84 教えない ※ミカドラ視点
呪いのことを知って悲しむルルを安心させてやりたかった。
そのために俺がとった行動は単純だ。
嘘でもいい。解呪したというパフォーマンスをする。
俺はシロタエに渡った姉上に手紙を書き、協力を仰いだ。適当にシロタエの神官っぽい人間を寄越してくれないか、と。
しかし姉上からは説教で埋め尽くされた手紙が返ってきた。
『愚かだわ。そんな嘘にわたくしを付き合わせないで』
心を許した相手に嘘を吐くな、問題を先送りしているだけでなんの解決にもなっていない、自分の弟がこんなにも不誠実だったとは嘆かわしい、等々。
……正論過ぎて何も言い返せなかった。
『だけど、ルルのために何かしたいという気持ちは尊いわ。嘘のお芝居なんてする必要はないの。お姉様に任せておきなさい』
そうして姉上は、自身の結婚式にかこつけてシロタエ皇国の巫女姫を王国へと連れてきた。巫女姫とは年齢が近く、少し話しただけで外の世界に憧れていると分かり、利害が一致したらしい。
神聖な巫女を社から出したくない神官たちを、「婿探し」という名目で説得したとか。シロタエ国内には巫女が納得する相手はいないようだ。
……なんとなく嫌な予感がしたが、俺は気づかないふりをした。
シロタエの巫女――本名はアズサユミというらしいが、あまり他人に呼ばせたくないらしく初対面ではアズと名乗った。
彼女の力は本物だ。会った瞬間から全身の肌が粟立った。昨今のベネディード家の直系血族の中では魔力が強いとされている俺でも、彼女には遠く及ばない。
「狼さんの一族も、きちんと神様をお祀りして修行すれば、ある程度は力を取り戻せますよ」
ルルがいない場でアズ姫と話す機会があった。
「家を呪っている神を崇める気にはなれないな。第一、この大陸で暮らすならもう魔力は不要じゃないか」
「まぁ、そうでしょうね。少しもったいないですけど……もう少し可愛げがあったら本気で勧誘しますのに」
「可愛げがなくて良かったと心の底から思う」
アズ姫は冗談めかして言っていたが、本当は俺を暇つぶしの人材としてシロタエ皇国に連れて行きたいようだった。勘弁してほしい。
ただ、解呪の儀式が成功するのなら、命の恩人になる相手なので無下にはできない。しかし、今後甘い菓子類を提供する程度の代価で、なぜ協力してくれるのだろう。俺は率直に尋ねた。
「ご縁は大切ですから」
過去、時の君主の意向で鎖国を繰り返してきたシロタエ皇国にとって、大陸との縁は国の衰退を左右するほどの重要事なのだろう。彼女には自国の未来が視えているのかもしれない。
「それよりも、ご覚悟下さい。わたしの力で助けて差し上げることはできますが、最終的にどう転ぶかはあなた次第でしょうから」
「どういう意味だ?」
「神様は意地っ張りなのです。簡単に引き下がらないかもしれません。呪いを断ち切る代わりに、何かを要求されるでしょう。命に比べれば安いでしょうが……あなたの日頃の行いが試されますわね!」
他人事だと思って、実に楽しげに笑ってくれた。忌々しい姫君だ。
だが、神との交渉の場を設けてくれるだけでも、ありがたいと思わないといけないんだろうな。
解呪当日。
俺よりも見送りに来たルルの顔色の方がよほど悪かった。
「ミカドラ様にもしものことがあったら……」
今にも泣き崩れそうな様子に胸が痛む。しかし俺は平然としていなければいけなかった。
何も心配要らない。呪いのことを知る前に戻ることはできないが、少しでもルルを安心させてやらなければ。
「仕方ないな。心配するのは最後だからな」
そうして俺は解呪に臨んだ。
見知った我が家の離れなのに、アズ姫が儀式のために整えただけで、全く知らない場所に迷い込んだような心地になった。
蝋燭の火の揺らめきと独特な香の匂い……なんだか酔ってしまいそうだ。
俺は床に座るように言われ、目を閉じてアズ姫が唱えるシロタエの古語を聞いた。部分的にしか聞き取れないが、彼女が祀る神に何か願いを奏上しているようだった。
【――――!】
瞼の裏側で獣の影が動き、遠吠えのような声が聞こえる。
