48 母親
私とミカドラ様、そしてディアモンド様とロザリエ様の四人でお茶をいただく機会を得ました。
場所は中庭です。こちらのお屋敷の庭園も素晴らしいですね。
ほっとするような花々の香りと瑞々しい葉の緑に癒されます。涼しげな噴水の音が静寂をかき消してくれているおかげで、幾分か緊張が和らいでいる気がいたします。
「ルルさんについては、ルヴィリスがこちらに来る度に話すせいか、初めて会った気がせんな。想像通りのお嬢さんだ。いや、想像よりも可愛らしい!」
ディアモンド様は快活に笑いました。
私は謙遜しつつ、数日間滞在させてもらうことへのお礼とミカドラ様たちにどれだけお世話になっているか伝えました。
それから学院や王都の様子などを質問され、懸命に返事をすると、ディアモンド様は終始好意的な反応をしてくださいました。
「うむ。受け答えもしっかりしておる。怠け者のミカドラが後を継ぐよりも良いかもしれんな。下の者が働きやすそうだ」
ミカドラ様が大きく頷く一方で、ロザリエ様は口元を引き締めたままです。心なしか白けたような表情をされています。
「なんだ、お前は彼女が気に入らんのか? まさか家格の差をとやかく言うつもりか?」
「いいえ」
ロザリエ様はため息を吐いて、私に向き直りました。
「その後、体調を崩していませんか?」
「は、はい。その節はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。あれ以来、おかげさまで一度も倒れることなく過ごしております」
初めて公爵邸を訪れた日、栄養と睡眠が足りておらず、眩暈を起こして階段から落ちそうになったのです。不覚でした。体調管理ができない者に公爵家を任せられない、とロザリエ様から厳しいお言葉をいただいたことは忘れられません。
女性が男性より前に出て働くのを快く思っていない、とも聞いています。
ロザリエ様はこのままずっと私のことを認めて下さらないのでしょうか。どうにか少しでも打ち解けられたら良いのですが……。
「そうですか」
それきり会話が途切れてしまいました。ディアモンド様などは肩をすくめています。
「……確かルルはばあ様に話したいことがあったんじゃなかったか」
ミカドラ様に会話の糸口を提供していただき、私は一年越しにロザリエ様に感謝の言葉を伝えました。
「ロザリエ様、あの……母の葬儀にお花を贈っていただき、ありがとうございました」
覚えていらっしゃらないかもしれませんが、と付け加えようとしたところ、ロザリエ様は目を伏せて嘆息しました。
「ネネさんが亡くなって、もう七年も経つのですね……ほんの数回、招待の場で同席した程度ですが、あなたの母君のことはよく覚えていますよ。細やかな気配りができる素晴らしい女性でした。どんな気難しい方ともすぐ打ち解けられて、彼女がいるだけで場の雰囲気が和やかになったものです。……残念でなりません」
貴婦人の中の貴婦人、淑女の中の淑女と呼ばれるロザリエ様にここまで言っていただけるなんて。
私の記憶の中にあるお母様は、いつも優しい微笑みを浮かべています。同じ絵本を何度でも丁寧に読み聞かせてくれて、幼い私が疑問に思った些細な出来事に対しても根気よく教えてくれました。だから私はお母様が大好きで、いつもくっついて歩いていました。
お母様は姿勢が綺麗で、颯爽と歩く背中が格好良かったです。
……ですが、覚えているのはその程度です。物心ついてから六歳までの記憶は淡く、お母様との思い出は朧げになりつつあります。
こうして私以外の誰かがお母様のことを思い出し、早すぎる死を悼んでくださるだけで胸がいっぱいになりました。
お母様は誰かの記憶に残り続けるような素敵な女性だったのです。それが誇らしい。
「前回会った時よりも、顔立ちに彼女の面影が見て取れます」
ロザリエ様は初めて私に微笑みかけてくださいました。
ああ、目頭に力を入れないと、涙がこぼれてしまいそうです。
「ルルさん。あなたが今、学問に打ち込めるのは淑女教育の基礎がしっかりとあるからです。お母様と、育ててくれた方への感謝の気持ちを忘れないようになさい」
「……はい」
アーベル家は裕福ではなく、貴族の中では貧しい方です。お金がない分、母も乳母も時間と手間をかけて私にいろいろなことを教えてくれました。お父様も結局なんだかんだ王立学院に通わせ続けてくださっています。
驕らないようにしなければなりませんね。今の私があるのは、私の頑張りの成果だけではなく、家族から与えられたものが大きいのです。
私が神妙な表情で黙り込むと、ロザリエ様は首を横に振りました。
「いえ、説教をするつもりはありません。この一年いろいろと伝え聞いて、本気でミカドラの代わりに執務を請け負うつもりで、そのための努力に嘘偽りがないというのは分かりました。しかし、性別に関係なく、あなたの本分は上に立つよりも、上の者を支えることにあるように思えます。一体あなたは何を求めているのです。公爵領をどうするおつもりですか」
ようするに「向いていないのではないか」ということですね。
ルヴィリス様と初めてお会いした時も似たようなことを聞かれた気がします。
確かに私にはそれほど野心はなく、むしろ目立つことは苦手としています。心情的にも能力的にも補佐役の方が合っているという自覚はありました。
上に立ちたいわけではありません。
名誉も権力も持て余すので求めません。
実家に居場所がなかったからでしょうか。
努力が報われる機会を奪われたからでしょうか。
