75 間違えた※ミカドラ視点
俺は順番を間違えたのかもしれない。
ルルに先に好きと言わせたいと思いながら、俺の方から他に言うべきことがあった。もっと言えば、取引を持ちかける時に秘密について言及しておくべきだった。
ベネディード家は呪われている。
正確には、ネルシュタイン王家の呪いを肩代わりしていて、何代かに一度、短命で死ぬ者が生まれる。
俺がその事実を知ったのは八歳の時だった。
おかしいと思っていた。
父上が妙に俺に甘いのも、母上が俺を見て錯乱するようになったのも、ずっとその儚い運命を知っていたからだったんだ。
母上はそこまで身分の高い家の令嬢ではなく、父上と大恋愛の末に公爵家に嫁いできたらしい。貴族女性の中では高い地位にいるばあ様に対して、随分気を遣っていたと聞く。早く跡継ぎの男児を産まなくてはとプレッシャーがあったに違いない。
そして産まれた俺が短命だと知らされた時、母上はどんな気持ちだっただろう。
がっかりしただろうか、絶望しただろうか。
俺の前では決してそんな顔を見せなかった。自分のことを憐れんだりせず、ただ、俺の未来を思って悲しんでくれていた。
子ども心に優しくて可憐な人で、俺のすることをいつも誉めていた。プレゼントした絵を部屋に飾ってくれたことが、とても嬉しかったことを覚えている。
母上は俺を可愛がりながら心を痛め、また跡継ぎを産まなくてはと苦しんでいた。そしてまた子どもを身籠った。
俺も姉上も弟妹ができることを無邪気に喜んでいたが、母上は徐々に体調を崩していった。特に、俺の顔を見て辛そうにしていた。
きっと、未来のない俺の前で次の子どもとの未来を考える自分を嫌悪したのだと思う。
妊娠中の不調も相まって母上は衰弱していき、お腹の中の子を諦めるよう医師に勧められた。
当然母上は反発したが、父上たちは母上の身の安全を第一とした。
心身共に弱っていた母上は、被害妄想で荒れたという。自分の代わりに他の女を父上に宛がうつもりか、と泣き喚いていたこともあったようだ。どれだけ父上が慰めても納得することはなかったらしい。
そして産まれてくるはずだった命を諦めた時、母上の心は完全に壊れた。
それから母上と会えなくなった。
俺の顔を見るだけで母上は泣いて謝るようになった。俺に対してなのか、産まれてくるはずだった赤ん坊に対してなのかは分からない。
あの優しくて可愛かった母上が取り乱す姿は、衝撃的だった。「だぁれ?」と生気の抜けた表情で俺を指さす姿も忘れられない。
母上のことを想うなら、離れて暮らすべきだ。我ながら俺は物わかりの良い子どもだった。
巻き添えで母親と引き離されることになった姉上に申し訳なかった。なんとなく俺が原因だということを察して、胸が苦しかった。
その後に俺は自分の呪いのことを知らされた。
恐怖や絶望などよりも、不満と怒りの感情の方が遥かに大きかった。
神だか何だか知らないが、大昔の過ちをいつまでも罰するなんて納得できない。ネルシュタイン王家はずっと立派に民の暮らしを守ってきたのだ。銀髪の娘は自主的に犠牲になったというのに、止めなかったという理由だけで呪うなんてどうかしている。ましてや、その子孫に綿々と呪いが引き継がれているのも不条理だ。
俺は歴代の呪い持ちについて調べて、一つの結論を出した。
『俺は信じない』
全く以て不敬だが、現代において神の力が健在だとは思えない。俺は魔力を持っているからこそ、体の中にある異物にも敏感だった。
この呪いの鎖に、俺の命を蝕むような力が残っているようには感じられなかった。
戦う相手は姿の見えない神などではない。
俺は心を病まないし、体も壊さない。絶対に長生きをしてやる。俺がベネディード家の後を継ぎ、早死にすることなく健やかに暮らしていれば、いつか母上も正気に戻ってくれるだろう。
実際、突然死ぬ可能性はどんな人間にでもあるんだ。呪いのことを気にしても損をするだけ。そう割り切った。
それからは周囲が自分を甘やかすことを迎合し、自分で自分を甘やかした。
