50 特別な日
急遽ミジュトの町へ出かけることになりました。
『遊びに行くんだからな。……適度に着飾ってこい』
ミカドラ様にそう言われたものの、私は困り果ててしまいました。どのような服を着て行けば良いのでしょうか。公爵領に来るのも突然だったので、あまり着替えのバリエーションがありません。
自領の町は安全ということで、ミカドラ様は二人で遊び歩くつもりのようです。
つまりこれは、世に言うところのデートでは……?
いえ! 気晴らしにお付き合いするだけです。暗い気持ちを吹き飛ばすための……その相手に私を選んでくださいました。
ここはミカドラ様のためにもちゃんとした格好をしたいです。しかし、あまり長くミカドラ様をお待たせするわけにもまいりません。どうしましょう。
「聞いたわよ、ルル。ミカドラと出かけるのでしょう。相談に乗ってあげてもいいわよ?」
「お願いいたします!」
天の助けとばかりにミラディ様に縋りつくと、こちらのお屋敷に仕舞われていた昔の服の中で、私に似合いそうなものを数着選んでくださいました。本当に助かります。
ミラディ様は私を試すように何も言いません。あとは自分で選べということでしょう。
「どれもすごく素敵ですが……こちらをお借りしてもよろしいでしょうか? 汚さないように気をつけますので」
私は裾がレースで縁取られている白いワンピースを選びました。とても素敵なデザインです。一目で気に入ってしまいました。
「きっと似合うわ。もらって。わたくしにはもう着られないサイズだもの」
「ですが」
「いいから早く着替えなさい」
「はい!」
着替えの後、ヘアメイクも侍女の方にお願いしました。
「髪飾りはいかがいたしますか?」
「それなのですが、これでお願いできますか」
普段からお守りのように持ち歩いているものを、私はついに身に着けることにいたしました。
思っていたよりも時間がかかってしまい、私は急いでエントランス近くのお部屋に駆け込みました。
「お待たせして申し訳ありません」
ミカドラ様は不機嫌そうな顔をしていましたが、私を見るや否や目を見開き、そのまま固まってしまいました。
「おお、よくお似合いですね、ルルさん。実にカレンです。とても可愛らしい!」
ヤクモ様もいらっしゃいました。お世辞だとしても、にこやかに褒めていただけると嬉しいですね。
「……俺よりも先に言うな」
「これは失礼。商売は瞬発力が大切でして、賛美の言葉はすぐに出てきてしまうのです」
ミカドラ様は冷めた目でヤクモ様を見てから、私に向き直りました。
「………………行くぞ」
ヤクモ様に会釈をしてから、先に行ってしまった背を追いかけました。
少し残念です。何も言ってもらえませんでした。ミラディ様にお墨付きをいただいたので大丈夫だと思ったのですが……。
もしかして「適度に着飾る」の加減を間違えていたかもしれません。呆れられてしまっていたらどうしましょう。
公爵邸を出て、森の中の傾斜が緩やかな道を歩いて下っていきます。てっきり町の大通りまでは馬車を使うのかと思っていました。
道はしっかり舗装されていますし、町を歩くと分かっていたので靴も歩きやすいものを選んだので大丈夫ですが、怠惰なミカドラ様が長い距離を歩くのが意外だったのです。
「…………」
虫と鳥の声しか聞こえません。何か話しかけるべきでしょうか。
私たちの間には奇妙な緊張感が漂っていました。少し前を歩く彼がどのような顔をしているのか分かりません。
「あっ」
ミカドラ様の顔色を気にしていたからでしょう。足元が疎かになっていたようです。小石を踏んでよろけました。
転びはしませんでしたが、ミカドラ様を驚かせてしまいました。
「気をつけろ」
「は、はい……申し訳ありません」
恥ずかしいです。
せっかくミラディ様に助けていただいて精一杯着飾ったのに、淑女にあるまじき失態です。
羞恥で熱を持った頬を手で冷やそうとした時、その手は横から攫われました。
