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怠惰な銀狼と秘密の取引  作者: 緑名紺


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29 新しいクラス


 私は愚かでした。

 ミカドラ様を好きになったら絶対に辛い想いをすると分かっていたのに、まんまと気持ちを持っていかれてしまいました。

 ただの割り切った関係の取引相手なら、愛されなくても平然としていられたでしょう。

 しかし、好きな人が他の女性を愛するのを、妻という立場で目の当たりにすることになったら、悲しくて惨めでどうにかなってしまうかもしれません。


 ミカドラ様のことを好きになりたくなかった。

 良好な関係を築きながら、お互い心の柔らかい部分には干渉しないように一線を引いて、一緒にベネディード家を守っていくのが理想でした。


 ……心のどこかでこうなるような気はしていました。


 怠惰で傲慢で、誰よりも才能を持っていながらそれを発揮しようとしない困った人。

 だけど、とても優しい人。

 そんな魅力的な人に人生で一番落ち込んでいる瞬間に慰められて、ときめくなというのは不可能です。

 そう、これは不可抗力。いつか必ず通るに違いない試練です!


 未来の自分に精一杯のエールを送りたいと思います。

 身の程を弁えずに報われたいと願うなら、とにかく努力をするしかありません。

 今までよりももっと、自分に自信を持てるように。


 それが長期休暇の最終日に、初めての恋に躁鬱状態になっていた私が出した結論でした。






 新学期です。

 心機一転、頑張っていきたいと思います。


 進級に当たってクラス替えがありました。

 一学年五クラスもあるので、確率的にはミカドラ様とは離れてしまうでしょう。

 そう思っていたのですが、そうはなりませんでした。


 門の近くの掲示板に張り出されているクラス表を見て、私は何か作為的なものを感じました。

 私とミカドラ様、ヒューゴさんが同じクラスだったのです。お友達のヘレナさんとアーチェさんの名前もあります。

 こんなことってあるのでしょうか?


「ヘレナさん、ルルさん、一緒で良かったわ! また一年よろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」


 教室で合流したアーチェさんと喜びを分かち合っていると、ヘレナさんが苦笑しました。


「またこの三人で仲良くできるのは嬉しいけど……今年は波乱が起きそうね」


 ヘレナさんの視線の先には、子爵令嬢のジュリエッタ様を始めとした上級貴族のご令嬢たちがいらっしゃいました。それぞれの派閥で別れて楽しそうにお話をされていますが、心なしか教室にピリピリとした空気が漂っています。

 他にも宰相閣下のご息女や、平民の美少女など、有名な女子生徒の姿を発見し、一気に不安が増しました。このクラス、なんだか濃いです。


「――っ!」


 ミカドラ様とヒューゴさんが教室に入ってきた瞬間、そこかしこから歓声のようなものが聞こえました。

 ああ、令嬢たちの目がきらきらと輝いています。そして挨拶に行こうと動き出そうとしたグループを他のグループが遮りました。見事に牽制し合っていますね。


 ……ヘレナさんの危惧が理解できました。

 一年生のクラスではミカドラ様を遠巻きにする女子生徒が多かったのですが、今年は積極的に近づこうという方が多そうです。


 少しずつですが、同級生の中でも婚約を結ぶ方も増えてきています。

 恋愛結婚できる方は少なく、貴族ならば政略結婚が主流です。それが嫌なら親が決める相手以上の殿方と恋仲にならねばなりません。

 アルテダイン殿下が卒業された今、王立学院で最上級に位置する男子生徒は間違いなくミカドラ様でしょう。家柄も容姿も完璧です。完全に狙われていますね。


 肝が冷える想いとともに、ほんの少しだけムカっとしました。ああ、これが嫉妬というものなのですね……。

 私には身分不相応な感情で、後ろめたくなりました。


「あたしたちには関係ないわよ。……それよりもルルさん、なんだか雰囲気が変わったような気がするけど」

「それ、わたしも思っていたわ。髪型を変えたでしょう」

「そっか。髪自体も艶々できれい……何を使っているの?」

「あら、よく見たら爪も磨いているわね」


 アーチェさんとヘレナさんに指摘され、私はどきりとしました。

 実は、長めの前髪を流すようにして、額を出しています。それ以外にも容姿に気を遣って、公爵邸で学んだことを実践しているのです。

 些細なこと過ぎて、気づかれるかどうか微妙だと思っていたのですが、二人ともさすがですね。


 学院で色気づく、もとい、女の子らしさを出すことは、私にとってはとても勇気がいることでした。「生意気」だとか、「調子に乗っている」だとか、「似合いもしないのに頑張ってる」と嘲笑われるのではないかと怖いのです。