やりたくないことはやらないし、怠惰に過ごすことに負い目を感じない。
好き勝手に自由に生きていく。
まぁ、俺みたいな人間でも他人に迷惑をかけるのはなけなしの良心が痛むから控えるが。
そうやって日々を漫然と過ごしていた。
ルルのような働き者の妻を求めたのは、自分が楽をするためだ。同時に相手にとっても旨味があれば気兼ねしなくていい。
だからルルとの取引には大いに満足していた。
実は、最初に呪いのことを説明するべきかどうか、少し迷っていた。
もしかしたら呪いが俺を殺すかもしれず、遺されたルルが苦労する可能性がある。取引において、都合の悪い事実を隠すのはフェアではない。
しかし結局必要ないと思って話さなかった。
僅かでも早死にする可能性があるなんて、自分で口にしたくなかったのだ。
それがいけなかったのかもしれない。
ルルと過ごすようになり、お互いに惹かれ合って、ついに想いを告げて両想いになった。取引から始まった関係なのに、今ではすっかりルルに夢中だ。
面白いことが何もなくてもそばにいるだけで心が満たされるし、彼女が悲しんでいるだけで自分のこと以上に感情がかき乱される。
ルルが友人に裏切られて卒業パーティーで糾弾されて気分が沈んでいた様子の時も、母親を亡くした日のことを思い出して雷に怯えていた時も、俺は気が気でなかった。
ルルは年の割にしっかりした少女だが、純真ゆえに弱い部分もある。陰でこっそり泣くようなことがあってはならない。
俺が守ってやらないといけない。強く思うようになった。
彼女がいつも笑顔で自分が望む生き方ができるよう尽くしたいし、間違っても母上のように心が壊れないよう労わってやりたい。
ルルとの関係をこれ以上ないほど大切にしていきたい。
だからこそ、呪いのことをなかなか言い出せなくなっていた。
ルルと幸せな時間を過ごす度に、罪悪感が込み上げてくる。
俺が逆の立場だったら、耐えられない。好きな相手が数年後に死ぬかもしれない、なんて考えただけでもう笑えなくなる。
俺はその時失敗を悟った。
本気で好きになってしまったからこそ、喪うのが怖い。もしもルルが母上と同じように病んでしまったらどうしよう。今更言い出せなかった。
呪いについて知らないままなら、ずっとルルは笑顔でいてくれる。その方がお互いのためだ。そういうずるい考えを神に見透かされたのだろうか。
婚約の宣誓をした夜、ルルが不思議な夢を見て、全てを打ち明けざるを得なくなった。
耐えられないからと別れを切り出されたら、と内心俺は気を揉んでいた。
『私……ミカドラ様を幸せにしたいです。誰よりも近くにいて、一番理解して、私の力で楽をさせて差し上げたい。だから、今はまだ力がなくて、こんなに頼りない私でも……そばにいてもいいでしょうか?』
不安だったからこそ、その言葉は最高に嬉しかった。
全てを知ってなお、ルルは俺の生き方に寄り添うように隣にいてくれる。夢のようだった。
俺は以前よりもずっと強く、長生きをすることを心に誓った。
ルルを遺して死ぬなんて絶対に嫌だ。
しかし、やはり物事は思い通りには進まない。
俺はずっと隠していたことを打ち明けられて満足していたが、今までと同じ関係でいられるはずがなかった。
ルルは俺の秘密を知ってからすっかり元気を失くしてしまっていた。
表面上はいつも通りだし、笑顔を見せてくれるが、どこか無理をしている。不思議な夢を見てしまったせいで、呪いなんてどうとでもなるという俺の言葉を信じられないのだろう。
俺が三十歳を過ぎてもぴんぴんしていれば、ルルを安心させられるだろうが、まだ十年以上かかる。
それまでにルルの心が壊れてしまわないか心配だ。何より、俺のことでルルが悲しむなんて、自分が許せない。愛情が首を絞めるなんて皮肉は好きではないのだ。
俺はとある決意を胸に、筆を執った。
時間が解決してくれるとは限らない。少しでもルルの苦しみを取り除けるのなら、どんな可能性でもいいから縋ろう。
そのために、遠い異国の地にいる姉上に、手紙を書くことにした。




