14 新しい生活 その四
ミラディ様たちに身なりを整えていただいた後は、勉強か仕事の研修になります。
私は数術や経済学は比較的得意なのですが、外国語の成績は良くありません。片田舎では使う機会もなく、学院に入学してから本格的に学び出したのです。随分と遅れているでしょう。
しかし公爵領では遠方の外国と商取引をしたり、人材を交換して学び合ったり、積極的に交流しています。その関係で他国の貴族との社交が必要なのです。
通訳さんに頼り切りというのは格好がつきませんし、相手への心証も良くありません。日常会話くらいは不自由なく話せるようにならなければ。
筆記は私一人でも勉強の余地はありますが、会話はそうはいきません。
というわけで、公爵邸では外国語の会話を中心に習うことになりました。
〈ご機嫌よう〉
語学の先生に話しかけられ、私は覚えたての挨拶を返しました。
〈ご機嫌よう。お会いできて光栄です〉
〈今日はとても良い天気ですね〉
〈! はい。すこぶる快晴で世界一幸せです〉
私の返答を聞いて、失笑する方がいました。
個人授業中、同じ部屋のソファで寝そべっていたミカドラ様です。お昼寝なら別の場所でしてほしかったです。
「ああ、悪い」
「……そんなに変でしたか?」
「そうだな。だが、嫌な感じはしなかった。失礼にはならないだろう。気にせず続けてくれ」
笑いをこらえながら言われても、救われません。恥ずかしくて、外国語を喋るのがトラウマになってしまいそうです。
「若様、困りますね」
語学の先生はルヴィリス様の第三秘書をしているペイジさん――ヒューゴさんのお兄様です。
王立学院中等部を卒業後、ルヴィリス様の指示で海を越えた島国・シロタエ皇国で交易の荷を管理する仕事をされていた方です。港でシロタエの言葉のみならず、様々な国の読み書きを覚えたそうです。まだ十代なのに素晴らしい語学力です。
ペイジさんもヒューゴさんと同じく中性的な顔立ちをしていますが、背が高いので男性だとはっきり分かります。
ミラディ様のお話ではメイドたちに大人気とのことです。油断ならない男だともおっしゃっていました。
「邪魔をしないでいただきたい」
銀縁の眼鏡をくいとあげて、ペイジさんはミカドラ様に鋭い視線を向けました。
一瞬で室内の空気が張り詰めました。ミカドラ様にこのような厳しい態度を取って大丈夫なのでしょうか。注意していただけるのは頼もしいのですが、後でペイジさんが叱られないか心配です。
〈――――?〉
〈――――!〉
〈――――……〉
しばらく、二人は私には分からないシロタエの言葉で会話していました。お互いに笑顔なのに険悪な雰囲気です。煽り合っているような感じと言えば良いでしょうか。
時折「ルル」という単語が聞こえるので、私のことを話しているようです。気になって仕方ありません。
というか、ミカドラ様、外国語も完璧なのですね……。
「じゃあな。その調子で頑張れ」
「あ、はい」
ミカドラ様は笑みを浮かべたまま退室していきました。ペイジさんに「何を話していたのですか?」と尋ねたところ、
「ルル様のことを心配していらっしゃるようでしたよ」
……と、にこりと微笑むだけで、詳しいことは教えていただけませんでした。
後でミカドラ様にも聞いてみましたが、「ルルが勉強熱心だと誉めていた」とのことでした。絶対に嘘です。早くシロタエ語を習得して、秘密の会話を解明したいと思います。
語学の勉強以外ですと、記録室のお手伝いもさせていただいています。
記録室には公爵領のあらゆる物事に関する情報が集まってきます。
ここで働いている方々は、農作物の収穫高のデータを集計してまとめたり、経費や税に関する帳簿を確認したり、使い終わった資料を綺麗に綴りにして保管したり、様々な業務を行っています。
