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第38話 なんでどうしてロイホなの

 カブラギは緊張していた。またあのパターンである!


『会いに来てくれたと思ったら土手に連れていかれて付き合えない』と言われたパターンである。


 だってさぁ! 『初めて』すんならロイホ来なくていいじゃん。『初めて』できない場所に呼び出されてんじゃん。『ちゃんとする』って嘘じゃん!


 蜃気楼タカハシじゃん何も見えてこないじゃん!


 カブラギは絶望していた。てっきりあの後LINEで『タカハシの家の住所』が何? Google map? とにかくそこら辺で送られてくるかと思ったら。


 な、ん、で、ロ、イ、ホだっ!! ロイホは好きだけど! ゴージャスで好きだけれども!


 タカハシが現れた。タカハシもちょっと緊張していた。


 もしかしてアレか…………。何かタカハシの家ってドエライことにでもなってんのかな? ハト100羽住んでるとか。


 ボーボボ ボーボボー! って足の踏み場もないとか!!


 カブラギは妄想を振り払った。タカハシの考えが読めなくて辛い。不安ばかり。なんでこんな『得体の知れない鬼太郎』好きになっちゃったのか。


「お待たせ。カブラギ」と言われたので首を横に振った。今日は苺ブュリュレパフェもパンケーキも食べる気にならなかった。


 ドリンクバーの『アップルシナモンティー』だけをテーブルの上に置いた。


「結論を言うとね」タカハシが目を伏せた。


「一緒に長野に行って欲しいんだ」


 ◇


 長野?


 ハテナマークが大量に飛んだ。長野?


「え? ご転勤とか」

「旅行です」


 旅行!?


 あれ? なんか希望の光が見えてきたぞ。


「まずはこれを見て欲しいんだけど」とペラッとした紙を渡された。


 左上に『長野旅行日程』と書いてありなんと! なんと泊まりのスケジュールが書いてある!!!


 ガタッ。カブラギは立ち上がった!!


「せっ……先生」ウルウルする。


「ついに私の下着姿を見てくださるんですねっっ」

「違います」


 おいっ。今現下に否定しやがったぞ!!!


 カブラギは心の中で盛大にコケた。


「じゃあっ!! なんですかこのスケジュール表の旅館名はっ。しかもこれ1泊2日の日程じゃないですかっ。は? 『泊まり』で下着姿見ないとかほんとぶん殴っていいですか!!!」


 右手を『グー』の形にした。『今ならコイツを殴ってもいい』と思った。


「カブラギ……。落ち着いて……。旅行の日付を見て……」


 はっ!?


 あれ!?


『2019年4月29日から30日』?


 今、2022年3月ですけど……。


 ◇


「カブラギ。これはね。俺が前の彼女と行こうとした旅行の日程表なの。そこで彼女にプロポーズをしようとしたんだ」


 カブラギはヘナヘナと座り込んだ。


 タカハシはそのとき34歳だった。元の彼女。つまり元カノは33歳。


「旅館の予約をして、新幹線のチケットについても調べて(発売前だったのではまだ買ってはいなかった)、日程表も作って彼女に会いにいったんだ。今日みたいなファミレスだったよ。でも旅行自体が断られてしまったんだ」


「何でですか?」


「『別れたい』って言われたんだ『もうあなたが好きじゃない』って」


「え? 理由はなんですか?」


「『とにかく好きじゃなくなった』の一点張りだったんだけどすぐに理由はわかったよ。1ヶ月半後に彼女結婚式をあげたからね」


 カブラギは。ポカーンとしてしまった。1ヶ月半後に結婚?


