64 理不尽な断罪
サリヤ様を筆頭に、数名の女子生徒が真っ直ぐ私たちに近づいてきました。大きなどよめきとともに生徒たちが道を譲ります。
私とキサラさんを含め、事情が分からない者たちは戸惑いを隠せません。
しかし、ちらほらと口元に笑みを浮かべている方もいますね。先輩方だけではなく、同級生や後輩たちの一部もこれから起こることを知っているかのようでした。
ヒールの音が大きくなるにつれ、私の頭は不思議と冷静になっていきました。
サリヤ様がおっしゃった良くない噂というのは、ここのところ耳にしてきた不自然な噂のことでしょう。
教師に媚びを売って成績を上げさせたり、平民に恐喝行為を行ったり、友人の婚約者を誘惑したり、高等部の生徒といかがわしいことをしていたり……その悪評だらけの女子生徒を糾弾しようとしているのですよね?
全ての噂が同じ人物を指していたというのは、あまりにも不自然です。
サリヤ様が首謀者なのかどうかまでは分かりませんが、誰かがこの日のために悪意を持って流した嘘としか思えません。
つまり、罠に嵌められたのです。
普通に考えれば、標的はキサラさんのように思えます。
性格も素行も問題なく、彼女自身にはなんの落ち度もありませんが、平民という身分に似合わぬその美貌は時に周囲に不和をもたらしていました。男子生徒にちやほやされている様を見て妬んでいる方も多いでしょう。
一方私は、表向き目立ったところのない田舎領主の娘です。問題行動を起こした覚えもありません。槍玉に挙げられる理由はないはずです。
しかし、私には大きな秘密があります。
その後ろめたさからか、肌にまとわりつくような嫌な予感を無視できなくなっています。
サリヤ様は私とキサラさんの前に立つと、堂々と宣言しました。
「ルル・アーベルさん。あなた、大人しそうな見た目に反して、随分とあくどいことをなさっていますのね?」
冷たい軽蔑のこもった声が、会場に響きました。
嫌な予感が的中し、私の全身から血の気が引いていきました。キサラさんも隣で息を呑んだようです。
「身に覚えがないと言いたげな顔ですわね。名演技だこと」
「そんな、私は――」
「観念なさってくださいね。なんの証拠もなく、わたくしが大切な卒業パーティーを混乱させてまで、このような残念な告発をするはずがないではありませんか」
私が唖然としている間に、サリヤ様は滔々と語り出しました。
ここ最近女子生徒の間で盛んに噂されていたことの内容を。
「そんなことが行われていたなんて」
「あの子のこと知ってるか?」
「とてもそんな悪女には見えませんが……」
「でもあのサリヤ様が自信満々におっしゃっているのよ」
何も知らなかった方たちの声が聞こえます。
このままでは、無害そうな顔をしながら陰で好き勝手に振舞う悪女として認定されてしまいます。
「ルルさん、あなたのご実家は近年の不作で領地経営が上手くいっておらず、休みの日に知り合いの店を手伝って学費を補填しているのですってね。成人前に働きに出るのは褒められた行為ではありませんけれど……苦学生ならば、まぁ、仕方がないことですわ。しかし、土日に働いているにしては随分と成績が良いようですね。今年度に入ってからはクラブに入る余裕もできたご様子。それに、あなたの寮の部屋に不似合いな香水が置いてあったという話も聞きましたよ。なんだかおかしくありませんこと?」
サリヤ様は、まるで歌劇の主役のようによく通る声で疑惑を投げかけました。
「あなたが手伝っているという商店のことを調べたところ、驚くべきことに、この数か月あなたが出入りしている様子はありませんでした。休日に働いているというのは、全て噓だったのよね? あなたはクラブの先輩に取り入って貢がせている、あるいは平民の方に金品を強請っているのではなくて? そうやって他人を利用することを覚えてからは、教師にも媚びを売って成績を保持させているのでしょう。苦労しているという割に、肌も髪も艶があってお綺麗だもの。おまけに善良な生徒のフリがお上手で……友人の婚約者まで誘惑するなんて、品性を疑いますわ」
信じられません。
休日に商店に出入りしていない、という一点のみ以外、全て憶測でものを言っているだけではありませんか。
自信満々な割にサリヤ様のお話には決定的証拠などありませんでした。
情報の出所は定かではなく、被害者の証言もなく、私と噂を結びつける論拠も薄い。客観的に考えても、こじつけだらけの理不尽な糾弾です。
聞く人が聞けば、これが私を陥れるために用意されたシナリオだとすぐに気づくでしょう。あまりにも稚拙な話ですから。
怯えや驚きを通り越して、怒りすら湧いてきました。
お父様や盤戯クラブの先輩のことも侮辱されたのです。
否定しなければ……いえ、もうそのようなレベルの話ではないのかもしれません。
「最低ね」
「恥ずかしい方……」
周囲から嘲笑と侮蔑を浴びて、私の心は急激に弱っていきました。
当たり前の話ですが、私と侯爵令嬢のサリヤ様では社会的信用度や学院内での影響力が違います。
大衆がどちらの味方をするのか、考えるまでもありません。話の正否など重要ではなく、サリヤ様を勝たせようという集団心理が働きます。
