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怠惰な銀狼と秘密の取引  作者: 緑名紺


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68 気分転換

 

 二年生の学年末の休暇は、暗澹たる気分で始まりました。

 大勢の前で上級生に糾弾されたことも寿命が縮む思いをしましたが、友人に裏切られたことが辛かったです。自分で決着を付けなければと挑んだヘレナさんとの対話でも、後味の悪い思いをすることになりました。


『いつか絶対に、この選択を後悔します』


 善良ぶるつもりはありませんが、人を嫌な気分にさせることをはっきりと意識して言葉を紡いだのは、生まれて初めてのことでした。

 ヘレナさんはこれから苦労する度に私の言葉を思い出して不快な思いをするのかもしれません。言いすぎてしまった気がしてなりません。


 客観的に考えても、ヘレナさんにはかなり酷いことをされましたし、今回の騒動では私以外にも被害者がたくさんいます。しかし、相手が悪人だからと言って、自分のした行いが正当化されるわけではありません。


 特に私は、公爵家の庇護下にいる状態です。

 何をしても許されると、無意識のうちに自惚れているのではないでしょうか。

 私もまた、ヘレナさんに言われた「身の程知らず」という言葉に囚われているようです。


 自分の芯が大きく揺らいでいました。






 さりとて、いつまでも引きずってはいられません。

 ミカドラ様との関係を公表した以上、少しでも周囲の理解を得られるよう、立派に立ち回らなければ。


 今回の休暇の間も、ベネディード家のお屋敷でお世話になります。

 神殿での婚約の宣誓を間近に控え、私はいつも以上に勉強や仕事の研修に励んでいました。


 以前とは違い、私がミカドラ様の婚約者だと知らなかった使用人たちが、道を譲って頭を下げてくださるのですが、慣れなくてむずむずします。

 今のところ嫌な思いはしていません。純粋に祝福して下さる方が多いのですが、素直に喜べない自分がいるのです。


 人の心の中は分かりません。陰で私のことを悪く言っているのでは……。


 このように余計なことを考えてしまうので、できるだけやるべきことに没頭し、忙しくするように心がけていました。


 最近では記録室の仕事だけではなく、ルヴィリス様の執務室でも雑用を手伝わせていただけるようになりました。ルヴィリス様はもちろん、ペイジさんを始めとした秘書の方も仕事が早くてついて行くのが大変ですが、非常に充実した日々を送れています。


 ある時、ルヴィリス様がにこやかに言いました。


「もうルルちゃんのことを隠さなくていいんだし、今後は挨拶を兼ねていろいろなところへ連れていくからね。とりあえず今度公爵領に行ったときは、各地を視察に行こうか」

「いいのですか? ありがとうございます」


 外回りへの同行――実際に領民の暮らしぶりや公爵家が抱えている事業の進捗を確認しにいけるのですね。報告書を読んだり話を聞いただけでは分からないことを学べます。書類仕事もやりがいがあって楽しいのですが、外回りはさらに胸が躍りますね。


