81 誕生日 その3
ミラディ様とヤクモ様のネルシュタイン王国での婚礼式は、思いのほか小規模でした。
近しい親類とミラディ様が心から信頼できるご友人のみを招待客にしたそうです。というのも、式に母親であるリーシャ様が出席されることになったからです。リーシャ様の状態をご存知かつ不用意な噂を流さないお客様を厳選したということでした。
久しぶりに王都の屋敷にやってきたリーシャ様はお疲れのご様子でしたが、花嫁衣装を身に纏ったミラディ様を見て大粒の涙を落としていました。幸か不幸かその日のリーシャ様は、ベネディード家の後継ぎ問題のことは頭になかったらしく、ただ一人の母親として娘の結婚を祝福していらっしゃいました。
そんな姿を見て、ルヴィリス様も瞳を潤ませていました。いえ、溺愛している娘の結婚に対する涙かもしれませんが……。
祖父母のディアモンド様とロザリエ様は、穏やかに式の様子を見守っていらっしゃいます。
一方、ミカドラ様はリーシャ様と対面しないよう、シロタエ皇国の正装をお借りして、こっそりと参加されました。その独特な民族衣装は、顔を隠すヴェールがついた帽子をかぶるためちょうど良かったのです。
家族の輪の中から一人だけ外れた姿を見て、胸が痛くなりました。
『呪いが解けたのなら、一度リーシャ様にきちんと説明した方がよろしいのではありませんか?』
『そうしたいのは山々だが……荒療法をして姉上の式に出席できなくなっては困る。母上にはもう少し後で話す』
……ということで、ミカドラ様は新婦の弟として堂々と式に参加することができませんでした。ミラディ様も気にしていらっしゃいましたが、仕方がありません。
他の招待客は、久しぶりに公の場に姿を見せたリーシャ様や前公爵夫妻、ミカドラ様の隠密参加よりも、別のことに気を取られている様子でした。
「ミラ、結婚おめでとう。とても美しいな……」
かつてミラディ様に熱烈に求婚したアルテダイン殿下が、婚礼式に招待されていたのです。どこか眩しそうにミラディ様を祝福する殿下の様子に、周囲はハラハラしていました。まだ未練があるように見えたからです。
「ありがとう、アルト。忙しいのに、来てくれて嬉しいわ」
「大切な幼なじみのためなら、いくらでも時間を作るさ」
「王太子殿下にお祝いしていただけるなんて、コウエイの極みですね」
殿下とミラディ様の関係をご存知のはずなのに、ヤクモ様はいつも通りにこやかです。大人の対応ですね。それとも、勝者の余裕なのでしょうか。
アルテダイン殿下は、ほんの一瞬無表情になりましたが、すぐに朗らかに微笑みました。私を含め、周囲の者たちは肝が冷えたことでしょう。
「アルト、今日はわたくしの友人のエスコートをお願いしたいの」
そうしてミラディ様はアズ姫様を紹介されました。
「ああ、私もお会いしたかった。あなたがシロタエの姫巫女殿ですね。この度は、私の大切な友人のためにありがとうございました。本当に、いくら感謝してもし足りない……」
解呪のことを聞き及んでいたアルテダイン殿下は、アズ姫様に対してとても熱のこもった挨拶をされました。心から感謝していることが言動の一つ一つから伝わってきます。
〈まぁ……ええ男やわ。眼福……〉
アズ姫様がそう呟かれたのを、そばにいた私ははっきりと聞きました。お顔はベールに隠れていますが、絶対にうっとりしているに違いありません。
アルテダイン殿下もそのシロタエの言葉を聞き取っていたでしょうに、言われ慣れているからなのか、特に反応を示されませんでした。
「恥ずかしながら、国の外に出るのが初めてで……ネルシュタイン王国のこと、もっと教えてください」
「もちろんです。私もシロタエ皇国の文化に興味がありまして――」
見る見るうちに仲良くなり、最終的にお二人は文通をする約束までしていました。
アズ姫様の好意は明らかですが、殿下はどこまで分かっているのでしょうか。余裕綽々だったヤクモ様が冷や汗をかいていました。
なんだか一部不穏な予感がしましたが、ミラディ様の婚礼式は祝福に包まれながらつつがなく催されました。
美しく、幸せに溢れていて、私もじぃんと胸が熱くなる良い式でした。
「ルル、これから目が回るほど忙しくなるわよ。体に気をつけなさい。晴れの日に肌荒れでもしていたら、許さなくってよ」
ミラディ様は忠告とともに私にブーケを下さいました。
そうです。
余韻に浸っていたいところですが、ゆっくりしている時間はありません。
成人を迎える誕生日、卒業試験、卒業パーティー、そして、婚礼式。
これから半年の間、大きなイベントが目白押しなのです!