「なんて迷惑なのかしら」
「調子に乗っちゃったのね」
「厚顔だな」
怖いです。今すぐこの場から逃げ出したい。
現状を覆すだけの力が私にはありません。下手に反論すれば、もっと強い言葉で抑え込まれる可能性があります。
面と向かって侮辱されたら耐えられる気がしません。
聞き苦しい涙声で無実を叫ぶのは、弱者を名乗るのと同じこと。
既に勝負は決しています。
「申し開きがあれば聞きますわよ? まぁ、素直に認めるのなら、続きは別室で話しましょうか。若気の至りということで、反省するのなら来年も学院にいられるよう、取り計らってもよろしくてよ」
サリヤ様は勝ち誇ったように笑っています。
罪を認めずとも、穏便にこの場を収めるために無言を貫くべきでしょうか。
ミカドラ様を、ベネディード家を頼れば後でどうにでもできるはず。
ここで見苦しい姿を晒すわけにはいきません。私一人の問題ではないのです。だって私は将来――。
『何も心配は要らない』
ヒューゴさんから伝え聞いた言葉のはずなのに、ミカドラ様のお声で想起されました。
心臓は大きく脈打ち、足の震えは止まりません。
しかし、恐怖以上の強い気持ちが私を突き動かしました。
「きっとサリヤ様は何か勘違いされているのだと思います。私には全く身に覚えのないことです」
平静を装えている自信はありませんが、幸いにもその声ははっきりと皆様の耳にも届いたようです。
きっと私を陥れるこの計画において、私がここで反論する可能性は低いと見積もられていたのでしょう。
そうですね。かつての私ならばきっと、狼狽えて泣いていたに違いありません。
大人数から蔑まれるのは、心が壊れてしまいそうなくらい恐ろしいことですから。
サリヤ様はぎょっとしたように目を見開きました。
その隙に、言いたいことを言ってしまうことにしました。後のことは何も心配しません。
「確かに、私は休日にお店に働きに出ていません。それは認めます。別の場所で勉強と仕事の研修を受けさせていただいていて、それを内緒にしたかっただけです。私の成績は努力の結果ですし、クラブの先輩から金品を受け取ったことはありません。ましてや、平民の方を脅すなどとんでもないことです。私のような者がどのような内容で恐喝行為を働くのか疑問です。被害者の方はなんとおっしゃっているのですか? そして、私に婚約者を誘惑された友人というのは、誰のことでしょうか? 恥ずかしながら私には友人が少なく、どなたの婚約者にもお会いしたことがないのですが」
一息に言い切ると、会場中が静まり返ってしまいました。
サリヤ様も、その後ろの取り巻きの方も、顔を真っ赤にして震えています。真っ向から反論を浴びせて、怒らせてしまったようです。
やってしまったな、という居心地の悪さはありますが、後悔はありませんでした。
ここで黙って引き下がるのは、やはり間違っていると思います。
だって、私一人だけの問題ではないのです。
臆病で情けない姿を皆様の記憶に残すわけにはいきません。
将来、ミカドラ様と並び立ったときに、嘲笑われるのはごめんです。彼の格まで下げてしまいます。
毅然としていなければ。
私は亡き母の面影を思い出し、胸を張りました。
「そ、そうですよ。おかしいです。ルルさんがそんな噂のようなことするはずがありません。何かの間違いだと思います……!」
予期せぬところから私の味方が現れました。
キサラさんが瞳をうるうるさせてそう訴えてくださったのです。
「一年間同じクラスでしたけど、ルルさんはわたしみたいな子とも仲良くしてくれました。とても良い方ですよ!」
平民の彼女が上級貴族に物申すなんて、私以上に勇気が必要なはず。私は感激と感謝の気持ちを抱きましたが、一抹の不安も覚えました。
「そう、あなたたちは仲がよろしいのね。一緒に悪事を働くくらいの仲なのかしら?」
案の定、共犯を疑われてしまいました。
キサラさんの容姿だと、教師や男子生徒を誑かしたという話への信憑性が増しますからね。
「そんな……」
キサラさんが俯いて肩を揺らすと、空気が変わりました。
「ちょっと待ってください! 彼女は噂とは無関係です!」
勢いよく手を挙げたのは、ジグトさんでした。行楽会で同じ班だった方で、キサラさんに告白して玉砕された……。
「俺は彼女に惚れ抜いていますが、今まで何かを要求されたことはありません! それどころかプレゼントも受け取ってもらってないし……男を弄んで貢がせるようなこと、絶対にしてないです!」
「お、オレもそう思います!」
「僕も僕も!」
さすがというかなんというか、ジグトさんを皮切りにキサラさんを恋い慕う方々が迅速に弁護に回りました。
これにはサリヤ様たちもたじろいだ様子。
それでも気を取り直して咳払いをして周囲を黙らせました。
「証拠が……そう、こちらには証言があるのです。あなたの友人が、涙ながらにわたくしを頼ってくれましたの。葛藤しながらあなたの悪行を打ち明けてくれた彼女のことを、わたくしは信じます!」
それは、一体誰のことなのでしょう。
……なんとなく、分かっていました。しかしそれを認めたくありません。
サリヤ様の華やかなピンクのドレスを見つめ、私は奥歯を噛みしめました。




