32 事件のあらまし
次の日にはもう、事件の詳細が学院中に広まっていました。
昨日の朝、三年生のとある女子生徒が学院近くの公園で暴漢に襲われ、ネックレスを奪われたそうです。
不幸中の幸いですが、転んで尻もちをついただけで怪我らしい怪我はせずに済んだらしいです。
女子生徒の悲鳴を聞いて駆けつけたおじいさんが、逃げ去る犯人の後ろ姿を目撃していました。犯人はなんと、王立学院の男子の制服を着ていたのです。
ただ、おじいさんは目が悪く、距離が遠かったこともあり、それ以外の特徴は自信がないようです。
放心状態だった被害者の女子生徒には、落ち着いてから聴取が行われました。
『その日は体調が悪く、学院に行く前に少し公園で休んでおりました。連絡せずに遅刻したことで、罰が当たったのかもしれません。
犯人は知らない方です。突然胸倉を掴まれて、ネックレスを奪われました。色素の薄い色の長髪で、背は私より少し高く、鋭い目をした強面の方……だったと思います。申し訳ありません。恐怖のあまり記憶が曖昧で、よく思い出せません』
彼女は名家のご令嬢でした。
奪われたネックレスは大粒の真珠があしらわれた特注品で、祖母の形見の品だったそうです。それもあって令嬢の祖父が激怒し、必ず犯人を捕まえてネックレスを取り戻すように強く国に訴えかけたそうです。
生徒のことを考慮し、本来ならば学院での捜査はかなり煩雑な手続きが必要となるそうですが、その日の午後には警備隊が動き出しました。
警備隊が捜していたのは「色素の薄い色の長髪で、背は平均よりやや高め、鋭い目をした強面の王立学院の男子生徒」です。
強面とは言い切れないと思いますが、ミカドラ様は一見して近寄りがたい雰囲気です。ご令嬢が恐ろしいと思っても不思議ではありませんでした。
犯人の特徴と一致する上、犯行時刻に教室にいなかったミカドラ様は限りなく怪しい人物として、警備隊から取り調べと持ち物検査を受けることになってしまった、というわけです。
「被害者の方、キャロル・エルドン様らしいわよ。ほら、神殿長の孫娘の」
「ああ、それは警備隊も必死で犯人を捜すわね」
噂では被害者の素性はぼかされていましたが、情報通のアーチェさんは当然のように知っていました。
キャロル・エルドン様。
私も彼女のお名前は存じ上げています。
大陸全土で信仰されているゼクロ神教――その神殿がネルシュタイン王国にもあり、代々管理を任されているのがエルドン家です。王国における冠婚葬祭の中核を取り仕切っている家のご令嬢が被害に遭ったとなれば、捜査に力が入るのも無理からぬ話。
キャロル様自身もお淑やかで心優しい真面目な方で、同級生にも後輩にも慕われているそうです。
「でもミカドラ様が強盗事件の容疑者なんて……ね。あり得ないでしょ」
「ええ、そうね。さすがに人違いよ」
友人たちの言葉に、私は無言で激しく頷きました。
私たちだけではありません。事件の概要が出回って、ミカドラ様が通り魔的強盗犯だと信じる生徒は一人もいませんでした。
事件の翌々日、ミカドラ様は普通に学院に登校されました。
誰もが事件がどうなったのか知りたくてうずうずしていましたが、あまりにもミカドラ様が不機嫌だったので声をかける勇者はいませんでした。デリケートな問題ですしね。
私も迷いましたが、どうしても事情を伺いたくて昼休みに図書室の隠し部屋を訪ねました。
「あの、災難でしたね……大丈夫ですか?」
お疲れなのか、ミカドラ様はいつにも増して深くソファに体を埋めていました。
教室では見かけなかったヒューゴさんが、お茶の支度をしています。ミカドラ様の代わりに質問攻めに遭うことを危惧して、こちらに避難しているのでしょう。
「良かったですね、若様。ルル様に心配していただけて。ご当主様には笑われたのに」
「うるさい」
「もう、巻き込まれて学院を休むことになったボクに冷たすぎませんか?」
ミカドラ様はルヴィリス様から「真面目に授業に出ないからだよ」と珍しく窘められたそうです。確かに自業自得には違いないでしょうが、まさか授業をサボったことで強盗犯の疑いをかけられるとは思いもよりませんよね。
「疑いは晴れたのですよね? どうやって身の潔白を証明したのですか?」
「ああ、キャロルが否定したんだ」
容疑者としてミカドラ様の名前を聞かされて、キャロル様は「ミカドラ様が犯人だったらさすがに気づきます。彼ではありません」と慌てて証言されたそうです。
ミカドラ様が無関係だと証明されて、警備隊の方々もホッとしたでしょう。
エルドン家よりももっと権力の強いベネディード家を敵に回しそうになったのですから、内心ひやひやしていたと思います。
「そ、そうですか」
……このような大変な時に不謹慎ですが、ミカドラ様の口から女性の名前が出るのは珍しくてモヤっとしてしまいました。ああ、ものすごく浅ましい。
私は平静を装って尋ねました。
「キャロル様と、お知り合いなのですか?」
「まぁな。知り合いと言っても、二、三度挨拶した程度だ。まともに話したことはない」
ミカドラ様は素っ気なく答えました。
ベネディード公爵領には遺跡があり、ゼクロ神教に関わる重要文化遺産となっている関係で、エルドン家とは家同士の付き合いがあるそうです。
「ルルは、少しでも俺が犯人だと考えたか?」
「まさか。ミカドラ様がそのような犯罪をするなんて、考えられません」
状況によっては女性を突き飛ばすことはまだあり得るかもしれませんが、ミカドラ様が物を盗んで逃げるなんて想像できません。ネックレスを欲しがる動機もありませんし……。
「犯人が“走って”逃げたって辺りで、ミカドラ様じゃないって分かりますよね。走っているところ見たことないですし」
ヒューゴさんの言葉に思わず頷きそうになりましたが、ミカドラ様が睨んでいるので堪えました。
「しかし面倒なことになった。このままだともっと不愉快な目に遭いそうだが、下手に動くとさらに拗れそうだ。……静観するしかないか。動きたくない」
「え? 誰もミカドラ様を疑っていませんよ」
「強盗についてはな。そのうち別のことを疑われそうだ」
私が首を傾げると、ミカドラ様は念を押すように言いました。
「いいか、ルル。俺はあの朝公園に立ち寄っていない。ずっとこの部屋で寝ていた。キャロルと個人的に会ったことは一度もない。お前だけはそれを信じろよ」
「は、はい。もちろんです」
ミカドラ様には何が見えていて、何を案じているのでしょう。
それは数日後に明らかになりました。




