第4話 お父さんと言ってしまった
『得体が知れない』などと言われてしまうには理由がある。
まずカブラギはタカハシが怒鳴っているのを1度も見たことなかった。サトルが年中バンバン教壇を叩いて
「静かにしろって言ってんだろうがコラァ!!」
とブチギレているのに対しひっそりしていた。
ちなみにサトルが怒鳴るのはみんな慣れっこで全然静かにはならない。ナメられている。
体育教師の『マサミチ(あだ名は「ウザイ熱血」)』が怒鳴りつけると縮み上がる女子生徒だが。サトルに対しては『アイツどうせ本気で怒ってない』と放置されてしまうのである。実際心の底から怒っているところは見たことない。
対するタカハシ。
教室が女生徒どもで『キャアキャア』になってるのを見るやスーッと騒ぎの元までやってくる。一人一人とけして目が合わないのになぜかピタリと原因の女生徒を見つける。
で、その女生徒の机に片手をかけてしゃがみ込み『じっ』と見あげる。
もうその目が。
何の感情も浮かんでないというか。サイコパスっぽいというか。怒ってもないし悲しんでもないしもちろん笑ってもないし。吸い込まれそうな黒い瞳でただ見つめるだけなのである。唇だけ微笑んでる。
こっわぁぁぁぁ!!!
居心地悪くなった『騒ぎの原因』が黙り込むとニッコリ微笑んで「授業していい?」と聞いて立ちあがり教壇に戻る。
くだんの女生徒はタカハシが教室に入ってくるだけで黙るようになった。
もぉ〜〜〜あの得体の知れない瞳に見つめられたくない〜〜。
タカハシの教室はいつも静かなのである。
◇
そんな『カブラギ以外誰一人賞賛しない』タカハシだが、皆が認める長所がただ一つあった。
『声がいい』
ことだ。
ラジオの深夜便で流れるような落ち着いた低い声で、聞き取りやすくよく通った。あまりにいい声なので春先は眠ってしまう生徒が続出した。
『あの声からは催眠波がでている』
ともっぱらの評判であった。
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春の海 終日のたりのたりかな
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と与謝蕪村が歌う春。ポカポカした陽気にタカハシのいい声で半分くらいの生徒が寝てしまう。
するとタカハシはゆっくりと教科書を朗読しながら、眠っている生徒の肩を『ポンポン』『ポンポン』と叩いて回った。カブラギはうらやましくて仕方ない。あの繊細なタカハシの指に触れてもらったのは入学式のただ一度きりなのだ。
そこで『寝たふり』をするとカブラギの横に来たタカハシに「カブラギ。顔をあげなさい」とあえなく言われてしまう。タカハシに嘘は通じなかった。
◇
そう言えば高校生活3年間でタカハシに触れてもらったのは『たった2回』であった。
1回が入学式。もう1回が3年生の時だ。
カブラギは演劇部だった。なぜ入部したのかと言えば理由は簡単。タカハシが演劇部顧問だったのだ。
3年生は夏の大会が最後の活動になるので、カブラギは熱心に取り組んだ。
冷たい体育館の舞台上でカブラギはベニヤ板に白いペンキを塗り続けた。
ふと、気づくと外は真っ暗でカブラギは一人であった。
「カブラギ!」
顔を上げるとタカハシが入り口に立っていた。
タカハシを背に、真っ暗な森が見える。
「もう……体育館閉めるけどいいかな?」
「あ。すみません」
タカハシはニコニコとカブラギのところまで歩いてきた「随分熱心だね」
うわぁ〜。先生と2人きりだぁ〜。
カブラギはテンパってしまった。気づくとバレー部員も、テニス部員もいなくて広々とした体育館に『ペタペタ』というタカハシのスニーカーだけが響いた。
「どれ? よくできてるね」
「ありがとうございます」
「明日に持ち越しても大丈夫?」
「はいっ。お父さん!」
あ…………。
今私『お父さん』て口走ったよね!?
