とある姉妹の話
百合のような描写がありますが恋愛や姉妹愛とかではありません。暗いです。
ライラはずっと孤独だった。
ライラ・ローズ・レディントン公爵令嬢として産まれ、八歳で第一王子の婚約者となった。ライラがライラだった事はない。常に重い肩書がついて回った。そして周囲は彼女を肩書でしか見ない。
「立派な淑女となり、王太子妃になり、王妃になりなさい」
繰り返し繰り返し両親から言われる言葉。積み上げられた本。堅苦しい礼儀作法。一つでも間違えれば叱責が飛ぶ。
周囲は子どもも大人も品定めするように見るばかり。子どもらしく遊び回る時間などライラにはなかった。
感情を抑えるのにも慣れきってしまった十二歳の時、妹ができた。
この国では珍しい艶のある黒い髪と大きな瞳。少女のはずなのに、大人びても見えた。
(まるで黒い百合みたい。可愛いけれど、少し怖いような……そうだ、この子の呼び名はリリーにしましょう)
試しにリリーと呼ぶと彼女はニッコリと笑った気がした。
「お姉様はいつも頑張っているのね」
本を読んでいたライラに隣でリリーが突然言葉を投げかけた。驚いて彼女を見た。リリーは確かに微笑んでいる。ライラはぞっとしたが平静を装った。
「これくらい普通よ。私はいずれこの国を背負う役目を持っているんだもの」
「でもお姉様お辛そうだわ。ずっと頑張るのは、誰だって辛いもの」
「まさか」
「無理しないで」
そう言うとリリーはライラの頭をなでた。
「偉いわお姉様。偉い偉い」
何故か心地よい。
「お姉様とっても偉いわ」
数年ぶりに涙が出てきた。
「お姉様!ご入学おめでとう!」
「ありがとうリリー」
春、ライラは王立学園に入学した。三年後には卒業と同時に第一王子と結婚という運びになっている。
「あら?ブルーノ様かしら」
リリーが少し先にいる赤毛の生徒に視線を向ける。ブルーノ第一王子、ライラの婚約者である。
しかし彼は薄紅色の髪の毛の少女にハンカチを渡していたところだった。リリーの顔色が変わる。
「お姉様、あの子少し馴れ馴れしくないかしら?」
「そう?ハンカチを渡しただけでしょう」
「もう!男の浮気は些細なことから始まりますのよ!ほら、行きなさいなお姉様!」
リリーにせっつかれライラはブルーノの方に向かった。少女は既に去っていった。その後はいつも通りブルーノに挨拶し、歩きながら他愛のない話をした。
「聞いてくださいお姉様!ブルーノ様ったら、あの男爵令嬢と浮気しているんです!!」
「ど、どうしたの?落ち着いて」
春の終わり頃。庭のベンチに座り穏やかに春の花を見ていたところ、唐突にリリーが声が上げる。
「私は教室の隅で二人っきりで話していたのを見ましたのよ!仲睦まじそうで、その……お姉様には申し訳ないのですが」
リリーは深刻そうな顔でブルーノとチェリーの浮気を口にする。ブルーノは誠実な人物だ。だがそういう噂があるのもライラは知っていた。
「その令嬢はどんな方なのかしら?」
「チェリー・クィンという名前なのですが、彼女は他にも様々な男性に近づいては愛想を振りまいているんです。正直周囲にも悪影響があるのではないかと……」
「わかったわ。私からその令嬢にきちんとお話しましょう」
「わぁ、さすがお姉様だわ!」
リリーはライラに抱きつく。ライラはリリーの黒髪を愛おしそうに撫でた。柔らかく触るだけで気持ちがいい。
「嬉しいわお姉様。だっこ大好き」
「ふふっ。可愛いこと」
その様子を見て周囲は驚き固まっていたが、ライラは気にしなかった。
ライラが廊下を歩くとそれだけで周囲の生徒たちは反応する。緊張する者、見惚れる者、噂をする者。ライラは意に介さず真っ直ぐに教室に向かう。
「ご機嫌ようクィン嬢」
驚いて顔を上げたチェリー。確かに顔は可愛らしいとライラは思った。意外にもチェリーはすぐに立ち上がり、恐る恐るながら丁寧に尋ねる。
「あの、申し訳ありませんがどなたでしょうか?」
