38 傾いた ※ミカドラ視点
俺は迂闊だった。
自分の行動に何一つ後悔はないが、もどかしい思いをする羽目になっている。
泣いているルルを見て思い知らされた。
気づかないうちに俺の中で随分と大きな存在になっていたらしい。
将来の妻なのだからそれほど不思議でもないが、彼女が傷つけられたのだと分かったら、家族を侮辱されたのと似た怒りを感じた。
実際、ルルを泣かせたのは本物の家族だったわけだが、大切にしないならさっさと寄越せと言いたい。いや、すでにルルの身柄はベネディード家のものだ。返せと言われても返さない。
さて、ルルを王都の公爵邸に連れ帰ったはいいものの、俺はすっかりルルを意識していた。
表情には出さないし、態度も変えない。
ただ、視界に入ると落ち着かないので適度な距離を保っていた。
ルルの方も様子がおかしく、長期休暇の後半と新学期が始まってしばらくは、らしくないミスを連発していた。
最初は、実家を捨てる覚悟を決めて今まで以上に頑張ろうとして上手くいっていないだけだと思っていた。悔しさのあまり父親と継母を見返したいのか、優秀でなければ価値がないのだと自分を追い込んでいるのかもしれない。奮起しようとして失敗しているんだろう、と。
明らかに睡眠が足りていない顔をしていたこともあって、俺はルルに自分が使っている香水を分け与えることにした。
ルルの母親に「守る」と宣言した以上、今の健康状態は見過ごせないからな。
そこで気づいた。
俺が冗談半分で膝枕を要求したら、ルルが今までとは違う過剰な反応を返したのだ。
顔が真っ赤で、瞳は潤み、ぷるぷると震えていた。
……俺だけではなかったようだ。ルルもかなり意識している。最近調子を崩していた理由や、学院での身だしなみに力を入れ始めた理由が分かって、単純に気分が良かった。
二年生のクラス分けのせいで苛立ちが募っていたが、一気にどうでも良くなったくらいだ。
しかし、なぜ気持ちを隠そうとするのだろう。もっと態度に出せばいい。
惚れてもいいと先に言っておいたのに、どうして。
……無理もないか。
ルルは奥ゆかしく、恋愛に関して見るからに初心だ。勉強に集中したいときに、苦手分野に積極的になれという方が難しい。
好意を口に出すのは勇気が要るし、とてつもないエネルギーが必要だ。先に告白する方の労力は想像を絶する。世間一般的には男の方がその労苦を引き受けるのを美徳としているが、俺はまだ認めたくない。ルルに先に認めさせたい。
愛するよりも愛されて楽をさせてもらいたい。
クズそのものの発想だという自覚はある。
だが、考えてみれば俺の立場で何かを求めたらルルに断れるはずがない。男として意識されていると分かっただけで、恋愛感情を抱かれているという確証はないのだ。逃げ道を塞ぐのも悪い男のすることだろう。
ここは慎重になるべきだ。
「どうやってルルをその気にさせればいいと思う?」
「えー、なんの話ですか?」
シロタエ皇国産の珍しい茶を淹れる練習をしながら、ヒューゴが軽く問い返してくる。
「ルルを完全に落としたいんだ」
「……あちっ!」
「大丈夫か? 気をつけろ」
「こちらのセリフです。若様、急にどうしたんですか? ボクの兄さんと同じようなこと言ってますよ」
思わず舌打ちが出た。あの女たらしと一緒にしてほしくない。
しかし女たらしの素質を受け継いでいるヒューゴに意見を聞きたい。俺よりもよほど女心を分かっていそうだ。
「最近ようやくルルの気持ちが俺に傾いてきている。そう思わないか?」
「まぁ、そう見えなくもないですね。もしかしてルル様に好きって言ってもらって、いちゃいちゃしたいんですか? 普通の恋人同士みたいに? 今更?」
わざわざ遠回しに話しているのに、はっきりと言いやがった。気の利かない従者だ。
しかし、いちゃいちゃ、とは……。
俺の柄ではないが、たまに考えていた。
一度抱きしめた時の感触を思い出したい。あのときは必死だったので俺としたことがあまり覚えていないんだ。
血が沸くような、細胞が生まれ変わるような、あるいは心臓が止まりそうな、そんな新感覚を味わえそうな気がする。
前は慰めるという大義名分があったから良かったものの、さすがに平時はルルの気持ちを確かめてからじゃないとできない。拒否されたら目も当てられないことになる。
