した。東は頷き、黙ってついてくる。
「うっ」
「ど、どうしたんだい!?」
急に玲一の歩みが止まる。東は彼を追い越し、振り返って尋ねる。
「分からない。でも、なんか動けないんだ」
確認をしたいが、奴と目が合ったりでもしたら大変だ。そのため玲一は振り返ることができない。
東の隣にいたバケ子はハッと息を呑み、玲一に届くギリギリの小声で言う。
「レイイチ……カバン引っ張られてる……」
「嘘だろ……」
バケ子の言う通り、バケモノは玲一のリュックをがっちりと掴んでいたのだった。