ミカドラ様に乞われるままに役目を引き受けて、用意された学びの場に必死に食らいついて、自分に足りないものを見つめ直して。
そこまでして、どうして私はここにいるのでしょう。
ロザリエ様の問いかけで頭の中が真っ白になって、直後、二つの気持ちが湧き上がってきました。
一つが、ミカドラ様との取引に応じた時の初心。
「私は立派な人間になりたいです。主観的にも客観的にも胸を張って生きて行けるようになって、誰かの役に立てる人間だと証明したいのです。自分自身が『頑張った』と納得できるまで、とことん突き詰めるのが好きなのです」
努力しか取り柄のない私が王国一の貴族の執務を代行するなんて、大それた話です。それでも、挑戦してみたいと思ったのです。自分がどこまでできるのか。
もう一つは、この一年で新しく芽生えた決意です。
「何よりベネディード家に……ミカドラ様に御恩を返したいです。私のような者を引き立てていただいた上に、辛いときにたくさん助けていただきましたから」
イケないことかもしれませんが、ミカドラ様には好きなことをして自由気ままにゆったりと過ごしていただきたいです。
その優雅な生活を守るのが私の役目……。
ミカドラ様の才能を埋もれさせるのはもったいないと思うのですが、尽くしたくなってしまいました。やたらと皆様がミカドラ様を甘やかす気持ちが、今ならよく分かります。
ちらりと横目に伺うと、ミカドラ様が機嫌良さそうに目を細めていました。
まんまと思い通りになっている気がしますが、不思議と嫌ではありません。困ったものです。
改めて自分の想いを振り返り、私はロザリエ様に真っ直ぐ伝えました。
「公爵領は、今のままでも十分すぎるほど豊かでバランスが取れていると思います。時代に合わせて変えて行かねばならないところもあるでしょうが、できるだけ今のまま引き継いでいきたいです」
私が目指すのは、現状維持と微調整ができる領主代行です。
ロザリエ様はどう思われるでしょう。あまりにもふんわりとしたヴィジョンに呆れられてしまうかもしれません。
「ばあ様。ルルは家をかき乱すようなことはしません。何かするときは俺に相談するだろうし、心配は要らない」
「しかし、あなたは――」
ロザリエ様はミカドラ様に何か言いかけて、途中で言葉を飲み込みました。
「どうしても俺たちの結婚に反対しますか? 俺に、今更ルル以外を選べと?」
その問いかけに、ロザリエ様は目を伏せました。ディアモンド様がその肩を抱き、「ロザリエ」と小声で囁きます。
しばしの沈黙の末、ロザリエ様は顔を上げました。
「……結婚については反対するつもりはありません。ミカドラが選んだのなら人柄と能力は問題ないでしょう。ええ、私はあなたの望みをできるだけ尊重したいと思っています」
安堵しかけた私をけん制するように、ロザリエ様は声を固くしました。
「ただし、執務の代行については、今の時点では完全に賛同はできません。時期尚早です」
結局、ロザリエ様の意見は変わらないようです。
しかしディアモンド様は苦笑しつつ言いました。
「ようするに、これからは強固に反対せずに見守るということだ。良かったな」
その言葉が否定されることはなく、私はいつの間にか膝の上で握り締めていた拳を緩め、ほっと息を吐きました。
夜、私は与えていただいた客室の出窓を開けました。
眠れません。
今頃になってロザリエ様たちと交わした言葉に失礼がなかったか心配になり、頭が冴えてしまいました。
……いえ、自分の振舞いも気がかりですが、最も気になったのは別のことです。
この屋敷では、リーシャ様――ミカドラ様とミラディ様のお母様が療養しているはずです。
ようやくご挨拶ができると思っていたのですが、私は面会を許されませんでした。
『申し訳ありませんが、時期を改めてください。ミラディの婚約の話を聞いてから、少し体調が思わしくないのです』
ロザリエ様の愁いを帯びた表情を見るに、嘘を言っているようには思えませんでした。私が拒絶されているわけではなさそうです。
お体の具合が悪いのなら仕方がありませんが、大丈夫でしょうか。ミラディ様が外国に嫁がれることに動揺されたのかもしれませんね。
お母様のお話をロザリエ様に伺ったせいか、感傷的になってしまいます。
「え?」
ぼんやりとしていたら、視界の端で何かが動きました。
見れば、庭園にふわふわとした白い人影が漂っています。
私は声にならない悲鳴をあげました。
侵入者でしょうか。そ、それとも、幽霊……。
「いらっしゃったぞ!」
「ああ、良かった」
驚いたのも束の間、屋敷の使用人の方々が白い人影の元に続々と駆け付けました。
労わるように人影に上着をかけて、皆さんこちらに向かってきます。私は咄嗟に窓から離れて隠れました。なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気がいたします。
一体、誰なのでしょう。
気になってこっそりと覗き込むと、歩きながら夜空を見上げる白い人影と目が合いました。
痩せた女性でした。
虚ろな表情でにこりと微笑む姿がこの世の者とは思えないほど美しい……魅入られると同時に、背筋が凍る心地がいたしました。
「…………」
皆さんが見えなくなるまで、私は呼吸を忘れていました。
どことなく、ミカドラ様とミラディ様に似ています。
彼女が誰なのか直感して、私はますます眠れなくなってしまいました。
しばらく更新の頻度が落ちます。
申し訳ありませんが、できるだけ頑張りますのでよろしくお願いいたします。




