11話:お礼に
玲一の部屋に上がった優は、部屋の机の前に正座していた。
「なんだよ。そんな改まって。……あ、麦茶しかないと思うけどいいよな? バケ子、机の上片付けてくれ」
「はいはーい」
「お構いなく。さ、さっきは悪かったわね。急にあんなことしたりして……」
恥ずかしいのか、まだ少し赤い目を前髪でわざとらしく隠している。プリンを食しながら「あんなことって?」と尋ねるバケ子に、玲一も優もはっきりとしない返事をして誤魔化そうとする。
「また悪霊が出たの? レイイチがやられてたとこを優さんが助けてくれたの?」
「あ、今回は逆なの……」
冷蔵庫から瓶を取り出す玲一の手は包帯でぐるぐる巻きだった。かなりのダメージを負ったため、返戻符の固定のために優が巻いたのだ。
「ま、その辺はお互い様だからな。俺も前回は死ぬとこだったわけだし」
そう言いながら机に麦茶を置くと、優はそれを一口飲んだ。バケ子は「わたしのぶんは?」と玲一に圧をかける。
「あの。あ、ありがとう、さっきは。手、また怪我させちゃって、ごめんなさい」
「いや、いいって。それは前に守ってもらったお返しだ。言ったろ、お互い様って。これでチャラってことで!」
彼は明るくそう言って、また冷蔵庫へと歩いていく。
優は静かに頷く。また一口、麦茶を飲んだ。
「いや……すまない。俺が……もっとしっかりしていれば……良かったんだが」
「わっ!」
ジンがベッドの上に現れる。前回会った時よりも表情は険しく、顔色が優れない。声も苦しそうだ。
「急に現れないでください。それよりジンさん、大丈夫なんですか? 三枝内さんによると心臓貫かれたとか!」
「俺は、優が無事なら回復できるからな。ほら、もう見た目は元通りだ。だが、どうも完全じゃないからか、こうやって出てくるのは少しつらい。あ、麦茶はいらないぞ。すぐに戻るからな」
「じゃ、なんで出てきたんすか」
玲一は持ってきた茶をバケ子に渡す。そしてもう片手に持ったものを自分で飲み、ジンに尋ねる。
「玲一くんに一言お礼を言いたくてな」
ジンはうっと苦しそうな声を上げながらも、その場に姿勢を正して座った。そして、玲一に頭を下げた。
「優を守ってくれたこと、大いに感謝する」
「や、やめてください。あんた神様なんでしょ。頭下げちゃダメですって」
「優を助けたことは、俺を助けたことと同義だ。ありがとう。玲一くん」
そう言って、ジンはふつと消えた。
「一晩あればジンさんの傷は癒えると思うわ」
「それは良かった」
「ねー。レイイチ、もう一個持ってきて」
玲一がコップを片付けようとすると、バケ子は大事に食べていたプリンの容器を机の上に置いた。ついでに、というわけだ。
「バケ子ちゃん、こんな時間に食べたら太るよ?」
「ああ、こいつは太らないから。食わさなきゃまた暴れるんだよ。隣とか上とか、周りの部屋は空いてるから迷惑にはならないと思うんだけど。これ買いに俺は出かける羽目になったんだ」
「むー」
優に送られたメールの内容――バケ子が暴れた原因は、彼女が置いていたプリンを玲一が勝手に食したのが原因だった。散々暴れたが、コンビニまで買いに行くということで大人しくなった。
「ま、そのおかげで三枝内さんを助けられたわけなんだけどな。いきなりあんなとこに出くわして、びびったぞ」
「ほらあ。よかったじゃん」
「結果論だ」
「……最上さん」
優は玲一を呼ぶ。玲一は大真面目な顔をした彼女の正面に座る。
彼女は二枚のお札を取り出し、机の上に置いた。「これは?」と尋ねる玲一に、彼女は頷き説明する。
「除霊符と返戻符よ。一枚ずつ渡しておくわ」
「なんで俺に?」
「さっきのお礼代わりのプレゼントよ」
「プレゼ……かなり渋いプレゼントだな。いや、便利だしすごいんだろうけど」
「それと心配になったから。最上さんと会ってから見たことないレベルの悪霊が出てくるようになったの。さっきのも……そう」
あの感覚を思い出したのか、優の顔は下に向き、肩が震えている。
「私、最上さんに怪我して欲しくないの。次無茶したら死んじゃうかもしれない。だから、もしも必要になった時はそれを使って。もちろん連絡をくれたら出来るだけすぐに駆けつけるわよ。それにジンさんも悪霊の気配を感じられるから、連絡がなくても分かる。けど、それでも間に合わないこともあるかもしれないでしょ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなこと言って、三枝内さんは大丈夫なのか。今回は間に合ったから良かったけど、次は……」
「平気よ。今日は偶然が重なっただけ。暗くて、明かりもなくて、道が狭くて、ジンさんも考え事しててやられて……ってね! 次は大丈夫よ!」
