65 頼り
立ち向かうことを選んだ私は、なおもサリヤ様に睨まれていました。
「いいでしょう。そんなに無実を主張するのなら、あなたのことを時間をかけて徹底的に調べても文句はありませんね? 皆様も、よろしくて?」
またざわめきが広がります。
望むところです、と言いたいところですが、サリヤ様の魂胆が読めているだけに素直に頷けませんでした。
私のことを調べても、噂にあるような悪事の証拠は出てきません。しかし、証拠がなければ作ればいい。
きっと、私に脅されたという平民の生徒や、男子生徒を誑かしているところを見たという証人が現れるに違いありません。当然サリヤ様の息のかかった者たちです。
……ただ、最初からそういう証人を用意していなかったのが気になります。私のことを随分と見くびっていたのでしょうか。それとも、単純に私を陥れることが目的ではないのかもしれません。
サリヤ様はおそらく私の“秘密”を知りません。知っていたら、このような糾弾はできなかったでしょうから。
ということは、サリヤ様は“彼女”に良い様に利用されているということ。では、“彼女”の目的とは何なのでしょうか。
「なぜ黙っているのです。やはり調べられると困ることがあるのですか?」
とにかく今は、この場の対処です。
時間を与えれば不利な証拠を捏造されてしまいます。なんとかこの場で決着を付ける方法を探さなければ。
あとで実家とベネディード家に迷惑をかけないためには、今ここで疑いを完全に晴らさないといけません。
……しかし、そのようなことが可能でしょうか?
元々悪い噂そのものが捏造されて広められたものなので、別の方に罪を着せることはできず、噂を流した方にその悪意を認めさせるしか思いつきません。
難しいです、とても。
私が苦しみながら思案している間に、遠くから女子生徒の黄色い悲鳴が聞こえました。私とサリヤ様に集まっていた注目が逸れ、会場の入り口の方で動きがありました。
その波はどんどん広がり、やがて人だかりを割って一人の少年が私たちの前に現れました。
「…………」
一瞬、どなたなのか分かりませんでした。
いえ、見間違うはずもないのですが、少しの間お会いしていなかったことと、この場の誰よりも麗しい礼服姿だったこともあり、見惚れて思考が停止したのです。
だいぶ背が伸びて、男性らしさが増しました。端正な顔立ちがさらに洗練されたような気がいたします。
「ミカドラ様、素敵……」
先ほどまでの騒動のことなど忘れ、女子生徒たちも呆けています。
ミカドラ様は周囲からの視線など意に介さず、すぐ近くまで来ると、じっと私を見つめました。
どうする、と目で問いかけられています。
「…………」
この場を収める方法としてはだいぶ乱暴ですが、私と関係者全ての名誉を守るためにはもうこれ以外の方法がないように思えます。
きっとミカドラ様は、このためにわざわざ今日この場に来てくださったのでしょう。一体どこまで読んでいたのかは分かりませんが、面倒くさがりな彼がこうして助けに来てくれた。
その嬉しさが、恐怖を大きく上回りました。
私は深呼吸をして、頷きを返しました。
よろしくお願いします、という気持ちを込めて。
トラブルへの対処は、その物事を得意としている人間に助けを求めることが最も簡単な方法である、と以前ミカドラ様に教えていただきました。
ミカドラ様にご迷惑をかけないために力を付けたかったのに、そのミカドラ様を頼ってしまうのは不本意ですが、もはや私の手には負えません。助けていただくことにします。
「頼られて安心した。悪かったな、不安な思いをさせて」
ミカドラ様がそう言って口元を緩めると、また黄色い悲鳴と大きなどよめきが起こります。声変わり中、と聞いていましたが、さらに耳心地の良い声になったのですね。しかし口調がそのままなので何も違和感はありません。
そのまま私に歩み寄り、自然な動作で私の手を取りました。
「いえ。ミカドラ様が心配不要だと伝えてくださったので……ありがとうございます」
ミカドラ様がそっと私の手の甲に口づけを落とすや否や、辺りは騒然としました。
サリヤ様は目を見開いて凍りつき、キサラさんは目を輝かせて息を呑みました。
私まで思わず悲鳴を上げてしまいそうになりましたが、鉄の自制心で耐えました。私たちが特別な関係にある、という分かりやすいアピールをしてくださったのです。自然な態度を取らなければ、また変な勘繰りをされてしまいます。
「ど、どういうことですの!?」
