46 吐露
それからミラディ様とヤクモ様は、周囲を置いてきぼりにする早さで行動されました。
城に出向いて王家に婚約を報告し、神殿で宣誓を行い、親交の深い方々を招いたパーティーで大々的に発表して祝福を受けて……。
ミラディ様は使用人たちと嫁入り道具の準備と屋敷の片づけの打ち合わせをして、ヤクモ様は王都で商談を何件もこなして顔を売り、大体のことを終えると公爵領に出発されました。
その間、約十日です。全速力で日々を駆け抜けていかれました。
ルヴィリス様は相変わらず元気がなかったのですが、ヤクモ様といろいろお話ししてなんとか自分の心に折り合いをつけたようです。
『ミラディさんを家に縛り付けるつもりはありません。望まれたときにいつでもこちらに来られるよう手配しますよ。ワタシが乗る船が海難事故に遭うことはありませんのでご安心を。あと、子どもが生まれたアカツキには、ネルシュタインの王立学院に留学させたいのでご協力をお願いしたいです。恥ずかしながら、シロタエ皇国には大陸ほど立派な教育機関がないのです』
……このようなことをヤクモ様に言われたそうです。
これからも娘に会えるし、孫を数年間預かることもできます。的確にルヴィリス様の喜ぶ提案をされていますね。さすが商人、相手の望みを読み取る力に長けています。これも占術なのかもしませんが。
私が心配なのはミカドラ様です。
出発の日に見送りもされませんでした。ミラディ様が公爵領の屋敷に行ってしまってからも、ご機嫌斜めというか、元気がないのです。自室に籠ってふて寝をしていらっしゃるらしく、たまに顔を合わせても上の空でした。
姉弟仲が悪くないのはもちろん存じておりましたが、そんなにもミラディ様と離れ離れになるのがお嫌なのでしょうか?
なんだかミカドラ様らしくありません。そこまでお姉様にべったりではなかったはずですし、たとえ寂しくて拗ねているのだとしても、それを気取らせないように振舞いそうなのに……。
「ミカドラ様、今日はどうされますか?」
朝食の後、暗い表情のミカドラ様に恐る恐る問いかけました。
今日は一緒に過ごす約束をした日ですが、きっと私と遊んだり、寛いだりする気分ではないと思います。ご気分が優れないのなら無理をさせるわけにはいきません。
でも。
「あの、もしご迷惑でなければ……何もしなくても良いので一緒にいてもいいでしょうか?」
鬱陶しくて図々しいと思われるかもしれません。でも、ミカドラ様に少しでも元気になっていただきたいのです。こういうときは気分転換が有効だと思います。僭越ながら、話し相手になれれば……。
ミカドラ様はじっと私の顔を見つめて、唐突に手を掴みました。
「え?」
そのまま無言で歩き出し、私は抵抗することもなく引っ張られて行きました。手を繋いだことは何度かありますが、予期せぬ接触に混乱状態です。
ミカドラ様はご自分の部屋に私を連れてくると、そのまま扉を閉めました。
密室です。これも何度か経験がありますが、いくら結婚の約束をしているとはいえ、男女で二人きりになるのは褒められた行為ではありません。
私はどんどん大きくなる心臓の音や、背中を伝う冷や汗と戦いながら、必死に考えました。一体どのような意図があるのでしょう?
ミカドラ様はソファに私を座らせると、一通の手紙を手渡してくださいました。拝見しても良いということでしょう。
「これは……アルテダイン殿下からですね」
「返事が書けない」
ミカドラ様の沈んだ声に私まで胸が痛くなります。
手紙は短い文面ながら、殿下の困惑が強く伝わってきました。内容はもちろん、ミラディ様の婚約のことです。
なぜ、どうして、相手はどのような男か。
彼女は本当に他国の商人との結婚を望んでいるのか。
もしかして、王国を出て行くのは自分のせいだろうか。
……アルテダイン殿下の懸念は分かります。
ミラディ様は殿下からの熱烈な求婚を断っている関係で、国内で結婚相手を探すのが困難な状況だったのです。殿下の心情を慮ったり、不興を買うのを恐れたり、あるいは非の打ちどころのない完璧な王子様と自分と比べてしまい、相手の男性が及び腰になってしまうのでしょう。
もしも彼女が自分のせいで他国へ嫁ぐことを決意したのなら、どうやって償えばいいのか分からない……殿下は手紙にそう綴っています。己の若気の至りを激しく後悔しているようです。
「殿下のせいではないと、お伝えするべきではありませんか?」
「ああ。アルトのせいじゃない」
私の隣に腰を下ろし、ミカドラ様は自らの額に手を当て、声を振り絞るように言いました。
「俺のせいだ」
「え?」
「姉上は俺のために、あの占い師と結婚して身内にするつもりなんだ」
私が首を傾げると、ミカドラ様は憂鬱な気持ちを吐き出すように告げました。
「あの男と比べれば微々たるものだが……俺も魔力を持っている。ベネディード家はそういう家系だ」
それは思いもよらぬ告白でした。