「どうしたの? もしかして親に何か言われた?」

「いえ、あの、このままじゃダメだと思って、いろいろ試しているんです……おかしくないでしょうか?」


 私が恥ずかしくなって俯くと、ヘレナさんもアーチェさんも何かを察したように笑いました。


「とても似合っているわ」

「うん。可愛いわよ」


 その一言で救われました。

 しかし、安心したのも束の間、二人とも声を潜めて囁きました。


「ルルさんはそういうことに興味がないと思っていたから安心したわ」

「何か相談事があったら、遠慮なく言って下さいね。そういうお話、大好きなの」


 ……もしかして、好きな人ができたことまでバレてしまったのでしょうか。

 私は戦慄すると同時に、無理に聞き出そうとしないお二人の心遣いに感謝しました。

 相手まで分かってしまわないように、気をつけなくてはなりません。

 本当は相談したいですし、隠し事をするのは心苦しいのですが、上手く伝える自信がありませんでした。


 そうこうするうちに教師がやってきて、つつがなく二年生の初日が終わりました。






 ミカドラ様と同じクラスだったことをルヴィリス様にお話しすると、こっそり教えてくださいました。


「この前、学院長と会食する機会があって、それとなくお願いしたんだ。ミカドラのクラスには、できるだけ頭の良い女の子を入れてほしいって。ルルちゃんを選んでくれた辺り、分かってるよね。計画通りだった」


 どうやら学院側の忖度があったようです。

 光栄なお話ですが、心から喜びにくいです。


 ヘレナさんとアーチェさんと同じクラスになったのは、あのお二人の成績も優秀だからでしょう。ヘレナさんは貴族令嬢としての教養が素晴らしいですし、アーチェさんは商人の娘らしく時世に詳しく、数字にも強いです。

 ヒューゴさんに関しては、単純にミカドラ様がいつでも用事を言いつけられるように一緒のクラスにしたのだと思われます。


「でも、ミカドラには怒られちゃったよ。僕が余計なことを言ったせいで、学院側にはミカドラのお嫁さんを探していると勘違いされたみたいで……だから結構、偏っているでしょう?」


 やたらと上級貴族の女子生徒が多かった謎が解けました。もしかしたら向こうの家からもミカドラ様と同じクラスにするようにという打診があったのかもしれません。


 なんだか気が重いです。

 この一年、私よりも身分の高いご令嬢たちがミカドラ様の気を引こうとするのを近くで見続けなければなりません。

 さらに卑屈になってしまいそうです。


 何より、もしもミカドラ様の気が変わってしまったらどうしましょう。

 学院側が考えて選んだだけあって、ジュリエッタ様も、他のご令嬢方も、とてもお美しいのです。成績だって悪くないということでしょうし、私よりミカドラ様の取引相手にふさわしい方が見つかってしまったら……。


「ご、ごめんね。僕が考えなしだったせいで、ルルちゃんにまで不快な思いをさせてしまって……どうしよう」

「え、あ、私は大丈夫です!」


 いけません。私の落ち込みがルヴィリス様にまで伝わってしまいます。

 私は邪念を振り切って笑いました。


「またミカドラ様や仲の良いお友達と一緒のクラスになれて嬉しかったです。ありがとうございました」


 良かれと思ってしてくださったのですから、ここは素直に喜んでおくべきです。

 別々のクラスだったら、それはそれで不安で落ち込んでいたでしょうし、これで良かったのです。


 私は自分の心の中の嫌な気持ちに対して、見て見ぬふりをしました。


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