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18話:思い出話


 あれは何メートルくらいまで飛んだのだろうか。

 玲一は、テーマパークのフリーフォールやバンジージャンプは経験したことがなく、観光タワーにすら行ったことがない。今まで高所とは無縁とも言える生活をしていたため、その辺りの感覚は鈍い。

 といっても自分が飛ばされたと気づいた時にはすでに降下は始まっており、更にそれに気づいてから数秒も経たない内に海の中だ。そんな一瞬のうちに処理できない。


「最上さん!」


 また誰かに呼ばれている。聞き覚えがある声だ。

 だんだん感覚が戻ってくる。照りつける太陽光を全身に浴びているせいか、暑い。それだけでなく、背中や後頭部が痛い。硬い何かに横たわっているのだろう。


「レイイチ!」


 今度は別の声だ。この声はよく知っている。


「う……」


 返事をしようとするが、口からは呻き声と息が漏れるだけだった。目をゆっくり開けると、三人の女が玲一の顔を覗き込んでいた。


「あ、返事した! 返事したよ!」

「玲一く〜ん、生きてる〜?」

「大丈夫!? 最上さん!」


 横になった玲一の、左右と頭方向から別々に声がする。


「俺、生きてる……」


 それは三人への報告であり、自分自身への確認。死を覚悟したが死んではいない。


「よかったあああ!!」

「うっ!」


 優は玲一の胸に飛び込む。玲一と同じく全身水に濡れているところを見るに、玲一を浜まで引き上げたのは彼女らしい。


「大袈裟だぞ……」

「そんなことない! バケ子ちゃんから泳げないってこと聞いた時にはもう……」


 優は顔を隠してふるふると震える。麗美は優を後ろから優しく抱きしめる。


「そうだ、あの悪霊はどうなりました!?」

「優がちゃんと倒したよ〜。玲一くんが吹っ飛ばされたの見た優、すごく怖かったんだからね。もうめっちゃキレてた」


 麗美が思い出し笑いをする。そして少し言いにくそうにこう付け加えた。


「で、玲一くんが泳げない件についてなんだけどぉ……最近はお風呂で溺れかけてたってほんと? すごくむせてて、いかにも死にそうだったらしいけど」

「……余計なことを。おいバケ子ォ」


 幽霊少女を探す。二人と逆の位置に、彼女もまたひどく心配そうな表情で座っていた。


「全く、お前は――」


 彼女の姿を見た途端、記憶が頭の中を駆け巡った。トウカワアキラとのやりとりが鮮明に蘇る。今の今まで忘れていたが、それは間違いなく実在した出来事だった。

 そしてその舞台となった場所がまさにここ、浦美浜だった。道路側の高い堤防、長く続く海岸、そして今寝かされているコンクリート階段から見下ろすと記憶の中と同じ水道があった。


(俺は、昔ここに来たことがある?)

「……っ!」


 吹き出る汗は夏の暑さのせいではない。目覚めたばかりだが、また気絶しそうだ。


「レイイチ? どうかした?」


 目の前で首を傾げる仕草はあの少女と全く同じだった。


「お前……」

「へ?」

「どうしたの?最上さん?」


 しばらく泣いて、落ち着きを取り戻した優が尋ねる。


「玲一くん、溺れておかしくなっちゃった?」


 優の隣で濡れた服の裾をはためかせて乾かす麗美が尋ねる。横槍を入れるタイミングが悪い。玲一は深呼吸し、海を眺めながら言った。


「俺が泳げなくなったのは、海で溺れたことあるからなんですよね。ほんっとに子供の時。それ以来、ちょっと水と相性悪いみたいでね」


 「なにそれー」と笑う麗美。そんな彼女をとがめる優。ぼーっと聞くバケ子。


「その時のことを思い出したんです。俺は昔ここに来てたんだ」


「えっ?」


 三人の声が重なった。



 一行は神社の隣にある大葉の家に上がらせてもらっていた。濡れたままで風邪をひくといけないからと、優が大葉を頼ったのだ。優の頼みならばと、彼は快諾してくれた。

 海水を落とすのに風呂場を借りた。着替えて脱衣所を出ると、バケ子が待っていた。


「ふふ、着替え持って来ててよかったね」

「皮肉かよ」


 彼女らにはトウカワアキラのことは話さなかった。玲一が昔、浦美浜で溺れて怒られたということだけを伝えた。

 あの記憶が本当のものであるとすれば、彼女はきっと――


「ん?」


 長い廊下をバケ子と共に歩いていると、先にメガネをかけた中年の男が立っていた。彼が浦美神社の宮司、大葉だ。

 彼はにこやかに会釈する。先程挨拶しただけの間柄だ。緊張しながら、玲一も頭を下げる。


「すいません。お風呂もタオルもお借りして、ご迷惑をおかけしまして……」

「いや、いいんだ。それより霊にやられたところは……大丈夫そうだね」


 大葉は玲一の頭のてっぺんから足の先までを見て言った。何を見てそう言ったのかは不明だが、とにかく霊感のある宮司の言葉だ。説得力と安心感がある。

 彼らは優たちが待つ部屋に向かい、廊下を歩きながら話す。


「生きている人が良くない霊に染められてしまうと、清めないといけなくなるんだ。優ちゃんに聞いたかな? 私も危うく殺されてしまうところだったんだ。あれほどまでに攻撃的な霊は初めてだったから焦ったよ」

