60 親公認
い、いきなり何を言い出すのでしょうか。
私は驚きのあまり頭が真っ白になりました。これはどういうことかとお父様に視線を向ければ、目を見開いたまま硬直しています。同じくお母様の言動が理解できていないようです。お母様の独断専行のようですね。
「なぜですか?」
ミカドラ様だけが動揺せずに問い返しました。冷ややかな視線がなんとも恐ろしいです。
お母様は小さく震え、それでも強く言い切りました。
「だって、こんなに身分差がある結婚、ルルさんの立場はものすごく弱いわけでしょう? 喧嘩になったら引くしかないし、愛人を作られても文句も言えないわ。泣き寝入りよ……」
それは思ってもいない指摘でした。
いえ、常に考えてはいますが、まさかここでよりにもよってお母様がその問題を浮き彫りにするとは思わなかったのです。
「わたしの母親は領主の愛人で、いつも悪者にされていたわ。でも、元はと言えば父の方から母に近づいたのよ。結婚していたことも身分も隠して……。全てを知ったときには既に母はわたしを身籠っていて、父の『愛しているのはきみだけだ』という言葉を信じて日陰の女になるしかなかった。これみよがしにお金を払って、後で文句すら言えないようにしたの。馬鹿にしているわ! お母さんだってきっと、平民同士で結婚して家庭を築いた方が幸せになれたのに!」
お母様は悔しげでした。
話の途中からどんどん遠慮のない口調になっていきましたが、我に返ったのでしょう、咳払いをして姿勢を正します。
「わたしが言いたいのは、身の丈にあった結婚をすべきということなの。二人は想い合っていて身分差婚をするのかもしれないけど、本当に大丈夫なのかしら。二股をかけられたら悲惨よ……?」
なるほど、言いたいことは分かりました。
一応、私のことを心配して下さっているのですね。その気持ちは嬉しいのですが、もう少し言葉とタイミングを選んでほしかったです。
お父様はすっかり青ざめていました。ベネディード家の跡取りに大変失礼な喧嘩を吹っ掛けたのですから当然です。
「どうして、俺が愛人を作る前提で話すんだ……」
ミカドラ様も不機嫌さを隠そうともせずに呟きました。
「い、今はルルさんが一番でも、将来的には分からないから心配しているの。身分の高い男は平気で浮気をするのよ。この前参加させてもらったお茶会でも、そういう話でもちきりだったもの」
お母様は怯みながらも言い返しました。
私も最近怖いもの知らずになったと思っていましたが、お母様には敵いません。その姿に尊敬の念すら覚えました。
いえ、馬鹿にしているわけではなく、本気でそう思ったのです。
だって、本当なら私が聞かなければならないことです。
将来、ミカドラ様に他に好きな方ができたとき、どうするつもりなのか。
私はミカドラ様に本気で恋をしてしまったがゆえに、恐ろしくて口に出せなくなってしまいました。
今も、お母様の暴走を止めてフォローしなければいけないのに、おろおろするばかりで声が出ません。心臓の音が体の中で大きく響き、祈るようにミカドラ様を見つめるだけ。
……ミカドラ様がどう答えるのか、私もお父様もお母様も固唾を呑んで待っていました。
「俺が、愛人なんて面倒な存在を作るわけない」
アーベル家一同を見渡し、ミカドラ様は気怠げに言いました。
「ルル」
「は、はい」
「俺を信じろ」
アイスグレーの瞳にじっと見つめられ、私はドキドキしながら頷きました。
その言葉だけで十分でした。
ミカドラ様は愛人を囲うことすら面倒……。
すとんと自分の中で納得できました。
私はお母様に向き直ってお礼を言いました。
「お母様、心配して下さってありがとうございます。でも、大丈夫です。私はミカドラ様を信じます」
「ルルさん……そんなあっさり信じていいの? 簡単な女だと思われたらますます――」
お母様はなおも何か言おうとしましたが、お父様に止められ、部屋の外に連れ出されました。
いつの間にかお母様の精神はだいぶ逞しくなっていたようです。それが良いことなのか悪いことなのか私には分かりません。
やがて、お父様だけが冷や汗を拭いながら戻ってきました。
「し、失礼。妻は特殊な環境で育ったせいか、偏見が強くて思い込みが激しく……」
「そのようですね」
ミカドラ様はため息を吐いた後、私たち親子に宣言しました。
「愛人を作るつもりも浮気をするつもりも全くないが、それ以外でも、俺に非のある問題が起きたら、ルルは対等の立場から罵倒していい。物分かりの良い振りはするな。アーベル卿も、躊躇いなく抗議して下さい」
結局その日はもう懇談するという雰囲気ではなくなり、自然と解散になりました。
……お母様は後でお父様に諭され、どうにか私たちの結婚に納得されたようです。お母様に反対されても覆りはしませんが、落ち着いて良かったです。
ミカドラ様には非礼を謝罪していましたが、私にこっそりと「ああやって釘を差しておけば、少しは浮気防止になると思うのよ」と耳打ちされました。
もはや苦笑を返すしかありませんでした。
ですが、前よりも付き合いやすくなったような気がいたします。
翌日はミカドラ様に屋敷の周辺を案内しつつ、亡きお母様の墓参りに行きました。
前回は泣いて弱音を吐く情けない姿を見せてしまいましたが、今回はちゃんとミカドラ様を紹介できます。
いろいろと幸せな報告をして顔を上げると、ミカドラ様はお墓の周りをきょろきょろと見渡していました。
「どうされました?」
「いや、別に」
その後は何事もなかったかのように墓前に花を手向け、お母様のために祈ってくださいました。
帰り道、ミカドラ様がどこか落ち着かない様子で切り出しました。
「もちろんルルも、浮気はするなよ。男と二人きりにならないように気をつけろ」
「えっ」
もちろんミカドラ様と結婚しておいて、他の殿方にうつつを抜かすような真似は絶対にしません。そもそもミカドラ様と比べて全くモテる要素のない私に、そのような機会が訪れるとは思いませんが……。
いえ、公爵家に嫁げば、周囲の男性が面白がって口説いてきたり、財産目当てで詐欺にかけられたり、スキャンダルを仕掛けられる可能性もあるかもしれませんね。
気をつけなければなりません。
「なんでそんなに驚くんだ。行楽会で男に誘われかけたことを忘れたのか?」
「あ、あれは……一時の気の迷いだと思います。大丈夫です」
「全然大丈夫じゃない。とにかく他の男とは二人きりにはなるなよ」
ミカドラ様は大きなため息を吐いて、私の手を取りました。驚いて俯くと、前髪にからかうような視線を感じました。
「晴れて親公認になったんだ。婚約者特権で、二人きりの時間を楽しもうか」
「…………はい」
私の反応を見て楽しんでいるのは分かっているのですが、冗談交じりの申し出が魅力的過ぎて断れません。
そのまま屋敷まで手を繋いで帰りました。
私はミカドラ様を信じたい。信じていたいと改めて思いました。
次の更新は少し先になります。
申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。




