36 希望のある結末
事件のその後について少し話しましょう。
キャロル様の恋人はミカドラ様との話し合いに応じ、ネックレスを返してくれました。
「意外と話せる奴だった。キャロルに別れを切り出されそうになって、魔が差したらしい」
彼の方も引っ込みがつかなくなり、かといってどうすれば良いのか分からず、この数日間ずっと激しい罪悪感に苛まれていたようです。
自分はどうなってもいいので彼女の未来を守ってほしいと、ミカドラ様に誠心誠意頼み込んだとのことです。
返却されたネックレスを携え、キャロル様はご家族に全てを打ち明けました。
平民の恋人がいること、家族のことを誤解していたこと、ネックレスは恋人に奪われ、嘘の証言をして彼を庇おうとしたこと……。
エルドン家の方々は騒然とし、揉めに揉めたそうですが、結局はミカドラ様が描いた通りに、捏造した犯人に罪を着せて事件を収束させることに同意して下さったそうです。
それだけではありません。
なんと、条件次第でキャロル様と恋人の結婚を認めてくれるというのです!
キャロル様の熱意が伝わったのでしょうか。
それとも、その場に立ち会ったミカドラ様が“奥の手”を使ったのかもしれません。
しかし私にはその辺りの詳細は教えてくださいませんでした。謎です。
結婚を認める条件は、キャロル様とその恋人、二人ともが十八歳までに神官の試験に受かることです。
ゼクロ教の教典と歴史を暗記し、複雑な儀礼の作法を覚えなければならない、難関試験です。そもそも試験を受けるために、実際に神殿にまつわる施設で働き、現職の神官から推薦されなければなりません。
幼い頃から教育を受けてきたキャロル様はともかく、恋人の彼には厳しい条件でした。
しかし、彼は迷うことなく条件を飲みました。
神殿は慈善事業も行っていますので、神官になれば育ててくれた孤児院に恩返しをする機会もあるでしょう。彼としては願ったり叶ったりだったようです。
決意してからの彼の行動は早かったです。
まず条件を出されてから二週間で必要な単位を取得し、王立学院を早期卒業しました。
中途退学することも考えたようですが、お金を出してくれた孤児院の先生の厚意を無駄にするのは良くない、とアルテダイン殿下が提案してくださったそうです。
早期卒業は、成績と生活態度が良かったからこそ利用できる制度です。本来は貴族の生徒が外国に留学したり、やむを得ず領地に帰る事情があるときに利用するのですが、平民に適用されたのは初めてかもしれません。
卒業後はミカドラ様が口添えして、公爵領にある遺跡を管理する施設で働き始めました。これで受験資格も問題なさそうです。
「キャロルが言った通り、かなり優秀な奴だった。よほどのことがない限り、願いを叶えるだろう」
キャロル様は王都で、恋人は公爵領で、それぞれが神官の試験に受かるまでは会わず、手紙のやり取りだけで交際を続けるそうです。それはエルドン家からの条件ではなく、二人で話し合って決めたせめてものけじめとのことです。
通り魔的強盗事件のことも、警備隊が犯人を捕まえ、ネックレスを取り戻したことを発表しました。アルテダイン殿下が「学院の風紀と後輩たちを守るため」と警備隊の上層部に働きかけて下さり、真実は闇に葬られたのです。
犯人が学院外の人間だと分かるやいなや、生徒たちはあっさりと興味を失くしました。
そうして世間的にも落ち着きを取り戻したのです。
日曜日の午後、ミカドラ様とお茶をいただきながら事件の経過を聞いて、私は心の底から安堵いたしました。
「本当に良かったです。ミカドラ様のおかしな噂もなくなりましたし、キャロル様も無事に復学されましたし」
「あれだけの騒ぎを起こしておいて、面の皮が厚い女だ」
「ミカドラ様……」
「まぁ、どうでもいいことだ。食べよう」
目の前のテーブルには公爵邸に勤めるシェフの新作スイーツが並んでいます。宝石、あるいは芸術作品のようにキラキラしていて、見ているだけで自然と頬が緩みます。
久しぶりに頭と体力を使って疲れた、とミカドラ様が珍しく甘いお菓子を求めた結果、厨房の方々が張り切った次第です。あまりにも量が多かったので、私もご相伴にあずかっております。
「気に入ったものがあれば言っておいた方がいい。反応が良くないと、二度と作らないからな」
「そ、そうなのですか。どれも美味しそうなのに」
「遠慮せずに全種類食べておけ」
「では、お言葉に甘えて……いただきます」
夢のようなひと時でした。
食べたことのない甘いお菓子に囲まれ、ミカドラ様と二人きりで過ごしています。無事に事件が解決して、ミカドラ様の機嫌も上向きです。
