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怠惰な銀狼と秘密の取引  作者: 緑名紺


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62 焦れた ※ミカドラ視点

 

 俺は二学期が始まってからずっと物足りなさを感じていた。


 休暇中、毎日ルルと一緒にいたせいだろうか。

 学院では一言も言葉を交わせずに終わることも多く、もどかしかった。自由気ままに生きていきたいのに、不自由で息苦しい。

 いっそ昼休みに隠し部屋に呼びつけようかとも思ったが、ルルの友達付き合いを疎かにさせるのもどうかと思って実行できなかった。俺と友人を秤にかけてどちらが大切か、などと宣うのはみっともないだろう。


 分かっている。こんなにも歯がゆい気持ちになるのは、俺たちが大切なことを伝え合っていないからだ。

 俺はルルが好きだし、ルルも多分俺のことを好きになっている。

 両想いなのに、取引を前提とした結婚の約束をしているせいで、恋愛関係を発展させる必要性がなく、心が宙ぶらりんになっているのだ。


 お互いに好きだと伝えあえば、きっと心に余裕が生まれて息苦しさもなくなるだろう。毎日がもっと楽しくなるに違いない。

 簡単な話だ。

 ……しかし、この期に及んで俺はまだ足掻いていた。


 愛の告白なんて究極に恥ずかしいことは、したくない。


 この俺がどんな顔をしてどんな言葉で好きだと伝えるのか、考えただけで頭を掻きむしりたくなるような羞恥に襲われる。

 男らしくないと笑われてもいい。格好悪いと詰られてもいい。俺はルルに嫌われなければいいんだ。






 現状維持のまま二学期も半ばを過ぎ、行楽会という忌々しい行事がやってきた。

 学院側の意図や行事の意義は理解できるが、長時間歩くのも班行動も苦痛でしかない。俺はレポートの煩わしさと引き換えに、不参加を選んだ……はずだった。


 まさかルルと同じ班になるとは。今回はクラス替えの時のように父上の小細工はなく、完全に偶然だ。

 ただ、ルルと同じ班だからと言って、わざわざ参加するつもりはなかった。同じ班にクラスで一、二を争うくらい鬱陶しい女子生徒がいるし、どうせ人目を気にしてルルとはまともに話すこともできないのだ。


 問題は同じ班の男子生徒だ。

 俺は気づいていた。彼は日頃からルルをちらちら見ている。班が決まった瞬間、その顔はルルとこれを機に仲良くなれるかもという期待で輝いていた。


 俺は心の中で天秤にかけた。

 行事に参加する面倒くささと、家で落ち着かない時間を過ごす苛立ち、どちらがマシか。


 ……葛藤の末、俺は前者を選んだ。

 不本意極まりないが、何かあって後悔するのは嫌だった。ルルが俺以外の男の前で赤面するのを想像しただけでイライラする。


 結果的に、俺の判断は正しかった。

 やはりあのニールというクラスメイトはルルに気があったようだ。二人きりにさせないよう、絶妙なタイミングで阻止できて良かった。

 悪い奴ではなさそうだし、個人的にはなんの恨みもないが、俺の心の平穏のためにルルのことは諦めてもらおう。


「早くどこかに行け」


 俺の言葉にルルはびっくりして逃げるようにその場を去った。

 きっと自分が男から好意を向けられているなんて、思いもしなかったのだろう。

 一年の時から姉上に鍛えられたこともあって容姿に磨きがかかっているし、信じられないくらい善良な心をしているからな。ルルに魅力を感じる奴が出てくるのは仕方がないことだ。

 本人にその自覚がないのが悪い。非常に危なっかしい。


 なかなか帰って来ないルルを呼びに行くついでに、釘を差しておこう。

 ルルはぼんやりと一人で落ち葉拾いをしていた。人の気も知らないで何をやっているんだ。


「俺は疲れた。慣れないことをするべきじゃないな」


 物事に過敏になるのは俺の本分ではない。もっとおおらかに、細かいことは気にせず生きていきたいのに……。

 だが、ルルを守れて良かった。


 俺が少し触れるだけで、ルルは緊張していっぱいいっぱいになる。そうやって彼女の心を占有するのは気分がいい。苛立って尖っていた心が丸くなっていくのが分かる。


「ルルさん?」


 そうやって時と場所を忘れて戯れていたせいで、ルルの友人たちに見つかってしまった。その一人が俺を毛嫌いしているマギノアだったということもあって、誤魔化すのが難しくなった。