俺が黙ったのをいいことに、ヒューゴは笑いをこらえるようにして微笑んだ。
「若様、まずはご自分がお認めになられたらどうですか。ルル様のこと、好きになったんですよね?」
「は? 傾いてはいるが、傾き切ってはいない」
「もう……ここは素直にならないと。じゃあ想像してみてください。ボクとルル様が手を繋いでいたら――」
「兄ともども路頭に迷わせてやる」
「怖っ。ほら、嫉妬してるじゃないですか」
そうだろうか。
誰だって婚約者が他の男とべたべたしていたら気分を害するだろう。
「分かりましたよ。じゃあアドバイスです。ルル様のこと、特別扱いしてあげてください」
「……今でもしてる」
「もっとです。ルル様は遠慮がちな方ですからね。若様の方から好意を示して差し上げないと、きっと前向きになれません。ああ、強引に迫ったり、それこそわざと嫉妬させたり、急かしちゃダメですよ。さりげなく、時間をかけて、です」
「じれったいな」
「ボクは未来の若様の心の平穏のために言っています。黒歴史を作りたいなら止めませんけど?」
それは、一理ある。
ルルの気を引きたくて必死だった俺、という記憶を大人になってから思い出したくない。
不本意だが、やはりヒューゴに相談して良かった。俺よりもだいぶ冷静だ。もしくは、俺が冷静ではなくなっていたらしい。
分かった。物は試しだ。ルルが安心して俺を好きになれるよう、少しずつ甘やかしてみよう。
ルルの頑張りを褒めたり、二人きりの時に隙を見せたり、油断したときに膝枕を要求してみたり、いろいろとやってみた。どれも他の女にはしない。ルルだけへの特別対応だ。
効果はあった、と思う。可愛らしい反応が見られた。
だがルルは負けず嫌いだった。気持ちを暴こうという俺の邪心に感づかれたのか、必死に平静を保とうと努めている。
素直になれと言いたいが、それは俺自身にも言えること。
何か根本的なところですれ違っている気がする。
そうこうしているうちに、事件が起きた。
いや、結果的には事件性はなく、ただの痴情のもつれだった。
エルドン家のキャロルが恋人を庇うために嘘の証言をしたせいで、俺は不名誉な疑いをかけられてしまった。
周囲の視線が鬱陶しいことこの上なかった。好き勝手に振舞えず、ストレスが溜まる。
ルルが見ず知らずのキャロルのために心を痛めているのも気に入らなかった。言葉が悪いが、通りすがりの他人の不幸を自分のことのように感じていたら身が持たない。無意味だ。俺はそう思う。
しかし、後になってルルはキャロルが恋人を想う様に感情移入していたのだと分かった。
キャロルの幸せを自分のことのように喜べるのは、ルル自身も恋愛面で幸せになりたいからだ。
労力の割に得たものが少ないと思っていたが、それが分かったのは収穫だ。
神殿長に対して、“奥の手”を使った甲斐があった。
俺には生まれつき特別な力がある。
正確に言えば、先祖代々ベネディード家の者はその血に魔力を宿していた。
魔法文明が滅んで千年。現代に魔法使いの血筋はほとんど残っておらず、最高位の神官にさえ特別な力はない。
ベネディード家の力も年々弱まっており、“少し勘が良い”という程度だ。
父上やじい様の人を見る目の正確さは、観察力や経験則によるものが大きい。魔力のおかげで判断を間違わなかったのではないか、と後から思うことはあっても、二人とも意識して魔力を使うことはできないと言っていた。
俺も魔力を自由自在に操ることはできない。
ただ、現代人にしては珍しく第六感が強く、霊的なものが視える時がある。ぼんやりとした人型の何かが視界を横切るんだ。それは父上たちにはない力だ。
意識すると寄ってくるし、単純に気が散るし、何も良いことはない。剝き出しの魂は恐ろしいものだ。関わりたくない。
実際、この力が役に立ったことはなかった。ルルの母親の呼びかけに気づけたこと以外は。
しかし、今回のエルドン家のあれこれを上手く解決するには、この力を利用する他なかった。
実は、最近になって力が強くなった気がしていた。
古代魔法の研究書によると、成長期は体内の魔力を不安定にさせるらしい。力が強くなったり弱くなったりする。ルルの母親があんなにもはっきり視えたのもそれが理由だろう。