あっという間に時間は経過し、ミカドラ様の十五歳の誕生日がやってきました。
今年は成人ということもあって、屋敷全体で盛大にお祝いします。ご本人の意向で外部からのお客様は招かず、家族と使用人たちのみのパーティーですが。
最初に大広間のダンスフロアでミカドラ様のパートナーとして一緒にワルツを踊りました。
実は、普段からお願いしてダンスの練習をしていましたが、人目に晒されて踊るのは初めてです。これから公の場でご一緒する機会が多くなるので慣れなければいけません。いきなり卒業パーティーやお城の舞踏会で踊るより気が楽だろう、とミカドラ様とルヴィリス様が気を遣ってこの場を用意してくださったのかもしれません。
「練習の時より足運びがぎこちなくなってるな」
「も、申し訳ありません」
「別に、転ばなければいいだろ。俺も踊りはそんなに得意ではない」
そんなこと言いつつも、ミカドラ様は優雅に私をリードして下さいました。
練習でも本番でもミカドラ様は変わらないのだと思うと安心できて、後半は私も普段通りにできたと思います。
ダンス後に拍手を受けて、パーティーが始まりました。
大広間に色とりどりの料理が並び、ダンスフロアでは仕事着のまま、若い使用人たちが楽しそうに踊り出しました。
貴族の嫡男の成人パーティーとしては異例の光景でしょうが、気楽なことを望むミカドラ様らしいと思います。
「若様、成人おめでとうございます!」
「ご立派になられて……っ」
「素敵なダンスでしたわ」
長く公爵邸で働いている方々は感極まったように祝福の言葉を述べました。
「いやぁ、めでたいな!」
「ついに怠け癖は直りませんでしたね」
「女癖が悪いよりはいいと思うよ、兄さん。若様はこれからもルル様一筋でいてくださいね!」
ベネディード家使用人の名物三兄弟バレットさん、ペイジさん、ヒューゴさんの独特な祝福に対し、ミカドラ様は重たいため息を吐きました。
「メイドたちの視線が鬱陶しいから散れ」
「ひどい」
確かに、ミカドラ様と三兄弟さんで固まっていると、自然と衆目を集めますね。華がありすぎて。
「そこは、ルル様と二人きりになりたいから、とおっしゃるのが正解だと思いますが」
「そうだな。じゃあ気を利かせろ」
ペイジさんが肩をすくめ、兄と弟を連れて去っていきました。途端に女性たちに囲まれました。ダンスの申し込みが殺到しているようです。
軽く食事をした後、私はミカドラ様にエスコートされ、別室に移動しました。
「よろしかったのですか。主役が席を外されて」
「もう十分祝ってもらった。あとは皆の慰労会でいい。それより」
ミカドラ様の視線がチェストの上に向けられました。
予め用意していた私からの贈り物が置かれています。パーティーの盛り上がり次第では今日中に渡せないかもしれないと思っていたのですが、そんなことはありませんでしたね。
「では……十五歳のお誕生日おめでとうございます。お受け取り下さい」
私は毎年恒例のハンカチを用意しました。
今年は刺繍ではなく、シロタエの染め物に挑戦いたしました。ちょうどアーチェさんのご実家で売り出され始めた“染め物キット”なるものを購入し、絞り染めをしてみました。
理想通りの模様にはなりませんでしたが、藍色が綺麗で味のある柄に仕上がったような気がいたします。
とはいえ、所詮素人の作ですので、自己満足な仕上がりに他なりません。
「お前はまた忙しいくせに手の込んだことを……だが、おかげで世界で唯一の品を手に入れられた。ありがとう」
「使っていただけますか?」
「ああ。良いものをもらった。今年流行しそうだな」
ミラディ様の結婚効果で、今、シロタエの文化が王国で流行の兆しを見せています。染め物も贈り物の定番になるかもしれませんね。
「あの、もう一つありまして。昨年よりも上手にできたと思うので……」
厨房の料理人の方々が腕によりをかけて作ったごちそうの後では見劣りすることこの上ないのですが、手作りの焼き菓子です。
表面はサクッとしていて、中はふんわりするように、厨房の方々と分量の試行錯誤を重ねた逸品です。ミカドラ様好みにできているといいのですが。
「美味そうだ」
早速召し上がろうとなさるので、慌ててお茶を淹れました。長い指がお菓子をつまむのを緊張の面持ちで見つめていると、ミカドラ様が眉を顰めました。
「食べにくい」
「すみません。でも、喜んでいただけるか心配で」
「嬉しいに決まっている。ルルには分からないかもしれないが、好きな女の手作り菓子を食べるのは男のロマンだ」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。アルトとヒューゴに聞いてみろ」
味は二の次ということでしょうか。それにしても、「好き」という単語が私に向けて出てくるのは、何度聞いても心臓に悪いです。
私がドキドキしている間にミカドラ様は焼き菓子を召し上がり、「美味い。去年のよりもずっと俺好みだ」と言って下さいました。
「来年も、と言わず、定期的に食べたい」
「はい。また作ります」
良かったです。
公爵邸でお世話になっている身ですし、お父様からのお小遣いで高価なプレゼントを買うのは躊躇われ、いつも拙い手作りの品になってしまいますが、ミカドラ様は喜んでくださいますし、大切にしてくれます。
ですが、心残りもあります。
「本当は、成人の記念にもっと特別なものを贈りたかったのですが、思いつかなくて」
「十分だ。毎年一つずつ贈り物を増やすと、未来の自分が苦労するぞ」
「ふふ、そうかもしれませんね」
会話が途切れ、二人きりの夜のお茶会も終わりが近づいてきました。そろそろ大広間のパーティーに戻った方が良いでしょう。
しかし、この場を離れがたい気持ちが大きくて、私は動けませんでした。ミカドラ様も黙っています。
来年も、再来年も、その先もずっと誕生日をお祝いし合えることを心の底から願っています。早死にの呪いは解けたとはいえ、やはり不安は消えません。二人でいる時間を、もっともっと大切にしたいです。
願わくは、ミカドラ様も同じ気持ちであってほしい。
「ルル」
「はい」
呼ばれてすぐ隣に腰掛けると、ミカドラ様に背中を引き寄せられました。
頬に手を添えられて、私が反射的に目を閉じると、甘い香りが鼻をかすめ、そのまま……。
以前よりも長く熱い口づけに私がぼうっとしていると、ミカドラ様はすっと目を逸らしました。いつものような余裕がなくて、どこかそわそわしている様子です。
「やっぱり、特別なものもほしいな」
「え? はい。わ、わたしに用意できるものでしたら、なんでも」
「言ったな。じゃあ――」
ミカドラ様は私の耳元でそっと囁きました。