 ですが、人目に晒されるのは緊張します……。

 もう領民の方たちにも、ミカドラ様と私のことは伝わっているのでしょうか。がっかりさせていなければ良いのですが……。


「まぁ、でも、まずは気分転換をしてきてもらおうかな」

「え」

「自分では気づいていないかもしれないけど、ルルちゃんはだいぶ無理しているよ。みんな心配しているからね」


 ルヴィリス様の言葉に、執務室にいる方々が一斉に黙って頷きました。


「ミカドラの成長痛も治まってきたみたいだし、一緒に出かけておいで。僕からの進級祝いだよ」


 そう言って、ルヴィリス様は私にパンフレットの束を手渡しました。

 今王都で催されている興行――歌劇に舞踊、はたまた曲芸や手品まで、観劇の類がほとんど全て揃っているようです。


「ペイジ、ルルちゃんの好きなものの席を手配してあげて」

「かしこまりました。ルル様、希望はございますか?」

「え、えっと……観劇に行ったことがなくて、よく分からないのですが」


 ペイジさんは爽やかに微笑みました。


「では、この辺りはいかがですか。女性に人気で評判も良いですよ」


 ペイジさんにお勧めされたのは、いずれも女性が主役の舞台でした。

 私でも聞いたことがあるような古典の名作から、最近話題のオリジナル作品までジャンルが幅広くて、選ぶのが難しいです。

 というか、いつの間にかお出かけすることが決定していますが、ご迷惑ではないでしょうか。せめてミカドラ様の意見を聞きたいところです。


「ミカドラへの配慮は不要だよ。ルルちゃんの好きなものを選んで」

「はい、ルル様が楽しまれるのが一番です。若様も同じ気持ちのはずです」


 ルヴィリス様とペイジさんの私の思考を先回りしたかの発言に驚きつつ、迷った末に読んだことのある恋愛小説が舞台化したものを選びました。筋書きが分かっている分、安心して観られると思ったのです。






 数日後、私は淡いグリーンのドレスを着て公爵邸のエントランスへ向かいました。


 ミカドラ様と観劇に行く日が来たのです。

 王都で最も大きな劇場の最も高額な席が手配されたと聞いて、私は自分の失敗を悟りました。もっとよく吟味すべきでした。身分的にも年齢的にも場違いではないでしょうか。

 尻込みする私に対し、ペイジさんから「今の内から慣れておいたほうがよろしいかと」という助言をいただきました。確かに、公爵家の一員となるからには、いつまでも気後れしていられませんね……。


「待たせたか」

「いえ、今来たところです」


 後からやってきたミカドラ様も正装をしていらっしゃいました。少し着崩していらっしゃるのがまた格好良いですね。


「すみません、お付き合いさせてしまって」

「別に、たまにならいい。……それ、やっぱり似合っているな」


 ミカドラ様は私の耳に目を留めて、少し嬉しそうに言いました。

 そうなのです、ここぞとばかりに誕生日に戴いたイヤリングをつけて参りました。


「ありがとうございます」

「行くぞ」

「はい」


 差し出された手をとって、馬車に乗り込みます。


 王都最大の劇場というだけあって、とても立派な建物でした。

 夜だというのに周囲は明かりが灯され眩しいくらいで、華やかに着飾った方々が出入りしているのを見ると、どんどん気後れしてしまいそうになります。

 しかし、エスコートして下さるミカドラ様が迷いない足取りで進むので、私はなんとか平静を保てていました。


 舞台がよく見える貴族専用の席の中でも、真ん中のボックス席に案内されました。

 左右と後ろが区切られており、他の観客の視線は気になりません。これなら劇に集中できそう……とはなりませんでした。


 席が二人掛けのソファだったのです。

 ふかふかで座り心地は良いのですが、ミカドラ様がすぐ横にいらっしゃるので自然と体が緊張してしまいます。


「ルル、もう少し俺にくっつけ」

「え!?」


 ミカドラ様は嘘か本気か分からないような淡い笑みを浮かべていました。


「これからは二人で出かけることも増えるだろうからな。近い距離に慣れておいた方が良いと思うが」

「……そ、それは」

「嫌なら別にいい」


 嫌なはずがありません。

 私は躊躇いがちにミカドラ様の腕に掴まりました。卒業パーティーの帰りの馬車とは違い、恥ずかしさが勝ります。それでも客席が暗かったことと、周囲から雑談の声が聞こえてくるので何とか耐えられそうです。

 こっそりミカドラ様のお顔見上げたら、ばっちり目が合いました。そして、耳元で囁かれました。


「お前はこの舞台の内容を知っているんだったな」

「は、はい。ミカドラ様の好みに合うか分かりませんが、とても良い小説でした」

「そうか。楽しみにしておく」


 良かったです。

 まだ体が怠いかもしれないのに、観劇に誘ってしまって迷惑ではなかったか心配でしたが、今夜のミカドラ様はご機嫌な様子です。

 気分転換どころか、とても素敵な思い出を作れそうです。


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