78 進路
ルヴィリス様が公爵領に帰って来られると、いつかの宣言通り私も各地の視察に連れて行っていただけることになりました。
以前ミカドラ様と遊び歩いたミジュトの町だけではなく、鉱山や工房、農園を巡って各事業の責任者の方々に紹介していただいたのです。
「彼女がミカドラと婚約したルル・アーベル嬢だよ」
「とても勤勉で学院でも優秀な成績を収めているんだ。今後は少しずつ仕事を任せて行きたいと思っている」
「そうそう、可愛いでしょう。もう一人娘ができたみたいで、嬉しくってね!」
……過大な評価をいただいているような気がしますが、一度ルヴィリス様のお言葉を遮って謙遜したらペイジさんに注意されてしまったので、顔を赤くして小さくなっているしかありません。
実際に公爵領の大切な業務に携わっている方とお話ができて、これ以上ないほど充実した時間を過ごせました。ご自分のお仕事に誇りを持っているのが伝わってくるのと同時に、ベネディード家の方々を心から信頼しているのが表情で分かるのです。
工房を経営するご夫妻に、私がいろいろと質問させていただくと、
「ほう、よく勉強なさっている。若様は良いお嬢さんを見初めましたな」
「当たり前でしょう。銀狼は見誤らないのですから」
と、嬉しいお言葉いただくこともありました。
それ以外の場所でも「ミカドラ様の伴侶にふさわしくない」などと否定する方は一人もおらず、皆さん温かく迎えてくれたのです。もちろん、値踏みされるような視線を受けたり、私を試すような会話も投げかけられましたが、何とか乗り切れました。これは日頃のご指導の賜物ですね。
「今回は遺跡の視察には行かないけど、いいかな」
「あ、はい」
公爵領にあるゼクロ神教に関わる遺跡……ベネディード家を呪っている神が降臨した場所だと言われています。人の手ではとても造れない巨大な柱や、継ぎ目のない壁が並んでいて、大地そのものが変形してできたとしか思えない神秘的な建築物とのことです。
その遺跡に足を踏み入れるのは、正直に申し上げて恐ろしいです。また何か不思議な夢を見るのではないかと思えてなりません。
なので、視察の予定がないと聞いてあからさまに安堵してしまいました。
今回の公爵領での休暇はいつになく刺激的でした。
リーシャ様のお見舞いに、公爵領の視察、そしてミカドラ様との湖の一件……。心も頭も体も忙しくて、思い悩む暇はあまりありませんでした。
時間が合えば、リーシャ様のお散歩にもお付き合いをさせていただきました。最初は少しぎくしゃくしていましたが、最後には心を開いてくださっていたと思います。たくさんお喋りをしてくださいました。
基本的にはルヴィリス様の惚気を取り留めなく話されましたが、時折遠くを見て言うのです。
「わたしの娘はミラディと言って、とても可愛くてしっかりしているの。でもね、この前、よその国に嫁ぐと言って出て行ってしまったの。がっかりしたわ。あの子が立派なお婿さんを取らないと、ベネディード家の跡継ぎがいなくなってしまうのに……ひどいわ!」
私は、なんと答えればいいのか分かりませんでした。
跡継ぎならミカドラ様がいるのに。
ミラディ様はベネディード家のために、シロタエに嫁ぐことを選択したのに。
リーシャ様に悪気がないと分かっていても、もやもやとした感情が収まらず、大声を出したい衝動に駆られました。
彼女は子どもたちへの愛情が深いがために心が壊れてしまった可哀想な御方。全てを忘れて何も理解できなくなっても、本人が幸せそうならばこのままでいい。
初対面の時はそう思っていましたが、徐々に別の想いが胸に込み上げてきました。
どうか、ミカドラ様のことを思い出してほしい。
自分勝手な願いだということは分かっていますが、ミカドラ様とミラディ様、そして、リーシャ様御自身のためにもそう願わずにはいられませんでした。
二学期が始まりました。
そろそろ卒業後の進路について本格的に決める時期になります。
私は高等部に進学するかどうか少し迷っていました。
勉強するのは好きですが、領主の仕事を学ぶのならルヴィリス様のお手伝いをするのが一番です。
そもそも高等部に進学するのは男子生徒がほとんどで、女子生徒では家業に関わる専門的な知識や資格の取得を目指す、ごく僅かな方のみなのです。かなり専門的な勉強になりますからね。
私は本来なら高等部に進学どころか、家の財政によっては中等部を卒業できるかも分からなかった身です。高等部の学費をベネディード家に負担していただいてまで、進学するのはどうなのでしょうか。
「私は高等部に行くわ。将来はお父様のように国政に携わりたいもの。学歴があって越したことはないでしょう?」
マギノアさんは既に進路を決めていました。一寸の迷いもないようです。
「ちょっと待って。ルルさんは、もしかして進学しないの?」
しかし、私が迷っている素振りを見せると、彼女の瞳が揺らぎました。当然のように私も高等部で一緒だと思っていたようです。
「ミカドラは? あいつは進学するんでしょう?」
「それが……ミカドラ様も決めかねているようでして」
「はぁ? ふざけてるの?」
