20話:夜が明けて
その日はそれから記憶がない。
感情が高ぶって疲れたのか、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
「……朝」
日の光で目が覚めた。位置的に一晩中クーラーの風にあたっていたためか、昨晩叫んだからか分からないが、喉の調子がおかしい。寝ている中無意識に手を伸ばして取ったであろう布団をベッドに戻す。
「……」
明楽を抱きしめた感触が手に残っている。彼女は確かにここにいた。いなくなっても自分は覚えている。
せっかく会えたのに。せっかく思い出せたのに。そう思うと、また悲しくなってくる。
『わたしのことはもういいから。レイイチはレイイチとして、生きて』
彼女はそう言っていた。いつまでもこうしてはいられないのは分かっている。分かっているが、体を動かせない。
いつかはこうなることは分かっていた。覚悟はしていたつもりだった。
だが最後の彼女の顔が、満足した顔ではなかった。
玲一を心配させまいと、綺麗な目から涙を溢れさせながらも無理やりに笑おうとしている顔。声を震わせながら元気に振る舞おうとしていた。
それがどうしても納得できなかった。
「……うう」
やるせなさで情けない声を出す。
時計を見る。午前11時半。大学に行く時間はとうに過ぎている。だがそんなことなどには微塵も興味がない。
誰のおはようも何もない、静かな朝。こんなことは数ヶ月ぶりだった。朝ごはんを食べても、歯を磨いても、荷物を用意しても、ずっと一人。
洗面の鏡に映った自分は、腫れた目をしていた。今にも死にそうな表情。いつもなら隣で大笑いする彼女がいたはずだ。自嘲気味にふふっと笑い、顔を洗う。
家を出る前、リビングの入り口に立って部屋を見渡す。幽霊一人いないだけで、こんなに広く感じるとは。
駅に向かう足取りは重い。何も話すことのない数分間がいかに退屈だったか思い知らされる。
電車に揺られながらスマホを開く。ただでさえ乗客が少ない車内は、昼前なこともあって誰もおらず、玲一の貸切状態だった。
「……150件?」
通知が溜まりに溜まっている。
麗美と東が姿を見せない玲一に向けて連絡を入れ続けていた。件数が多い麗美の方を見てみる。
『今日は休み?』
『昨日はお疲れ様』
『珍しいね』
『遅刻とか』
『起きてるー?』
『大丈夫ー?』
『ケータイ見てー』
『どうしたのー?』
『起きてるー?』
『生きてるー?』
『(・ω・;)』
そこから先は全部『おーい』の一言が並んでいる。東の方も同じような内容だった。
「……ははっ」
悪いことをした。それぞれに『今から行きます』と返しておいた。
スマホを閉じ、ポケットにしまう。玲一はだんだん落ち着いてきた。窓から見える外の景色はなんだか新鮮に見えた。御多根に近づくにつれ、貸し切りだった車両にも次第に人が増えていった。
駅を抜け、大学構内に入る。行くべき場所は、連絡をもらっている。
「おはようございまーす」
大学についた玲一は、彼らがいるという講義室にやってきた。見慣れた三人がそこにいた。
「あ! 来た!」
「一体どうしたんだい。心配したんだよ」
「よかった。五十嵐先輩から連絡もらった時は何事かと」
東と、麗美と、そして何故か優がいた。
「あれ? 三枝内さん? どうして? 学校は?」
「試験だったから早く終わったの。だから大学まできたんだから」
「明日も試験だろ? わざわざごめんな」
「れ、玲一くん!?」
彼の名前を叫んで、ジンが目の前に現れた。以前の傷はすっかり癒えたようだ。
「あ、ジンさん。お久しぶりです」
麗美は彼を見たことがないのか、小声で優に「誰、これ?」と尋ねている。長い付き合いだろうに、説明していなかったのか。
「呑気に挨拶をしている場合ではないぞ。霊力が不安定になっている……。まさか……」
「まさか、悪霊に攻撃を受けたっていうの!?」
