40 勝負
驚きました。
ミカドラ様を嫌う方がいるのはまだ理解できますが、それをあまり親しくない私に面と向かって伝えるなんて。
ミカドラ様が、公爵家が怖くないのでしょうか。
……いえ、ミカドラ様はご自分がマギノアさんに嫌われていると知っても、なんとも思わなさそうです。もしかしたらすでにご存じなのかもしれません。
国王の補佐を務める宰相閣下と王家と密接な関係にある公爵の子どもですから、お二人が旧知の間柄でもおかしくないです。
「性格も態度も悪いし、家の威光に守られているくせに、報いようともせず努力を怠ってだらだらしているでしょう。少し要領がいいからって調子に乗っているとしか思えない」
「…………」
不思議でした。
私も最初ミカドラ様は性格に難ありだと感じました。せっかく才能があるのに怠けているのも事実です。客観的に見れば、マギノアさんのおっしゃっていることは何も間違っていないのかもしれません。
ですが、なんだか嫌な感じです。腹の底が煮えくり返りそう……。
「どうしてあいつがモテるのか理解できないわ。素直に褒められるのは顔だけね。公爵閣下もあいつを甘やかしていると聞くし、次代のベネディード家がどうなるか見ものだわ」
駒を無難な場所に進めて、私はマギノアさんに尋ねました。
「……マギノアさんは、ミカドラ様のことをよくご存じなのですか?」
「え? 知らない。幼い頃から何度も顔を合わせているけど、全然親しくないもの」
「そうですか。よく知りもしない相手を悪し様に評価するのですね」
自分でも驚くくらい、冷めた声が出ました。
マギノア様も目を見開かれましたが、眉を吊り上げて攻撃的な一手を返してきました。
「知らなくても嫌なものは嫌なの。あいつのせいで私たちのクラスの雰囲気が悪くなっているのは事実よ」
「それはミカドラ様のせいではありません。周りの女子生徒たちが騒いでいるのが原因ではありませんか」
「あいつがそれを止めないからでしょう」
「注意してもきりがないのだと思います。一人でも抜け駆けしようとされたら、他の方が黙っていません」
以前ミカドラ様がおっしゃっていました。
まとわりつくなと一人一人に注意しても、あまり効果がなかったそうです。それどころか言ってもいないことを捏造されたり、けん制し合っていじめに発展したり、散々だったようです。以来、ミカドラ様は基本的に女子生徒に対しては徹底無視を貫いています。
「そんなに庇うなんて、もしかしてあなたもあいつの信者だったの? それは悪かったわね。でも、早く目を覚ました方が良いわよ」
信者ではありません。未来の妻になる予定です。
それを隠している負い目がある限り、私はこれ以上マギノアさんに言い返せません。
でも、やっぱり腹が立ちます。
尊敬して好意を寄せている方を侮辱されたのです。お行儀よく話を合わせて頷きたくありません。
ミカドラ様は確かにダメなところもありますが、それ以上に良いところがたくさんあります。戦線盤戯だって、未熟な私との対戦でも飽きずに続けてくださいます。
私は深呼吸をして盤上を注視しました。
マギノアさんは的確に最善手を打ってきます。ですが、それゆえに読みやすいというか、あまり意外性がありません。
頑張れば勝てるかもしれません。いえ、勝ちます!