もっと生意気そうな性格を想定していたライラは少しだけ拍子抜けした。
「ライラ・ローズ・レディントンと申します」
「あ……チェリー・クィンと申します」
「そう。クィン嬢、いいですか?婚約者がいる男性にみだりに話しかけるものではありません」
急な説教に対しチェリーはぽかんとした顔をしている。
「え?わ、私そんな事は」
「婚約とは家と家の繋がり。もし何かあれば、貴女の大切なご家族にも迷惑がかかるかもしれないのですから」
「家族……」
「特にブルーノ様に今後は近づかないように。彼は王族よ?理解できるかしら?」
ライラが諭すように言うとチェリーは顔を青くして頭を下げた。
「申し訳ありません」
「理解してくださったなら今日はそれで結構です。今後は気をつけてください」
「はい。ありがとうございます。これからは気をつけます」
頭を下げたまま反省の意を述べるチェリーを見て、ライラはとりあえずは様子を見る事にしようと思った。
ライラが去った後、教室はひそひそとした声に包まれる。チェリーは制服のリボンを握り、その声に耐えるしかなかった。
一月後、姉妹でお茶会をした。
「お姉様の説得であの子も目立ったことはしなくなりましたわね」
「私は当たり前のことを申したまでです。とにかく落ち着いてよかったですわ。さぁ、食べて」
テーブルには周囲の生徒がうっとりと見つめるほどの、高級で美しい菓子と香り高い紅茶が並ぶ。ライラにとってはリリーが好物のマカロンを見て笑顔でいる事が一番重要だ。リリーの笑顔を見れば頑張れる。この後の厳しい王妃教育も、明日の気の進まない相手がいるパーティーも。
ふと気がつくとリリーがライラを黒い瞳でじっと見つめていた。
「どうしたの?」
すると、くすっと悪戯っぽく笑いライラに耳打ちをした。
「ちゃんと言いたいことを言えてお姉様は偉い偉いですよ」
事件は一週間も経たないうちに起こった。
ライラはブルーノと買い物に行く約束をしていたが、待ち合わせから十分以上が経った。不安になった彼女が教室へ向かうと、チェリーとブルーノが二人きりでいた。
「何て事をするんだライラ!」
気がつくとライラはチェリーを引っ叩いていた。彼女は倒れ込み、弾みで髪飾りが落ちて陶器の飾りが割れた。ブルーノはチェリーを庇うように間に入った。
「可哀想に顔が腫れて……クィン嬢と僕は関係ない!何度も言っただろう!?今だって備品を運ぶのを手伝っただけだ」
「この髪飾りだってブルーノ様の目の色と同じじゃないですか」
「偶然だ!」
「クィン嬢、私は注意しましたよね?無闇に婚約者のいる男性に近づくなと」
「誤解です。わ、私は第一王子殿下とは何も」
「お黙りなさい。最後の警告です。自分の身を律しなさい。そうでなければ貴女にも、ひいてはクィン男爵家にも災いが降りかかるかもしれません。爵位の順とは厳しいものですから。貴女は男爵令嬢、私は公爵令嬢。わかりましたね?」
チェリーは俯いたまま小さな声で「申し訳ありません」と言うと、破片を急いで拾ってハンカチで包み教室から出ていった。
「あまりにも横暴じゃないか!」
ブルーノは強い口調でライラに詰め寄るが、表情一つ変えない。
「悪いのはブルーノ様たちでしょう?」
さも当然のように話すライラ。怒りの表情のままブルーノは一つため息をつき、黙って教室から出ていった。
入れ違いにリリーが現れ、ライラは心配そうに見つめる彼女を抱きしめた。
「可哀想お姉様」
「でもね……ちょっと胸がすぅっとしましたわ」
「うふふ。いいじゃない。お姉様はずっとあの令嬢を虐めてるって噂に苦しめられてきたんだから」
「そうね……ねぇ、こんな私をリリーは嫌わない?」
「まさか!だってリリーのお姉様だもの!」
「ありがとう。そうね、これで二人が反省してくれるといいのだけどね」
だが二月後、事態はさらに悪い方向に進んだ。
「酷いわ……婚約白紙なんて!」
レディントン公爵からの手紙には国王陛下から婚約白紙について週末に話し合いをするということが書かれていた。さらにそれはブルーノの強い意向でもあることも。