「せ……先生もしかしてアレですか。彼女に浮気されて……」


「違う。俺が『浮気』だったんだ」


 え? でもお付き合い開始は2年前の2017年6月ですよね。


 ◇


「1番参ったのはね。式場が『明治神宮』だったんだよ」


 明治神宮! カブラギでも知ってる有名神社だ。


「大人気の会場でね。1年前ぐらいじゃないと予約取れないんだ」

「先生は元カノが明治神宮を式場として抑えたことは」

「もちろん知らない」


 あぜんとしてしまった。手が震えてなんとかアップルティーを飲み込んだ。ティーバックをカップから避けることすら忘れていた。


 シナモンの香りがカブラギの鼻腔をフワーッとくすぐる。飲むと遅れてりんごの香りが立った。


「どうして彼女……そのこと先生に言わなかったんですか? その。先生以外の人と結婚することを1年も隠してたんですか?」


「『オーディション』されていたんだ」


「は?」


「俺と、結婚した相手と、もう1人の3人。式場だけ押さえて誰と結婚するかを1年。彼女は『オーディション』したんだ」


 ◇


 カブラギはそのままズルズルと下がって床にベッタリと張り付きたい気分だった。混乱する。何を言われているのかわかるが理解を拒否していた。


「すみません……あえて確認させていただきたいのですが……『オーディション』されていることを先生はご存知だったのですか?」

「知るわけない」


 知るわけない。当たり前だ。そんな嫌なオーディション誰が受けるか。


「俺はなかなかいい線いってたらしいよ。何せ結婚式の招待状を送り終わるまで『手駒』として残されたわけだからね」自嘲した「もう1人は半年も前に切られたそうだ」


 結婚半年前。彼女は婚約をした。何食わぬ顔でタカハシと会いながら婚約者と式場打ち合わせやドレス選びや招待状の準備をしていた。


 もしも何かで婚約者と上手くいかなくなっても大丈夫なように『保険』を残しておいたのだ。


 カブラギの手がハッキリと震えた。

 まるで『怒りという毒』が全身を駆け巡って彼女を犯したようであった。


「そん。そん。そんなの。そんなの『婚約』した時点でお別れしないといけないですよね? 婚約者にも先生にも失礼ですよね?」

「そうだね」

「何か変だとは思われなかったんですか?」


 タカハシは、黙って、手元のコーヒーを見つめた。


「思わなかった」


『仕事が忙しい』という言い訳をタカハシは信じた。それどころか『そんなに忙しいならいっそ結婚しよう』と決意した。それでプロポーズの準備までした。


「実はサトルが『その女絶対おかしい』ってずっと言ってたんだよ」


 その『忙しさ』はなんか変だとサトルは言い続けた『その女に合わせろ。オレが化けの皮をはがしてやる』と息巻いた。


「それを俺は頑なに突っぱねたんだ。『俺は彼女を信じる』と言って。恥ずかしい話だけど『サトルより7歳も年上だ』という傲慢さもあった。サトルは『どうかしちゃったミッキーマウス』なんだから俺の何百倍もの女を見てきたんだよ。それなのに彼より、嘘だらけの彼女を信じた」


 ふふふ。タカハシは笑った。いくら『夏目漱石』を読んだところで女を見る目が養われるわけじゃないもんだなぁ。キャバクラ。行くもんだなぁ。


 何もかも終わってからサトルが調べてくれた。それで全ての事情が判明した。『3人』候補がいたことがわかった。元カノ本人に確認しようにも電話番号を変え、ラインはブロック、引っ越しまでしてきれいに『逃げられた』あとだった。


 サトルはずっとこのことを後悔して、タカハシに何人も知り合いの女の子を紹介してくれた。


「でもどんな子と会っても頭をかすめちゃうんだよ。『オーディション』が」


 目の前の子。いい子そうだ。サトルの紹介だし。身元もしっかりしてるし安心だ。


「何度もそう思おうと自分を説得するんだけど『オーディション』は影のように付きまとった」


 彼女が結婚式をあげたのは2019年4月29日だった。


 カブラギは立ち上がった「先生の誕生日じゃないですかっ」「そう」


「どっどっどういうつもりでっ。あまりに悪質ですよっ。嫌がらせですよっ。その元カノの旦那に全部チクッてやりましょうよっ」


「嫌がらせではない」


「はっ!? 先生の誕生日に結婚式とか嫌がらせ以外の何物でも……」

「そんな感覚すらない人なんだよ」


 は!?


「彼女にとってね。4月29日はゴールデンウィークが始まって最初の月曜日という意味しかない。お父さんが仕事の都合で月曜日しか休めない人なんだ。あとはゴールデンウィークと、会社の結婚休暇を使って目一杯新婚旅行に行こうとしただけだ。俺の誕生日だという感覚すら持っていないんだよ」


「……………………」


「人として何かが決定的に欠けてなければ『オーディション』なんかできないよ」


 タカハシは目をつぶった。


「今思えばね……。彼女にとって俺の一番の長所は『孤児』だということだった」


 親もない。兄弟もない。わずらわしい親戚付き合いも介護の不安もない。


「俺が『孤児だ』と聞いたときの彼女の目の輝き。忘れられないよ。どうしてあの時に彼女を切ってしまわなかったんだろうね」


 ◇

 

 アップルシナモンティーはすっかり冷めてしまっていた。


『旅行の日程表』はもう何の意味も持っていなかった。単なる文字と数字の羅列だ。


 ふふっとタカハシは笑った。


「カブラギ。どうして夏目漱石の『こころ』なの」


「え?」


「前『先生を見ると「こころ」の「先生」を思い出す』と言ってただろう?」


「あの」


「『先生』なんて文学にはいっぱいでてくるよ。島崎藤村の『破壊』も『先生』川上弘美の『センセイの鞄』も『先生』」


「あっ……その。性格が。何かこういつも遠い人だって感じが似てると思ったんです。でも違いましたね」


「いや。相当いい線いってたよ。正直夏目漱石の『こころ』と言われた時はドキッとした。ただね。一つだけ違うところがある」


「はい。『登場人物』が違ったんですね」


「そう。俺は夏目漱石の『こころ』だったら『先生』ではなく」


 2人の声がそろった。

「「友達に裏切られて失恋した『K』の方」」

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