ミカドラ様が私と手を繋いで、歩き出されたのです。
「あ、あの」
「俺に大義名分を与えたんだから諦めろ」
「…………」
少々理解が及びませんが、このまま私が本当に転ばないようエスコートしてくださるようです。
やはり少しだけ前を歩かれるので、ミカドラ様のお顔が見えません。
「……それ、似合ってる。俺の目に狂いはなかったな」
「! あ、ありがとうございます」
不意打ちの言葉に心臓が爆発しそうでした。私は空いている方の手で髪に着けている白いリボンに触れました。
「ルルにとって今日は特別な日なのか?」
せっかく振り返ってくださったのに、からかい交じりの色が宿る瞳を直視できませんでした。自分の赤い顔を見られたくありません。
誕生日にいただいてから一度も身に着けることのなかったリボン。特別な日に使うと宣言したことを、ミカドラ様は覚えていらっしゃったようです。
「はい」
震えてか細い声しか出ませんでした。
今日は間違いなく特別な日です。
町の大通りに着く頃、私はギブアップしました。
「すみません、手を離してもよろしいでしょうか?」
「なぜだ」
「汗が……申し訳ありません」
緊張ですっかり手の平が湿ってしまいました。顔にも背中にも汗をかいています。このままではふやけて蒸発しそうです。
「別に気にしないが……じゃあ腕に掴まれ」
「えっ?」
「…………」
「わ、分かりました。お待ちくださいね」
無言の圧に負けました。ハンカチで二人の手を拭いてから、遠慮がちにミカドラ様の腕に掴まります。まさか、手を繋ぐどころか腕組みまですることになるなんて……。
本当にデートみたいです。
「気になるものがあったら言えよ」
ミカドラ様は慣れた様子で町を歩き出しました。
見目麗しい少年の姿に、道行く人々の視線が集まってきます。中には親しげに微笑んで目礼をされる方もいました。皆さんどこか嬉しそうです。
「お知り合いの方が多いのですね」
「小さい頃からよく出歩いていたからな。俺に声をかけたり、取り囲んだりしないよう暗黙の了解があるらしい。父上もじい様もそうやって子どもの頃から町を遊び歩いていたみたいだ」
代々、ベネディード家の方々は気軽に町を散策していたのですね。普通はこうはいかないはずです。治安がすこぶるよくて、領民たちに愛されているからこそ、このように自由に振舞えるのです。
それからミカドラ様の案内で町をいろいろと見て回りました。
「あ、すごく美味しいです!」
甘いパイを買って公園のベンチで食べました。
買い食いをしたのは初めてです。令嬢としては慎むべきことなのかもしれませんが、私はただただ楽しくてずっと笑っていました。
ミカドラ様が自慢げに町のことを教えてくださるのが嬉しかったのです。
この町出身の芸術家が造った銅像、珍しい本が集まる古書店、活気あふれる市場などを拝見しました。
お店の方々はミカドラ様のことを「若様」と呼んで来店を喜び、さらに一緒にいる私を見てとても驚かれました。
「こちらの可愛らしいお嬢さんは、もしかして」
「俺のお気に入りだ。そのうち報せがあるだろうから今は詮索するな」
「ほう、そうですか、そうですか。それは楽しみですね!」
お気に入り……。
普通に紹介されるよりもこそばゆいです。
皆さんの反応は好意的なものばかりで、恐縮してしまいました。
足が地面についていないみたいにふわふわします。ミカドラ様が事あるごとに腕に掴まるように合図を出されるので、かろうじてまっすぐ歩けますが、現実かどうか疑わしいほど幸せでいっぱいでした。
「名残惜しいが、そろそろ屋敷に戻るか」
「はい……」
傾く太陽を見て、二人揃ってため息を吐きました。
「また今度いろいろ連れて行ってやる」
「ありがとうございます。とても楽しみです」
心の底からの本心を込めて言うと、ミカドラ様は満足げに頷きました。
「いい気晴らしになった」
私は安堵しつつ、頷きました。
今日この日のことは一生忘れないような気がいたします。