 正直、俺はいつバレても良かった。むしろ早く公にしたいと思っていたくらいだ。ルルと過ごすのに人目を気にするのが面倒くさいし、多少なりともクラスの女子生徒が俺の気を惹くのをやめるだろう。何より、他の男どもがルルを口説かなくなるなら心穏やかになれる。

 だが、今はまだルルの立場を脅かす恐れの方が大きい。なら秘密のままでも構わない。そう思ってルルの意見を尊重してきた。


 今回の対処もルルに任せることにした。俺が何を言ってもマギノアは納得しないだろうし、他の二人についてはよく知らないのだ。


「私たちは……結婚の約束をしています。黙っていて申し訳ありません」


 ルルは葛藤の末に友人たちに俺たちの関係を説明した。

 仄かな喜びが胸に広がった。結婚相手として紹介されるというのは気分がいいものだな。


 予想通りマギノアは取り乱したが、正直に打ち明けたことが功を奏したようで、ルルと友人たちの関係が悪化することはなかったようだ。


 ……しかしそれは表面上の話だ。内心ではどう思っているのか分からない。

 想像してみるに、面白くはないだろう。自分よりも下に思っていた田舎の小娘が未来の公爵夫人になると分かれば、嫉妬の気持ちを抱かずにいられないんじゃないか。マギノアはともかく、後の二人とは表面上の付き合いのようだからな。


 ただ、実際何か行動を起こすとは思えなかった。

 弁えている人間ならば、嫉妬以上に将来公爵家の人間との交流を持てる幸運の方に価値を見出すはずだ。


「一応、学院の空気には注意を払っておいてくれ」

「分かりました。女の子って笑顔で怖いこと考えてることがありますからねぇ」


 念のためヒューゴにいろいろと命じておいた。

 こいつは入学してからの一年数か月で学院内に独自の情報網を構築している。女子生徒の輪に入ったり、教師や上級生に取り入るのが上手いのだ。みんなヒューゴの人懐っこい笑顔に完全に騙されている。

 将来は料理人や執事ではなく、諜報員としてベネディード家に仕えることになるかもしれないな。こいつに女を口説く大義名分を与えるのは危険な気がするが、これ以上ないほど天職だろう。






 二学期末、俺は初めてルルの父親に会った。

 前知識だけで判断すると、領主としては有能だが、父親としてはイマイチ信用できないという印象だ。今までの実の娘に対する扱いの悪さが俺と父上の心証を著しく損ねていた。

 ……まぁ、ルルが俺との取引に応じてくれたのは、実家での辛い経験が原因だから、ある意味では感謝すべきかもしれないが。


「どうせなら、ちょっと驚かせちゃおうか」


 ルルの父親が王都に来たと聞き、父上が不意打ちでレストランでの会談をセッティングした。父上は下位の貴族に対して傲慢に接するところがあるのだが、本人はお茶目のつもりらしい。困ったものだ。