私は今回何も貢献できていないのに、このようなご褒美をいただいて良いのでしょうか。
「そう言えば、ミカドラ様はエルドン家に何かを要求したのですか?」
「ああ。神殿が保管している貴重な書物を、いつでも自由に閲覧できるようにしてもらった」
本来ならば閲覧のために数日前から手続きが必要なのですが、今後ミカドラ様は免除されるそうです。たったそれだけのこと、と言えばそれまでですが、厳格な神殿の決まりを曲げさせたと考えればすごいことなのかもしれません。
「そんなに読みたいものがあるのですか?」
「別に。気が向いた時に読んでみたいと思うんだが、すぐ読めないからいつも面倒になって結局読めていなかった。今後そういうストレスがなくなるのは良いことだ」
……ミカドラ様らしいです。
今回、無事に事件が解決したのはミカドラ様のおかげです。エルドン家としても体面を保てましたし、なんらかの見返りがあってしかるべきです。
おそらく書物の閲覧だけではなく、今後神殿及びエルドン家は、ミカドラ様とベネディード家に恩義を感じて何かあれば便宜を図ってくれるのではないでしょうか。事件の真相を隠蔽した者同士という連帯感もありますし。
こうやって貴族は力をつけていくのだと、私は実感しました。
「あの、今回のこと、とても勉強になりました。やっぱりミカドラ様はすごいです」
ミカドラ様はいろいろな角度から物事を見ていて、誰にとっても損のないよう動かれ、最終的には利益を得ました。降りかかった火の粉の払い方のお手本を見せてもらった気がします。
とても同い年の方の手腕とは思えません。尊敬の念は強くなるばかりです。
「そうか。あの横柄な態度を好意的に取ってもらえるとは思わなかった」
ミカドラ様は無表情でタルトを口に運んでいます。
確かに、キャロル様には終始冷たくて、物騒な物言いもされていて、何をするのも嫌そうにしていましたが……それはミカドラ様ですから、嬉々として取り組まれるとは思っていませんでしたけど。
むしろ迷惑をかけられたのですから、キャロル様たちに都合の良い終わり方を提案する義理もなかったはずです。それなのに、自分の感情だけで動かず、全体のことを考えて良い落としどころを選んでくださったと思います。
「なんだか過大評価されている気がするな。俺は特別なことはしていない。アルトや姉上が中等部にいたら、もっと早く、うまく解決していたんじゃないか」
「それは分かりませんが……少なくとも私には何もできませんでしたし、何も見えていませんでした。ミカドラ様のようには、とても」
「俺とお前では条件が違う。使える手が多いからな」
あくまで自分の手柄とはなさらずご謙遜されるようです。
お茶を飲んで一息つくと、ミカドラ様にしては珍しく、少し躊躇いがちに口を開きました。
「ルルはキャロルに随分と同情的だったな。まだ真相が分かる前も分かった後も。話したこともない相手なのに、なぜだ?」
「う……申し訳ありません。ミカドラ様のお気持ちも考えず」
「それはいい。だが、一応理由を聞いておきたい。何か思うところがあったのか?」
私はフォークを置いて、言葉を探しました。
言えません。
キャロル様が好きな人を庇おうとして嘘を吐いたのかもしれない、と思ったら、共感してしまって責められなくなってしまったなんて。
恋をして周りが見えなくなる状況には、身に覚えがあります。
恋は恐ろしいものです。
些細なことで心が大きく揺れて、一日中好きな人のことを考えてしまって、周りと比べて不甲斐ない自分に落ち込んで、恋を知る前の自分がどのように生きていたのかまるで思い出せなくなってしまう。
こんなに取り乱すなら好きになんてなりたくなかったと思いながらも、この感情を喪ってしまったら死んでしまうかもしれないと本気で思い込めるくらい、心を占有されてしまう。
好きな人の笑顔が見たい。自分と同じ気持ちでいてほしい。相手のために自分を犠牲にする甘美な悦びに浸って、どれだけ愛が大きいのか思い知らせたい。
私の場合は妄想と憧れが大半ですが、ミカドラ様との今後のことを考えて一人で泣いてしまう時があります。
……あまりに痛々しくて、冷静になった瞬間に気持ち悪くて頭を壁にぶつけたくなるほどです。
愛のためならば何をしてもいいなんて、そんなわけありません。
でも、自分の中ではこれ以上なく正義なのです。
キャロル様のそんな想いを感じ取って、自分と重ね合わせてしまいました。
だから許されて報われてほしいと思いました。