やってもうた〜〜〜。
◇
ひょんなことからカブラギはタカハシの年齢を知った。
カフェテリアでのお昼後のお菓子タイム(カブラギの学校はお菓子持ち込み禁止だが誰も守っていなかった)でサトルとしゃべっていた時である。
サトルは常に女生徒の中で菓子食いながらだべっているのである。お前本当に教師なのか!?
カブラギと演劇部員5名の中でなぜかタカハシの年の話になったのだ。
「タカハシ? オレの7つ上だろ? えーっと4月生まれだからあいつもう35かぁ!!」
うっっそなんでサトルタカハシの生まれた月まで知ってんの!? あの秘密主義の得体の知れない日陰物のタカハシの!!(言い過ぎなのでは)
カブラギは胸がいっぱいになってしまった。死んだ父親と同い年だったからだ。
カブラギの父親はカブラギが10歳のときに35で死んだ。
明け方の4時に道路を歩いていて大型トラックにはねられた。車輪に巻き込まれたまま250メートル引きずり回されたらしい。発見されたときは体の骨が一部見えていたそうだ。
カブラギが見た遺体は包帯でグルグル巻かれ、父親なのかどうかすらわからなかった。
参列者に『これからは紫陽ちゃんがお母さんを支えてね』『しっかりしなくちゃね』と言われ『私がお母さんを守るんだ!』と決意した。
その父親と現在のタカハシがよりにもよって同い年。それ以来カブラギは『お父さん。タカハシ先生を今日もお守りください』と毎日仏壇に祈った。
タカハシを見ると反射的に『お父さんと同じ』と感じる。
カブラギはタカハシに父親の面影を見ていた。『どことなく似ている』と思った。
カブラギはファザコンであった。タカハシはカブラギより17も年上であったが、それがまたカブラギを惹きつけた。
『お父さん生きてたらこんな感じだったのかなぁ』『タカハシ先生がお父さんならよかったのに』そんなことまで思った。
で、失言したのである。
◇
タカハシは一瞬だけカブラギを見つめ右目をパチパチした。左目は常に前髪に隠れている。
「あっいえっあのっ。父が死んだとき先生と同じくらいだったものですからっ。あっ先生が死ぬとかいう話ではなくてっ。すみませんっ」
取りつくろうとすればする程変なことを言ってしまう。
ベニヤ板を挟んで対面にしゃがんでいたタカハシは温かい目になった。目尻を崩して笑った。この人の『くしゃっ』とする笑い顔が好きだった。滅多にお目にかかれない。
「しよう」
「はいっ」
え? 今『紫陽』って呼んでくれた?
「大きくなったね」
「…………はい」
「しよう。なんでも頑張ってるね。学業も部活もほんと良くやってる」
「はい!」
「お父さんは安心だよ。でも今日はもう遅いし帰りなさい」
で、立ち上がろうと中腰になった瞬間タカハシはギョッとした顔になった。
カブラギが猛烈に泣き出してしまったからだ。
「うわぁ〜〜っ!!! おとうさーーん!!!」
顔を天井に向けて口を大きく開けて両手はだらんと地面に垂らして子供のようにカブラギは泣いた。天国の父ならば間違いなくそう言ってくれると思った。
「あっ。カブラギ!? なんかゴメンね?」
うろたえたタカハシのところにベニヤ板を超えて近づくと、今度は両手で涙を払うように目をこすって言った。
「おとうさーーん。『ヨシヨシ』してよぉぉ」
ヨシヨシ!?
タカハシがはっきりと戸惑ったのがわかった。『ヨシヨシ』て。18歳ですけれども。
「よ…………よしよし……よしよし……」と言いながらタカハシは頭を『ポンポン』してくれた。
実を言うと鏑木紫陽は『相当突飛な女』であった。タカハシは『卒業して1年後いきなり学校にやってきて告白』をはじめ数々の『カブラギのあまりに突飛な行動』に振り回されることになるのだが、それはまた後の話だ。
泣き止まないカブラギ。閉められない体育館。タカハシは困り果ててしまった。