寮の部屋で手紙を読んだライラの手は震え、次の瞬間に紙を握りつぶした。
「可哀想なお姉様……浮気をされた上に婚約白紙だなんて……!」
「嫌よ!私が国のために今までどれだけ努力したと思っているの!?これなら修道院に入ったほうがマシよ!」
泣き叫んだ後、顔を覆って俯くライラ。その頭をリリーの小さな手が撫でる。
「お姉様……私がブルーノ様を説得しましょう?きっとあのクィン嬢に騙されているのね。ここまで図太いなんて思ってもみなかったわ。行きましょう?ね?」
「騙されている……」
「そうよ、そうに決まってるわ!」
ライラは泣きはらした顔をゆっくりと上げた。
「だってお姉様は悪くないもの」
ライラはブルーノを探した。しかし教室、図書室、生徒会室、彼の居そうな場所を当たったが見つからない。彼女はイライラしながら廊下を歩いていた。
「心配しなくていい。学園長は公平な方だから」
「は、はい。私も面談で何度かお会いしましたが、殿下の仰るとおりだと思います」
ブルーノとチェリーが学園長室の前で話している。ライラは話の内容は耳に入っていない。ただ二人が一緒にいるのが問題なのだ。
「何度も忠告したというのに。結局しおらしい態度は噓だったのね」
後ろから低くした声をかけた途端、二人は同時に驚いた顔をして振り向く。
「レディントン様……」
「この事はクィン男爵に報告させて頂きます。学園にもいられなくなるでしょうね」
するとチェリーは制服の胸の部分を握りしめながらもはっきりと言った。
「わ、私も学園長に報告させて頂きます……レディントン様の今までの所業について」
「何を言っているのかしら?所業?まるで私が悪いみたいに言うのね?」
今度はブルーノがチェリーを守るように二人の間に入った。
「貴女が人の目が多くある中でクィン嬢を糾弾した事で周囲から避けられるようになった。さらにクィン嬢に嫌がらせを続けていただろう」
「あれはただ注意を促しただけ。それに嫌がらせ?そんな証拠もない馬鹿げた話を誰が信じるのですか?」
ライラが鼻で笑ったのを見て、ブルーノは首を横に振る。
「君では話にならないから、学園長に話す事に決めたんだ」
「あら、学園長は私の父の親友オリバー・グレイヴ・ワディンガム公爵でしてよ?」
「学園長は信じてくださると思います」
チェリーには確信があるようだった。ただの男爵令嬢が学園長を知るはずもないとライラは高をくくった。しかし。
「訴えられるべきはレディントン様、貴女です」
薄紅色の目はライラを睨んでいる。動揺した。かつて教室内で見た気の弱そうな感じは微塵も受けない。
「最初は父に、家族に迷惑がかかると思って何も言えませんでした。教科書を破られても、お茶をかけられても、悪口を言われても。でもあの時、祖母からもらった髪飾りが壊れた時……もう限界になりました」
ブルーノの前に出たチェリーは、ライラを見据えた。怒りと悲しみに満ちた目は今にも燃え上がりそうだった。ライラは息を呑んで思わず後ろに下がったが、チェリーは彼女に迫ろうとした。
「そこまでにしなさい」
ライラの後ろから、穏やかで低い男性の声がした。
建前では平等だが、事実学園は貴族社会の縮図だ。だから学園長は代々王族に近い公爵家から選ばれる。生徒間で何かあった時に介入しやすいためだ。とはいえ基本的には名誉職。オリバーが変わっているのは、彼が熱心に教育に関わろうとしている点である。
オリバーに学園長室に入るよう言われたのはライラだけだった。緊張しながら革張りのソファに座る。いつもならライラに穏やかな微笑みを向けるのだが、今のオリバーは真顔だ。モノクルの奥からの視線がまるで体を直接刺しているような気がした。
「単刀直入に言う。ジョナサン……いやレディントン公爵も承知済みだ。君は退学処分となる」
「どうしてですか!?」
「君はクィン嬢が何者か知っているかい?」
