79 シロタエの姫巫女
ミラディ様がシロタエ皇国に渡られて数か月。
婚礼式の準備が整ったらシロタエに招待していただけるとの話でしたが、来賓を引き連れて急遽帰国されました。それでいきなりネルシュタイン王国でも式を挙げるというのですから、屋敷中に激震が走ったのも仕方がないことです。
ルヴィリス様はどこか遠い目をしていらっしゃいますし、使用人たちは青ざめて式の準備に奔走し始めました。
ただ一人、ミカドラ様だけは終始涼しい顔をしています。予めミラディ様と連絡を取っていたのでしょうか。
一気に慌ただしくなった公爵邸で、私も微力ながらお手伝いを申し出ました。
「ルルちゃんは、ミカドラと一緒にお客様のお相手をお願いできるかな。年齢も近いようだから」
責任重大なお役目です。取り急ぎベネディード家自慢の中庭で歓迎のお茶会を開くことになりました。
ベネディード家の屋敷に滞在することになったお客様はヤクモ様とそのお付きの方、そして、明らかに異質な空気を纏う一人の少女……。
「初めまして。お世話になりますね。わたしのことは……そうですね、アズとお呼びください」
真珠のように不思議な艶を持つ白髪が、実に神秘的でした。瞳もヤクモ様と同じ金色です。とても綺麗な大陸語を話されていて、所作の一つ一つに気品があります。何より、言葉で例えようもないほどお美しい……同い年くらいの方ですが、私はすっかり気後れしてしまいました。
「我が一族の姫様であり、白狐様に直接仕えることを許されている唯一の巫女でもあられます。丁重にオネガイいたします」
単語の数々は私にはよく理解できませんが、かなり高貴な御方なのではないでしょうか。あのヤクモ様がどこか緊張した様子で、恭しくアズ姫様をご紹介して下さいました。
〈ヤクモ、おぬしは花婿……此度の主役なんやから、花嫁の前でわらわにかしずくのはおよし。ミラディのご家族にも、普通に接してもらったほうが気楽や〉
シロタエの言葉の中でも独特な言い回しのように思えます。私とミカドラ様がその会話を理解していると察したのか、アズ姫様はどこか照れたようにはにかみました。
「ふふ、お気遣いありがとうございます、アズ姫」
「当然のことです」
ミラディ様とアズ姫様の間の空気はとても和やかでした。他国のお姫様ともすっかり打ち解けている様子で、さすがとしか言いようがありません。
「改めて紹介いたします。弟のミカドラと、その婚約者のルルですわ」
「遠路はるばる姉たちのためにお越しいただき、ありがとうございます。心より歓迎します」
ミカドラ様が表情以外は完璧な所作で、姫様にご挨拶されました。私もぼうっとしている場合ではありません。
失礼がないようにしなくては……ミラディ様がアズ姫を王国へ招いたのは、きっとミカドラ様と引き合わせるためでしょう。つまり、呪いを解く糸口になる方なのです。
「お会いできて光栄です。滞在中、何かございましたら遠慮なくお申し付け下さい」
姫様は悠々と私たちの挨拶を受け入れてから、くすりと笑いました。
〈随分とお行儀のよい狼やね。そんなに子猫が可愛いか。一見不釣り合いのようでいて、これは見事に……〉
金色の瞳に何もかもを見透かされたようで、背筋がぞくりとしました。
姫様はティーテーブルに頬杖を突き、悪戯っぽい仕草でミカドラ様に微笑まれました。
「わたしのモノになる気はありませんか? あなたを悩ませている死の鎖から解放してあげられるかもしれませんよ?」
おっとりとした口調から、聞き捨てならない言葉の数々が飛び出しました。これには私だけではなく、ミラディ様まで目を見開きます。
「アズ姫、いきなり何を」
「あら、ミラディ。代償もなく願いが叶うなんて、都合が良い話だと思いませんか?」
「それにしたってわたくしの弟に対して不躾ではなくて? それに、話が違うわ」
「気が変わりました」
もしや、アズ姫様ならミカドラ様の呪いを解くことができるのでしょうか。しかしその見返りとしてミカドラ様を……。
私の心の中に希望の光と黒い靄が同時に生じました。
