表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/26

9話:死者の未練


 少し経ち、パニックになりかけていた文はようやく落ち着いた。食事が終わり、彼女は口を開いた。


「さっきはすみませんでした」

「なにがあったか、話してくれるか? さっきの様子は普通じゃないだろ」

「実は、私が死んだのって、虐待が原因なんですよね」

「うおっ、重い重い。食後に聞くには重い」


 玲一は洗っている食器を落としそうになった。こうした返答ができるのも、暗い過去を文があっけらかんと話したからだった。


「学校でも虐められて、家でも虐められて、いいことなんてなかった。死んでやっと自由になれたと思ってたんです。でもやっぱりうまくはいかなくて、何回も死のうとして。バカですよね、私。もう死んでるのに」


 話し方は明るいが、内容が内容なだけに空気は重く、暗い。玲一もバケ子もなにも話せなくなってしまった。それを察してか、意図せずか、彼女はふと立ち上がり、言った。


「さあ! もう暗い話は終わりましょう! 今日一日は好きにさせてもらいますよ! 次はお風呂! 一緒にお風呂入りましょ、最上さん! アパートで別れてるお風呂って珍しいじゃないですか!」

「一緒には無理だ」


 一蹴する。


「じゃあ、バケ子ちゃん!」

「え。わ、わたし?」

「よろしくね!」

「待って待って!? わたしまだいいなんて言ってな――」

「問答無用ーっ!」


 文は玲一の陰に隠れようとしたバケ子を引っ張り、抵抗する彼女の服を剥ぐ。もう脱衣所から出ることはできない。


「な、なんでーーっ!!」


 玲一は食器を洗い終わり、扉の向こうの風呂場で騒ぐ二人の声を聞いていた。



「あったかいお風呂って気持ちいいもんだねー」


 水の音だけが満たしていた浴室に文の声が響く。シャワーを使うこともあまりなかったようで、ひねると温かい湯がでるシステムに感動すら覚えていた。

 文の率直な気持ちなのだが、彼女の生前の家庭でのことを想像し、バケ子は簡単に返事ができないでいた。


「バケ子ちゃんは、最上さんと暮らして何日くらいなの?」

「まだ一ヶ月くらいですけど」

「えっ。そうなんだ。もうずっと前から知り合いだったみたいな雰囲気出てたよ」

「えっ。そうですか?」


 バケ子は思わず笑みを浮かべる。それを文に見られたくなかったのか、背を向ける。


「バケ子ちゃんはなんで幽霊になったの? 私みたいに……悪い過去でもあった?」

「分からないんです。わたし、記憶喪失なので。なにか思い出したい。わたしはどこの誰なのか、それを知りたくてレイイチと一緒にいるんです」

「ふうん」


 バケ子の顔を一瞥し、文はしばらく考えてから唐突に言った。


「あのさ、バケ子ちゃんは最上さんのこと好きなの?」

「なっ、えっ、どうして!?」


 慌てたバケ子は、かつての玲一のように湯船に沈みかける。大丈夫かと文は彼女の手を取り引きあげた。


「見てたら分かるよ。べたべたする私に敵意剥き出しだったじゃない」

「う……でも、違います。好きってわけじゃ……」


 文の手を握ったまま、半分顔を沈めてバケ子は壁のほうに視線を送る。


「でも大切な人ってことは変わらないでしょ? さっき、記憶を取り戻したいって言ってたじゃない? それってさ、辛くない? 思い出したら終わっちゃうじゃん。最上さんとずっとこのままでって思わない?」

「それは、そうですけど……」

「こんなふうに触れないのって寂しくない?」


 握った手の指を絡め、バケ子の耳元で囁くように文は言う。


「うわっ!」


 文の手を振りほどき、逃げるように移動する。そうして空いたスペースに文が入ってくる。二人ではかなり窮屈になった。


「……なんでレイイチなんです。生前面識があった……とか?」

「いやいや、全然そんなことないよ。さっき会ったばっかり。でも、ちょっと、本当に好きになってたかも」

「じゃあ、どうして」


 目を合わさずに会話する二人。

 バケ子の質問に、文はふふっと笑った。


「理由は単純。私を見てくれたから」

「見てくれた?」

「生きてるうちには、誰も私を見てくれなかったから。みんな見て見ぬ振りして、どこにも居場所がなくて。悔しかった。それが、最上さんは私のために全力で走ってきちゃって。ああ、私を心配してくれてるんだって思って。嬉しくて」


 そして文は「最上さんには全く恋愛感情なんてなかったみたいだけど」と付け加えた。


「私ももっと……もっと……」


 文の感情が背中越しに伝わってきた。文の体は震えている。


「もっと……生きてたら……何か変わったのかた……」


 ほろほろと涙を流す。


「いけない、泣いちゃ……」


 顔をおさえて涙を止めようとする文を、バケ子は背後から抱きしめた。


「いいですよ」

「……え?」

「今まで我慢してたんですよね。もう、泣いていいんですよ」

「……うん」

「もう強がることはないです。わたしが全部聞きますから」

「うん」

「ほんとは死にたくなかったんですよね。足、震えてましたもんね。死んでいてもやっぱり怖いものは怖いですよね」

「うん」


 泣き声だけが響いていた。


 二人は話した。生前のこと。やり残したこと。嬉しかったこと。悲しかったこと。幽霊になってからのこと。

 どの話題についても、文は感情をさらけ出していた。


「あーあ。泣いたらすっきりしちゃった。誰かとこんなに話したのっていつぶりだろ」


 文は泣いて顔が赤くなっていた。

 気づけば彼女の体は透けてきている。いつのまにか透明度はバケ子を超えていた。


「文さん……?」

「もう、満足しちゃった。あったかいご飯とあったかいお風呂、そしてなんでも話せる友達。全部体験しちゃったから」


 その笑顔は晴々としていた。


「私はバケ子ちゃんを応援してるよ。なにか思い出せるように。あと、最上さんとうまく行きますようにってね」

「あっ、ありがとうございます」

「じゃあね……」


 ありがとう。


 瞬きをしたそのうちに、文はいなくなっていた。


「行ったか」


 脱衣所の方から玲一の声がした。


「れっ、レイイチ!? いつからいたの!? 覗き!?」

「違うわ! 今来たとこだ。ずいぶん長いこと入ってたもんだから、心配したぞ。それと、タオル持ってきてやったんだ。で、どうなんだ。これでよかったのか」


 バケ子は一呼吸おいて、穏やかに言った。


「いいんだよ、これで。文さん、満足してたよ」

「そうか」

「だから、わたしも満足させてもらわなきゃねっ!」


 バケ子は扉越しの玲一に、とびきりの笑顔を向けた。当然彼からは見えない。


「はいはい。次がつかえてるんだから、早く出ろよー」


 そう言って玲一はリビングに戻る。

 未練、か。

 バケ子が幽霊としてこの世に残った理由は何なんだろうか。彼女の過去がどんなものかは分からない。もしかしたら文のようなものかもしれない。それでも取り戻すのがいいのだろうか。彼女はそれで幸せなんだろうか。

 そして記憶が戻った時、彼女は満足して消えてしまうのだろうか。最初に会った時からそれは考えていたことだ。だが――

 玲一は複雑な気持ちになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