その瞬間、魔力とは違う、形容しがたい膨大な力の圧に押しつぶされそうになった。思わず床に手をついてしまったくらいだ。仮にも公爵家の跡取りが、床に突っ伏しかけているなんてな。他人には見せられない姿だ。
無言で耐えているうちにみぞおちの辺りが気持ち悪くなってきた。
俺が体の内側でいつも握りしめている鎖が、ずるずると引きずり出されてくるような感覚がした。容易く済むとは思っていなかったが、想像以上にきつい。呼吸もしづらく、汗が止まらなかった。内臓をかき混ぜられているかのような不快感がどんどん増していく。
〈断ちなさい〉
アズ姫の一言で、肉体の苦しみは終わった。
古めかしい鎖が一瞬で砕ける。
「!」
同時に俺の視界も閃光に包まれた。眩しくて目を開けられない。
目の前にいるのがなんなのか、俺は直感的に悟っていた。
ベネディード家を何百年にもわたって苛んできた神が、恨めしそうに俺を見下ろしている。そんな光景が脳裏に浮かんだ。
【何故だ。何故、呪いを返さない。我が寵愛はそなたたちにこそ与えたものなのに】
神の訴えをまとめるとこうだ。
元々ベネディード家の始祖である銀髪の兄妹に魔力を与え、建国するように神託を聞かせたのに無視された。それどころか、ネルシュタインにかけようとした呪いを肩代わりすると言い出してしまったのだ。
少し短命の恐怖を味わえば分かると思ったのに、何百年経っても呪いをネルシュタインに返さない。早く国を奪い返してほしかったのに――。
まるで子どもの癇癪のようだった。
お気に入りの人間を王にしたかったのに、ずっと言うことを聞いてもらえないのが気に入らないらしい。
力が弱ってしまったせいか、神の思慮も浅くなっているかもしれないな。
「俺は友を殺すことも、国が乱れることも望まない。王になることも……ベネディード家には向いていないと思う。少なくとも、ネルシュタインより上手くできるとは思えない」
この国が平和を維持してきたのは、ネルシュタインの歴代国王の努力の賜物だ。初代国王が国の滅亡を前に全てを投げ出してしまったことを恥じ、反省して、同じ轍は踏まないと不屈の魂であらゆる難事に挑んできた。
呪われていると分かった途端に、自虐的な行動を取りがちな俺の先祖とは大違いだ。まぁ、俺の場合は呪われていても簡単に命を投げ出す気はないが、その代わりに怠惰に育ってしまった。
たとえば、俺とアルトが国を治めるとしたら、どちらが王にふさわしく、どちらに民衆がついて行くか。そんなの分かり切っているじゃないか。
「期待に応えられなくて、申し訳ない。だが、分かってほしい」
神は身じろぐように揺れて、やがて消え入りそうな声で言った。
【汝との繋がりは断たれた……しかし、その血に我が力の片鱗が宿る限り、次の世代にも呪いは現れるだろう】
「それは困る。ここで、全てを終わらせてほしい」
子どもや孫世代が呪いに苦しむなら、根本的な解決になっていない。後顧の憂いは全て断つ。ルルに母上と同じ思いをさせるのだけは絶対に嫌だ。
【ならば、呪いと代わりになるものを与え、汝を試そう】
アズ姫が言った通り、脈々と続いてきた呪いを断つには代償が必要らしい。俺は覚悟して神の言葉を聞いた。
【汝は、その祖先は、変わらぬ友情を示した。では、今度は不変の愛の証明を求める】
それは、全く予期していないことだった。
【伴侶からの愛が失われた時、汝の命は尽きる】
つまり俺は、ルルに愛されなくなったら死ぬということだろうか。
【時が自然と汝の命を奪うまで、愛が失われることなくその命を繋いだのなら、我らを繋ぐ鎖は永久に断たれる――この新たな呪いを受け入れるか?】
寿命が来るまでルルに愛され続けていれば、子孫が呪いに苦しむこともなくなる、と。
俺がルルを愛し続ければ、という内容ではないことがポイントだ。俺ではなくルルの心次第。場合によっては当初の呪いよりも早く死ぬ羽目になるかもしれない。
しかし俺は、思わず笑みを零した。
「構わない。ルルに愛されなくなったら、多分、生きていてもつまらないだろうからな」
砕けた鎖が変質していくのを感じた。