ミカドラ様は私よりずっと強いのです。私がマギノアさんに勝てば、マギノアさんよりミカドラ様の方が強いという証明になります。
少し考えて、私は戦場を荒らすようなマスに駒を置きました。
セオリーから外れた悪手ともとれる一手を、マギノアさんが鼻で笑いました。
頭に血が上って焦った、と思われていそうです。
それに加え、私は相手を挑発するように、ほとんどノータイムで駒を動かすように意識しました。
初心者の私より時間をかけるのはマギノアさんのプライドが許さないのでしょう。それからものすごいスピードで戦いが進行しました。その間、お互い一言も発しません。
「ルルさん、意外と強気だね」
「でもやっぱりマギノアさんが少し優勢か」
「二人ともこのスピードでミスをしないのがすごい」
白熱した対戦に、いつの間にか他の会員さんたちが観戦しに来ていました。
普段の私ならば集中力を切らしていたでしょうか、幸いなことに勝つことしか頭にありませんでした。盤上とマギノアさんの顔をよく見て、どんな些細な異変も見逃しません。脳が全力で回転していて、怖いくらいです。
終盤に差し掛かった頃、私は好機を見出しました。
あの悪手と見せかけた一手で駒を誘い出しておいたために、相手の王へいたる道が開きそうです。おそらくマギノアさんは気づいていません。
「…………」
一瞬呼吸を置いて、罠がないか確認してから、私は最後の一手を打ちました。
「お」
一番先に声を上げたのはオリマー先輩でした。他の会員さんも決着がついたと悟ったようです。
マギノアさんは信じられないものを見るかのように盤上を見つめました。この反応だともはや自分の勝ち筋がないと分かっているのでしょう。しかしまだ諦めがつかないのか、駒を手に取ろうとしました。
「マギちゃん」
「…………」
先輩の声に不服そうにしながらも、マギノアさんは悔しさを滲ませた声で言いました。
「……っ参りました」
「ありがとうございました」
緊張の糸が切れて、どっと体が重くなりました。試験の時より集中していたような気がいたします。
周囲から私たち二人に惜しみない拍手が送られました。
「良い勝負でしたよ」
「期待の新人だな!」
そこで我に返りました。
ムキになって子どもっぽいことをしてしまいました。いえ、対局自体は真剣勝負で良いと思いますが、勝ちにこだわるあまり相手を煽るような早打ちをしました。マナー違反ですし、皆さんに性格が悪いと思われたのでは……。
当初の目的もすっかり忘れています。トラブルへの対処法を得るために人脈を――友人を作るつもりでクラブに入ったのに、これではマギノアさんに恨まれただけでは?
むしろトラブルを起こしているような気さえします。
「ねぇ、本当に盤戯を始めて十か月なの?」
「は、はい」
「油断したわ。完全に負け惜しみだけど」
私に戦線盤戯を教えてくれた方はとても強いのです。あの一手もミカドラ様が得意とする戦法の一つです。
勝って溜飲は下がりましたが、代わりにマギノアさんに対して罪悪感がこみ上げてきました。初心者相手にハンデなしで負けてしまったのです。
マギノアさんは目の端に涙を溜めて、私を強く睨みつけました。
「次は負けないから」
そう言って部屋から出て行ってしまいました。
ああ、クラブ初日から失敗しました。
翌日、びくびくしながら教室に入りました。
先に来ていたマギノアさんと目が合います。
「おはよう、ルルさん」
「! おはようございます」
笑顔はありませんでしたが、ごく自然に、なんなら以前より親しげに挨拶されました。
てっきり怒っていらっしゃるかと思ったのですが……寛大な方のようです。
私は安堵しました。
それからというもの、週二回ほど放課後は盤戯クラブに顔を出すようになりました。
最初の対戦はオリマー先輩が決めるのですが、二戦目以降は毎回必ずマギノアさんに対戦を申し込まれます。
今のところ勝率は五分五分です。一度勝って満足するということもなく、何度も何度も勝負を挑まれるのです。手を抜いたら許さないとも言われており、いつも白熱した対戦になってしまいます。
私はその困った状況をミカドラ様にお話ししました。
「気に入られたな」
「え、そうなのですか。なぜでしょう?」
「好敵手として認められたんだろう。……それよりも珍しいな。お前が勝負事でムキになるなんて。マギノアが俺を悪く言ったのがそんなにムカついたのか?」
さらっと流して伝えたのに、聞き逃してはくださらなかったようです。
機嫌良さそうなミカドラ様を見て、否定したくなるのをぐっと抑えました。いつもなら照れて誤魔化してしまうところですが、たまには押してみようという気になったのです。ミカドラ様がどのような反応をするのか気になります。
「はい。自分でも不思議なくらい腹が立ってしまいました」
予想外の返しだったのか、ミカドラ様が虚を突かれたように一瞬固まりました。
「……どうして腹が立ったのかよく考えろよ」
「そういたします」
腹が立った答えはとうに分かっていますが、とぼけてしまいました。
お互いに気恥ずかしい空気が流れます。しかしなんとなく私にはやり返したという達成感がありました。
「変な駆け引きを覚えやがって」
ミカドラ様はそう言って小さくため息を零しました。




