59 帰省
レストランを出てからお父様が滞在している宿に移り、話し合うことにいたしました。
「ルルは純粋に彼のことを慕っているのか」
「はい」
「本当に、それだけか? お前のことだ。いくら想い合っていたとしても、身分を弁え、彼の立場のために身を引くことを考えるはずだ。向こうからの申し出だとしても、すんなり結婚の約束をするのは違和感がある……」
さすがというべきなのでしょうか。お父様は私の性格をきちんと把握していました。
「その、生活費を援助していただいていることで、断りづらいとか……無理していないか?」
それでいて、心配している様子です。こんなお父様を見るのは初めてです。
いえ、こんな風に本心を曝け出せる経験が今までなかっただけなのかもしれません。
「隠していることがあるのなら話しなさい」
今更父親面しないでほしい、という気持ちはもちろんあります。
ですが、なんとなく、お父様と腹を割って話せる最後の機会のような気がしました。ここで突き放してしまったら、家族の情を全て捨てることになります。
未練がありました。
まだ「手を尽くした」と納得できるほどには、お父様と向き合っていません。
……私は“取引”という単語は使わずに、経緯を簡単に説明しました。
「ミカドラ様は、私が領主の後継ぎとして育てられたにもかかわらず、その努力が報われないことを知って惜しんでくださったのです。ベネディード家に嫁げばその力を活かすこともできるからどうか、と。ミカドラ様は世間一般的な貴族の妻らしい女性ではなく、男性と同じように働く女性との結婚を望んでいたようでして……だからこそ、この結婚が成り立つのです」
お父様の目の色が変わりました。
「まさかルルは、将来的にベネディード家の領主業に関わるつもりなのか?」
「はい。私もミカドラ様も望んでいることですし、ルヴィリス様にもお許しをいただいています」
ミカドラ様が怠け者で、私がほとんど全ての執務を代行する予定という部分は、話がこじれそうなので隠しておくことにします。実際どのような形に落ち着くのかは、その時になってみないと分かりませんし……。
お父様は唖然としていました。
「そんなにアーベル家を継ぎたかったのか?」
「っ!」
違います。
継ぎたかったのではなく、継ぐと思って頑張ってきた努力が無に帰したことに絶望したのです。
私は奥歯を噛みしめてから、首を横に振ります。
「今思うと、そこまで固執していたわけではありません。ただ、お父様の後を継ぐためにしてきた努力が報われず、まだどんな成長をするかも分からないラルスに後継の座を奪われるのが悔しかったのです。亡くなったお母様の遺言を蔑ろにされたような気もしました」
「それは――」
「分かっています。家のことを考えれば、ラルスが継ぐべきです。仮に私が後を継いでも禍根が残って上手くいかないでしょう。頭では分かっていても、どうしても受け入れられなかった。そんな行き場のない気持ちを、ミカドラ様は理解してくださいました」
「…………」
一度、我慢していた言葉を口にしてしまうと、次から次へと溢れてきます。
「ですが、決め手になったのは、一年の最初の長期休暇の時、お父様とお母様の会話を聞いてしまったことです。学問にかまけて可愛げのない私に嫁ぎ先があるか、心配していらっしゃいましたね」
「!」
「お酒を飲んでいらっしゃったので、どこまで本気か分かりませんが、傷つきました。ラルスに家庭教師をつけるのに、私の仕送りを減らすことも不満で……ミカドラ様に声をかけていただいていなかったら、青春を下水道に捨てるような非行に走っていたかもしれません」
ああ、こんな当てつけのようなことは言いたくなかったのに……。
お父様はすっかり狼狽しています。
「それは、す、すまなかった……ルルが聞いているいないに関わらず、言ってはいけないことだった。本当にすまない……」
私は大きくため息を吐きました。
お父様にここで素直に謝られてしまわれたら、もう恨むに恨めないではないですか。もっと「何も悪いことはしていない」とふんぞり返っていてくれないと、責めがいがありません。
ですが、自分の気持ちが分かりました。
本気で縁を切りたくなるほどには、お父様を憎めないのです。
「もういいです。確かにお父様の言動には傷つきましたが、だからこそミカドラ様の申し出をお受けする勇気が出たのです。今となっては感謝したいくらいです」
「……本当に、公爵家の跡取りと結婚するのか? きっとルルが夢見るような生活ではないぞ。出自のことで軽んじられて、辛い目に遭うかも」
「百も承知です。ずっと覚悟してきました。たとえお父様が反対されても、私の気持ちは変わりません」
なおも心配そうなお父様に安心してもらえるように微笑みました。
「勝手に決めてしまって申し訳ありません。どうか、ミカドラ様との結婚を認めてください。そこに私の求めるものが全てあるんです」