冷たい金属の欠片が、一本の赤い糸へと姿を変える。線の先は神と繋がっていない。おそらく、ルルの心に繋がった。温かいものが全身に満ちて、こんな時だというのに安らぎを感じた。
神は何も言わずに消えた。
素っ気ないのは、俺が愛を失って無様に死ぬのを望んでいるからだろうか。あるいは、新しい呪いに怯えて苦しむことを願っているのかもしれない。
しかし、神に分の悪い賭けだと思う。
俺はルルのことをよく知っているからな。
もしもあの心優しく愛情深い公平な少女に見放されるなら、俺に過失があるに決まっている。甘んじて死を受け入れるしかない。
俺が下手を打たなければ大丈夫だ。そう思えるくらい、ルルのことなら信じられる。
気力体力を根こそぎ奪われて静養しているとき、見舞いに来た父上に問い質された。
「ミカドラ。本当に、呪いは解けたのかい?」
実の父親を騙すのは難しい。俺一人の問題ではなく、一族に関わる事柄は報告すべきだと判断して、父上に少しだけ説明することにした。
「短命の呪いは解けた。というか、新しい呪いで上書きされた。俺と神との賭け勝負みたいなものだ」
「賭け?」
「内容は言えない」
「どうしてだい?」
「父上が知れば、不確定要素になる。誰にも言わないでほしい」
その言葉だけで父上には伝わった。
新しい呪いの内容を知って、父上が何か行動を起こしたら何が起こるか分からない。
たとえばルルに余計なことを言ったりしたら、困るんだ。
「勝算があるんだね?」
「むしろ、負ける要素がない」
呆れたようなため息を吐いて、父上は頷いた。
「……分かった。こちらから無理に聞き出すことはしない。僕の助けが必要になったら教えてくれればいいよ」
どこか寂しげな微笑みに、申し訳なくなった。久しぶりに父上の顔をまじまじと見たが、少しやつれたように見える。
姉上が急に嫁いだり、母上のことで思い悩んだり、俺の呪いのことを心配したり、気が休まらない日々を送っているからだろう。それでいて、国と領地の仕事を完璧にこなしているんだから、恐れ入る。
本格的に申し訳なくなってきて、俺は視線を逸らして、もごもごとした小さな声で伝えた。
「ありがとう。いつも、自由にさせてくれて」
すると父上は痛みをこらえるように笑った。
「違うよ。信じて任せることしかできないんだ。強く育ってくれて、こちらこそありがとう」
照れ臭くなったのか、父上は仕事の時間だといそいそと出て行った。単純に喜んではもらえなかったようだ。
そう言えば昔、父上に言われたことがある。
『呪いを手放せと言ってあげられなくてごめん。君の母親を守れなくてごめんね』
その時は謝られてもよく分からなかった。
呪いを王家に返すなんて考えられないし、母上の心が壊れてしまったのも父上のせいではない。だけど、ずっと責任を感じていたんだろう。
短命の呪いが解けて、自分でも驚くくらい心の余裕ができたせいだろうか。自然と父上に親孝行をしたいと思った。姉上の結婚式で遠目に母上の姿を見たら、その想いはさらに強くなった。
日が経つにつれて実感した。
神が残した新しい呪いは、俺にとってご褒美でしかなかった。
生きているだけで、ルルに愛されていることの証明になる。以前の呪いは鎖を握り締めているようなざらざらした感覚だったが、今は泉から水が湧き出てくるように心が潤っている。いつでもルルの存在を近くに感じる。
そうなってくると困ったことに、ルルへの愛しさが止まらなくなってしまった。
ルルに嫌われたら命がない。だから慎重に、大切にしようと思っていたのに、歯止めが利かない。
可愛い。愛おしい。ずっと触れていたい。
自分でも恐ろしくなるほど、ルルを求めてしまう。
誕生日の夜、とうとう俺は我慢の限界を迎えてルルを誘った。
今まで悪いことなんてほとんどしたことがないだろう。ルルはかなり葛藤していたが、自身が成人するまで待つという条件付きで了承してくれた。
当日の夜も、それはそれは可愛らしかった。
詳細は割愛するが、恥ずかしがりこそすれ、全然抵抗されない。むしろ乗り気なのではないかと勘違いしてしまいそうだった。確かに信じてほしいとは言ったが、信じすぎではないかと心配になる。
