28 自覚
町はずれの林の中、ミカドラ様が乗ってきたという馬車の前で、ヒューゴさんと執事長のドナードさんが待っていました。
私の目が腫れてしまっているせいでしょうか、お二人とも表情を曇らせました。
飲み物をいただいてから、馬車の中で私はこれまでの休暇中の出来事を話しました。
最初は簡潔に話すつもりだったのですが、ミカドラ様の巧みな尋問術によってほとんど全部語る羽目になりました。大変恥ずかしかったですし、せっかく持たせてくださった焼き菓子のことを話すのは心苦しかったです。
「うわぁ、災難でしたね」
ヒューゴさんは心の底から同情していると言わんばかりに顔を顰めました。
ミカドラ様はいつもみたいに笑うかと思ったのですが、今回は無表情でした。冷めた目をしています。
「ルルを王都に連れて帰る。実家にいても不毛だろう。いいな?」
「……お願いいたします」
もしこのまま実家に居続けても、新しいお母様とまた険悪な空気になるのは目に見えています。お互いの精神衛生上、距離を取るべきでしょう。もしもお腹の子に何かあったら、目も当てられませんし。
「ですが、あの、荷物を取りに行きたいのですが……どうやって説明しましょう」
まさか黙って家出をするわけにもいきません。このような状況でミカドラ様とのことをお父様に打ち明けるのも抵抗があります。
ミカドラ様は肩をすくめました。
「任せておけ。だからヒューゴを連れてきたんだ」
私が首を傾げると、ヒューゴさんが盛大にため息を吐きました。ものすごく嫌そうな顔をしていらっしゃいます。
「とっても不本意ですけど、まぁ、今回はルル様のためですからね。ボクが一肌脱ぎましょう。というわけで、少し外で待っていてもらえますか?」
数十分後、馬車から一人の美少女が降りてきました。
さらさらの長い栗毛の髪に傷一つない色白の肌、潤んだ大きな緑色の瞳。
そして、華奢な体躯を包む可愛らしいピンクのワンピース。
「え? え?」
「お待たせしました。ボク、ごほん……わたしはルルちゃんの学院のお友達、ヒルダです。長いお休みが退屈で退屈で、お友達と遊びたくなっちゃったの。てへ!」
途中から裏声で名乗られて、私はますます混乱しました。ヒューゴさんが女の子に変身しました。どこからどう見ても貴族のお嬢様にしか見えません。
ミカドラ様は吹き出し、ドナードさんも口を押えて肩を震わせています。
「似合っているぞ。そこらの女より可愛らしい」
「きゃっ。銀狼の若君に口説かれちゃった。どうしよう~」
「……その馬鹿っぽい話し方はやめろ。気持ち悪い」
ミカドラ様に作戦を説明してもらいました。
私を堂々と実家から連れていくなら、同性の友人に遊びに誘われたという設定にするのが一番無難だと。
それでヒューゴさんに女装をさせて、友人役を任せることにしたそうです。
「若いメイドを連れてこようかと思ったんだが、俺とお前の本当の関係を知っている奴がいなくてな。まぁ、この先のことも考えてヒューゴにした」
「できれば今回だけにしてくださいね。ハマってしまったら困りますので」
そう言いつつ、ヒューゴさんは手鏡で前髪を整えながら、いろいろな角度で自分の顔を見て機嫌良さそうにしています。
もう既にクセになっていそうです。あれだけ可愛くなれれば無理もないかもしれません。私は深く考えないことにいたしました。
「さて、じゃあ、乗り込みますか。どうします? ついでに継母さんに一生心に残る言葉の棘を刺してきましょうか?」
「そ、それは止めてください。大丈夫です」
「相変わらずルルさんはお優しい。ボクが同じことをされたら屋敷中のカーテンを切り裂くくらい怒りますよ」
ヒューゴさんこそ、可愛らしい見た目とは裏腹に相変わらず過激な性格をしています。
「品のない行動は慎んでください、ヒルダお嬢様。さぁ、参りましょう」
ドナードさんがお嬢様の執事役として同行してくださるそうです。それを聞いてとても安心しました。
馬車に残るミカドラ様がこっそり私に耳打ちしました。
「もう二度と帰って来ないつもりで荷物をまとめてこい。大事な物は残らず全部だ。留守の間、触られたくないだろ」
「…………」
「これからのことは何も心配しなくていい。俺はお前の人生をもらうんだから、生活を保障するのは当たり前だ」
私は心臓の高鳴りを感じながら、黙って頷きました。
心がふわふわしています。実家には人並みに思い入れがありますが、今ならば未練も執着もきれいに捨てられそうです。
家に帰ると、使用人にお父様を呼んでもらいました。
玄関でヒューゴさん扮するヒルダお嬢様が「ルルさんを別荘に誘いに来ましたの」と、無邪気に言い放ちました。
「は、はぁ……」
「突然の訪問の非礼、お許しください。お嬢様は一度決めたら譲らない方なのです」
ドナードさんが丁寧に対応をしました。その身なりや振舞いから、かなり高貴な家のお嬢様に仕えているのだと錯覚しそうです。
