74 怠惰な理由
ミカドラ様はとある資料を見せてくださいました。
「これは歴代の呪い持ちがどのような生涯を過ごしたか、まとめたものだ。あまり気分の良い物じゃないが」
促されて、私は紙の束に目を通しました。
……確かに、気分が落ち込むような内容でした。
ミカドラ様のご先祖様のうち、呪いを宣告された方々はそれぞれ思い悩みながらも、王家への忠誠心と友情を尊び、呪いを手放さないという道を選びました。
ある方は短い一生を有意義なものにしようと精力的に働き、領内の発展に尽くしました。プライベートの時間は皆無で、眠ることすら厭っていたそうです。
またとある方は、自らの人生に悲観して、自堕落に過ごしたようです。仕事を弟に任せ、お酒に溺れる遊興三昧だったとか。
それ以外にも、どうせ短命ならばと志願して戦争に出征して帰らぬ人となった方や、子どもを遺して突然妻と心中した方などもいらっしゃいました。
短命の呪いが、どれだけ重く彼らの人生に圧し掛かっていたのか、そして、彼らがどのような想いで最期の時を迎えたのか考えるだけで胸が張り裂けそうです……。
しかし、感傷的な私とは裏腹に、ミカドラ様は冷静でした。
「要するに、過労死するか、自殺だな」
「え」
「最初の内はともかく、近年に至っては本当に呪いで死んだのか分からない」
確かに、資料を見ると、健康な人がいきなり亡くなったわけではなく、いつ死んでもおかしくない不健康な生活をしている方や、はっきりと別の要因で亡くなった方も多く見受けられます。
呪いが彼らの人生を狂わせたのは間違いないですが、呪いそのものが直接的な死因とは断言できないのかもしれません。
少なくとも、ミカドラ様はそう思っているようです。
そして、淡々と宣言しました。
「だから俺は無理して働かないし、悲観もしない。自由気ままに好きなことをして生きていく。そして、呪いが弱っていることを証明してやるつもりだ」
思いもよりませんでした。
ミカドラ様が怠惰に生きる根本的な理由を、こんな形で知ることになるなんて。
「魔法文明が滅び、魔力だってどんどん弱くなっているのに、神の与えた呪いだけが変わらないのはおかしくないか? 神のお告げがあったからと言って、本当に俺を呪い殺す力があるのかは疑わしい。感覚として分かるんだ。俺の内側に宿る呪いが、そんなに強いものには思えない。ヤクモも俺を見て言っていたぞ。神の力は健在だが、綻んでもいると」
絶望的な運命のように思えましたが、やはり希望はあるようです。
ですが、「良かったです」なんてとても口にできず、私は黙り続けていました。
「そもそも犠牲になった娘も、兄の子孫が呪われることを望んでいなかったはず。ネルシュタイン王家だってずっと立派に国を治めて、たくさんの民の生活を守ってきた。もう十分贖いは済ませただろう。何百年も呪われ続けるなんて、理不尽極まりない。そろそろ解放されてもいいはずだ。……俺は自分の運命を知った時からずっと、そう信じてきた」
私の手を握り締める力が強くなりました。
どんな時も自信満々なアイスグレーな瞳が、少しだけ揺らいでいるような気がいたします。これは私の心が不安定なせいで、そう見えるだけでしょうか?
