66 不屈
私たちを追いかけてくる方はいませんでしたが、人気のない場所で待ち構えている方はいました。
今日が無事終わったら話しかけようと心に決めていた方です。
「マギノアさん?」
「……ルルさんっ!」
彼女は制服姿でした。最初からパーティーに参加するつもりがなかったようです。
ミカドラ様には目もくれず、一目散に私に駆け寄って縋りつきました。どうやら泣いていらっしゃるようで、私は訳が分からぬまま宥めました。
「ど、どうしたんですか?」
「ごめんなさい! 信じられなくて……っ」
「え?」
涙とともに、ぽつりぽつりと言葉が零れてきます。
「ルルさんが……、私のことを内心鬱陶しがっているって、聞かされて……そんなこと言うはずないって分かっていても……でも、直接確認するのが怖くて……私、どうすればいいのか分からなくなって……っ」
マギノアさんとはここ最近、避けられて気まずい関係になってしまっていましたが、その原因が分かりました。
どうやらマギノアさんも私に関するデタラメを吹き込まれたようです。
「珍しく俺のところに相談しに来たんだ。こいつは友達が少ないからな」
ミカドラ様がため息を吐くと、マギノアさんは目を吊り上げました。
「あんたに言われたくない! 真剣に相談したのに鼻で笑ったこと、一生忘れないから!」
「簡単に騙されるからだ。ルルより、よく知りもしない相手の言葉を信じるなんて、馬鹿じゃないか?」
「迫真の演技だったのよっ」
そう喚いた後、マギノアさんは大きく肩を落としました。
「悔しいけど、ミカドラの言う通りよね。私が馬鹿だった。変な態度を取って、本当にごめんなさい。……ゆ、許して下さる?」
マギノアさんは私に嫌われているのかもと思って、ずっと不安だったようです。その涙に濡れた瞳を見たら、これ以上責められません。同じことをされたら、私もきっと不安な気持ちになったでしょうから。
「少し悲しかったですが……また元通り仲良くしてくださるのなら、嬉しいです」
「ルルさん……! ありがとう!」
安堵したのか、マギノアさんはハンカチで涙を拭いて、再びミカドラ様を睨みました。
「本当はもっと早く謝りたかったんだけど、こいつが今夜まで我慢しろって言ったの。敵が仕掛けてくるまで無防備を装いたいって……ルルさんに何も説明してなかったんでしょう? ひどい男」
「向こうの狙いも、本当にパーティーで糾弾するのかも、最後まではっきり分からなかった。俺の情報網では、女同士の密かなやり取りまでは調べられなくてな。嵌めようとしていた相手がルルではなく、あの平民の女子生徒の可能性もあって迂闊に動けなかった」
「はぁ? だからって――」
「その話は今度にしてくれ。そろそろルルを休ませたい。お前も帰れ」
ミカドラ様はマギノアさんを追い払うように私から引き離しました。
「何よ、ベネディード家のお屋敷にルルさんを連れて行くつもり?」
「そうだ。寮に帰すのは心配だからな」
「……まぁ、確かにルルさんを寮に一人にするのは良くないわね。これからも、いえ、これからはより一層しっかりルルさんを守るのよ!」
「言われるまでもない」
私の口の挟む余地のないまま、今夜は公爵邸でお世話になることが決定いたしました。正直に言ってとても助かります。今夜は寮に戻る気にはなれません。
寮の自室よりも公爵邸の方が安心できるなんて、私も随分図々しくなったものです。
「行くぞ、ルル」
「あ……申し訳ありません。少々お待ちください」
私はマギノアさんに向き直りました。
「マギノアさん、教えていただきたいんです。誰があなたに嘘を吹き込んだのか」
「それは」
「大丈夫です。私も本当は分かっているんです。ですが、はっきり名前を聞いておかないと……」
現実を直視できないのです。
マギノアさんは躊躇いがちに口を開きました。
「――――」
想像通りの名前に、楽しくもないのに笑ってしまいそうになりました。
マギノアさんと別れ、公爵家の馬車に乗り込んで学院から離れると、ようやく全身から力が抜けました。
