34 究極の選択
数日前、図書室の隠し部屋でミカドラ様が“下世話な創作”と銘打って話してくださった推論を聞いたとき、私は思わず呟いていました。
『キャロル様があまりにもお可哀想です……』
もちろん嘘を吐いて真実を隠したことは良くありません。ミカドラ様や警備隊の方々、無関係の学院の生徒たちにもたくさん迷惑をかけたのです。たとえ被害者であっても許されない行為だと思います。
ですが、祖母の形見の品を奪われ、たくさんの人に迷惑をかけ、中傷まがいの噂を流されてもなお、キャロル様が自分の信頼を裏切った恋人を守ろうとしているのなら……これ以上ないくらい健気です。
今どれだけつらい想いをされているか、想像するだけで胸が張り裂けそうになりました。
『あ、申し訳ありません。つい……』
今回の件に理不尽に巻き込まれたミカドラ様の前で、キャロル様に同情するのは失礼でした。ミカドラ様の方がよほど不憫です。
『恋人のことを庇っているかどうかまでは分からないだろう。単純に、相手の男を恥だと思って、付き合いを隠そうとしているのかもしれない。そもそも恋人ですらなく、脅迫されている可能性だってある』
『そ、そうかもしれませんが……』
自分の保身のための隠蔽なのでしょうか。
そうだとしたら、不名誉な噂を流されている現状は、キャロル様にとって計算違いでしょう。それはそれで可哀想に思えてきますが……やはり私は、恋人を純粋に庇っているような気がいたします。
神殿を守る家のご令嬢が罪深い嘘を吐くなんて、よほどの事情があるに違いありません。
犯人を良く思っていないのなら、たとえ自分が汚名を被ってでも神の教えに従って告発するでしょう。
ゼクロ神教が大切にしているのは“愛”と“友情”。
キャロル様の行動原理はそこに在るような気がするのです。
ヒューゴさんが首を捻りました。
『うーん、動機はともかく、本当にキャロル先輩が嘘を吐いているなら、今後どうなるんでしょう? 若様は時間の問題だとおっしゃっていましたけど、解決するんですか?』
『そうだな。このまま犯人もネックレスも見つからなければ、警備隊も本格的にキャロルの証言を疑い出す。被害者と犯人が顔見知りだと仮定して捜査し、キャロルの周囲に少しでも男の影があれば、追及するだろう。男との交際疑惑がエルドン家の耳に入ればさらに泥沼化する。そうなれば、キャロルは耐えられないと思う』
なるほど。警備隊と家族からの追及に耐えられず自白して恋人が捕まり、キャロル様も虚偽の証言を咎められてしまうのですね。国に働きかけて警備隊を大々的に動かしたエルドン家も大恥をかくことになります。
自分も恋人も家の名誉も守れないなんて、あんまりです。
「…………?」
そこまで考えて、私ははっとしました。
ミカドラ様が「耐えられない」と示唆しているのは、自白のことではないのでは?
思いつめて自らの口を塞ぎ、真実を闇に葬る……つまり、自殺。
最悪の結末です!
『まぁ、全部俺の想像だ。なんの根拠もない』
確かに考えすぎかもしれませんが、少しでもその可能性があると思ったら、気が気ではありませんでした。
『どうにか穏便に事を収める方法はないでしょうか。あまりにも救いがなくて……私に何かできることはないでしょうか?』
『ルルが出る幕はない』
『う、そうですか……』
私には無理でも、ミカドラ様なら。
そのように頼る気持ちを見透かしたのか、ミカドラ様は疲れたようにため息を吐きました。
『仕方ない。さすがに寝覚めが悪いし、俺もこの状況にはうんざりしている。面倒だが、答え合わせをしてみるか』
そのような会話があって、ミカドラ様はキャロル様と直接話す場を設けることにしたのです。
私は安堵しました。ミカドラ様の中で、面倒くささより人命の尊さの方が勝ってくれて本当に良かったです。
もちろん根が優しい方なのは知っているのですが、やりたくないことは絶対にやらないという触れ込みがあるので……。
ミカドラ様は、やる気のない口調でキャロル様に言い聞かせました。
「近いうちにお前の嘘はバレる。警備隊は無能じゃない。お前の証言通りの姿で、事件のあった時間に存在証明ができない生徒が俺以外にいないことくらい、もう調べがついているはずだ。仮に他にいたところで、無実の人間に罪を着せることになってしまう。お前の良心はそれを許せるのか?」
「…………」
「警備隊に秘密を暴かれるくらいなら、先に白状した方がまだ傷は浅くて済むと思うが」
「………………ですが、それは」
キャロル様は苦しげでした。
やはり相当思い詰めている様子です。
「ここには第一王子の騎士もいる。俺もできるだけ早く事態を収拾させたい。男を捕まえなくとも、形見のネックレスさえ取り戻せばどうにかできる。だから話せ。相手との関係と、どうしてネックレスを奪われたのかを」
長い沈黙の末、キャロル様は沈痛な面持ちで頷き、時折言葉を詰まらせながら、語り始めました。
「あの日、わたくしは恋人と会っていました。一年生の時からずっと内緒でお付き合いしていて……神に誓って清い交際です。とても優しくて、尊敬できる方。でも、永遠に一緒にいることは叶わない人でした」
エルドン家は由緒正しき名家です。
しつけは厳しく、常に清廉であれと言い聞かせられて育ったそうです。
家のため、神殿のため、自分の感情を犠牲にしてでも、神の教え通りに正しく生きること。
家族からは愛情を感じられず、ここにいるのが自分でなくても構わないのではと思えてならなかったと言います。
「わたくしはつまらない人間です。個性がなくて、意思も弱い。いてもいなくても同じ。でも彼は、こんなわたくしを愛してくれたのです……」