「ちょうど力を持つ綺麗な従者が欲しかったのです。あなたにとって悪い話ではないでしょう。命は助かるし、シロタエで修行すれば、もっといろいろなものが視えるようになりますよ」
そのままアズ姫様が白い指を伸ばしましたが、ミカドラ様は露骨に顔をしかめて、それを避けました。
「俺はネルシュタイン王家以外に従属するつもりはないし、ルル以外に気安く触らせる気もない」
「ふふ、命が惜しいのではなかったのですか?」
「人生全てを捨てるのも惜しい。それに俺は、悪ふざけに付き合ってやれるような気の利いた性格ではない」
それを聞いてアズ姫様が声を上げて笑いました。先ほどまでの上品な印象が崩れていきます。
私たちが絶句していると、ミカドラ様も鼻で笑って言いました。
「シロタエの巫女姫様は、人を惑わす悪趣味なご冗談がお好きらしい」
「冗談、なのですか?」
アズ姫様は満面の笑顔で頷きました。
随分と奔放で傲慢な方のようです。他国の大貴族の御屋敷でかなり無礼な振舞いをしていますが、少しも悪びれていません。
「ごめんなさい。手っ取り早く本性を視るには、相手を怒らせるのが一番なのです。狼さんには見破られてしまいましたが、でも、いただいた答えに偽りはなく、気に入りました。子猫さんも、健気で可愛らしいです。ミラディに聞いていた通りです」
私は言葉もありません。それにしても、狼さんがミカドラ様のことだとして、子猫さん、とは。
まさかと思いますが、私のことだったりするのでしょうか?
ヤクモ様がやれやれと言った様子で肩をすくめました。
「姫様は少々、いえ、かなり浮かれておられますね……」
「仕方がないではありませんか。ヤシロから出かけることも少ないのに、海を越えた異国に来ているのですよ。こんなにも胸躍る機会はめったにありません。庭園一つとっても、シロタエとは何もかもが違って面白いですね。お茶も良い香り。ああ、このお菓子、どんな味がするのか気になります」
アズ姫様は歌うように述べました。その金色の瞳はこれ以上ないほど輝いています。人生初の外遊を心底楽しんでいるのは本当のようです。
ミラディ様が気の抜けたようなため息を零して、私に耳打ちしました。
「アズ姫様は世間に疎くて、わたくし以上に蝶よ花よと育てられたそうよ。少し掴みどころがないけれど、悪い子ではない……はず」
実際、アズ姫様の無邪気な笑顔を見ていたら、性質の悪い冗談を怒る気持ちがどこかへ行ってしまいました。
それよりも気になることがあります。
「今のは全て冗談なのでしょうか。その、死の鎖については……」
一瞬のことでしたが、私は本気で思い悩みました。
ミカドラ様の呪いが解けるのなら、別れることになってしまうことを頑張って受け入れなくては、と。
これで全てが嘘だったら、やるせなくて仕方がないのですが……。
「本当にいじらしい子猫さんですこと。……解呪はおそらく可能ですよ。この地の神よりも、わたしの神の方がずっと強いですから。ただ、それこそ全く代償がないとは言い切れません」
「代償……」
「まぁ、わたしが介入するのなら、どうとでもなります。代償よりも我が神への供物です。神の力を安売りはできません。働きに見合った代価をいただかないと」
言うな否や、アズ姫様は小さなクッキーを口に入れ、頬を緩めました。
そもそも神様の御力を売り買いしていいのか、という疑問は頭の隅に追いやりましょう。稀有な力をお借りする以上、お礼をするのは当然のこと。アズ姫様の主張は真っ当です。
しかし、どれくらいの報酬が妥当なのか、私には見当もつきません。ベネディード家の財産をもってしても、支払えなかったらどうすれば……。
「山のような量の甘い菓子でどうだ? シロタエでは食べられないものを用意する。気に入るものがあればレシピを渡すし、材料も定期的に輸出しよう」
「良いでしょう。交渉成立です」
あっさりとしたものでした。
これがペイジさんに習ったシロタエの慣用句「狐につままれる」という状態なのかもしれません。騙されているような気がしてなりません。
こうしてシロタエの巫女姫様がミカドラ様の解呪を請け負ってくださったのでした。