「あなた、ミカドラ様と一体どういう関係で――!」
人だかりの中からジュリエッタ様たちクラスメイトの女子生徒が前に出てきました。
ミカドラ様は小さく舌打ちをしつつも、私の隣に並ぶと宣言しました。
「俺とルルはもうすぐ婚約する。これは一年半以上前から決まっていたことで、両家の間でも話は済んでいる。うるさく騒ぐな」
本日一番の衝撃がパーティー会場に駆け抜けました。騒ぐなというのは無理な相談でしょう。
ただ、ミカドラ様に想いを寄せていたであろう方々の半数以上は、絶句して静かでした。ジュリエッタ様ですら、生気が抜けたようにその場に立ち尽くすのみです。
しかし彼女たちよりも、サリヤ様とその取り巻きの方々の方がダメージは大きかったようです。みるみるうちに顔色が悪くなっていきます。
「ルルは卑しい噂とは無関係だ。土日はずっと俺の家に来て勉強していたし、経済面では苦労させていない。何より、この俺を捕まえているのに、他の男を誘惑する必要がどこにある?」
「なぁ?」と目で問われ、私は何度も頷きを返しました。
自信満々で傲慢なところにときめいてしまいました。ミカドラ様のあまりの格好良さに私の知能が著しく低下していくのを感じます。いろいろな出来事が連続して起きたということもあって、もう気力が限界のようです。
……ただ、先輩方の卒業の晴れ舞台を見事に台無しにした罪悪感が大きく、幸せを噛みしめる気にはなりません。
サリヤ様たちはともかく、他の卒業生の方たちにはとても悪いことをしてしまいました。
しかし、この場を乗り切るためには、もはやこの手しかありませんでした。
侯爵家のご令嬢に対して、さらなる権力を持つ公爵家の力でねじ伏せる。なんてシンプルで乱暴な解決方法でしょう。決してスマートではありません。
元々信憑性のない噂だった上に、ミカドラ様が私を庇ったことで皆様も私の潔白を信じてくださるでしょう。いえ、信じざるを得ないというか、下手に疑って公爵家の不興を買いたくない、というのが本音ですね。
もうしばらくミカドラ様との関係を秘密にしておく予定だったのですが……。
その時になってようやく私は気付きました。
この悪意に満ちた計画を仕組んだ“彼女”の目的はこれだったのだ、と。
「おめでとうございます!」
「よくお似合いですわ」
「やはり噂は全て嘘だったんだな」
卒業生の中から、一部の生徒がにこやかに祝福の言葉を送ってくれました。
「そうだったんですね! じゃあ行楽会の時にはもうお二人は……わたし、全然気づかなかった! 素敵です!」
私が呆気に取られていると、キサラさんが興奮したように拍手して下さいました。それに釣られたのか、一、二年生の中からも拍手が聞こえ始めました。
まさかこんなにすぐに事態を把握して祝ってくれる方がいるとは……ベネディード家の威光を前に手のひらを返した、にしても露骨すぎます。
「仕込みだ」
「ああ……」
ミカドラ様がこっそり耳打ちして下さいました。
どうやら頃合いを見て流れを変えるために、人員を配置していたようです。抜け目がありません。
よく見れば、祝福して下さった卒業生の一人はエルドン家のキャロル様でした。
同級生たちからも見捨てられ、サリヤ様たちはますます窮地に追い込まれてしまいました。
ミカドラ様は冷たい一瞥を向けて言います。
「ルルは、俺に見初められるほど優秀な女だ。そのことに嫉妬して陥れようとした愚か者がいる。お前たちは利用されただけだが、理不尽な方法で俺の婚約者を侮辱したんだ。馬鹿なことをしたな。簡単には許さない」
「それはっ。どうかわたくしの話を――」
「この場でこれ以上話すつもりはない。もう黒幕の目星はついているしな。お前たちの言い分は親にでも聞いてもらえ」
子ども同士の喧嘩で済ますつもりはない、と宣言したようなものでした。家を巻き込んでしまうことを自覚し、サリヤ様の顔色がより一層悪くなります。
「今後とも、ルルに危害を加える者がいたら、容赦しない。重たい家名はこういう時に使わないとな」
王国一の大貴族であるベネディード公爵家に楯突こうとする生徒はほとんどいないでしょう。これで、私の今後の学院生活はなんとか守られそうです。
本当に、全て助けていただきました。申し訳なく感じるくらいです。
「せっかくの卒業パーティーを騒がせてしまって、先輩方には申し訳なかった。後日、我が家からお詫びと卒業祝いを贈ります。……卒業おめでとうございます」
最後にこう締めくくって、ミカドラ様は私の手を引いて会場を後にしたのでした。




