22 精一杯の励まし
私は悩んでいました。
ミカドラ様の様子がおかしいのです。
表面上はいつも通りのように見受けられます。
しかし、時折物思いに耽っているというか、考え込むことが増えたように思います。戦線盤戯の手も精彩を欠いているようです。それでも負けてしまいましたが。
極めつけが、アルテダイン殿下が学院に登校されている日のことです。
会いに行こうとされないどころか、授業が全て終わる前に避けるように公爵邸に帰ってしまったのです。
以前はあんなに仲良さそうに話されていたのに……。
もしかしてお二人は喧嘩をしてしまったのでしょうか。少なくとも、式典の日に何かあったのは間違いありません。
どうしましょう。気になって気になって仕方がありません。モヤモヤします!
でも、今更蒸し返して、ミカドラ様の気分を害してしまうのは……。
私が事情を知ったところで、解決できるとは思えませんし……。
もしもずっとこのままだったら、どうしましょう。
「ルルちゃん、最近元気がないよね? どうしたの? 何か困っているなら遠慮なく僕に相談してね」
ルヴィリス様にそう優しく声をかけていただいて、縋る想いで打ち明けました。もう限界だったのです。
「最近ミカドラ様の様子が気になるんです……アルテダイン殿下と何かあったのでしょうか?」
「ああ……ありがとう。気にかけてくれていたんだね」
小さく息を吐いて、ルヴィリス様は言いました。
「式典の日に少しね。喧嘩というほどではないけど、気まずくなってしまっている。どちらが悪いということでもないから、難しい問題だね」
「どうしてそんなことになってしまったのですか?」
恐る恐る尋ねてみましたが、ルヴィリス様は首を横に振られました。
「王家に深く関わることだから、今はまだ教えられない。ごめんね」
その時、直感しました。
これは以前ミラディ様に教えていただいたネルシュタイン王家とベネディード家の秘密に関わる問題なのでしょう。
アルテダイン殿下は成人となり、その秘密を知ることになったのかもしれません。それでなぜミカドラ様と気まずくなってしまうのかは、さっぱり分かりませんが。
「大丈夫だよ。こうなることは分かっていたんだ。むしろ僕は、こうなって良かったとすら思っている」
意外な言葉に私は固まりました。
「アルト殿下が、ミカドラをちゃんと大切に想ってくれていると分かったから。これだからベネディードはネルシュタインを裏切れない。何百年と続く僕らの忠誠心も、未だに裏切られていない。ほんの少しだけ救われるよ」
そう言いつつも、ルヴィリス様はどこか寂しそうでした。
「ミカドラは大人びているけれど、まだ子どもだ。アルト殿下もそれは同じ。お互いの気持ちを理解するためには時間が必要だ。しばらくは距離を置いてしまうかもしれないけど……何も心配要らないよ。王家とベネディード家の友情は永遠に変わらない」
要するに「時間が経てば解決する」ということでしょうか。冷静になれば、歩み寄れるようになると。
それは正しいのかもしれませんが、もどかしいです。大人から見ればほんの少しの時間でも、私たちからすればそうではないのです。
このまましばらく、ミカドラ様が寂しい想いをされるのだと思うと、私まで気分が沈みます。
「……やはり、私にできることはないのですね」
無力感でいっぱいです。
私がさらに落ち込んだのを見て、ルヴィリス様は柔らかく微笑みました。
「ありがとう。本当にきみはミカドラのことを……家のことは関係なく、ミカドラ自身の気持ちを案じてくれている。力になれないなんてことはないよ。ルルちゃんがそばにいてくれるだけで、だいぶミカドラの気持ちが和らぐと思う」
「そばにいるだけで……」
「うん。ミカドラを引っ張ってあげて。よろしく頼むよ」
一人になってからよく考えました。
そうですよね。私が一緒になって落ち込んでしまったら悪循環が続くだけです。
一緒にいて、少しでもミカドラ様の気を紛らわせることができたなら……。
とある日の昼休み、私は初めて自分から図書室の隠れ部屋にお邪魔しました。
一段とやる気なくソファに寝転んでいます。最近はお昼ご飯を食べないこともあるそうです。食欲がないのかとますます心配になるではありませんか。
呼んでないのに来た私を見て、ミカドラ様は寝そべったまま不思議そうにしていました。
「何か用か?」
「えっと、いえ、あの……」
「なんだ。はっきり言え」
私は早々に切り札を出すことにしました。
「こ、これを、ミカドラ様に差し上げたくて……!」
「…………?」
取り出したのは、購買名物の“とても大きな丸パン”です。
その名の通り、人の顔ほどの大きさの丸いパンです。
特徴は、日によって味が違うことです。甘いクリームが入っている日もあれば、シチューやトマトソースが入っている日もあります。恐ろしいことに、甘辛ミックスの日もあるそうです。
……正直に申し上げて、学食の残り物を詰めて焼いているだけなのでしょう。それゆえに大きさの割に普通のパンと変わらないお値段なのです。
そのギャンブル性の高さとコストパフォーマンスの良さから一部の生徒に大人気で、“幸福のパン”とも呼ばれています。
午前の授業が終わると同時に購買に向かっても、運が良くなければ手に入らない代物です。
いつもお昼時に男子生徒たちが楽しそうに食べていました。このパンを手にしている生徒は、誰も彼も笑顔です。だから、ミカドラ様も……。
一生懸命説明したのですが、ミカドラ様の反応はイマイチでした。
「で?」
私はまた贈り物に失敗してしまったようです。
考えてみれば、何が入っているか分からないものをミカドラ様に差し上げるのは大変失礼な話でした。私も食べたことがないので、味の保証ができません。
そもそもこれを好んで食す生徒の多くは平民か下級貴族です。
「申し訳ありません。あの、出来心というか、血迷ったと言いますか」
震える私に対し、ミカドラ様はため息を吐いて起き上がりました。
「お前の分は?」
「え、えっと、これは一人一つしか購入できないのです」
「じゃあ俺に食べさせて、自分は昼を抜くつもりだったのか?」
「大丈夫です。朝食をたくさん食べたので、少しくらいなら」
ミカドラ様は渋面を作りつつも私の手からパンを受け取って、隣に座るように示しました。
「でかいな。こんなには要らない。お前も半分食え。まずかったら責任取って全部だ」
「……はい!」
ドキドキしながら、半分に割っていただいたパンを手にしました。
中身は甘いクリームと果物のようです。私的には大当たりです!