立ち上がる優。その足はまだ震えている。玲一とバケ子は顔を見合わせる。心配そうなバケ子。玲一だって心配だ。だが、これ以上は何を言っても無意味だと、彼は説得を諦めた。
「じゃあ、使い方を教えてくれよ。俺も三枝内さんみたいにスマートに除霊したいんだ。毎回怪我するのも嫌だからな」
玲一は包帯の巻かれた手を優に差し出して見せた。
「あ、除霊符は霊力が――」
「そう。その霊力ってのもなんだ? 一個一個単語から説明してくれ」
「あー。霊力っていうのはね、私が勝手につけた名前なんだけど……」
「恥ずかしがるなよ。俺よりはセンスいいんだろ」
「もしかしてバケ子ちゃんの名前の件、根に持ってる?」
「持ってない。だから説明はよ」
優はこほんと咳払いをする。
「分かりやすく霊力って言ってるけど、霊力はパワー的なものじゃないわ。私は波長だと考えているの」
「波長? あの上下に揺れるグラフの波長? 音とかの?」
玲一は指で空中に波を描く。
「ええ。私たち生きているものの波長と、幽霊たち死んでいるものの波長は本来互いに干渉することがないはずなの。だから肉体は霊体を、霊体は肉体を触れない。無生物はその中間、微妙な位置にあるの。生きているものが触れれば肉体側に、死んでいるものが触れれば霊体側に波長が合うのね。この時、普通の人は幽霊が掴んだものも見えなくなる」
「なるほど?」
玲一は、すり抜けるバケ子の腕に右手を何度も往復させた。そしてバケ子の持つスプーンを持とうとすると、それもすり抜けた。
「レイイチ、わたし本体に触ってなくても変な感じはするんだからね。あんまりしつこくしないで」
「おっ、すまん」
「そして、悪霊は強ければ強いほど性質が無生物に近くなる。その理由は分からないけれど、とにかく霊体にも肉体にも干渉できるわ」
「人も物も霊も、全部に攻撃できるやつがその辺を歩いてるってのは、よく考えたらめちゃくちゃヤバいな」
玲一は優の説明を聞き、今まで自分がどれだけ危険な状況にいたかを再認識した。もしかしたら自分は無知だっただけでギリギリの橋を渡ってきたのかもしれない。そう考えると冷や汗が出た。
「それを倒すためにあるのがこの除霊符よ。霊力の波長をめちゃくちゃにして、悪霊を消し去るの。強い衝撃を与えたら発動するから気をつけてね。そして一度発動したら使えないわ」
「えっ、怖っ! 俺、一歩間違えたら死んでるじゃねーか! そんなので二回も怪我してんのか俺は!? うわ知りたくなかった! 聞きたくなかった、それは!」
さっと血の気が引いた。悪霊の波長の話どころではない。未だに少し痛む右手はその死の可能性をくぐり抜けた証なのだから。
だが、優はそれを否定した。
「違うわよ。霊力をめちゃくちゃにして悪霊が消える理由は、肉体がないからよ。生きている人なら肉体も霊体もあるでしょ? 体と魂。だけど、肉体が崩壊した後の霊体まで効果が残ると消えちゃうから」
「あっ、そっかあ……。って、じゃあ俺の手は肉体から霊体になりかけてるってことか!?」
「そうね。そこまで影響はないから、まだ無生物直前レベルってところかしら。でも、そこはこの返戻符の出番。返戻符は波長を元に戻す力を持ってるのよ」
「ははあ……」
「出番がないと思ってたからそんなに持ってないわ。つまり、貴重よ」
「そんなすごいものレイイチに渡していいの?」
「いいのよ。最上さんを信頼してるから。バケ子ちゃんは除霊符に触らないでね。最上さんも気をつけ……なによその顔」
「いや、別に」
信頼している。この言葉に、玲一はなんだか変な感情を覚えた。
「これでだいたい説明は終わったわ。私にはジンさんがいるから、霊力をコントロールして除霊符を扱えているんだけど、最上さんはそうはいかないと思うわ」
「つまり俺は、自分も除霊符のダメージ受けながら除霊しろと?」
「うん。だから、本当にどうしようもなくなった時に使って。いい? 前回と今回はたまたまダメージがあまりなかっただけなんだからね。あれ以上やるとほんとに死んじゃうし、消えるかもしれないのよ」
優はなんども除霊符の危険性について脅す。
「何度も言ってるように、私に連絡してくれれば除霊しにくるから。連絡がつかなくてもとにかく逃げてくれればいいわ」
「ん。分かった」
「本当に分かった? なんか不安〜」
「分かってるよ。俺を信頼してるんだろ」
玲一は二枚のお札を棚の上に置いた。
「じゃあ、私はこれで」
「かなり遅い時間だぜ。ついていこうか?」
「大丈夫よ。帰ったら連絡するわ」
「ほんとか?」
「くどい!」
優から帰宅のメッセージが届いたのは、それから15分後のことだった。
そういえば家はこの近くなのか。玲一はお疲れ様の言葉を返信し、スマホを閉じた。