もう二度と、私から挑戦する権利を奪わないでほしい。
しばらく悩まれた後、お父様は首を縦に振りました。
「分かった。それがルルの幸せのためなら」
「お父様……ありがとうございます」
「だが、もしルルが許してくれるなら、養子になど出さずにアーベル家から直接嫁に出したい」
養子に出せば多少は周囲からの妬みが緩和されるはずです。そうした方が地方領主としては平穏に過ごせるのに……。
お父様は力なく笑いました。
「私の予想以上に、ルルは立派に成長した。身分差など気にする必要はない。どこに出しても恥ずかしくない娘だ。それに……もう少しだけ、アーベル家の娘でいてほしい」
その言葉が聞けて、私の中で何かが報われたような気がしました。
そして、二学期後の長期休暇。
私はミカドラ様とともにアーベルの実家に帰省しました。
「ようこそいらっしゃいました、ミカドラ様。狭い家ですが、精一杯もてなしますので、どうか――」
「アーベル卿。心遣いに感謝します。しかし、世話になるのは俺の方です。へりくだる必要はありません。そのような敬語や様付も不要です。三日間、よろしくお願いいたします」
ミカドラ様が無表情のままお父様に挨拶しました。
一応敬語を使って下さるのは嬉しいですが、威圧感が凄まじくてお父様が委縮してしまっています。
なんでしょう、心情的にはミカドラ様に寄り添いたいのですが、お父様を応援したくもなります。
「え、あ、はぁ……では、ミカドラくんのお部屋はあちらの突き当たりで。ルルは自分の部屋を使いなさい。そのままになっているから」
「そうなのですか?」
「ああ。ラルスは今の部屋が気に入っているようだし、母親の部屋から遠いのが嫌みたいだから……」
新しいお母様も結局のところ遠慮したのかもしれませんね。謝罪の手紙を出して下さるくらいには自分の振舞いを後悔したようなので……。
二学期末の休暇は短いので、二泊三日の滞在になります。
前回のレストランでの不意打ちの会談ではお父様とミカドラ様がほとんど何も話せませんでしたし、婚約とその後の結婚についての意識のすり合わせをするため、ミカドラ様にもわざわざこちらに来ていただいたのです。
数少ない使用人のうち信頼できる者以外は休暇を言い渡し、屋敷から出てもらっているそうです。それでも念のためミカドラ様は姓を名乗らず、できるだけ家族以外の前に出ないようにしてもらいます。
……どこから情報が漏れるか分かりませんからね。
ちなみに公爵家の馬車で一緒に来たのですが、御者の方々は近くの町の小さな宿屋に泊ってもらっています。申し訳ないのですが、我が家の来客用の部屋は少ないのです。
「ミカドラ様、移動の疲れはありませんか?」
「まぁ…………大丈夫だ」
遠路はるばる来ていただいた上に、ベネディード家の使用人がいない場所で一人になったのです。ミカドラ様はだいぶ気疲れしているはずですが、不満を言わずにいてくださいます。
「まぁ、綺麗な子ね……」
お母様は初対面の挨拶を忘れてミカドラ様に見惚れていました。ミカドラ様はクラスの女子生徒にするような、冷めた目をしています。
「あ、ごめんなさいねっ」
「……いえ」
お母様は恥じ入ってから改めて名乗り、それからラルスと生まれたばかりの妹のメレナを紹介しました。お母様が抱きかかえられて眠るメレナ……私も初めて会います。
「とっても可愛いですね」
「ありがとう。……ルルさん、あの、この前は本当にごめんなさい。とてもひどい態度を取ってしまって」
「いいえ。こちらこそ、失礼な物言いをしてしまいました。申し訳ありません」
ミカドラ様が一緒だからでしょうか、お母様に対してとてもさっぱりとした気持ちで謝罪ができました。
お母様に何を言われても平気ですし、もう簡単に感情を荒げたりはしません。
夕食会では料理に出てきた地元の野菜の話を中心に、アーベル家が治める領土についてお父様が一生懸命説明していました。ミカドラ様も多少は調べてきてくださったようで、話が途切れず続きました。
食後、ラルスが眠気を訴えて退室してから、改めて大人と私たちだけで会話する時間が設けられました。
ミカドラ様はいつになく他人行儀な態度だったので、私は冷や冷やしていました。今まで私が受けた仕打ちを聞いていたため、あまりお父様たちのことを良く思っていないのかもしれません。
散々愚痴を聞いていただいた身としては、今更仲良くしてほしいとは言えません。
「少し、よろしいかしら」
これまで大人しかった新しいお母様が、そう口火を切りました。
「あのね、ルルさん……わたしはあなたの本当の母親ではないし、貴婦人として未熟だわ。でも、だからこそ、できることもあると思うの」
「えっと、どうされたのですか?」
「散々嫌われるようなことをしてしまったからこそ……もう失うものはないわ。はっきりさせましょう」
お母様は覚悟を決めたように眉を吊り上げ、私とミカドラ様を睨みました。
「わたしは、この結婚に反対よ!」