しかし、半分に割ってなお大きいです。どうやって食べましょう。お皿を用意するのを忘れていました。このまま一口大にちぎるとクリームが零れてしまいそうです。
「上品に食べるものでもないだろ」
ミカドラ様はそのままパンをかじりました。
なんだか手慣れています。
「あの、もしかして、召し上がったことがありましたか?」
「いや、学院の購買には行ったことがない。ただ、買い食いならよくする」
「そうなのですか?」
「公爵領の町ではな。王都ではめったにしないが……クリームが垂れるぞ」
指摘され、私は慌ててパンを頬張りました。
こんな風に誰かの前でマナーを無視して食べるのは初めてです。イケナイ気分になりつつも、背徳感のせいか美味しく感じます。
そのまま二人ともほぼ無言で食べ切りました。
「パンそのものは美味かったな。最後の方は味がくどかったが」
「そうですか? 私は最後までとても美味しかったです」
満足です。念願が一つ叶いました。
……私が満足してどうするのでしょう。
昼休みはまだ少し残っています。切り札をなくした今、私にはもうミカドラ様を励ます術がありません。このまま退散するしかないのでしょうか。
「気を遣わせたな」
「え?」
「違ったか?」
苦笑するミカドラ様を見て、私は自分が恥ずかしくなりました。気を遣わせてしまったのは私の方です。
必死に首を横に振りました。
「いえ、全然だめです。全く気を遣えていませんでした。なので、あの……何か、他に私にできることはありませんか?」
もう開き直って直接聞いてしまいました。
「ミカドラ様の気が紛れるようなこと……私で良ければなんでもしますので」
「……なんでも?」
ミカドラ様の表情が少し変わりました。
「はい! 何かありますか?」
この反応、ミカドラ様は何か思いついたようです。もしかしたら何かお役に立てるかもしれません。
期待を込めてミカドラ様を見上げると、不自然なほど素早く視線を逸らされました。
「あの?」
「……お前、危なっかしいな」
「?」
「もういい。そんなに言うなら……少しの間、借りるぞ」
ミカドラ様はソファに寝転がり、私の太ももを枕にしました。これはいわゆる膝枕という体勢では?
「っ!」
どいてください、とは言えず、私はあたふたと手で混乱をアピールしました。
「大人しくしてろ。少しだと言っただろう」
「………………はい」
そのままミカドラ様は目を閉じてしまいました。
行動の理由を説明してほしいです。
もしかして大量のクリームに酔ってしまったのでしょうか。
……そうだとしたら、本当に申し訳ないです。その可能性がある以上、甘んじてこの状況を受け入れようと思います。
膝枕なんて、本物の恋人みたいです。まるでミカドラ様に甘えられているように錯覚してしまいそうです。
なんだか現実感がなくて、ミカドラ様の眠る横顔を遠慮がちに眺めました。相変わらず、綺麗なお顔です。
長い銀髪が頬の方に流れていました。少し迷いましたが、このまま口元に滑ってしまったら不快でしょう。慎重に指ですくって御髪を整えました。
その間、ミカドラ様は全く動じませんでした。“銀狼の若君”ともあろう御方が、無防備すぎます。
「…………」
不思議でした。心臓はドキドキしているのですが、心には穏やかな気持ちが満ちていました。
そのまま私はじっとしていました。
遠くで響く鐘の音とともにミカドラ様が起き上がらなければ、ずっと動かなかったかもしれません。
学院の授業をサボってしまいたいと思ったのは、初めてのことでした。




