61 誕生日 その2
とうとう三学期が始まりました。
先の休暇中にお父様を交えて話し合った結果、三年生になったら神殿で婚約の宣誓を行うことになりました。
宣誓と言っても、神様の前で結婚の誓いを立てた記録を神殿に残すだけで、大々的に公表するのは卒業前後の予定です。私もお父様も周囲からの好奇と嫉妬の目に晒される時間はできるだけ遅らせたいと考えたのです。
宣誓自体は、当人と両家の関係者、神官が一人ずついれば執り行えます。神殿を守るエルドン家に貸しがあるので、秘密裏に行うことも容易ですね。
この宣誓が終われば正式に婚約したとみなされます。
まだ数か月先の話とはいえ、私は浮かれていました。
もっと身を入れて精進せねばと思うものの、頬だけはいつも緩んでしまいます。
今年のミカドラ様の誕生日には、昨年の雪辱を兼ねてワンポイントの刺繍を施したハンカチをお渡ししました。
ミカドラ様のイニシャルと小さな狼だけのシンプルなものです。糸を生地と同色の濃紺にして目立たないようにしたので、縫い目をよく見なければ素人の刺繍だと分からないはず……です。
「これなら持ち歩けそうだな」
「使っていただけますか」
「ああ。気に入った」
私は胸を撫で下ろしました。
ただ、昨年の私と比べると贈り物にかけた時間が少なく、物足りなく感じました。相手が喜んでくださるのが一番と分かっていても、やはり思いの丈を込めたいのです。
だって、十四歳の誕生日は一生に一度しか来ないのですから。
……というわけで、今年も望まれない努力をしてしまいました。
「実は、まだあるんです」
私は罪を告白するような気まずさで、もう一つの包みを差し出しました。ミカドラ様が怪訝な表情で開き、出てきた焼き菓子を見て口の端を持ち上げました。
「ルルの手作りか?」
「は、はい。もし抵抗がなければ、その……召し上がっていただけませんか?」
行楽会の時にキサラさんが調理した昼食をミカドラ様が召し上がっているのを見て、本当は羨ましかったのです。
食材によって味付けを調整しなければいけない料理に比べて、分量を正確に測るのが重要視されるお菓子作りの方が私には挑戦しやすかったです。
ベネディード家の厨房でミカドラ様の好むスイーツを聞き込みしてレシピを選び、寮の厨房をお借りして何度も練習して焼き加減を研究しました。今回作った分ももちろん味見はしてありますが、果たしてミカドラ様のお口に合うでしょうか。
というか、素人の手作りのお菓子なんて、刺繍まみれのハンカチよりもよっぽどご迷惑だったのでは……。
「そんなに自信なさそうな顔をするな。食べづらいだろ」
私が自分のプレゼントセンスに悩み出している間に、ミカドラ様はお菓子を口にしていました。
「普通に美味い」
「本当ですか? あの、忌憚のない意見をお願いします」
「……少し改善の余地がある。これはこれで美味いが、俺はもっと軽い食感の方が好きだな。だから、来年を楽しみにしている」
そう言いつつ、全て召し上がってくださいました。
来年はお菓子作りを再挑戦ですね。当たり前のように来年の誕生日の約束ができるのが嬉しいです。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だろう」
……と、いうようなことがあった一か月後、今度は私が十四歳の誕生日を迎えました。
当日は学院の授業があったのですが、放課後に図書室の隠し部屋に呼び出されたところ、ケーキとお茶の用意がありました。
その準備をしたであろうヒューゴさんの姿はなく、ミカドラ様だけが出迎えてくださいました。
「察しているだろうが、誕生日祝いだ。おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
またです。また密室で二人きり……。
両家の親公認になったとはいえ、やはり悪いことをしている気分になります。というか、お父様が知ったら卒倒するかもしれません。
「ほら、座れ」
自然にソファまでエスコートされ、ミカドラ様自らお茶をティーカップに注いでくださいました。
「すみません。ミカドラ様に給仕をしていただくなんて……」
「別に、これくらい……俺には手作りは無理だから、せめて家の者に作らせてこっそり届けさせた。さぁ、遠慮せずに食べろ」