それとも、やはりミカドラ様も、本当は……。
「俺が望む生き方をするために、ルルの力を貸してくれ」
ミカドラ様が私を求めた理由は、大貴族の嫡男でありながら、自由気ままに生きるため。
働き過ぎて肉体が悲鳴を上げないように、思い詰めて心を病まないように、ミカドラ様の代わりに喜んで働く人材が必要だったのです。
いつも助けられてばかりだった私が、ミカドラ様のお役に立てるのは喜ばしいことです。好きな人に選ばれて、このように頼られて、嬉しい気持ちもあります。
ですが、悲しい気持ちが押し寄せるばかりで、なかなか胸の痛みが引いてくれません。
「一つだけ、確認させてください……」
声を出した瞬間、堪えていた涙がぽつりと頬を伝いました。
それを拭うこともせず、私は真っ直ぐミカドラ様に問いました。
「私と取引をしたのは、本当に、前向きな理由ですか?」
呪いに打ち勝つためだとミカドラ様は説明して下さいました。ですが、私の中でもやもやとした疑問が渦巻いているのです。
自分が早死にしても迷惑が掛からないように、最初から執務を妻に任せようとしているのではないか。
要するに、いざという時のための保険です。
ミカドラ様は私の疑念を見透かして、呆れたように笑いました。
「後ろ向きな理由で結婚相手を選ぶなら、お互いに情が通わないような、俺が死んでも悲しまない女にする」
「本当ですか?」
「ああ。自分が早く死ぬと思っていたら、ルルみたいなお人好しな泣き虫は選べないだろ。俺はそこまで無責任ではないつもりだ」
そして私の涙を指で拭ってから、観念したように言いました。
「俺としても、誤算だったよ。今となっては、絶対に早死になんてできない。……あの演目の描かれなかった結末みたいに、残されたルルを横取りされたら耐えられない」
先日観劇に行ったとき、ミカドラ様は不機嫌になりました。
病で余命僅かな青年と、それを知ってなお愛を貫いた女性の物語。女性に言い寄っていた貴公子のことをミカドラ様がやけに嫌っていたのを思い出して、私は何とも言えない気持ちになりました。
「わ、私は、ミカドラ様以外の方に、心を奪われたりしません……!」
「もしもの話だ。いや、万に一つもない。俺は死なないんだから」
そう断言するミカドラ様を見ても、私はちっとも安心できませんでした。それほどまでに、ミカドラ様を喪うかもしれないという可能性が恐ろしい。
今朝見た夢の不思議な感覚が残っていて、神様の力を実感してしまったせいもあります。
……頭では分かっているのです。こうして私が悲しんでいても、ミカドラ様が気に病むだけ。きっと困らせています。
むしろ私はミカドラ様の言葉に同意して、「呪いなんてない」と笑って励ますべきだと思います。一片の曇りもない信頼を寄せることができれば、きっと彼は満足して下さいます。
ですが、笑うことなんてできそうにありません。私は自分が思っていた以上に、ミカドラ様に強く依存していたようです。
私がもう少し頼もしければ、もっと早く話していただけたでしょうか。
「今すぐ心の整理をして明るく振る舞わなくてもいい。急にこんな話を聞かされて、ルルも驚いただろうからな」
私の葛藤を見て取って、逆にミカドラ様に励まされてしまいました。
本当に辛くて恐ろしい運命を抱えているのはミカドラ様の方なのに……情けないです。いつもそうです。彼は私よりもずっと先のことを考えていて、私の心を読み取って、素っ気なくしつつも優しい言葉をくださります。
何か、返せる言葉はないでしょうか。
無理をするのではなく、嘘を吐くのでもなく、本当の想いを込めた言葉をミカドラ様に捧げたい。
「私……ミカドラ様を幸せにしたいです。誰よりも近くにいて、一番理解して、私の力で楽をさせて差し上げたい。だから、今はまだ力がなくて、こんなに頼りない私でも……そばにいてもいいでしょうか?」
ミカドラ様は呆けたように瞬きしてから、とても嬉しそうに微笑みました。いつものような高慢さはなく、年相応の無邪気さすら感じる見たことのない笑顔です。
そのまま感極まったように私を抱きしめました。
「そんなことを言ってもらえるとは思わなかった。むしろ辛くて離れていってしまうかもしれないと……もちろん、ルルにはずっと一緒にいてもらわないと困る。いろいろと約束もしたからな」
苦しい心を癒そうと、私の方からも僭越ながらミカドラ様に縋りつきました。最近はこうしてミカドラ様に甘えてばかりな気がいたします。
お母様のことを思い出してしまう嵐の日は「必ずそばにいる」と約束してくださいました。そうしてようやく雷への恐怖が和らいだのに、今はただ時が過ぎることが恐ろしく感じます。
もしもミカドラ様まで奪うというのなら、私は神様を生涯恨み続けるに違いありません。