「やっぱり今までにも幽霊を何人も見てるんですか?」


 玲一の質問に、大葉は立ち止まった。そしてすぐ側の棚に置かれた大量の人形のうちの一つを手に取った。玲一も不気味さを感じるくらいだが、バケ子は案外平気そうだった。


「私は見えはしない。感じるだけだ。神に仕える者として彼らに向き合ってきたが、人に憑いたもの、物に憑いたもの、さまようもの、様々だね。君も連れてるんだろう?」


 大葉は横を向き、玲一の周りを見渡した。玲一はバケ子の方をちらりと見る。


「そこにいるんだね? でもどんな姿をしているのか、私に分からない」

「その人形たちにも憑いてたんですか」

「ああ。だがそんな悪いもんじゃないんだ。たいがいの子は持ち主との思い出を見せてくれるんだ。ただ、ちょっと寂しかったんだろうなあ」


 人形を軽く撫でて元の場所に戻し、大葉はまた歩き出す。


「死後も現世に留まる幽霊は、思い出が形を持ったようなものだから」

「幽霊は記憶でできてるってやつですね。あの、記憶喪失の幽霊って、あり得ますかね?」

「……少なくとも私は知らないね。それこそ良くない霊――優ちゃんが言う、悪霊がそうだね」

「……」

「そうだ。優ちゃんといえば、あの子をよろしく頼むね。なにかと無茶をするだろうから」

「ああ、まあ、そうですね。三枝内さん、明日試験だってのに除霊の方取りましたからね……」


 それを聞いて大葉は頭を抱えていた。

 廊下を抜けてすぐの右手の部屋に、優たちは待っていた。


「お待たせしたね」

「あ、大葉さん、突然押しかけてすみません。ありがとうございます」

「いやいや、こちらこそありがとう。あの霊を祓ってくれたんだろう? 危ないことを頼んでしまってすまないね」

「いいんですよ。私が好きでやってることなんで」

「でも試験前なのに来るのはどうなんだろうね……」


 彼は、優が霊を視認できるようになって初めてできた理解者。そして、良くない霊――つまり悪霊のことを優に教えた人。玲一はそう聞いている。


「霊を祓ってまわるのも程々にね。優ちゃん、残りのお札は何枚なんだい?」

「三枚になりました。さっきの戦いで何枚か使っちゃって」

「ええ。それは使いすぎだよ。ほら、新しいの持って行きなさい」

「ありがと、大葉さん」

「うん。大切にしておくれよ。そんな次々に用意できるものじゃないんだからね。それじゃ、私は神社の方へ出るからね」

「あの」


 玲一は大葉を呼び止めた。そして共に部屋を出て、小声でこう質問した。


「大葉さん、トウカワアキラという女の子の名前、聞いたことありませんか? この辺りに住んでいたと思うんですけど」

「トウカワ……」


 大葉は眼鏡をくいっと上げて眉をひそめる。そして数秒後、パッと表情は明るくなった。


「ああ、ああ。思い出した。何年前だったかな。この辺りの人がたくさん引っ越したことがあったんだ。その中の一人にそんな子がいた気がするなあ」


(引越した?)


「あ、ありがとうございます……」

「うーん。協力できなくて悪いね。何か思い出したら連絡させてもらうよ」

「は、はい! これからもなにかあったら、ここに来てもいいですか」

「いいよ」


 大葉は笑って了承してくれた。


「玲一くん、何話してたの?」


 部屋に戻ると麗美が尋ねてきた。


「いや、改めてお礼をな」

「へー、律儀だねー」

「今日やることは終わったんだろ? 俺たちも帰ろうぜ」


 玲一たちは荷物をまとめ、解散した。



「ねえ、レイイチ、大葉さんと何話してたの?」


 部屋の電気をつけると、バケ子はそう言った。麗美たちと戯れていると思っていたが、よく見ている。


「なんだよ、急に」

「何かわたしに隠してることない?」

「ないよ、そんなの」

「嘘。だって溺れて目が覚めてから、わたしの顔見るたびに何か考えてる」


 事実だ。バケ子の顔を見るたびに、記憶の中のトウカワアキラが出てくる。二人が玲一の心を乱す。


「お、お前の気のせいだ。飯買ってくるわ」

「ちょっ、レイイチ!?」


 玲一は耐えられなくなり、部屋を飛び出した。バケ子は彼を追おうとする。無情にも扉は閉じ、鍵がかけられた。

 その時、ふと携帯電話が揺れた。彼女は机の上を見る。


「あっ、レイイチの忘れ物……」


 画面を覗き込む。どうやらメールが一件届いたようだ。


「えっ」


 バケ子は動揺し、尻餅をつく。そこに書かれていた言葉の意味は理解できなかったが、なぜか知っている気がした。


「どういう……こと……」


 そして彼女はゆっくり目を閉じた。

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