学院に通い続けるのが面倒くさい気持ちと、もしかしたら高等部にも面白い授業があるかもしれないという僅かな期待がせめぎ合っているご様子。
マギノアさんが不可解に思われるのも当然です。表向き公爵家の次期当主となるミカドラ様が高等部に行かないというのは……前代未聞かもしれません。
「そんなの許されないわ。通いたくても通えない者もいるっていうのに」
確かに、進学できる学力と財力があるのなら通うべきでしょう。“王立”学院に価値がないとみなすような振舞いをすれば、王家の不興を買いかねません。
王家とベネディード家には隠れた繋がりがあるとはいえ、表向きは貴族の代表格であり、模範となるべき存在なのです。ミカドラ様が怠惰を極めるという理由で進学しないのなら、周囲に示しがつきません。
ですが、ミカドラ様には自由気ままに好きなことをして過ごしてほしいのです。跡取りが進学しなかったくらいで、ベネディード家を見下せるような者はいないでしょうし、能力面で見ればミカドラ様には高等部への進学が不要と判断されそうです。王家の方々もミカドラ様の行動で気を悪くされるはずがありません。
「ルルさんが進学するって言えば、きっとあいつも進学するわ! ね!」
その後もマギノアさんにはものすごい圧で進学を勧められましたが、結局答えは出ませんでした。
後日、遊戯室のソファで寝そべっていたミカドラ様に相談することにいたしました。
「ルルは高等部にも通いたいんじゃないか?」
「いえ、そこまで強くは思っていません。ただ、マギノアさんのお話を聞いて思ったのですが、私が執務代行する場合、学歴があった方が良いでしょうか?」
贅沢な話ですが、学ぶ場は公爵邸にしっかり用意されているのです。ミカドラ様と取引する前の私ならば高等部に進学する機会があれば飛びついたかもしれませんが、今はそこまで強く切望していません。
ただ、学歴がない状態で私が執務代行をし始めたら、周囲に見くびられてしまわないか心配になりました。
「周りの目なんて気にしなくていいが……そうは言っても、ルルは気にするだろうな。後々劣等感に悩まされるくらいなら、進学しておけばいい。別に、嫌ではないんだろう?」
「それは、そうですが」
「学費の遠慮か?」
「そ、それもあります」
ミカドラ様がじっと私を見つめています。ああ、また心を読まれている気がいたします。
「俺が通わないなら、一緒にいられる時間が減って嫌か? それとも、中等部卒業と同時に結婚したいから進学はしたくない、と?」
「!」
私が思わず顔を背けると、ミカドラ様が小さく笑った声だけが聞こえました。
これでは大正解だと認めたようなものです。
「そうだな。俺も一応進学はしておくか。俺が通わないと聞けば、陛下とアルトが気にするだろうし、辞めるのはいつでもできる。籍だけ置いておいて、面白そうなものがあれば顔を出すことにする」
「そ、そうですか」
「ルルも進学すればいい。別に何も問題ないだろ。既婚者が高等部に通っても」
「…………えっと」
それはつまり、中等部を卒業したらすぐに、ということでしょうか。
ミカドラ様は楽しそうではありましたが、冗談を言っている様子ではありませんでした。
「俺はそのつもりで話を進めたいんだが、ルルもそれでいいか?」
「は、はい……」
悩む前に頷いていました。体は正直ですね。
広い公爵邸とはいえ一つ屋根の下で一緒に暮らしているのですから、今更と言えば今更ですが……いえ、だからこそ早く公的に一緒になりたい。本当に最近の私は欲張りです。
呪いのことがあってもなくても、ミカドラ様と過ごす時間が一秒でも長くあってほしいと願うことに変わりはありません。
中等部を卒業したら、結婚。
ミカドラ様に明言していただいたことで、私は目に見えて浮かれていました。
「まだ、半年以上も先の話だな。婚礼式の準備をしていればあっという間だろうが……」
一方、ミカドラ様はどこか気怠そうでした。
「そうですね、準備……!」
私は急に不安になりました。本人の意思で簡単に決めてしまいましたが、結婚式の準備がどれだけ大変なのか想像もできません。たった半年で完璧に用意できるものなのでしょうか。お父様などは突然の話に卒倒しかねません。
いっそ身内だけの式にしてしまいたいくらいですが、公爵家の婚礼がこぢんまりしたものになるのは「やましいことがあるのか」と勘繰られ、外聞が悪いかもしれませんね……。だからと言って、国内外の貴族が集まるような盛大な挙式になってしまったら、私の心臓が耐えられる気がしませんけど。
「早くルヴィリス様に相談したほうが良さそうですね」
「そうだな。もっとも急いだところで、今は姉上たちの方を優先させられるだろうが」
数週間後。
「久しぶりね。少し見ない間に、二人ともまた仲良くなったのではなくて?」
公爵邸に、ミラディ様の姿がありました。相変わらず、いえ、一層華やかでお美しくなられたようにお見受けします。
「せっかくだからネルシュタインとシロタエ、両方で式を挙げることにしたの。お客様もいらっしゃってるから、よろしく頼むわね」
ミラディ様はそう言って、また波乱をもたらしました。