キャロルの祖母の形見のネックレスの話を聞いた時から、とても嫌な予感がしていた。
案の定、キャロルの恋人からネックレスを返却された時、大真珠から死者の想いを感じ取れた。
俺はキャロルの祖父である神殿長と二人で話す時間をもらった。
代々の神殿長はベネディード家が魔力を持つ家系であることを伝えられていた。そして、当代においては俺の力がかなり強いことも知っている。
だからこそ使える“奥の手”だ。
気が重かったが、俺は感じ取ったまま伝えた。
『ティアール海岸で約束してくださいましたよね。“この真珠に誓ってあなたのためにどんな願いも叶えて見せる”と。生きている間は毎日が幸せで何も願いはありませんでしたが、今、あなたに叶えてほしいことができました。キャロルの幸せを第一に考えてあげて。心から愛する人がいるのに、別の殿方に嫁ぐなんて、そんな不幸なことはありません。可愛い孫娘のために、どうか――』
誰も知らないはずの二人の約束を口にするのは無粋だと思ったが、信じてもらうには言うしかなかった。
「絶対に犯人の捏造には同意できない」と言っていた神殿長も、衝撃のあまり膝から崩れ落ちた。老人の涙は直視できない。
俺はバツの悪さを押し殺しながら、淡々と告げた。ダメ押しのつもりで。
「キャロルの恋人がネックレスを奪ったのは魔が差したから――奥方様が働きかけたからです」
ようするに、孫娘の悲恋を見ていられなくて出しゃばったのだ。
神殿長はそれでもかなり悩んだが、結局は事を荒立てない方向で考え直してくれた。
そして、俺に忠告した。
その力をくれぐれも悪用しないように、と。
余計なお世話だ。大体、死者の方からコンタクトがないと、まともに認識すらできないのに。
だが、神殿長が心から俺を案じているのが分かったので、素直に頷いておいた。
とにかく全て丸く収まった。
ルルの時に続き、今回もこの力が役に立った。
それが良いことなのか悪いことなのか分からない。
「ミカドラ、無理はしていない?」
事件の顛末を報告すると、父上が心配そうに問いかけてきた。
「別に。らしくないことをして疲れたが、体はなんともない」
「そう……なら良かった。上手くエルドン家に貸しを作ったね。ルルちゃんにも良い刺激になったみたいだ」
ルルは今回のことで俺を見直したらしく、ますます上に立つ人間が身に着けるべき能力を磨くことに余念がない。トラブルへの対処能力なんて、十三歳が欲しがる力ではないだろうに。
「父上がルルを目にかけてくれるのは助かるが、もうクラス替えの時のようなことはしないでくれ。ルルはだいぶ辛そうだったし、俺もイライラしている」
父上は学院長に働きかけて、俺とルルを同じクラスにした。それだけではなく、わざとあのクラスに上級貴族の子女を集めたのだ。俺に擦り寄ってくる者たちを見て、対抗意識を持たせたかったらしい。
人の好い笑顔に騙されるが、父上は国を代表する大貴族の当主だ。目的のためにあくどい手を使うこともある。
ルルのことを本気で後継者として育てようとしているのだ。しかも嫌われたくなくてとぼけている。
「そのことについては、ごめん。思った以上に騒がしいことになっているみたいだね。でも、ルルちゃんにはもう少し獰猛になってほしいんだ。我慢して耐えるばかりではなく、たまには攻撃的にならないと。芯が強くても、根が優しいから」
確かに、ルルにはもう少し気を強く持ってほしい時がある。
あれだけ理不尽な目に遭ったのだから、父親や継母に強い言葉を吐き捨てても罰は当たらない。たまにはやり返さないと舐められたままだ。
だからと言って、ルルまでクラスの女子のように醜い言い争いをするようになってほしくない。俺にとってルルの存在は癒しなんだから。
「ミカドラ。いくら婚約者が可愛いからと言って甘い顔ばかりしてはいけないよ。ルルちゃんにはもっと強く、一人でも戦えるようになってもらわないといけない。でなければリーシャのように――」
「ルルは母上のようにはならない。きっと俺を信じてくれる」
強引に話を打ち切って、俺は心配症の父に背を向けた。
次回からルル視点に戻ります。