お城に提出する文書や王立研究所に渡す参考資料を作成することもあるとか。
私は書類整理のお手伝いをしながら、資料の読み方や作り方を教わっています。
実践的でとても勉強になります。というか、ここでのお仕事は私の肌に合っているような気がいたします。
計算は好きですし、地道で細かい作業も苦ではありません。
次第に私は記録室に入り浸るようになっていました。
資料を見ているだけで領民の暮らしぶりが見えてきて、いろいろな情報を紐解きたくなってしまうのです。
「楽しそうで何よりだが、その資料を確認して決裁するのが未来のお前の仕事だからな。ここに就職するなよ」
資料に夢中になる私を見て、ミカドラ様は呆れていました。
……本来ならあなたの仕事ですよ、という指摘は野暮ですね。
土曜日の夕食は、恐れ多いことに公爵家の方々と一緒の席でいただいています。
「だいぶ慣れてきたみたいだね、ルルちゃん」
「はい、全て皆様のおかげです。本当にありがとうございます」
ルヴィリス様はお城に行ったり、公爵領に行ったり、不在にしていることも多いのですが、家族団らんのために土曜日の夜はできるだけこちらの屋敷に戻るようにしているそうです。
本当に私がお邪魔しても良いのか不安でしたが、ミカドラ様もミラディ様も嫌な顔をされません。
ああ、ですが、一度だけ迷惑そうな顔をされたことがあります。
私のテーブルマナーの勉強を兼ねようとして、上品に食べるのが難しい料理が出てきたのです。
この甲殻類はどのように処理すればよいのでしょう。食べたことがないので分かりませんでした。フィンガーボールが置いてあるということは、手を使っても良いのでしょうが……。
公爵家の皆様の真似をしようとしたら、ミカドラ様もミラディ様も眉間に皺を寄せていました。
「面倒くさい。ヒューゴ、解体してきてくれ」
「わたくしのもお願いね」
「かしこまりました……え、いいのかな?」
給仕をしていたヒューゴさんが苦笑いをして、お皿を回収していきます。
そんなのありですか、と私は途方に暮れました。
「きみたち……ルルちゃんが困ってるじゃないか。自由でごめんね」
ルヴィリス様だけが、美しく品のある所作でそのまま料理を召し上がりました。完璧なお手本です!
私もその後、ルヴィリス様の真似をしてみましたが、上手く身を剥がせませんでした。最終的にはお皿の上が見るも無残な有様になってしまい、料理人にも甲殻類にも申し訳ないことになりました。
肩を落とす私をルヴィリス様が慰めてくださいました。
「美味しく食べるのが一番だから……よし、この時間のテーブルマナーの勉強はやめよう!」
「え、それは……」
「いいの、いいの。僕も堅苦しいのはナシにして、子どもたちと楽しくお喋りしたいから。いっそデザートを二皿にしてもらおうかな。その方が嬉しいよね?」
……それ以来、公爵家の食卓に殻付きの料理が姿を見せることはなくなりました。
私のために皆様の手を煩わせるのも申し訳ないですし、これで良かったのでしょう、多分。
私はヒューゴさんにお願いして、甲殻類の料理の下準備がある時、綺麗に身を剥がす練習をさせていただくようになりました。
本当に学び多き日々です。
おまけ
~ミカドラとペイジの会話~
〈俺を追い出したら二人きりになってしまうが、さすがのお前も弟と同い年の女は口説かないよな?〉
〈当たり前でしょう! 何を心配しているんですか〉
〈最近は控えているようだが、少し前まで手あたり次第だったからだろ〉
〈……そんなにルル様が心配なら、一緒に勉強したらよろしいのに。というか、若様が通訳をして差し上げればよろしいのでは?〉
〈嫌だ。面倒くさい〉
〈勤勉なルル様と怠惰な若様……本当にお似合いでございますね〉
〈ああ。俺もそう思うよ〉




