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怠惰な銀狼と秘密の取引  作者: 緑名紺


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13 新しい生活 その三

 

 ロザリエ様は公爵領にお戻りになられてしまい、結局お話しする機会がありませんでした。

 今度お会いする時までに、少しでもご安心いただけるように精進しなければ。


 そんな決意を胸に休日を公爵邸で過ごすようになって一か月。

 ここでの日々は私にとって新鮮なものでした。

 ……刺激が強いとも言います。


 土曜日の午後、屋敷に到着するや否や、まずミラディ様に連れ去られます。

 有無を言わさずドレッサーの前に座らされ、お付きの侍女さんによるヘアメイクが行われるのです。


「いかがでしょう、お嬢様」


 あっという間に鏡の中の私がまるで別人になっていました。

 普段は一つにまとめているだけの茶色の髪は、ハーフアップで結い上げられ、下ろしている毛先は緩やかに綺麗なウェーブがかかっています。重たい前髪も斜めに流しただけで顔全体が明るく見えました。綺麗な形に整えていただいた眉が見えるようになったせいもあるでしょうか。

 お化粧は肌に艶が出るパウダーをまぶし、唇に淡いピンクの紅を引いてもらっただけですが、印象がぐんと変わります。

 全体的に女性らしさと愛らしさと大人っぽさがありながら、あまり派手ではないので、私としても心が安らかです。


「いろいろ試したけど、これが一番マシね。王都暮らしの貴族の端くれくらいには見えるわ」


 田舎くささが払拭され、ついにミラディ様の中で答えが出たようです。


「私もこの形が一番自分に合うと思います。ありがとうございます。美容の力を実感いたしました。すごい……」

「まだよ。わたくしは小手先の美で満足するつもりはないわ。これから時間をかけて、いつ誰が見ても美しいお人形に仕立ててあげる。楽しみにしていなさい」


 ミラディ様と侍女の方々が不敵な笑みを浮かべています。やっぱり怖いです。


「ミラディお嬢様、注文していたお召し物が届きました」

「あら、本当? ちょうどいいわ。早速着せましょう」

「え」


 いつもならばここで解放されるのですが、今日は違いました。

 仕立屋から届いた淡い水色のワンピースを着替えるように命じられたのです。

 あまり知識のない私でも分かるくらい、上質な生地が使われています。


「これは、あの、オーダーメイドの品では……?」

「そうよ。あなたのためにわざわざ作って差し上げたの」

「そんな、いただけません!」


 私は慌てました。

 確かに最初の頃に採寸をしました。でもそれはミラディ様が袖を通さなくなった服を直してお譲りいただけると聞いたからです。それだけでも身に余るお話ですのに……。


「だって、わたくしとルルでは全然タイプが違うんだもの。似合わない物を着せるのは我慢ならないわ」

「ですが、このような高価なものを受け取るわけには」


 ミラディ様の視線が冷気を帯びました。


「……気に入らないというの?」

「い、いえ、そうではなく」

「未来の妹にプレゼントするのがそんなにおかしいこと?」


 これ以上固辞すると失礼に当たる気がいたしました。

 それに、“妹”という言葉が思いのほか胸に沁みました。私は長女ですし、身近に姉のように甘えられるような存在もいませんでした。同級生たちが仲の良い先輩を“お姉様”と呼んでいるのを、いつも羨ましく思っていたのです。


「ミラディ様、お心遣い感謝いたします。有難く頂戴いたします。とても嬉しいです。ですが、お返しできないのにいただいてばかりでは申し訳なくて……」

「はぁ、分かったわ。これからは気が向いた時だけにする。だから早く着替えてらっしゃいよ」


 侍女の方に手伝っていただいて着替えました。

 シンプルで清楚、それでいて裾にある花を模した飾りが可愛らしいです。とても素敵なワンピースで、気分が高揚しました。


「とても良くお似合いですわ」

「ええ、さすがミラディお嬢様の御見立てでございます」


 侍女の方々の称賛にミラディ様は満足げであり、得意げでした。


「でしょう? ミカドラの反応が気になるわね。見せびらかしに行く?」

「ミカドラ様に……」

「何よ、その微妙な顔は」


 おざなりな反応が返ってくるに違いないので、あまりアピールする気が起きません。むしろ煩わせて嫌な顔をされる可能性すらあります。


「ねぇ、前から思っていたけど、もしかしてルルはミカドラのことが好きではないの?」

「え!?」

「なんでそんなに驚くのよ。……嘘でしょ? 執務を代行するのもミカドラの気を惹くためなのだと思っていたけど、本当にただ仕事がしたいだけなの? あの子のそばにいて好きにならずにいられるなんて信じられないわ!」


 弟大好きなミラディ様に詰め寄られ、私は目を泳がせました。


「いえ、あの……好きになってしまうといろいろと支障が出そうなので自重しています」


 ミカドラ様は容姿端麗、頭脳明晰、家柄も最上位でご家族とも良好な関係を築いています。

 性格も最初の印象からがらりと変わりました。高圧的で冷たくて恐ろしい方なのだと思っていましたが、意外と優しくて面倒見が良い方のように思います。いつも取引相手として私を尊重しようとしてくださいます。

 働きたがらない怠惰なところ以外、完璧といっても過言ではない方です。


 だからこそ、恋愛対象として見るのが恐れ多いのです……。


 以前ミカドラ様に「好きになってもいいぞ」と言われていますが、やはり億劫です。

 私はそんなに器用ではありません。仕事も恋愛も、と心を傾ければ両方とも破綻するでしょう。それでは本末転倒。たくさんの方に迷惑が掛かってしまいます。


 そう説明したところ、ミラディ様は理解できないとばかりに首を横に振りました。


「意味が分からないわ。夫を好きにならないように我慢するなんて。好きになる、好きになってもらえる努力をするならまだしも」

「うぅ、努力は好きですが、これに関しては……」


 苦し気な私を見て、ミラディ様はからかうような高慢な笑みを浮かべました。この表情、ミカドラ様にとてもよく似ていらっしゃいます。


「大体、好きにならないよう努力をする時点で…………まぁ、幸せの形はそれぞれだというし、口を挟むのはやめておいてあげる。時間の問題な気がするし」


 どうやら見逃されました。

 私にはまだ早いということでしょう。同感です。


「だけど、自分磨きを怠ることは許さないわ。よろしくて?」

「は、はい。それはもちろん頑張ります!」


 姿見に映る見慣れぬ姿の自分を見て、私は一つ頷きました。

 ミラディ様がここまでしてくださっているのです。容姿を改善する努力は続けます。


 ですが、ミカドラ様に積極的に想いを寄せることも、気を惹くことも、やはりできそうにありません。

 どうしても勇気が持てないのです。


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