ジンの言葉を遮って優が前に出る。昨日の今日ので玲一の危険に敏感になっていた。
「ならば今すぐにでも神社に行かないと――」
慌てたジンの手が玲一に当たる。
「!?」
ジンの表情がさらに驚きに染まる。
「霊体である俺に触れるようになっている……!?」
「えっ!? でも岡路さんも最上さんが見えてるはず! そうですよね!」
「あっ、う、うん。バッチリ見える……けど」
「つまり、半霊体……!?」
皆が騒ぐ中、優ははっと息を飲んで、玲一に尋ねた。
「除霊符を自分に使ったの……!? どうして!? 死ぬかもしれなかったのよ!」
「あのー。そういえばバケ子ちゃんがいないような……」
麗美が小さく手をあげる。確かにそうだ、と優は尋問を止める。
「そのことについて、まとめて話すよ」
玲一は昨夜のことを話しはじめた。
◆
「そんな……バケ子ちゃんが……」
「透川明楽さん……バケ子ちゃんの記憶が戻ったのね」
「……」
彼らは玲一の話を聞いて、玲一同様悲しんだ。誰も急な別れになることは予想していなかった。
「バケ子……いや、アキラはもういないんだ。これからは……俺一人だ」
玲一は寂しげに言った。心配させまいと無理やり作った笑顔は今にも崩れてしまいそうだ。
「ん?」
ジンが何かに気づいた。
「玲一くん、それは? その鞄の中にある……」
「それ? ああこれですか」
玲一はジンに言われるがまま、お守りの束を取り出した。全て外し、指輪だけにする。
「これがその指輪ですよ。俺とあいつの……」
やっぱ気になりますか、と玲一は皆の前に指輪を見せつける。しかし、そうではないとジンは首を振った。
「違う。霊力が……」
「え?」
玲一が聞き返すと同時に、指輪に気配を感じた。
「えっ、何……うわっ!」
指輪を持った手に衝撃が走る。
「はあー! よく寝た!」
高い声が部屋内に響く。よく聞いた声だ。
玲一はばっと顔を上げ、そちらを凝視する。見慣れた姿の少女が伸びをしていた。
「ええ……?」
玲一は思ったように声が出ない。
もう反対側が見えるほどの透明度ではない。足もある。
「バ、アキラ……どうして。消えたはずじゃ……」
「わたしもそう思ったんだけど、なんか大丈夫だったの」
「なんか大丈夫だったの、じゃなくて……。寝てたって……どういう……」
玲一は途切れ途切れになりながら彼女に質問する。
「指輪から出たりする方法がなかなか分からなくて。あ、レイイチが寝ちゃった後、布団かけてあげたでしょ? 感謝してよねー」
「……そう……だったのか」
玲一は腰が抜けた。机にしがみつき、明楽と目を合わせる。そしてふふふっと笑いが込み上げた。
「そうだったのかあ! はっはっは……! 消えてなかったんだな! 良かった……!」
ジンは指輪を手に取って見て、言った。
「ははあ。玲一くんが長い間大切に持ってたからだ。地縛霊ではなく付喪神になることで現世に留まることができたんだ」
彼の言う通り、指輪は依代になっていた。部屋の霊力が乱れたことと記憶を取り戻したことで地縛霊ではいられなくなったが、同時に指輪に宿る付喪神になったのだ。
「え、わたし、神様ですか!?」
「いや、幽霊の一種であることは変わりない」
「なあんだ」
彼女は机に寄りかかって立つ玲一の前に立った。
「……なんだよ」
「昨日あれだけ盛り上げたんだけどねー、実はねー、わたしが思い出したのは名前だけなんだよね。死因とか未練とか、そういうのはまだ分からないままなんだ。ってことで、これからもよろしく!」
そして昨夜のことを思い出したのか、少々恥ずかしそうにしながら、いつもと変わらない調子で言った。
「レイイチ、おなかへった!」
相変わらずの彼女のノリに、玲一は安心感を覚える。ふっと笑い、差し出された彼女の手をとる。
「よし、丁度昼だ。寝起きらしいけど大丈夫だよな? 飯食いに行くぞ!」
明楽は満面の笑みで頷いた。