状況も相まって、今目の前にある真っ白なケーキは、王国一美しく美味しいに違いありません。私の稚拙な手作り菓子と比べるのもおこがましいです。
「いただきます……」
神聖な学び舎で、私だけがこんな良い思いをしていいのでしょうか。
喜びと背徳感で落ち着かないまま、私はケーキをいただきました。想像を裏切らない上品な甘さが舌の上に広がり、多幸感に満たされます……。
ミカドラ様は自分の分をなかなか召し上がらず、私の顔を面白そうに見ていました。恥ずかしいのでやめてほしいです。
「それで、こちらが本命だ」
お茶を飲んで一段落着いた頃、ミカドラ様が改めて小さな箱を差し出して下さいました。
「え……よいのでしょうか」
「お前も二つくれただろう。開けてみろ」
私は恐る恐る手のひらに収まる小さな箱の中身を取り出しました。
紫色の石が嵌った小さなイヤリング――シンプルなのですが、よく見ると石が花の形に並んでいてとても可愛らしいデザインです。
「…………」
こんな素敵なものを私がいただいてしまっても良いのでしょうか。感動のあまり言葉が出ません。
「気に入ったか?」
ミカドラ様の言葉に私は強く頷きました。
「あ、ありがとうございます。とても綺麗で……もったいなくて使えませんっ」
思わず泣きそうになりながら告げると、ミカドラ様は予想通りだったのか声を出して笑いました。
「そう言わず、つけてみてくれ。せっかくだから似合うかどうか確認したい」
そう言われたら、応えるしかありません。
私は震える指先でイヤリングを手にしましたが、なかなか上手くつけられません。私のあまりにも不器用な手先に業を煮やしたのか、ミカドラ様が身を乗り出しました。
「貸してみろ。痛かったら言えよ」
「!」
ミカドラ様の指先が髪と耳に触れました。耳は大丈夫ですが、心臓が痛いです。
私が緊張で身動き一つできずにいる間に、両耳に微かな重さを感じるようになりました。
「ああ、似合うな」
ミカドラ様は満足げです。
手鏡で確認すると、イヤリングが小さく揺れる度にキラキラと光り、目を奪われました。
こうしてみると私の瞳と全く同じ色の石です。わざわざ探してくださったのでしょうか。
「大切にします……」
「大切にしすぎて、これが最後にならないようにな。また、特別な日につけた姿を見せてくれ」
ああ、本当に私は幸せです。
ミカドラ様からはたくさん贈り物をいただきましたが、また宝物が増えました。
誕生日を祝っていただくことも、素敵なプレゼントをいただいたことも、未来の約束をしていただけたことも、全部が嬉しい。
こんなにも恵まれているのに、どんどん欲張りになってしまいます。
ずっと一緒にいたい。ミカドラ様の一番になりたい。この昂った気持ちを受け取ってほしい。
「み、ミカドラ様、あの……」
「…………」
「私――」
ミカドラ様がじっと私の言葉の続きを待っています。
しかし、私の頭は真っ白になってしまいました。
どんな言葉で表せばよいのか、どんな反応が返ってくるのか、脳内にいろいろなことがよぎり、どんどん頬が熱くなっていきます。
アイスグレーの瞳と視線が交錯した瞬間、胸がつまりました。
「わ、私は……っ」
あなたが好きです。心からお慕いしています。
その言葉がどうしても言えず、代わりに涙が溢れてしまいました。
「っ」
自分の臆病さに呆れてしまいました。
誕生日をこのように祝って下さる方が、冷たい言葉をおっしゃるはずがないのに。
ミカドラ様に想いを告げる行為は、死ぬのを想像するのと同じくらい怖いのです。今も、面倒な女だと思われていないか心配でたまりません。
「ここで泣くか……仕方のない奴だ」
ここぞとばかりにミカドラ様はハンカチを取り出して、私の顔の目元に当てました。先月の誕生日に私が贈ったものです。使って下さるのは嬉しいのですが、なんだかイヤリングをつけてくださった時と比べて手つきが雑です。
ハンカチ越しにため息が聞こえます。
「変な期待をさせやがって」
「!?」
私は顔がハンカチで隠れているのを良いことに聞こえないふりをしてしまいました。なんだか心の中全てが筒抜けになっているような気がいたします。そんなの恥ずかしすぎて耐えられません……。
誕生日特権をふりかざし、私は今の出来事を有耶無耶にすることを決意しました。
またいつか、機会が来たら、今度こそ想いを伝えますので、今日は許してください……。




