67 痛み分け
実は、ヘレナさんにお会いする前に、ほとんどの経緯は把握していました。
卒業パーティーの翌日、サリヤ様と侯爵夫婦が公爵邸まで謝罪に来てくださったのです。私に、というよりもベネディード家の顔色を窺いにいらっしゃった感じでしたが……。
ルヴィリス様とミカドラ様が一緒に応対して下さり、私はただ戦々恐々としていました。
元はと言えば、私がヘレナさんの恨みを買ったことが原因なのに、王国の爵位持ち貴族を巻き込む事態になってしまい、生きた心地がしなかったのです。
サリヤ様もまた私同様に青い顔をして、今にも死んでもしまうのではないかというほど弱々しい声で言いました。
『わ、わたくしが軽率でした。よく調べもせず、あの子の言い分を信じてしまって……申し訳ありませんでした』
可愛がっていた妹分のヘレナさんに頼られ、軽い気持ちで私を成敗しようとしたらしいです。
当然、私がミカドラ様の婚約者という事実は知らされていませんでした。言い様によってはサリヤ様もヘレナさんに騙され、窮地に追い込まれた被害者と言えなくもありません。
ヘレナさんの手口は巧妙でした。
最初はサリヤ様が会長を務めていたお茶会クラブの活動時間に、私のことを話題にしているだけだったそうです。
学院の成績がいいだけで、頭が良いと勘違いしている。
見よう見まねで王都のファッションを取り入れようとしていて、痛々しい。
お金がなくて働きに出ているのをアピールして、たかろうとしてくる。
身分が上の貴族生徒に対してはへりくだるのに、平民に対しては横柄な態度を取っている。
弟が生まれて後継者になり損ね、家柄の良い男子生徒に取り入ろうと必死になっていて見苦しい。
……と言ったような陰口を遠回しな言い方で日々サリヤ様たちの耳に入れ、私の評価を著しく下げておいてから、ある日、「私の婚約者に色目を使って誘惑した」と盛大に泣きついたそうです。
しかし、具体的に「ルル・アーベルを排除してほしい」とは言わずに健気な被害者を装って、あくまでもサリヤ様たちが自主的に動くように誘導したらしいです。
ヘレナさんから話を聞いて、私のことを浅慮でみっともない、権力に弱い人間だと侮ったサリヤ様たちは短絡的に行動してしまいました。
ろくに私のことを調べもせず、権力と集団の圧力で押し切れば、誇張させた噂を認めさせ、泣いて許しを請うだろうと高を括ったのです。
また、前々年はミラディ様、前年はアルテダイン殿下の卒業年で華々しかったパーティーが、今年は特に話題にもならないのが面白くなく、余興感覚で私を糾弾して盛り上げようとしたらしいです。
結果的に、衝撃的なパーティーになってしまいましたね……。
ミカドラ様と私の関係が明るみに出て、あの後のパーティーは異様な空気だったらしいです。卒業の感傷に浸ることもできず、パーティーの話題は下級生の驚愕の婚約発表に持っていかれ、無関係の先輩方には散々なものになってしまいました。
『ルルさん、あなたの名誉が回復するよう誠心誠意努めさせていただきます。それ以外にも償う方法があればなんでもおっしゃってください。本当に申し訳なかった!』
『今後二度とこのようなことがないよう、厳しく教育し直しますので、娘の愚かな行いをどうか許していただけないでしょうか』
サリヤ様にもご両親に頭を下げて謝罪され、私は肝を冷やしました。
大人に、それもこの国の侯爵様にこのように振舞われ、恐縮しない人間がいるでしょうか。
『あ、頭を上げてくださいませ。お気持ちはよく伝わりました。……パーティーでの発言を全て撤回していただけるのなら、他には何も望みません。その、正直に申し上げて、私としても禍根を残したくないのです』
侯爵家の皆様は、ほっとしたように表情を緩めました。
サリヤ様などは、涙を流しています。
その後、穏便に解決する方向で話がまとまりました。
今回はキャロル様の時とは違い、全ての真実を明るみに出すことになりました。サリヤ様が卒業パーティーで私を糾弾することになった経緯を、全て。
すなわち、ヘレナさんが全ての元凶であったと公表したのです。
今日、ヘレナさんは学院に退学手続きをしにやってきました。
ご両親はヘレナさんを連れて公爵家と侯爵家に謝罪しに行こうとしたようですが、彼女が頑なにそれを拒んだのです。当の本人が反省していないと分かったため、ルヴィリス様も侯爵様もヘレナさんのご両親の謝罪を受け入れませんでした。
結果、公爵家と侯爵家の不興を買ったと周囲に見なされ、ヘレナさんは両親からは見放され、決まっていた婚約も破棄されたそうです。
これからは遠い親戚に預けられることになったと聞きました。王国の端にある、寒さの厳しい農村です。
王都の流行に敏感で、貴族であることに何より誇りを持っていた彼女に、耐えられるでしょうか。
「失敗したらこうなると、予想できなかったとは思えません。それが分かっていても、私やサリヤ様を陥れたかったのですか?」
私が問いかけると、ヘレナさんは口の端を持ち上げました。
「ええ。だって、腹が立ったもの。わたしは八つも年上の成金商人に嫁がないといけないのに、ルルさんみたいな地味な娘が次期公爵の妻だなんて……不公平だわ。サリヤお姉様もよ。わたしが嫌がっているのが分からなかったのかしら? 『婚約おめでとう、盛大にお祝いさせてね! ああ、式が楽しみだわ』だなんて、よくも無神経なことを言ってくれたわね」
表情こそ笑顔ですが、彼女の瞳は全く笑っていませんでした。
「それで、アーチェさんにも嫌がらせを?」