物語の登場人物に自己投影して、幸せな結末を望むかのように。
幼稚で自分勝手だと思います。自己陶酔の極みです。
ミカドラ様に知られたら失望されてしまうかも。
何より、私の気持ちが完全に伝わってしまいそうで、とても正直には話せません。
「…………」
アイスグレーの瞳が興味津々と言った様子でこちらを見ています。
答えない限り、解放してもらえなさそうです。
私は俯いて顔を見られないようにして、絞り出すように言葉を紡ぎました。
「何と言いますか、その、いつも頭で考えて冷静に正しいと思う行動ができればいいのですが、心が絡んでくると自分でも思いもよらぬことをしでかしてしまう、という気持ちが分かってしまいまして……」
「へぇ」
「も、もちろん貴族の家に生まれて、家名に守られている以上、自分の感情ばかりを優先するのは良くないことだと思います。我慢しなければいけないこともあるでしょう。でも、少しくらい夢を見ても許されるのではないかと……困難を乗り越えて幸せになる方がいれば、希望が持てますし。だから、キャロル様たちが幸せになる可能性があるのは、私も嬉しく思います」
「……そうか」
ちらりとミカドラ様の顔色を窺うと、すっと目を逸らされました。しかし口元が不自然です。まるで笑いをこらえているかのようです。
恋愛を絡めず遠回しに説明しようと試みたのですが、誤魔化せていない気がしますね。
「なるほどな。要するに、ルルも同じように――」
「わ、私は一般的なことを言っているのであって、自分のことは関係ないです。あ、このケーキとても美味しそうですねっ」
こうなったら、強引に話題を逸らしましょう。赤い果物のケーキを口に運びました。
ミカドラ様も同じケーキをお皿に移し、一口食べて言いました。
「甘酸っぱいな」
「そ、そうですね……」
ケーキの感想、ですよね。そうであること祈ります。
「俺は好ましいと思う」
「え」
それは、ケーキへの感想ですよね。そうじゃなかったらどういう意味で……。
顔に熱が集まってきます。
私はその熱を振り払うように首を横に振って、背筋を伸ばして言いました。
浮かれてはいけません。
「先ほどの話に戻りますが、私は今回のことでよく分かりました。自分には力が足りないと。たとえば、もしミカドラ様と同じ立場で、同じ条件であったとしても、私には事態を収拾できなかったでしょう。率直に申し上げて、トラブルへの対処が苦手なのです」
私の弱気な発言に、ミカドラ様の視線が鋭くなりました。
突発的な出来事に対処するのは、上に立つ者の仕事です。私が将来ミカドラ様の執務を代行するのなら、適切な指示を出せるようにならなければなりません。いざというときに判断が鈍るなんて致命的と言えるでしょう。
「できないからといって放り投げるようなことは致しません。見習えるところは見習って、できるようになるよう努力はいたします。ただ、読みが甘くて至らないところが出てくるかと。その時は、私なりのやり方になってしまうと思います」
「それは別に構わない。前にも言ったはずだ」
はい、ミカドラ様は以前言って下さいました。
『自分の代わりになれとは言わない。完璧なんて求めてない。自分より上手くできなくてもいい』と。
情けないことにその言葉通りになってしまいそうです。
「ありがとうございます。でも、今の私では、自分なりのやり方すら確立できていないので、トラブルへの対応力をつけるためにどうすればよいのか、ミカドラ様に相談に乗ってほしいのです」
ただ机に向かって勉強を頑張るだけではダメです。
もっといろいろ――言葉は悪いですが、ある程度の失敗なら許される学生のうちに経験できることをしておきたいです。
でも、何をどう頑張れば良いのか、具体的なことが全く思い浮かばなくて……。
「こんなことでミカドラ様を煩わせてしまって申し訳ないのですが」
「いや、いい。お前はびっくりするくらい真面目だな。俺も考えておく」
「よろしくお願いいたします」
好きな人に恋焦がれている時間は楽しいですが、やはり現実に向き合う時間の方を優先しなければなりません。
もしもまたミカドラ様が窮地に立たされた時、何もできないのは悔しいですから。できれば頼ってもらえるくらいに力をつけたいです。
そのためにミカドラ様を頼ってしまうのは本末転倒な気がいたしますが、無力な今は仕方がありません。
ミカドラ様は愉しげに新しいお菓子に手を伸ばしました。
「甘いところも、甘すぎないところも、とてもいいな。癒される」
それがケーキに対する感想だったのか、私には聞く勇気がありませんでした。




