52 二学期の始まり
幸福と波乱が混ぜこぜになったような長期休暇でした。
また少し、ミカドラ様との距離が縮まったような気がいたします。
最近のミカドラ様は格別に優しい上に、私を信頼していろいろお話もして下さって、町でデートのようなことまで……。
ミカドラ様ももしかしたら少しは私のことを、なんて甘い妄想をしてしまいます。
そうだったら、嬉しい。
もういっそのこと、私の恋心を白状してしまいたいとすら思います。
胸に秘めておくのは苦しいですし、打ち明ければ喜んでくださるような予感があるのです。私も図々しくなったものです。調子に乗っています。
ですが、取引で始まった関係に恋愛感情を持ち込んで破綻してしまったら元も子もありません。まだ勇気が出ません。
結局、悩むだけ悩んで私は何も行動を起こせずにいました。
二学期が始まりました。
長期休暇の思い出を語る方が多いかと思いきや、女子生徒の話題の中心はミラディ様の電撃婚約でした。確かに無視できない話題です。
「最初は耳を疑いましたわ。まさかシロタエの商人がお相手だなんて……」
「まだ信じられません。来年にはミラディ様がいなくなってしまうと思うと、寂しいですわ!」
「きっとシロタエの文化が流行しますわね。今のうちから調べておかないと」
反応は様々でした。ミラディ様は私たちの学年にも慕われていますので、外国へ行かれるのを惜しむ声が多かったです。
「休暇中にお会いした時、心なしかアルト様の元気がなかったの。やっぱりまだミラディ様のことを……お労しいわ」
マギノアさんは殿下の様子を気にして落ち込んでいました。
どうやら殿下は未だにショックが抜けないようですね。ミカドラ様が励ましの手紙を出されて自責の念は減ったと思うのですが、やはり初恋の女性の婚約には胸が痛むのでしょう。
マギノアさんは殿下のことを本当に慕っているのですね。
ミラディ様の婚約が決まって喜ぶのではなく、殿下の心を案じていらっしゃる……とても健気です。
情けないことに私には気の利いたことは言えませんでした。時間が解決してくれるのを待つしかありません。
「殿下は誰を選ばれるのかしら?」
「他国のお姫様が有力って話よね」
「そうなの? でも、まだ国内の可能性があるでしょう」
ミラディ様が他の殿方に嫁ぐことになった今、誰が王太子妃に選ばれるかにも注目が集まっています。
私は教室でその手の話が聞こえる度に、マギノアさんの耳に入らないことを祈るばかりでした。
「のん気に他人の婚約を気にしていられるなんて羨ましいわ……」
ぽつり、とヘレナさんが毒気のある言葉を呟きました。
意外です。いつも落ち着いていて冷静な発言が多いのに。
「ど、どうしたのですか?」
「もしかして、自分の婚約の話?」
私とアーチェさんの問いに、ヘレナさんは深いため息を吐きました。
「ここだけの話にしてね。お察しの通り、休暇中にお父様から縁談のお話があったの。相手は八つ年上の商家の跡取りですって……悪いお話ではないと思うのだけどね」
ヘレナさん曰く、お相手そのものに不満はないそうです。財力も十分にあり、人柄も悪くなく、結婚後も王都で暮らせるのは魅力的に思えました。
ただ、その商家の跡取りさんは元々別の家のご令嬢との縁談があったそうなのですが、先方の都合で断られ、今回ヘレナさんに話が回ってきたのだとか。
確かに、そういう背景を聞いてしまうと良い気がしませんね。
……商家の跡取りと聞いて、記憶に引っかかるものがありました。
もしかして、キャロル・エルドン様に持ち込まれた縁談のお相手と同じ方ではないでしょうか。
全くの無関係ではないだけに、私は背中に冷や汗をかきました。
「向こうも、最初の縁談相手の方が良かったみたいで、あまりわたしに対して乗り気ではないみたいなのよ。失礼な話でしょう?」