「学院でもお店でも、いつもルル様には大変お世話になっています。大旦那様も感心していまして――」
ヒルダお嬢様のお家が私の働いているジュミナル商店の出資者、ということを匂わせ、お父様の興味を引きました。
「ルルさんのお部屋を見せて。荷づくりを手伝うわ!」
「はい、よろしくお願いします……ふふっ」
私はヒルダお嬢様の裏声に思わず笑ってしまいました。
お父様が何か言いたげでしたが、そのままドナードさんに対応をお任せしました。
これだけ騒がしくしてもお母様は出てきませんでした。また部屋に閉じこもっているのでしょうか。好都合です。
自室に辿り着くと、私は一番大きな旅行鞄に大切なものを詰めました。
クローゼットにある服は、今の私から見ると野暮ったくて恥ずかしいものしかありません。これは置いて行っても構わないでしょう。
自分のお小遣いで購入した本やお気に入りの雑貨を少し入れて、後はお母様の遺品を全て持っていくだけ。ああ、ミカドラ様にいただいた飴の瓶ももちろん持ちました。
「意外なほど、少なかったですね」
鞄に入りきらない、なんてことはありませんでした。
悲しいはずなのに、私はなぜか笑っていました。
「そんなものですよ。さぁ、若様をあまり長くお待たせできません。行きま――」
小さなノックが聞こえて、扉が少し空きました。
ラルスが恐る恐ると言ったように、顔を覗かせました。お母様や他の使用人の姿はありません。
「出かけるの?」
「はい。……ラルス、この部屋はあなたにあげます。ごめんなさい、家と家族のことは任せますね」
私は弟に目線を合わせて、祈るように告げました。
まだ五歳の弟にこんな重荷を背負わせるのは大変申し訳なかったです。
でも、唯一家族全員と血が繋がっている彼にしか頼めません。今度生まれてくる子と一緒に、アーベル家を守ってほしい。私がいなくなれば少しは平和になるでしょう。
「嫌じゃなければ、また手紙をください。どうかお元気で」
部屋を出る時、ラルスがか細い声で言いました。
「お、お姉ちゃんも……」
胸がずきりと痛みましたが、振り返らずに部屋を出ました。
「ルル、待ちなさい」
廊下でお父様に呼び止められました。
朝のお母様とのやり取りが耳に入っているようで、お父様は私の目元を見てやりきれないと言ったように顔を歪めました。
「わたし、玄関で待ってますわ。早く来てくださいね」
ヒューゴさんは私の鞄をひょいと持って行ってしまいました。お嬢様の設定なのに、軽々と運ばないでほしいです。お父様はそれどころではないようですが。
手近にあった誰もいない部屋に入り、私は改めてお父様と向かい合いました。
「その、ルル……」
「大丈夫です。残りの休暇はお友達と楽しく過ごします」
今の私は無敵状態というか、いつもならば躊躇うことも平気で口にできそうでした。
お父様の次の言葉を遮って真っ直ぐに告げました。
「私の部屋も、部屋に残してきたものも、好きに処分していただいて構いません。ただ、お母様の形見の品だけは持っていくことをお許しください。これからの休暇は多分、こちらには帰りません。友人の家にお世話になるので寮費は必要ないです。なので、あと二年間、学院に通わせてください」
「ルル、そんな――」
「学院を卒業したら、結婚して家を出ます」
驚いて目を見開くお父様に、私は穏やかな気持ちで告げました。
「当てつけではありません。前から決めていたことなのでお気になさらず。私には、心からお慕いしている方がいるんです。将来のお約束もしていただいています」
十三歳の娘にいきなりこんなことを告げられ、困惑しない父親はいないでしょう。
あわあわと口を動かすお父様の姿に、ほんの少しだけ溜飲が下がりました。
「相手は、どこの」
「それはまだお伝えできません。ですが、お父様が反対なさるような方ではありません」
というか、反対できないと思います。公爵家からの縁談を断れる家がこの王国に存在するのか疑問です。
「お願いですから、絶対に縁談を持ってこないでください。お父様には心労をおかけして申し訳ありませんが、どうかご容赦ください。では、失礼いたします。お体に気をつけて」
放心状態のお父様に一礼をして、私は部屋から出ました。
不思議です。
先ほどお相手を「心からお慕いしている」と言ったとき、嘘を吐いたときに感じる後ろめたさが全くなかったのです。
……ああ、不思議でもなんでもないですね。
優しく抱きしめられたときに生まれた気持ちを、今になってはっきり自覚しました。
どうしましょう。
私、ミカドラ様のことを好きになってしまいました。
一年生編・完
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
少し書き溜め期間をいただきたいと思います。
気が向いたらご意見・感想などいただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