呪いのことがなくても、ルルのことは一生大切にする。それほどまでにその夜の記憶は俺にとって特別なものになった。
「ルル様と絶対何かありましたよね。二人の間の空気が変わりました。もしかして……」
珍しく、というか初めて試験勉強に取り組もうとしている俺を見て、ヒューゴが首を傾げていた。呪いのことは全く知らず、一騒動あったことにも気づかなかったくせに、男女の機微には敏い。ますます将来が心配になる。
誰にも秘密だとルルと約束したのだ。しかし、溢れる幸せのオーラは隠せなかったようだ。
「黙秘する」
「……わぁ、ボクも聞きたくなくなりました」
「確証もなく変なことを触れ回ったら、許さないからな」
「分かっていますよ。若様はともかく、ルル様の名誉は守ります」
父上やペイジたちの耳に入ったら何を言われるか分からない。バツの悪い思いをするのはたくさんだ。
ヒューゴは性格が悪いがゆえに、人の好いルルのことを尊敬しているようだった。嫌がられるような真似は慎むだろう。
「でも、本当にルル様のこと大好きですよね。あの若様が、女の子にお願いされて素直に試験勉強しているなんて信じられないです」
「俺が学生の本分を果たして何が悪い」
「悪いなんて言ってないですよー。若様でもルル様に失望されたくないんだな、と思うと面白くて」
それは少し違う。
俺が卒業試験を真面目に受ける気になったきっかけは確かにルルだし、彼女に永遠に憧れられていたいという陳腐な欲もあるが、全てが彼女のためというわけではない。
せっかく短命の呪いが完全に解けたんだ。もうやりたくないことを全力で避ける必要もない。学生らしい苦労を少しは味わっておいてもいいな、と思ったのだ。大人になった時に過去の自分にがっかりしそうだから、少しは頑張っておきたい。
まぁ、こうしてペンを動かしていても、さほど苦でもない。面倒臭さはあるが、試験期間中くらいは我慢できる。
「人って変わるんですね」
ヒューゴが何気なく言った言葉に、俺は内心で頷きを返した。
確かに、入学当初とは全然心持ちが違う。
卒業試験が終われば、学院生活はあっさりと幕を閉じた。
卒業式でマギノアが勝ち誇った顔で答辞を読んだせいで、あまり感慨に浸ることはできなかったが。
夜のパーティーも、以前の俺なら面倒くさがって欠席したかもしれない。何も楽しいことが起きそうにないからな。
だが、今の俺には楽しみがある。
「お待たせいたしました」
美しく着飾ったルルをエスコートできる。大体、彼女を一人でパーティーに行かせるわけにはいかない。
今夜のドレスは青を基調にしていて、ルルにこれ以上ないほどよく似合っていた。この日のために俺と合わせで作った衣装だ。並んで立てば、誰も俺たちの間に割り込もうなんて思えないだろう。
こうして見ると、ルルは本当に美しくなった。
出会ったばかりの頃は地味で野暮ったくて、俯いていることが多かったのに、全然違う。
背筋をしっかり伸ばして優美に微笑む姿は自信に溢れていて、格好良かった。自然と俺の頬も緩む。
「綺麗だな」
「あ、ありがとうございます。ミカドラ様は、いつも以上に素敵です……」
卒業パーティーは、俺とルルの仲を知らしめる絶好の場になった。
他の女の前でもルルが怯えたり卑屈にならずに済んで良かった。しかし、時折不安そうな表情を見せる。
父上やヒューゴほどではなくとも、俺が隠し事をしていると分かってしまうのだろう。解呪の儀式で不安は薄らいだかもしれないが、まだ俺が死んでしまわないか心配している。
俺は呪いがあるからと言って、ルルの顔色を窺って生きるようなことはしたくない。自然体で想い合っていたいと思う。
ルルにも新しい呪いのことは告げない。自分の感情が俺の死に直結すると知れば、ルルの心の安定が崩れてしまう。
俺がこれからも好き勝手生きていく分、ルルにも伸び伸びと好きなことをし続けてほしいと願う。その結果、二人で一緒に生きていくという結論が覆されなければいい。
だから俺は、神との“秘密の取引”のことを、生涯誰にも教えないだろう。