魔法文明が滅びて魔法使いはいなくなり、昨今では魔力を持つ者すらほとんど生まれてこないのです。いえ、生まれていても、それが分かるような方がいなくなってしまいました。魔力の存在は今となっては半信半疑なのです。
「建国時にはこの力でネルシュタイン王家を助けたし、それからも有事のときに誰よりも早く気づいて最適な対処をして国を救ってきた。だから、ベネディード家は王家から過分なほど目をかけられ続けている」
“銀狼は見誤らない”。
それは、魔力によって勘が良くなっているのが一因だと聞いて納得しました。
今までのいろいろなことが腑に落ちた気がします。
「とはいえ、もうほとんどこの血に魔力は宿っていない。じい様も父上も大した力はないんだが、俺は……二人よりも少し強い。そのせいで、いろいろあるんだ」
それ以上詳しいことは話してくださいませんでしたが、私はミカドラ様の秘密の一端に触れました。打ち明けてくださったことは嬉しいですが、それ以上にミカドラ様の弱々しい姿に胸が苦しくなります。
「姉上は、俺の抱える問題を解決するために、あの男に協力を求めたんだ。でなければ、こんな突飛な結婚はあり得ない。あの男にとっても、魔力を宿す大陸の貴族と縁を結ぶのは悪い話じゃないんだろう。そんな理由で好きでもない男と結婚するなんて、認められるわけがない。俺はそんなこと望んでない。シロタエは大陸の他の国とは全く違う。苦労するに決まっているのに……」
ずっと、ミカドラ様はご自分を責めていたのですね。
ミラディ様が自らを犠牲にして、自分を助けようとしていると思って。
「あの、ミラディ様の本心は分かりませんが、私はお二人の結婚が悪いことだとは思いません」
私は勇気を振り絞って、自分の考えを伝えることにしました。
ミカドラ様の考えを否定したくはないのですが、どうしても賛同できません。
「大切な家族のために、自分にできることをしたかったのではないでしょうか。何もしない方がミラディ様には耐えられなかったのではないかと。ミカドラ様だって、逆の立場だったら同じようにミラディ様のためにできることをしたはずです。大切な人の力になれることは幸せなことですから」
ミカドラ様は少しむっとされましたが、私は慎重に言葉を選んで続けました。
「最初はミカドラ様のために縁を繋いだのだとしても、ミラディ様がヤクモ様のことを好きではないとは限らないではありませんか。お二人はとても幸せそうでした。あれが演技だなんて、私には思えません」
「…………」
「ミラディ様は、ご自分の幸せを諦める方でしょうか? ミカドラ様のためにもなって、ちゃんと自分のためになるような、そういう条件が揃ったから結婚に踏み切ったのだと思います。少なくともミラディ様は、ミカドラ様のために自分を犠牲にしたなんて、考えるような方ではないです」
私よりもずっと長く一緒にいたミカドラ様が、ミラディ様の気持ちが分からないはずがありません。
ミカドラ様は何か言いたげでしたが、口を開くことはありませんでした。まだ納得できていないご様子。
ならば、と私は力強く宣言しました。
「万が一ミラディ様がヤクモ様と結婚された後、辛い目に遭っていると分かったら、その時は迎えに行きましょう」
「迎えに……」
「はい」
私はミカドラ様が迎えに来てくださった時、本当に嬉しかったんですよ。
あの日は涙が止まらなくなるほど悲しくて寂しかったはずなのに、もうそのときの心の痛みを思い出せなくなっているくらい、幸福感が勝ったのです。
「ミラディ様がいつでも気兼ねなく帰って来られるように、仲直りしてください」
ミカドラ様は呆けたように目を瞬かせました。
このように無防備な、年相応の幼い表情は初めて見るかもしれません。私は少し慌てました。
「あ、偉そうなことを言ってしまって、申し訳ありません。私――」
突然、ミカドラ様が私の肩に額をつけました。
「っ!?」
「……そうだな。あいつが姉上を大切にしないようなら、連れ戻せばいい。簡単な話だ」
ミカドラ様は今、どのような表情をしているのでしょう。
それは分かりませんが、強張っていた体が解れたのを感じました。声もだいぶ柔らかいです。
葛藤の末、私はミカドラ様の腕に少し触れました。もしも勘違いでなければ、ミカドラ様は甘やかしてほしいのだと思います。まだ背中に腕を回す勇気はありませんが、絶対に拒絶はしません。
私で良ければ、いくらでも。
少しだけ体重を預けてもらい、私は満ち足りた気持ちになりました。
「……認める。傾いた。傾き切った」
しばらくして、ミカドラ様がぽつりと呟きました。
「え? えっと、なんのことですか?」
「こちらの話だ。……ありがとう」
体勢を戻して、ミカドラ様は顔を上げました。
いつになく優しい微笑みに、私の心臓は爆発寸前でした。だって、顔がとても近いです!
私のことなどお構いなしに、ミカドラ様は機嫌よく言いました。
「残りの休暇は公爵領に行くぞ。姉上の婚約を祝福しに……ルルも来い」