 実際に会ってみて、思っていたよりルルの父親の印象は悪くなかった。

 娘が公爵家の跡取りに嫁ぐとなれば、大抵の貴族は目の色を変えるだろう。家の繁栄と自己の社会的地位の向上に目が眩む。

 しかしアーベル卿からは、この縁談を利用してのし上がってやろうという野心や、ベネディード家の力で暮らしが豊かになるのではという期待は一切感じられなかった。


 非常に慎重で臆病……思慮深いように思える。

 不作の年でも領民を飢えさせず、厳しい冬を乗り越えさせたという経営手腕は伊達ではない。


 何より俺の心をざわつかせたのが、驚いて焦った時の仕草がルルにそっくりだったことだ。やはり血が繋がった親子だな。

 ……ただ、謙遜が過ぎて、ルルのことを貶すようなことを言っていたのは気に入らない。


「そんなに家格差を心配されるなら、ルルさんを養子に出すというのはどうだろう? こちらで中級貴族の家に話をつけますが」


 父上はあからさまに礼を欠いた物言いで、アーベル卿に試すことにしたようだ。

 どのような態度で答えを出すのかで、今後の対応を変えるつもりだ。


 周囲との軋轢を苦慮するのなら、娘を養子に出してから嫁がせるのは悪くない選択だが、普通の親ならこの提案には抵抗を覚えるだろう。


 嫁いだ後のルルの立場を心配し、箔付けのために苦渋の選択で養子に出すことを同意するようならいい。

 もしもなんの葛藤もなく養子に出すなら、ルルを微塵も愛していないと判断せざるを得ない。


 ルルの父親は大層苦悩していた。それだけで、ルルのことを全く愛していないわけではないということが分かった。

 その表情からはベネディード家に対する怯えと、ほんの少しの不満が読み取れた。

 十数年間育てた娘をそう簡単に手放せない、と言わんばかりだった。


「前妻の娘と若い後妻の間で板挟みになって、上手く対処できなかっただけで、悪気はなかったんだろうね。優秀な前妻に対する劣等感があったせいもあるのかな」


 レストランでの会談の後、父上はアーベル卿のことをそう評した。俺もその意見に同意した。

 よくできた前妻に似てきたルルを低く見積もって貶めて、心の安定を図ろうとしていたのかもしれない。


 愚かだとは思うが、根っからの悪人ではない。父親の立場をまるっきり放棄しているわけでもない。

 実際、アーベル家の立場を複雑なものにすると分かっていても、彼はルルを養子に出すことには同意しなかった。

 ルルも父親のことを見限れないようだった。

 俺も父上も、場合によっては強引に縁を切らせようとすら考えていたが、穏便に事が進むのならそれに越したことはない。


 ……ただ、ルルの実家で、まさか継母の方に結婚そのものを反対されるとは思わなかった。

 二人目の子どもを産んで母親としての自覚に目覚めたのか、自分の株を下げてでもルルの立場の危うさを指摘したかったらしい。迷惑な善意だ。


 俺が愛人を作るなんて決めつけないでほしい。

 一番腹が立ったのは、ルルも薄々そのことを懸念していたような顔をしていたことだ。

 確かに正妻の他に平然と愛人を作る貴族は多い。政略結婚で気が合わない者同士で結ばれていたり、身分を盾に女に関係を迫るのが簡単だったり、あるいは女の方から寄ってくるからだろう。


 俺の場合、ルルの他に惹かれる女に出会ったことがないんだ。一番好きな女を正妻にするのに、わざわざ愛人を作りたいとは思わない。面倒だし、それでルルに見限られたら最悪だ。

 大体、俺の代わりにルルを働かせておいて、別の女と遊ぶのはどうなんだ。いくら俺がクズでも最低限の礼儀は守るつもりだ。


 ……ということを伝えられれば良かったのだが、あいにく親の前でそんな宣言できるほど俺の肝は太くない。


「俺を信じろ」


 最終的に圧で押し通したところ、信じてくれたようだ。

 ルルは俺の何を信じたのだろうか。

 怠惰なところか?

 だとしたら、俺の気持ちは少しも伝わっていないらしい。頭が痛くなるな。


「ルルは小さな頃からしっかりしていて手がかからない娘だった。私が頼りなかったからだろうが、どうも甘えるのが苦手みたいで……」


 滞在中、ルルが弟と遊んでやっている間、アーベル卿と二人で話す機会があった。

 ルルは甘え下手らしい。

 知ってる。遠慮や我慢ばかりで、なかなか自分の希望を言わない。


「あまりわがままを言わせてあげられなかった……だから、その」

「ルルに不自由はさせません。これから好きに生きられるよう俺が守ります」


 アーベル卿はほっとしている様子だった。

 言葉足らずで不器用なところがまた、ルルによく似ている。






 とはいえ、ルルはまだ俺に遠慮をしている。

 誕生日も俺に何か言いかけて、言えなくて泣いてしまった。

 そういうところも可愛らしいが、焦れったい。


 ……やはりルルから告白してもらうのは難しそうだ。


 俺が腹をくくるしかないのかもしれない。

 正式に婚約を結ぶ前に、お互いの気持ちをはっきりさせるべきなのだろうが……途轍もなく億劫だ。






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