「そうねぇ。でも、結局はヘレナさんと縁があったということじゃない。前向きに考えてみたらどうかしら? ミラディ様のこともあるし、商人に嫁ぐお嬢様が増えるかもしれないわ。流行に乗っているのよ!」
アーチェさんは励まそうとしたようですが、少々無神経な言葉選びでした。案の定、ヘレナさんの癪に障ったようです。
「前向きになんてなれないわ。爵位持ちなんて贅沢は言わないから、せめて貴族の方が良かった。お金だけあってもね」
「へぇ……それは商人の娘であるあたしに喧嘩を売ってるの?」
「あら、そう聞こえたならごめんなさいね」
お二人の間に冷たい火花が散っているように見えました。
私は慌てて間に入ります。
「えっと、もうそのお話をお受けしたのですか?」
「保留中よ。お母様が反対しているし、わたしも気が進まないから。でも、他に良い方も見当たらないし……」
ヘレナさんはさらに大きなため息を吐きました。
「もういっそ駆け落ちしたいわ。相手がいないけど……好きな人が相手なら、身分なんてどうでもいいと思えるのでしょうね」
私にはかける言葉が見つかりませんでした。これ以上ないほどの良縁に恵まれている身です。何を言っても無神経になってしまいます。
アーチェさんが肩をすくめて言いました。
「じゃあ、“行楽会”に賭けてみたら? 自分の力で他の殿方とのご縁を作ればいいんじゃない?」
「簡単に言ってくれるわね」
それからしばらく、ヘレナさんとアーチェさんの仲が険悪になり、間に挟まれた私は気まずい思いをしたのでした。
行楽会は、二年生の秋に行われるビッグイベントです。
王都から徒歩圏内にある森林に赴き、班ごとに昼食を作って食べ、紅葉を楽しむのです。
ようするに遠足と日帰りキャンプですね。
貴族の子息令嬢にとって、自分の足で歩くのも、自ら食事を作るのも、あまり経験のないことでしょう。
いざという時のために、野外活動に免疫を作っておくのが学院側の狙いです。また、クラスメイトと親睦を深める絶好の機会とも言えます。例年、何組かカップルが誕生することもあるそうです。
しかし一方で、貴族令嬢にとっては憂鬱極まりない行事でもあります。
長時間歩いて汗をかくことも、日差しに肌を晒すことも、料理人以外が作った食事を口にすることも、虫のいる森の中に入ることも、どれもこれも過酷に思えて抵抗があるのでしょう。
私はそこまで強い抵抗を感じませんでした。
田舎暮らしなので、どれも初めてではありません。天候が悪くならなければいいな、と心配する程度です。
ただ、今のクラスはあまり雰囲気が良くないので、行楽会を楽しみに思うことはできませんでした。班員の顔ぶれ次第では、胃が痛くなるに違いありません。
……ちなみに行楽会は原則全員参加の行事です。やむを得ない事情で欠席する場合は、レポートを三本も提出して補填しなければなりません。それもこの行事が不人気な理由です。
ミカドラ様からは「行くわけがないだろう。レポートの方がマシだ」というお言葉をいただいております。当日に仮病を使うつもりらしいです。授業をサボって強盗犯にされかけたというのに、懲りていませんね。
少し残念に思いますが、どのみちミカドラ様と二人でお話しする機会はありません。そもそも、同じ班になる確率は低いですし……。
「まぁ、これって運命かしら! ミカドラ様とご一緒できるなんて夢みたいですわ!」
行楽会の班決めの時間でした。
ジュリエッタ様がくじの結果を見てはしゃいでいます。私はそれを隣で眺めていました。
総勢六名の班でした。
男子生徒はミカドラ様と、下級貴族のニールさんとジグトさん。
女子生徒は私と子爵令嬢のジュリエッタ様、そして平民のキサラさん。
まさか、同じ班になってしまうとは。しかも胃が痛くなりそうなメンバーです。
班で集まって顔を合わせた時、一瞬ミカドラ様と目が合いました。
困惑と葛藤、その他もろもろの複雑な感情が渦巻いているように見えました。