「ええ。彼女にも気に障ることを言われたし、ルルさんを孤立させるためにも必要なことだったの。あちらは面白いくらい上手くいったわ」
最近、アーチェさんのご実家の商家は大変なことになっていました。
ヘレナさんは婚約者の方を唆して、アーチェさんのご実家に取引を持ちかけさせました。大量の注文をして、その中の契約の一つに不当な内容を紛れ込ませ、それを盾にアーチェさんの家に負債を抱えさせたそうです。
「どう? アーチェさんからルルさん経由で公爵家に借金のお願いはあった?」
「いえ……」
「そうなの。意地っ張りねぇ。彼女もあなたになんか頼りたくなかったんでしょうね」
ヘレナさんは馬鹿にしたように笑っていますが、私は少しも面白くありませんでした。
確かにアーチェさんは、決して私を頼ろうとはしませんでした。
『これくらい、大したことじゃないわ。家族に命の危険があるならともかく、ちょっと生活が苦しくなるくらいで、ルルさんの立場を悪くするような真似はしないわ。この友情を大切にした方が絶対にお得だもの。あたし、損得勘定は得意なのよ』
様子を伺いに行ったとき、アーチェさんは悪戯っぽく笑っていました。
ルヴィリス様にお願いすれば、アーチェさんのご実家の負債を肩代わりしてくれるかもしれません。
しかし、私はまだ公爵家の人間ではありません。今の立場で個人的な問題解決に公爵家の財を使えば、周囲にどのように見られるか……。
アーチェさんは私の未来を尊重して下さったのです。ならば私も彼女の矜持と心配りを尊重することにしました。
「アーチェさんのご実家でしたら、心配要りません。得意先との商談を手放すことになったそうですが、経営自体は数年で立て直せると思います」
実は、計ったようなタイミングでミラディ様から手紙が届きました。ヤクモ様が「将来有望な若い女性商人がいたら紹介していただきたい。シロタエの美しい織物を卸したい」と言っているそうです。
これも占術のなせる業なのでしょうか。ミラディ様とヤクモ様からの粋な計らいだと解釈し、私はアーチェさんを推薦しました。
「あ、そう。つまらないわね」
興味を失ったのか、ヘレナさんは深いため息を吐きました。
「もういいかしら? わたしに何を期待していたのか知らないけれど、あなたの望むような言葉は言わないわよ」
どうやら見透かされていますね。
私は小さく息を吐きました。
「……ヘレナさんに対して私の配慮が足りなかったことは認めます。しかし意趣返しにしては行き過ぎていると思いませんか?」
「別にいいじゃない。優しくて頼もしい婚約者に守ってもらえたんだから。これからも、公爵家に守られて生きていくんでしょう? 羨ましい限りだわ」
確かに、私はミカドラ様やベネディード家の威光に守られています。ヘレナさんも私に大きな痛手を与えることはできないと分かっていて、このようなことを仕掛けたのでしょう。
ヘレナさんの真の目的は、私とミカドラ様の関係を望まぬ形で公にすることだったのだと思います。
「成人まであと一年。ルルさんが学院でどんな思いをするのか、楽しみだわ。表面上は婚約を祝っていても、内心では呪っている方ばかりでしょうね。わたしのように」
胸がチクチクと痛みました。
私はこれから、ミカドラ様や公爵家にふさわしいかどうか、周囲から値踏みされるようになります。私が下手なことをすれば、私を選んだミカドラ様まで格を下げることになる。あらゆる嫉妬と偏見に晒されるでしょう。そんな緊張感と戦いながら学院生活を送らなければなりません。
ヘレナさんは私にそのような苦しみを与えたかったのでしょう。
このようなことはしたくありませんでしたが、私も傷つけられてばかりではいられません。せめて痛み分けで終わらせたいと思います。
「……お話を聞いて、ヘレナさんのお気持ちはよく分かりました。どうしても、私や皆さんに謝罪をするつもりはありませんか?」
「誰がそんなことを――」
「心が伴ってなくても構いません。一言謝って下されば、私は許します。ご両親や侯爵家にもお許しいただけるよう協力もします。もしかしたら元の生活に戻れるかもしれませんよ。それでも謝らないという選択をしますか?」
「っ!」
ヘレナさんは笑顔を引っ込めて、息を呑みました。
しかし葛藤の表情を見せた末、彼女は席を立ちました。
「謝らない。あなたの助けなんて必要ないわ!」
私は内心の後味の悪さを堪え、冷たい微笑みを浮かべました。
私はきっとヘレナさんから受けた仕打ちを一生忘れないと思います。心が深手を負ったのです。
ならばヘレナさんも、私の刺した言葉の棘で一生苛まれてください。
許し合えないのなら、同じ苦しみを背負って痛み分けといたしましょう。
「そうですか。ヘレナさんは強情な上に幼稚ですね。いつか絶対に、この選択を後悔します。しかし選んだのはあなた自身なので、これ以上私のことを逆恨みしないでくださいね」
ヘレナさんの頬がかっと赤くなりました。
「公爵家の力を自分のものと勘違いした田舎者が……! 後悔するのはあなたの方よ! 身の程知らず!」
そう捨て台詞を吐いて、ヘレナさんは走り去っていきました。
その背中が見えなくなるまで見送ってから、私は脱力してティーテーブルに突っ伏しました。
勘違いなんてしていません。分かっています。
私自身には何も力がありません。
サリヤ様が謝罪に来てくださったのも、ヘレナさん相手に上から目線で話せたのも、全てミカドラ様とベネディード家の力があったからです。
「…………っ」
悔しくて、恥ずかしくて、しばらく涙が止まりませんでした。