「婚約者がいる数多の異性に手を出すような方ですわ。その上ブルーノ様をたぶらかして婚約破棄をさせて、浅はかにも後釜に座ろうとしているのでしょう」
「それはそれは、小説みたいな話だな」
「彼女は……まさかクィン嬢が私の事を何か学園長に言ったのですか?彼女の言う事は全て噓です!」
必死に語るライラにオリバーは苦笑するしかなかった。
「クィン嬢は何も言っていないさ」
「じゃあ何故彼女の名を?」
「クィン嬢は陛下や私が設置しようとしている奨学金制度の試験生だ。制度は金の無駄だと騒ぐ奴らを黙らせるために厳しい条件を付けている。その一つが学園生活の監視だ」
ライラは急に勢いを失い唖然とした。
「あの子が?噓ですよね?奨学金制度は国王陛下が推進されている改革の……」
「噓じゃない。入学前の学力試験で三位を取ったにもかかわらず、金銭面で不安があると入学を辞退しようとしていたのを私が説得したんだ」
奨学金制度を導入するのには未だ他の貴族から税金の無駄だとの反発がある。
だがチェリーは純粋に勉強をしたいという気持ちでオリバーの厳しい条件を飲んだ。
監視もその一つ。税金で遊び、学内で問題を起こされても困るからだ。もちろん二十四時間、寮内まで監視しているわけではない。あくまでも朝礼から放課後に入るまでの間だ。
「さて、この数ヶ月間のクィン嬢の素行に何ら問題はなく、逆に問題に上がったのは君だった」
「意味が……意味がわかりません」
「では何故人目の多いところでクィン嬢を非難する意味があった?しかも正当な理由なしに。君は事実を確認もせずに見せしめをした。結果彼女は今でも腫れ物扱いだ」
「私は、私はただ注意を」
「さらに様々な嫌がらせや暴力を振るった事もあったそうだね。何にせよ看過できない」
「どこに証拠が!」
「だから言っただろう?クィン嬢の素行は監視されていたと」
ようやくライラは気がついた。
つまりはチェリーの傍で何かしらの行動を取れば、最終的にはオリバーのところまで筒抜けになる。そしてチェリーを潰そうとする事は、国王の意向を間接的に否定するのと同じだ。
「私は、彼女が奨学金の試験生とは知らなかったんです」
「言い逃れはできない。今までよくクィン嬢は耐えてきたよ」
「耐えてきた?」
「根も葉もない噂を立てられ、虐げられ……君は一人の若者の挑戦をくだらない嫉妬で消そうとした。だが彼女は強いよ。今期の学年試験は一位。強い精神力がなければできない事だ」
どうして彼女を褒めるの。
私だってこんなに辛いのに、こんなに頑張っているのに。ちょっと魔が差しただけ。周囲が変な噂を立てるから。楽しかったの。胸がすっとしたの。あの子が苦しむのが面白かったの。どうして皆私を苦しめるのに私は誰かを苦しめてはいけないの。
ライラは唇を噛んだ。
「私は……私だって悪くありません」
「何を言っても全ては決まった事だ。君と殿下との婚約は消え、学園からも去る事になる」
「私よりあの男爵令嬢を取るのですか?貴方様も、ブルーノ様も」
「自分で全て潰してしまったんだよ。ライラ、とても残念だ」
(いいえ、お姉様は何も悪くないわ)
数日後。
馬車の中でライラは白い修道服を着て、リリーを服の下に入れて抱きしめながら目を瞑り揺れていた。
「お父様に見つからなくてよかったわ。お姉様、私たち修道院に行くのね」
「えぇ」
「お姉様は何にも悪くないのに?今までずっと王妃様になるために頑張って、我慢してきたのに?あの男爵令嬢よりずっと」
「悪くなくてもどれだけ頑張っても、くだらない理由で罪人にされるのが貴族の世界だもの」
「酷いのね。こんな健気なお姉様を修道院に入れるなんて」
外の景色は徐々に荒れ果て、今や周囲には建物すら見えない。石が転がる道を馬車はガタガタ揺れながら走る。
「お姉様は来世があったら王妃様になりたい?」
「そうね……リリーがいるなら何でもいいわ」
「わぁ、嬉しい」
ライラはまぶたの裏でリリーが微笑むのを感じていた。