キャロル様は学院に入学して、運命の人と出会いました。
一目見た瞬間、お互いに惹かれ合ったと言います。人目を忍んで会うようにあり、やがて想いを打ち明け合ったのだと、キャロル様は懐かしそうに話されました。
「彼は平民で貧しく、ご両親も幼い頃に亡くなっていて……その亡くなった両親というのが、日常的に盗みを働いているようなひどい人間だったそうです。彼は自分は親とは違うといつも言い聞かせていて、苦しそうでした」
幼い頃から両親の汚名を払拭すべく生きてきたかいあって、孤児院の先生がお金を工面してくれて、この学院に入学できたそうです。
成績優秀で生活態度も模範的。このまま立派な成績で学院を卒業して就職し、働いて学費を返す。何より孤児院の先生に恩を返したくて、彼は一生懸命勉強していたといいます。
出生のハンデを覆すべく、誰よりも努力して高潔であろうとした。その生き様に、私も尊敬の念を覚えました。
「それでもやはり、わたくしに対して、いつも遠慮がちでした。生い立ちについて負い目を感じているようで、わたくしとの将来については何も展望を語ってくれなかった……」
神殿を守護する家の娘と、盗人の子ども。
祝福されて結ばれる未来は想像できなかったと言います。
キャロル様は駆け落ちすることを夢見ていましたが、彼の努力や恩人への想いを踏みにじることになると思い、自分からは提案できませんでした。
「先日、父から縁談の話を聞かされました。お相手はわたくしより七つ年上の、とても裕福な商家の跡取りでした。父は神殿の権威を何より大切にしていて、みすぼらしいものを嫌っています。将来神殿長を継いだら、古いものを一新すると常々言っていて……娘の結婚を利用してそのための財を蓄えたいのだと思いました。清廉であれと教育しておいて、私欲に塗れた縁談を持ってくるなんて、と憤りもしましたが、幼い頃から刷り込まれたせいでしょうか……逆らえませんでした。家のために、自分の感情を犠牲にするのが当たり前で……」
レイサ様がキャロル様にハンカチを差し出しました。
礼を言って目元を拭いながら、キャロル様が声を震わせて言いました。
「あの日は、彼にお別れを告げに言ったのです。縁談が正式に決まる前に、誠意をもって話そうと思い、朝早くに公園に彼を呼び出して……でも、彼の顔を見たら言い出せなくて、始業時間が過ぎても、いつまで経ってもわたくしは一言も話せず……それで、彼が、全てを察して――」
彼は穏やかに微笑んだそうです。見たこともないくらい綺麗な微笑みに、キャロル様は思わず見惚れてしまったとか。
『僕は、あなたのためなら全てを捨てられる。あなたにもそうであってほしい。どうしても僕以外を選ぶというのなら……その時は、僕を完膚なきまでに捨ててください。盗人に堕ちる屈辱でも味わわなければ、とてもあなたへの想いを断ち切れない。あなたとの関係は死ぬまで誰にも話しません。僕はあなたの選択と幸せを尊重します』
……そう言って、キャロル様からネックレスを奪って逃走したそうです。
彼は、キャロル様に選択を委ねました。
家も未来も何もかも捨てて二人で駆け落ちするか、恋人を捨てて強盗犯として告発するか。
とてつもない残酷な選択です。
駆け落ちするかしないかならまだしも、しない場合は恋人を犯罪者にするのです。そんな答え、選べるはずがありません。
キャロル様を失わないための、決死の覚悟だったのでしょう。
ミカドラ様は思わず舌打ちをしました。
「想像していたより嫌な男だな」
「わ、わたくしが悪いのです。いつも、家への不満を彼に話していましたから……きっとわたくしを自由にしたいと思ってくれたのです」
キャロル様は彼を庇うことを選びました。
そんなひどいことをされてなお、彼への愛を失わなかったのです。それどころか、捨て身の覚悟で自分との未来を切望してくれたことに喜びを覚えたそうです。
嘘の証言をして時間を稼ぎ、折を見て家から抜け出し、彼と二人で遠くに逃げようと心に決めました。
「しかし、事件の後、おじい様もお父様もお母様もお兄様も、心からわたくしを心配して、涙を流してくれたのです。そのとき、わたくしは大きな思い違いをしていたことに気づいたのです」
どうやらキャロル様のお父様が裕福な家に娘を嫁がせようとしたのは、お金のためなどではなく、純粋に娘の幸せを願って良い家を選んだ、ということが分かったらしいです。反発心から穿った見方をしていたようです。
家族に深く愛されていたことにようやく気付き、キャロル様は苦悩しました。
「何もかも遅すぎました。このままわたくしが駆け落ちすれば、事件のことと合わせて醜聞が決定的なものになります。エルドン家に大きな傷をつけ、神殿の権威も損なわれてしまうかも……家族のことがどうでもいいなんてもう思えませんでした。
でも、やっぱり彼を告発するなんて絶対にできません。もうどうしたらいいのか分からないのです。こんなにも大事になってしまって、いろいろな方に迷惑をかけて……どうやって償えばいいのか……!」
泣き崩れるキャロル様に私は心が痛くなり、レイサ様もつらそうな表情をしていましたが、ミカドラ様はとても面倒くさそうに背もたれに体を預けました。
「……ようするに、家も男もどちらも選べなくて困っている、ということだな」
そして、雑にまとめてしまいました。温度差がすごいです。
過分なお願いかもしれませんが、もう少しキャロル様に親身になってあげてほしいです。
予想とは少し違いましたが、やはり全ては愛のため。
家族への愛と、恋人への愛。
キャロル様は究極の選択を迫られています。