「顔色が悪いな」
「少し、疲れてしまって」
今夜は人生で一番と言ってよいほど、衆目に晒されました。
知らぬうちに随分緊張していたようです。体の節々が痛いですし、群衆に軽蔑される恐怖を思い出すだけで体が震えます。
「もう気を張る必要はない。俺にもたれてもいいぞ」
「……ありがとうございます」
いつもだったら照れてしまって甘えられなかったでしょうが、今夜はもう虚勢を張る力も残っていません。ゆっくりと進む馬車の振動にすら負けてしまいそうで、私は少しだけミカドラ様の方に体を預けました。
しっかりと体を支えて下さりながら、ミカドラ様が珍しく沈んだ声で言いました。
「ルル……本当に悪かった。ここまで消耗するなら、先に伝えておけば良かった」
「いえ。ミカドラ様が私を守ろうとして下さったのは分かっていますから」
私とキサラさん、どちらが標的なのか分からないのに、狙われていると伝えて怯えないようにしてくださったのでしょう。
……誰が裏で先輩方を操っているか私が気づかないように、配慮して下さったのかもしれません。
「それでも、相談くらいするべきだった。早く片を付けたくて知らぬうちに焦っていたな。それに、俺としたことがルルのことを見くびっていた。上級生相手に言い返す姿はなかなか格好良かったぞ」
「ですが、後先を考えていませんでした。ミカドラ様が助けに来てくださらなかったら、とても格好悪いことになっていたと思います」
「そうか。なら、駆けつけた甲斐があったな」
私は小さく笑って、ミカドラ様を見上げました。
「本当にありがとうございました。それに、ご面倒をおかけして申し訳ありませんでした」
「お前が謝ることじゃない」
「そういうわけにはまいりません。だって、元はと言えば、私の……」
言葉が続きませんでした。代わりに、心にぽっかりと開いた穴から、痛々しい感情が溢れてきます。
最も大きな痛みは、友人だと思っていた方に裏切られた悲しみでした。
不思議です。それほど仲が良かったわけではありません。深い話をしたこともなければ、休みの日に一緒に出掛けたこともない、取るに足らない間柄です。
それでも、悪意を向けられればショックでした。つい昨日まで笑顔で話していた相手が、裏では悪辣な企てをしていたのだと思うと、人間不信になってしまいそうです。
今夜起こったことは、冗談では済まないことです。
私のみならず、サリヤ様たちの人生にも大きな影を落とすでしょう。
そこまで強く憎まれていたなんて……。
「…………」
私は間違えてしまいました。
今宵の出来事の発端は、きっと“彼女”が自分の人生を諦めかけ、絶望している時に、私とミカドラ様の関係を報せてしまったせいです。
配慮が足りませんでした。恨まれても仕方がないと思います。
だけど、だからと言って、このままで済ませることはできません。
“彼女”は私以上の過ちを犯しました。屈するわけにはいきません。
このままミカドラ様に全ての解決をお任せして、私はただ悲しみが癒えるのを待つだけなんて、嗤われてしまいそうではありませんか。
「ミカドラ様」
「なんだ?」
「重ね重ね申し訳ないのですが、ひとつお願いをしてもいいでしょうか?」
二年の学年末の休暇が始まった日。
私は学院の温室にいました。ミカドラ様にお願いして、いつものように貸し切りにしていただきました。
正面の席に座っているのは、不貞腐れたように笑う友人。
「わざわざこんな場を設けなくても良かったんじゃないかしら。もう全部想像がついているんじゃないの? 今更話すことなんてないでしょう」
いえ、友人だと思っていた方、というべきでしょうか。
「決めつけは良くありません。はっきりさせて、今後の戒めにしたいのです」
「そう。相変わらず真面目ね。無粋だわ」
吐き捨てるような物言いにも心を乱さぬように努め、私は静かに問いかけました。
「ヘレナさん……どうしてあのようなことを企てたのですか?」




